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2016年10月28日 (金)

長野市周辺と白馬の旅-その2

 2016年10月16日(日)白馬山麓のホテルに前泊、17日(月)長野市とその周辺の観光ツアーに行く。

 

 16日(日)志賀高原の池めぐりが終わって、志賀高原総合会館98を13:15車で出発。

 国道292号、志賀中野有料道路(100円)、県道29号、上信越道の信州中野IC入り長野ICで出る(510円)。長野市街を通り西の方角へ、国道19号、白馬長野有料道路(210円)を経て県道31号、県道33号を走る。途中、道の駅「おがわ」で休憩。

 

 15:55、白馬八方温泉「ホテル五龍館」に到着。

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 ホテルは、JR白馬駅より北西に車で5分。近くに徒歩10分の八方尾根スキー場や白馬ジャンプ競技場がある。ここは、今年3月にも宿泊したところ。



 ホテルの前から見える北アルプスの「白馬三山(しろうまさんざん)」。左から「白馬鑓ヶ岳(しろうまやりがたけ)」(標高2,903m) 、「杓子岳(しゃくしだけ)」(2,812m) 、「白馬岳(しろうまだけ)」(2,932m)。 12日には、初冠雪があったと聞く。

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 ホテルから見える白馬八方尾根。18日に八方尾根のトレッキングを予定。

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 16:30、白馬ジャンプ競技場へ行って見る。

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 1998年(平成10年)の長野オリンピックで使用されたジャンプ競技場。左はノーマルヒル、右はラージヒル。今年3月には、リフト(往復料金460円)に乗り地上約140mのスタート地点から眺めた白馬村の風景は、素晴らしかった。

 ちょうどジャンプの練習中だった。

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 今日から2泊3日、全国各地から21名が参加して、年に一度のOB会。

 入浴後の17:45~22:00、懇親会と2次会は盛会だった。22:30就寝。

 

 ★ ★ ★

 10月17日(月)、6:00起床。7:00~朝食。8:50、参加者21名は、観光バスでホテル出発。

 中野市でリンゴ狩り、小布施町で「北斎館」の観覧と「栗おこわ」料理の昼食、長野市の信濃美術館、善光寺を貸切バスでめぐる観光ツアー。 

 今日は朝から雨。終日雨の予報であったが、りんご園に着く頃には雨は止む。

 

●小野りんご園」(中野市)でりんご狩り(10:30~11:00)

 料金500円で、直接木からもぎ取って食べ放題。1個はお持ち帰りできる。

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 シナノスイートは、甘くてシャキシャキの人気品種。下の写真はふじ。

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●「北斎館」(小布施町)に入館(11:45~12:30)。入館料1,000円。

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 江戸時代後期の浮世絵師・葛飾北斎の肉筆画を紹介。北斎の生涯と小布施ゆかりの作品が展示されている。

 写真は、北斎館のパンフの表紙。北斎が描いた天井絵のある祭り屋台。

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  1976年(昭和51年)以来、開館40周年を記念して特別展「氏家コレクション-肉筆浮世絵の美」が開催中。故氏家武雄氏が蒐集した作品の中から、北斎をはじめ菱川師宣、喜多川歌麿、歌川広重などの傑作50点を展示してある。

 氏家コレクションの展示室。

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 北斎の肉筆画展示室。

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 北斎は『富嶽三十六景』の浮世絵版画で有名だが、肉筆画をこんなに多く描いているとは知らなかった。肉筆浮世絵は版画浮世絵よりも、精密で色も鮮やか、絵師の力量が問われるという。また版画と違い、肉筆画は一品制作である。

 祭り屋台展示室には、長野県宝に指定された2基の祭屋台が展示。

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 小布施町の東町祭屋台には北斎筆の『龍と鳳凰』、上町祭り屋台には、男波・女波と呼ばれる『怒濤』の二枚の天井絵がある。

 

 北斎館を出て、小布施のまち歩き。

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●おぶせの里「いなか家」(小布施町)で昼食(12:45~13:20)。

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 無病息災を願って、六つの皿の「六皿息災料理」。器の配置は、信州の武将・真田幸村の家紋「六文銭」にあやかっているそうだ。左下の黒い器は、「栗おこわ」。栗は小布施の名産。右下は、きのこ汁。

 

●信濃美術館「東山魁夷館」(長野市)に入館(14:20~15:15)。入館料500円。

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  東山魁夷の本名は、東山新吉。1908年(明治41年)横浜に生まれ、3歳で神戸に転居。第二神戸中学から東京美術学校日本画科を卒業。昭和を代表する日本画家の一人で、文化勲章受章。1999年(平成11年)没。

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 御射鹿池(みしゃかいけ)という溜め池が、長野県茅野市にある。東山魁夷の1972年(昭和47年)の作品「緑響く」のモチーフとして有名な池である。今でも、多くのアマチュア写真家が、この溜め池の前に三脚を並べる。東山魁夷の絵画に、影響を受けたという写真家は少なくはない。

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 日展への出品作など代表作の多くを、東京国立近代美術館と長野県に寄贈。長野県は、信濃美術館に「東山魁夷館」を1990年(平成2年)に増設し、常設展示している。

 東山魁夷は、「信州の豊かな自然を描くことが多く、風景画家として一筋の道を歩いてきた。私の作品を育ててくれた故郷とも言える長野県にお願いした。」と寄贈の理由を述べている。

 その他にも、魁夷ゆかりの地の「兵庫県立美術館」、「香川県立東山魁夷せとうち美術館」、市川市立「東山魁夷記念館」、「東山魁夷 心の旅路館」(岐阜県中津川市)にも作品が寄贈されている。

 本館の「信濃美術館」の方は、月曜日は休館だった。

 

 
●「善光寺」(長野市)参り(15:20~16:30)。

 善光寺は、信濃美術館からすぐ近く。仲見世の土産や「丸八たきや」の駐車場(本堂西側)にバスを駐め、お店のガイドの案内で、歴代の「回向柱(えこうばしら)納所」、工事中の「経蔵(きょうぞう)」、「本坊大勧進」を見て、「山門」へ。

 重要文化財の「山門(三門)」は、二層入母屋造り。

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 1750年(寛延3年)に完成。2007年(平成19年)に修復工事がなされ、檜皮葺き(ひわだぶき)になっていた屋根が、創建当初の栩葺き(とちぶき)に改められた。

 楼上に掲げられている「善光寺」と書かれた額は、通称「鳩字の額」と呼ばれ、3文字の中に鳩が5羽隠されている。また「善」の一字が牛の顔に見え、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を物語っているという。山門の内部が公開されていて、500円で2階まで上がれる。

 本堂は、江戸時代中期を代表する仏教建築として、国宝に指定。

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 本堂は、創建以来10数回焼失したが、その都度全国の信徒からの浄財で復興した。現在の本堂は、1707年(宝永4年)の再建。国内有数の規模の木造建築で、T字型の棟の形から「撞木(しゅもく)造り」と呼ばれる。屋根は、総檜皮葺き(ひわだぶき)。

 「戒壇巡り」が500円で体験できる。本堂の床下の真っ暗な通路を通り、本尊の阿弥陀如来が安置されている「瑠璃壇」という小部屋の真下にある錠前に触れると、死後に極楽浄土へ行けるとされる。

 参道の仲見世に向かう。

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 善光寺の入口となる「仁王門」には、善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられている。

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 仁王門は、1752年(宝暦2年)に建立されたが二度焼失、現在のものは1918年(大正7年)に再建。仁王像と背後の三宝荒神・三面大黒天は、ともに高村光雲と米原雲海の作。

 

 この日は朝から雨で心配したが、現地に着く頃には雨も止んだ。寒くもなく、午後からは晴れ間もあり、予定のツアーは無事終了した。

 予定の30分遅れで、17:45「ホテル五龍館」着。

 18:00~20:00、二度目の懇親会。入浴後、21:00~23:00二次会。23:30就寝。

 

 

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  「信州松代の史跡巡り」 2012/06/20投稿
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  「長野市周辺と白馬の旅」 2016/03/26投稿

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  「志賀高原の池めぐり」 2016年10月26日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-ad52.html

 

 ★ ★ ★

 「北斎館」がなぜ小布施町にあるのか、北斎が小布施の出身かと思っていたら違っていた。

 北斎は、1760年(宝暦10年)、江戸・本所(現在の墨田区)で生まれた百姓の子であった。幼い時に幕府御用達の鏡磨師であった中島伊勢の養子となったが、のちに実子に家督を譲り家を出る。貸本屋の丁稚や木版彫刻師の徒弟となって苦労を重ね、実家へ戻る。この時、貸本の絵に関心を持ち、画家の道を志す。

 1778年(安永7年) の18歳の頃、浮世絵師・勝川春章の門下となったが、1794年(寛政6年)破門される。狩野派、土佐派、琳派(りんぱ)、洋風画など和漢洋の画法を取得し、司馬江漢などの洋風銅版画にも関心を寄せるなど、貧しくて破天荒な修業生活を送る。

 若い時から意欲的で何でも描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。奇行が多く、逸話も多い。また改号や転居が頻繁で、春朗・宗理・可候・北斎・画狂人など30以上の号を用い、転居は生涯で90回を超えた。

 『北斎漫画』と『富嶽三十六景』は、北斎の名を後に世界中に広めることとなった代表的な作品。『北斎漫画』は、絵手本として発行したスケッチ画集。1814年(文化11年)北斎が55歳の時に初編を手掛けた以降、その人気は北斎が亡くなっても衰えることなかった。

 『富嶽三十六景』は、1831年(天保2年)~1833年(天保4年)頃にかけて刊行された46枚シリーズの風景画・浮世絵。北斎の絵師としての地位は、この作品により不動のものとなり、風景画に新しい分野を切り開いた。その頃の北斎の年齢は、すでに72歳~74歳。修業を始めてから、50年が過ぎた頃であった。 

 

 信州・小布施村で酒造業を主とした豪農商の高井鴻山は、陽明学などの学問にも通じ、多くの文人とも交流があった江戸時代末期の一流文化人であった。江戸での遊学の折、北斎と知り合いその門下となった。この縁によって、数年後の1842年(天保13年)秋、旅の道すがら83歳の北斎が、小布施の鴻山屋敷を訪れた。鴻山は感激し、自邸に一間のアトリエを新築し、北斎を厚遇した。

 当時の小布施は、千曲川を利用した舟輸送により北信濃の商業・交易の中心として繁栄していた。北斎や一茶をはじめ、文人を引きつける魅力のある町だった。北斎の当地への訪問は4度にわたり、滞在中は鴻山の全面的な援助のもとで、肉筆画の独自の画境に没頭した。このとき描かれたものが、小布施の町の祭り屋台の天井絵であり、曹洞宗・岩松院の天井絵である。1849年(嘉永2年)、北斎は卒寿(90歳)で没する。 

 

 小布施町内には「北斎館」をはじめ、12の美術館・博物館がある。小布施町は、歴史的町並の修景事業が行い、上信越道の須坂長野東IC開通、北陸(長野)新幹線の開業などに伴い、北信濃の人気観光スポットとなった。

 長野県内には多くの美術館・博物館があり、その数は東京都に次ぐともいわれている。その中でも長野県信濃美術館は、県立の美術館として半世紀の歴史を刻んでいる。 

 

 「牛に引かれて善光寺参り」で有名な「善光寺」は、無宗派の単立寺院で、檀家も持っていない。全国各地の信者の浄財で支えられていて、年間600万人以上の参拝者が来るそうだ。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。現在、セクハラ疑惑騒ぎで信徒から辞任を要求されている住職は、「大勧進貫主」の方である。

 日本最古と伝わる「一光三尊阿弥陀如来」を本尊とし、御開帳が行われる7年に一度、丑年と未年に多くの参拝者が訪れる。御開帳は、秘仏の本尊の身代わりとして、まったく同じ姿の「前立本尊」を本堂に移してお参りするという儀式。本堂の前には、45cm角で高さ10mもある杉材の新しい「回向柱」(えこうばしら)が建つ。直近では、2015年4月5日~5月31日の間、御開帳が開催された。

 善光寺の建立の詳細は不明とされているが、奈良後期から平安前期にはかなりの規模の大寺院だった。江戸時代には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われていた。

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