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2016年11月の2件の投稿

2016年11月30日 (水)

紅葉の信濃路の旅

 2016年11月20日(日)~22日(月)、大河ドラマ「真田丸ゆかりの地を中心に東信州から北信州を巡る1泊2日のバスツアー。

 

 20日(日)、この日は朝から濃い霧。午前8時、参加者29名を乗せた観光バスは、関越道、上信越道の霧の中を走る。やがて霧が晴れて曇り空、雨はなさそう。

 

●千曲錦酒造(10:15~10:45)

 最初の訪問先は、佐久インターから上信道を降りてすぐ、江戸時代初期の天和元年(1681年)創業という老舗「千曲錦酒造」(長野県佐久市長土呂)。武田信玄の二十四将の一人・原虎胤(はらとらたね)の子孫・弥八郎が、この地域の名主を勤めるかたわら、酒造業を始めたとされる。

 この日は日曜で酒蔵の見学は出来なかったが、おなじみの試飲コーナーでは利き酒を楽しむ。

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●蜂天国(11:15~11:45)

 バスは国道141号から国道18号を走り、東御市加沢にある「蜂天国」へ。

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 「世界初のスズメバチの芸術館」がキャッチフレーズの館内には、スズメバチの標本や生態などの説明パネルとともに、珍形・奇形や巨大な蜂の巣800点余りが展示され、初めて見る人は驚くばかり。一見する価値はある。

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 置物などの人工物にくっついた巣や巨大な巣は、アートなのかオブジェだろうか。スズメバチだけで自然に作ったのではなく、人間の手が加わっている。蜂の巣駆除作業で取り外した巣を置物にくっつけて、いくつも並べるとスズメバチは巣と巣の間をせっせと埋めて、大きな巣の造形物ができていくのだそうだ。

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 蜂の巣80個を合体した「雷門」。

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 160個の巣を合体した「富士山」は、ギネスに登録された。

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  あまりにも多くの蜂の巣のアートを見ていると、ちょっと食傷気味になる。

 

 バスは、国道18号線を北上し、上田城址の目の前にある「ホテル祥園」(上田市大手1丁目)に入り、昼食(12:20~13:10)。

 

●真田丸大河ドラマ館と上田城址(13:20~15:50)

 「上田城址公園」の大型バス駐車場にバスを止め、公園に入場。

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 上田城址公園の一角にある「信州上田 真田丸大河ドラマ館」に入館。

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 現在放映中の大河ドラマの影響で狭い館内は、多くの観光客で大混雑。ドラマの解説や配役の紹介、ロケの写真や衣装、小道具、甲冑などが展示されている。館内は、撮影禁止。

 写真は、ドラマの真田信繁(幸村)が大坂の陣で着用した「赤備え(あかぞなえ)」の鎧兜(よろいかぶと)。これだけは、撮影可だった。

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 上田城は、真田本城主の真田氏が築城し、二度にわたり徳川軍を撃退した。しかし関ヶ原の戦いで西軍が敗れたため、上田城は徳川によって破壊され後、小諸藩主だった仙石忠政が移り、再構築した。しかし忠政の死後は、松平氏が藩主を交代し幕末までこの城を引き継いでいる。

 写真は、「上田城」の東門虎口櫓(やぐら)門。

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 本丸にある「真田神社」。明治になって上田城が廃城となった跡地に、創建された。本丸には、もともと天守閣はなかった。

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 神社は当初、松平氏を祀り「松平(しょうへい)」神社と称した。戦後、真田氏と仙石氏も合祀して「上田神社」と改称した。しかし市内の同名他社と紛らわしいため、その10年後に初代城主の真田氏の名前を冠して「真田神社」と再改称され、今に至っているそうだ。

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 集合時刻の14時40分になっても参加者の一人がバスに戻らず。迷子になったらしくて、大騒ぎとなるハプニング。大事に至らずやっと見つかったが、結局1時間以上の遅れの15時50分、公園の駐車場を出発。

 

 上信越道の坂城インターから信州中野インターを経て、16時55分湯田中温泉「ホテル星川館」(下高井郡山ノ内町平穏)に到着。

 温泉に浸かった後は、18時半から20時50分まで大広間で懇親会。
 

 

 ★ ★ ★

 21日(月)、6:25起床、7:30から朝食。9:00ホテルを出発。

 

●小野りんご園(9:15~9:35)

 信州中野の「小野りんご園」(中野市吉田)に寄る。ここは先月10月17日、リンゴ狩りに来たところ(文末の関連ブログ参照)。

 時間の関係でリンゴ狩りを省略、試食とお土産のリンゴを1人1カゴずつ持ち帰り。

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●小布施のまち歩き(9:55~10:30)

 栗と北斎で知られる小布施町の街中を散策(高井郡小布施町大字小布施)。

 ここには、江戸時代の絵師・葛飾北斎の「北斎館」のほか美術館や博物館、栗菓子・土産物・食事処・カフェなどの店が並ぶ。

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 この街も10月17日に訪ねて、「北斎館」を見学した(文末の関連ブログ参照)。今回は、「高井鴻山記念館」に入館しようと思ったが、改修工事中につき来年3月まで休館。高井鴻山は、地元の農・豪商でありながら江戸末期一級の文化人。北斎にアトリエを提供し、創作を支えた鴻山に関する資料が展示されているそうだ。

 「北斎館」すぐ隣の甘味処「おぶせ庵」と民家の間の空き地に置いてあった天才バカボンの人形が、おもしろい。

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 10:40小布施のスマートICから上信越道、長野方面へ。

 

●真田邸と松代城(11:05~12:10)

 10:55上信越道長野インターを降りて、長野市松代の「真田邸」と「松代城」を見学。

 「真田邸」は、9代藩主・幸教(ゆきのり)が、江戸住まいを幕府から帰国を許可された義母・貞松院の住まいとして、1864(元治元)年に建築された。

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 松代城の城外御殿で、当時は「新御殿」と呼ばれていた。母屋、表門、土蔵、庭園が、江戸末期の御殿建築として貴重な建物であり、松代城とともに国の史跡に指定。紅葉の庭園も見どころ。

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 隠居後の幸教もここを住まいとし、明治以降には伯爵となった真田氏の私宅となった。1966年(昭和41)年、12代当主の幸治氏により代々の家宝とともに松代町(現長野市)に寄贈された。

 「松代城」は、川中島で上杉と戦った武田信玄の拠点だったところで、「海津城」と呼ばれていた。関が原の勝利で功績を上げた初代藩主の真田信之(信幸)が、加増され上田城から移ってから「松代城」に変わる。幕末まで真田氏の松代藩10万石の藩庁だった。

 写真は、「松代城」の太鼓門。

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 明治維新に廃城となるが、近年江戸時代に近い姿で再現されたという。

 

 長野インター近くの「信州そば蔵ドライブイン」で、栗おこわと生そばの昼食(12:20~13:15)。

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 13時20分、長野インターから上信越道、関越道を帰路へ。

 

 16時、出発地の駐車場に到着。この日は曇り空だったが、自宅に帰る途中で雨。2日間とも寒くもなく、まずまずの天気の旅行だった。

 

 ★ ★ ★

 蜂の子(ヘボ)はクロスズメバチなどの幼虫だが、他にもミツバチ、アシナガバチなど、全国各地の山間部では幼虫やサナギが食用にされている。古い時代には貴重な蛋白源として常食されたが、近年は珍味として瓶詰や甘露煮、佃煮が販売されている。

 蜂の巣を採取するため、「蜂追い」と呼んで目印をつけた蜂を追いかける昔ながらの伝統的な狩猟がある。山間部の村には、蜂追いの愛好家や名人がいたりする。

 蜂の巣作りの勤勉さから「蜂は企業の手本なり」というのは、「蜂天国」のオーナー塩澤氏の言葉。氏は、地元で生コンクリート会社などの経営者だそうだ。スズメバチに愛着を持って、蜂の巣づくりがピークを迎える夏から秋には、蜂の巣集めに奔走しているという。特に長野県は、蜂蜜採取のためやミツバチ養蜂、蜂の子を食用とするためスズメバチの飼育や蜂追いなどが盛んな所だが、このような蜂の巣でアート作りをしている人がいたとは驚いた。

 

 ★ ★ ★

 真田といえば「赤備え(あかぞなえ)」が有名。 旗指物(はたさしもの)や、兵士が身につける甲冑(かっちゅう)などの武具を全て朱色に統一した部隊編成は、武田の重臣・飯富虎昌(おぶ とらまさ)が最初に始めたとされている。赤は戦場で目立ち、武田のこの部隊の戦いが強く印象づけられた。やがて「武田の赤備え」といえば、優れた精鋭部隊、最強軍団を意味した。また、当時は朱色の染料が貴重で高価、装備一式を同色に染めることなどは、特別のことだという理由もあった。

 信繁(幸村)の父・昌幸が存命中の文禄年間には、真田氏は甲冑と旗指物には赤を使用していた。真田氏の赤備えは、元々仕えていた武田氏から引き継いだものだろう。また、大阪夏の陣の真田信繁の兜は、大きな鹿の角が一対備え付けられ、前方に六文銭が飾られている。雄雄しい鹿の角にあやかって、当時の兜によく使われていた。もっとも信繁の兜は、九度山(和歌山県)で共に幽閉生活を送っていた父から授けられた物だとされている。

 大阪夏の陣で、赤備えで編成した真田信繁の部隊は、徳川本陣への攻撃で「日本一の兵(つわもの)」と讃えられた。赤備えは、劣勢の豊臣方につくことへの信繁自身の覚悟を表わし、兵士に赤を与えることで士気を向上させ、さらに精鋭部隊というイメージを敵に与え恐れさせたのに違いない。

 六文銭は、「三途の川(さんずのかわ)」を意味している。昔は、亡くなった者は「この世」と「あの世」の間を隔てる三途の川を渡って、あの世へ行くものだと信じられていた。川には渡し船があり、人を葬る際には船賃に困らないよう、六文の銭を副葬品として入れる習慣があった。真田の家紋を六文銭にした由来は、いつ命を落としても悔いが残らぬように六文銭を常に身につけ、命をかけて戦いに挑むという強い意志から来ているそうだ。

 しかし「大阪の陣」で豊臣派の真田信繁は、ドラマのように六文銭を実際には使用しなかったとされる。真田家の本流は信繁の兄の信之(信幸)であり、信之は徳川派に属していた。兄に気兼ねしたという理由からだと言われている。

 

 「ものみ・ゆさん」の関連ブログ記事

  「信州松代の史跡巡り」 2012/06/20投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-3d01.html

  「長野市周辺と白馬の旅」 2016/03/26投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-937b.html

  「長野市周辺と白馬の旅-その2」 2016/10/28投稿
    http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-0d0e.html




2016年11月11日 (金)

日本スリーデーマーチ2016

 2016年11月4日(金)~6日(日)の埼玉県東松山市とその周辺で開催されたウォーキングの祭典「第39回日本スリーデーマーチ」の2日目、3日目に参加。
 

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 (写真をクリックすると拡大表示します)

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●2日目: 11月5日(土) 20Kmコース

 吉見百穴(比企郡吉見町)から国営武蔵丘陵森林公園(比企郡滑川町)の中を通り抜ける20Kmコース。この日は、秋晴れの爽やかな良い天気で、最高気温は20℃くらい。途中で暑くなって、半袖のTシャツ1枚になってちょうど良かった。

 

 午前9時、東松山駅前を出発。吉見百穴から滑川の堤防(市内松山)を歩く。

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 10:45、岩鼻運動公園(市内松山)の休憩所、国道407号に架かる陸橋を渡る。

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 市内野田の田園地帯を歩く。

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 12:05、ちょうど市内大谷で、中学生を相手に観光ガイドによる「観歩!ガイドウォーク」をやっていた。平安末期から鎌倉前期に源頼朝を支えた比企氏の伝承のコース(比丘尼丘~串引沼)へ約1Kmほど寄り道して、元のコースに戻るそうだ。

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 県道307号線を武蔵丘陵森林公園に向かう。(市内大谷)

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 12:40武蔵丘陵森林公園の中央口(滑川町山田)、今日は無料入園日。

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 2017ミス・インターナショナル日本代表の筒井菜月さんが同じコースを歩いているのを見かける。(写真は、東松山市ホームページ「日本スリーデーマーチ」の動画から転載。)

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 中央口付近の芝生で昼食。

 公園の林の中の道を歩く(滑川町山田)。

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 13:55、森林公園の南口(滑川町山田)を出る。紅葉がきれい。

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 滑川に沿って、堤防の上を歩く(滑川町羽尾)。

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 15:25、ゴールの中央会場(市内松葉町)に到着。テントが並び、飲食や物品の販売や各種サービス。正面のステージでは、歓迎の演奏や演技が行われていて賑やか。

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 メインストリート(市内材木町)で行われている「よさこい陣屋まつり」を見ながら、東松山駅に向かう。

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 この日の歩数計は、36,000歩、22Km。

 事前に予約した駅付近の居酒屋で、夕方4時から同行の仲間と一緒に生ビールで完歩を祝って乾杯。地元の名物「やきとり」を食べて、6時過ぎに帰る。

 この日は、土曜日とあって家族連れも多かった。翌日の新聞発表では、3万247人がウォーキングに参加したという。

 

●3日目: 11月6日(日) 10Kmコースとパレード

 この日も秋晴れ。最高気温も20℃くらいだが、冬型の天気配置で前日よりも風が強くて、少し肌寒さを感じる。中央会場から唐子(からこ)中央公園を経由する10Kmコース。その後バレードに参加して、中央会場で解散。

 
 東松山駅から中央会場(市内松葉町)まで10分ほど歩く。

 中央会場のスタートの列。

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 ステージでは、歌手「Tomo_Yo(知世)」さんのミニコンサート。歌でウォーカーを見送る。(写真は、東松山市ホームページ「日本スリーデーマーチ」から転載。)

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 9:30出発。市内松葉町の商店街を歩く。

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 市内箭弓町の住宅街、東武東上線の踏切前で渋滞。10Kmは人気のコースで、昨日の20Kmにくらべて参加者も多い。

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 唐子中央公園(市内下唐子)の唐子地区体育館前に11:10到着。中央公園は、スタートから6Km地点。体育館前には屋台が並び、「第39回唐子地 区商工祭」が開かれていて、音楽演奏や踊り、歌などで賑わっていた。ここの児童公園に行って昼食。

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 公園の先では地元の人たちや中学生が、この地域を舞台にした打木村治の児童大河小説『天の園』を、NHKテレビの朝のドラマに取り上げてもらおうと署名活動。

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 市内石橋の田園地帯を歩く。

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 ​12時半、東松山市立南中学校(市内石橋)で休憩。昨年ノーベル物理学賞を受賞した東大の宇宙線研究所長・梶田教授は、この中学校の出身者。今年は、校舎の前に受賞記念碑が建っていた。

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 ひょうたんの形をしているものは、氏が研究していたニュートリノの観測設備「カミオカンデ」の光電子倍増管の模型。「ニュートリノは極小の素粒子の世界と極大の宇宙とを結ぶかけ橋」という直筆が刻まれ、経歴が紹介されている。

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 同じ記念碑が、出身の野本小学校と市内の二つの駅前にも建っているそうだ。

 南中学校を出て、13:00頃田園の中のあぜ道を歩く。あと30分ほどで市街地。

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 14時ころから、街中のバレード(約1Km)に参加。

 ​メインストリートの沿道では、和太鼓チームが力強い太鼓の演奏。山車の上から祭り囃子(写真左)、比企広域消防本部の音楽隊や県立松山高校吹奏楽部の歓迎演奏が流れる。 

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 パレードは1時半から始まった。市内にキャンパスのある大東文化大学の吹奏楽団を先頭に、主催者側の東松山市長や東松山観光大使「ピオニメイツ」、埼玉県警の音楽隊、埼玉県マーチングリーグなど・・・・、学校、団体、企業、ウォーキングクラブや自治会など、のぼりや旗を掲げて約1千人が続いていたそうだ。

 14時35分、中央会場(市内松葉町)に到着。​会場は、ゴールした人も含めてごった返している。

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 今年も、知人がやっている会場内の出店に行って、ウィンナーをつまみにドイツビールを一杯飲んで会場を出る。

 ​帰る途中、市役所の向かいにある総合会館(市内松葉町)に寄って、ノーベル賞受賞の梶田先生の展示コーナーを見学。

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 メインストリートを通って、15:30頃東松山駅に到着。この日の歩数計は、28,000歩、17Km。

 翌朝の新聞では、この日のウォーキング参加者は3万3678人。3日間好天だったので、この大会には延べ8万7150人が参加したそうだ。​
 

 「ものみ・ゆさん」の日本スリーデーマーチ関連のブログ記事 

  「日本スリーデーマーチ2015」 2015/11/12投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/2015-3fcc.html

  「日本スリーデーマーチ2014」 2014/11/10 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-ba9a.html

  「日本スリーデーマーチ」 2012/11/17 投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-ba9a.html
 

 

 ★ ★ ★

 最近各地で、ウォーキングの大会が開かれるようになった。全国には、およそ3000くらいの大会があるそうだ。主催者も参加者も費用をあまりかけず、またマラソンなどに比べ、年令を問わず誰でもが手軽にできるスポーツとして定着してきた。しかし、近隣からうるさがられたり、交通整理やコース整備の費用や人員の手配がうまくいかなかったりで、中止になった所もあるとも聞く。

 もともとこのような歩く大会は、平地が多いオランダが発祥だそうだ。毎年7月、ナイメーヘンで4日間開催される「国際フォーデーマーチ」は、世界最大規模。100年以上の歴史があり、もともとは軍隊の大会であったが、今は一般市民が中心となっているという。

 埼玉県東松山市を中心として、今年で39回目を迎えた「日本スリーデーマーチ」は、日本で最も古いウォーキング大会。毎年11月行われ、参加者はなんと8万人以上で、世界で2番目の規模を誇る。日本全国、世界各地からもウォーカーが集まる。

 「日本スリーデーマーチ」は、3日間別々のコースがあり、5キロから50キロまでの自分の体力に合った距離を選べる。都心に近く交通の便も良いが観光地化してなくて、のどかな田園風景や川や小高い丘があって、貴重な武蔵野の自然が残る点が、この大会の特徴だろう。

 健康志向の高まりで、各地でウォーキング大会が多く催されてきているので、「日本スリーデーマーチ」の最近の参加者数は、減少気味なのではと思った。しかし、データを見ると、ここ20年間の参加者数は、3日間の天候でも変わるが、通年8万人以上、5年ごとの記念大会では10万人以上、だいたい横ばい状態のようだ。

 来年の「日本スリーデーマーチ」は第40回の記念大会、11月のちょうど3連休で開催される。

 

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