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2016年9月26日 (月)

比企西国札所巡り-その4

 2016年9月23日(金)、埼玉県比企地域の「比企西国三十三札所」を巡るウォーキングシリーズの4回目。
 

 
 比企西国札所33ヶ所のうち、一昨年暮れの第1回は7ヶ所、昨年暮れの第2回は4ヶ所、今春の第3回では8ヶ所を回った。今回の第4回は、比企郡川島町の6ヶ所を巡る。

 この日の天気は、前線が本州南岸に停滞していて関東は雨や曇り、気温は平年並みの予報。9時35分東松山駅発の川越駅行東武バスに乗車、国道254号線旧道を南下し伊草坂下バス停に10時ちょうど到着。

 

 ここから旧道を北へ200mほど歩いた所に、13番札所「金乗院」(川島町上伊草)がある。鎌倉後期、1297年(永仁5年)に開創されたという立派な寺院。本堂は、2012年(平成24年)に建て直されたばかり。

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 廃寺となった12番「蓮花院」の聖観音も、この寺の本堂に安置されているそうだ。また14番「観音院」の観音堂は、この寺の境内に移されている。観音堂の入口には、札所十四番の板札が掛かっているのを確認。

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 観音堂の祭壇前は、8畳ほどの広さ。良く見えなかったが、正面の仏像が14番観音院の十一面観音なのだろうか。

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 次は、旧道を更に北上し圏央道の高架をくぐり20分ほどの距離、川島西中学校そばの11番「淵泉寺」(川島町吹塚新田)跡がある。10:35に到着する頃には雨がパラパラ降りだす。この寺は廃寺になっていて、ご本尊は行方不明だそうだ。

 跡地は墓地や空き地になっている。墓地の入口(左手)に、数体の地蔵?(石仏)が立っている。

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 この石仏を覆っている簡単な覆堂(ふくどう、おおいどう)には、確かに札所十一番の板札が掲げられている。

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 墓地の一角には、江戸時代の頃と思われる石や墓石が集められていて、歴史を感じる。

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 この後、田園地帯と物流会社の倉庫群を右手に見ながら北へ15分ほど歩き、番外の「金剛寺」(川島町中山)に立ち寄る。この寺は札所ではないが、鎌倉時代の豪族・比企氏の館跡に比企一族の菩提寺として建っている。境内の大日堂と比企氏の墓所を見学。

 11:00、比企氏の位牌が納められているという大日堂。

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 竹林の中にある比企氏の墓所。

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 金剛寺の本堂は、2010年(平成22年)に建て直された。

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 本堂前に建つ「本堂新築記念碑」に刻んである勧募者御芳名を見ると、比企家の9人が金1,000万円から金100万円まで、合計5,200万円を寄進。

 

 金剛寺のすぐ北には、廃寺となった9番「能性寺」(川島町中山上郭)跡がある。小雨の中の住宅街を次の目的地に向かう。

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 11:20、能性寺の跡地に到着。跡地は天神社の敷地となっていて、天神様のお堂に並んで、一回り小さいお堂(右手)が建っている。

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 扉の右側に札所九番の板札を確認。十一面観音が安置されているのだろうか。

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 能性寺のすぐ南側には10番「正泉寺」(川島町中山)。11:15、山門を入るとすぐ右手に聖観音のお堂。ここにも十番札所の板札が掛かる。

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 中を窺う(うかがう)ことが出来ないが、安置されている木像聖観音坐像は南北朝期の作とされ、川島町の有形文化財(彫刻)に指定されている。ここで昼食、しばし休憩。

 正泉寺のひっそりとした本堂。入口のガラス戸から内部を覘くと、広間の先にまた引き戸があって祭壇が見えない。

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 天台宗の埼玉教区寺院紹介や埼玉県の宗教法人一覧を見ると、6番札所「超福寺」と同様、10番「正泉寺」の電話番号や代表役員(住職のことか)が東松山市高坂(西本宿)の「常安寺」のと同じ。正泉寺の仏事は常安寺が執り行っていて、いわゆる兼務寺のようだ。

 

 正泉寺を出る12時頃には、とうとう本降りの雨。国道254号線の南園部交差点から北の方角、東松山駅までは約7Km。国道に沿って、両側に夏草の茂った歩道をひたすら歩く。

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 出発地の東松山駅前には、午後2時過ぎに到着。流れ解散となったが、この日の歩程は約12Km。

 

 江戸時代、各地に西国札所や坂東札所をまねた観音霊場がつくられ、遠出しなくても巡礼がより身近なものになった。しかし明治の廃仏毀釈により、廃寺となった札所も少なくない。往時の庶民たちの観音信仰に想いを馳せながら、秋雨の中のウォーキングだった。

 

 関連ブログ記事

  「比企西国札所巡り-その1」 2014年12月18日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-e8ac.html

  「比企西国札所巡り-その2」 2015年12月13日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-cf25.html

  「比企西国札所巡り-その3」 2016年03月24日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-4eaf.html

 

 ★ ★ ★

 日本全国には現在、7万数千にも及ぶ寺院が存在するらしい。コンビニの数が、5万店余りだそうだから、その数をしのいでいるのに驚く。しかし、常駐住職が居なくて別の寺の僧侶が住職を兼ねる「兼務寺」や、住職が居ない「無住寺」の数は1万2千とも、2万を上回るともいう。

 比企西国三十三札所巡りで分かったことは、江戸中期に比べていかに寺院の数が減ったのかがよく分かる。つまり江戸時代は現在の数倍以上、全国津々浦々、村々の隅々にお寺があったのだ。

 それは江戸幕府の宗教統制政策から生まれた「檀家制度」(寺請制度)。仏への信仰と家を中心に祖先の崇拝。人々はすべて檀家として特定の寺に所属し、葬祭・供養の一切を委託し、お布施を払う。一般の庶民たちである檀家たちが、寺院の経済を支援していた。

 明治初期の神仏分離令に基づく廃仏毀釈の影響が大きかったが、また戦後は農村の過疎化、都市集中化、少子高齢化、核家族化や仏教離れによる檀家の減少、住職の後継者不足など、今後は更に「空き寺」や「お寺の消滅」が加速するだろう。仏像などの有形文化財、先祖代々の墓の維持、葬儀や法事、お盆など伝統行事、地域のコミュニティーも次第に消えてゆく。

 こういった問題に行政は、政教分離の原則からタッチできない。この危機的状況に、仏教界における現代の「宗教改革」は起こらないのだろうか。

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