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2016年9月の4件の投稿

2016年9月26日 (月)

比企西国札所巡り-その4

 2016年9月23日(金)、埼玉県比企地域の「比企西国三十三札所」を巡るウォーキングシリーズの4回目。
 

 
 比企西国札所33ヶ所のうち、一昨年暮れの第1回は7ヶ所、昨年暮れの第2回は4ヶ所、今春の第3回では8ヶ所を回った。今回の第4回は、比企郡川島町の6ヶ所を巡る。

 この日の天気は、前線が本州南岸に停滞していて関東は雨や曇り、気温は平年並みの予報。9時35分東松山駅発の川越駅行東武バスに乗車、国道254号線旧道を南下し伊草坂下バス停に10時ちょうど到着。

 

 ここから旧道を北へ200mほど歩いた所に、13番札所「金乗院」(川島町上伊草)がある。鎌倉後期、1297年(永仁5年)に開創されたという立派な寺院。本堂は、2012年(平成24年)に建て直されたばかり。

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 廃寺となった12番「蓮花院」の聖観音も、この寺の本堂に安置されているそうだ。また14番「観音院」の観音堂は、この寺の境内に移されている。観音堂の入口には、札所十四番の板札が掛かっているのを確認。

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 観音堂の祭壇前は、8畳ほどの広さ。良く見えなかったが、正面の仏像が14番観音院の十一面観音なのだろうか。

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 次は、旧道を更に北上し圏央道の高架をくぐり20分ほどの距離、川島西中学校そばの11番「淵泉寺」(川島町吹塚新田)跡がある。10:35に到着する頃には雨がパラパラ降りだす。この寺は廃寺になっていて、ご本尊は行方不明だそうだ。

 跡地は墓地や空き地になっている。墓地の入口(左手)に、数体の地蔵?(石仏)が立っている。

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 この石仏を覆っている簡単な覆堂(ふくどう、おおいどう)には、確かに札所十一番の板札が掲げられている。

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 墓地の一角には、江戸時代の頃と思われる石や墓石が集められていて、歴史を感じる。

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 この後、田園地帯と物流会社の倉庫群を右手に見ながら北へ15分ほど歩き、番外の「金剛寺」(川島町中山)に立ち寄る。この寺は札所ではないが、鎌倉時代の豪族・比企氏の館跡に比企一族の菩提寺として建っている。境内の大日堂と比企氏の墓所を見学。

 11:00、比企氏の位牌が納められているという大日堂。

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 竹林の中にある比企氏の墓所。

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 金剛寺の本堂は、2010年(平成22年)に建て直された。

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 本堂前に建つ「本堂新築記念碑」に刻んである勧募者御芳名を見ると、比企家の9人が金1,000万円から金100万円まで、合計5,200万円を寄進。

 

 金剛寺のすぐ北には、廃寺となった9番「能性寺」(川島町中山上郭)跡がある。小雨の中の住宅街を次の目的地に向かう。

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 11:20、能性寺の跡地に到着。跡地は天神社の敷地となっていて、天神様のお堂に並んで、一回り小さいお堂(右手)が建っている。

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 扉の右側に札所九番の板札を確認。十一面観音が安置されているのだろうか。

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 能性寺のすぐ南側には10番「正泉寺」(川島町中山)。11:15、山門を入るとすぐ右手に聖観音のお堂。ここにも十番札所の板札が掛かる。

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 中を窺う(うかがう)ことが出来ないが、安置されている木像聖観音坐像は南北朝期の作とされ、川島町の有形文化財(彫刻)に指定されている。ここで昼食、しばし休憩。

 正泉寺のひっそりとした本堂。入口のガラス戸から内部を覘くと、広間の先にまた引き戸があって祭壇が見えない。

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 天台宗の埼玉教区寺院紹介や埼玉県の宗教法人一覧を見ると、6番札所「超福寺」と同様、10番「正泉寺」の電話番号や代表役員(住職のことか)が東松山市高坂(西本宿)の「常安寺」のと同じ。正泉寺の仏事は常安寺が執り行っていて、いわゆる兼務寺のようだ。

 

 正泉寺を出る12時頃には、とうとう本降りの雨。国道254号線の南園部交差点から北の方角、東松山駅までは約7Km。国道に沿って、両側に夏草の茂った歩道をひたすら歩く。

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 出発地の東松山駅前には、午後2時過ぎに到着。流れ解散となったが、この日の歩程は約12Km。

 

 江戸時代、各地に西国札所や坂東札所をまねた観音霊場がつくられ、遠出しなくても巡礼がより身近なものになった。しかし明治の廃仏毀釈により、廃寺となった札所も少なくない。往時の庶民たちの観音信仰に想いを馳せながら、秋雨の中のウォーキングだった。

 

 関連ブログ記事

  「比企西国札所巡り-その1」 2014年12月18日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-e8ac.html

  「比企西国札所巡り-その2」 2015年12月13日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-cf25.html

  「比企西国札所巡り-その3」 2016年03月24日投稿
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-4eaf.html

 

 ★ ★ ★

 日本全国には現在、7万数千にも及ぶ寺院が存在するらしい。コンビニの数が、5万店余りだそうだから、その数をしのいでいるのに驚く。しかし、常駐住職が居なくて別の寺の僧侶が住職を兼ねる「兼務寺」や、住職が居ない「無住寺」の数は1万2千とも、2万を上回るともいう。

 比企西国三十三札所巡りで分かったことは、江戸中期に比べていかに寺院の数が減ったのかがよく分かる。つまり江戸時代は現在の数倍以上、全国津々浦々、村々の隅々にお寺があったのだ。

 それは江戸幕府の宗教統制政策から生まれた「檀家制度」(寺請制度)。仏への信仰と家を中心に祖先の崇拝。人々はすべて檀家として特定の寺に所属し、葬祭・供養の一切を委託し、お布施を払う。一般の庶民たちである檀家たちが、寺院の経済を支援していた。

 明治初期の神仏分離令に基づく廃仏毀釈の影響が大きかったが、また戦後は農村の過疎化、都市集中化、少子高齢化、核家族化や仏教離れによる檀家の減少、住職の後継者不足など、今後は更に「空き寺」や「お寺の消滅」が加速するだろう。仏像などの有形文化財、先祖代々の墓の維持、葬儀や法事、お盆など伝統行事、地域のコミュニティーも次第に消えてゆく。

 こういった問題に行政は、政教分離の原則からタッチできない。この危機的状況に、仏教界における現代の「宗教改革」は起こらないのだろうか。

2016年9月 8日 (木)

立山-その3

 2016年8月27日(土)~29(月)の2泊3日の立山山行。本ブログ記事「立山―その2」のつづき。

 

 2日目の8月28日(日)8:35、雄山(おやま)に登頂。立山神社峰本社でお祓いを受けた後、9:20下山開始。

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 10:25、「一ノ越山荘」に到着。

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 登山中に見つけた高山植物。白い小さな花のイワツメクサ(岩爪草)は、登山道の所々で石の間に群生。紫色のイワギキョウ(岩桔梗)は、山頂の日当たりの良いところに花を横向きにして咲いていた。

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 「一ノ越山荘」からの室堂平へ。振り返ると、昨日は雨と霧で全く見えなかった山頂の雄山神社の社務所が良く見える。
 
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 11:30~11:55、立山室堂山荘前のベンチで、雄大な立山と「山崎カール」を眺めながら、山小屋弁当(700円)の昼食。おにぎりと思いきや、包装紙を開けると海老のてんぷら、唐揚げ、昆布の佃煮、ふりかけと御飯の弁当だった。質素な弁当だが、山の上では美味しい。

 室堂平の遊歩道を散策しながら、「みくりが池」に向かう。

 室堂平から東の方角の立山を見上げる、左端のピーク「富士ノ折立」(ふじのおりたて、標高2999m)、中央は「大汝山」(おおなんじやま、3015m)、右が「雄山」(3003m)。立山の前面は、氷河がえぐった跡の「山崎カール」。建物は、「立山室堂山荘」。

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 12:10、立山火山の火口湖「みくりが池」に到着。池の水は、修験者の神水とされていた。日本最高所の温泉宿である「みくりが池温泉」が、左手の畔にある。周辺には、「みどりが池」や「りんどう池」、「血の池」などの火口湖群が点在。

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 室堂平から北東の方角の立山連峰。左からやや雲がかかった「劔御前」(つるぎごぜん、標高2776.8m)、そのすぐ右が「別山乗越」(2792m)、次が「別山」(2880m)、中央の凹みにあるコブが「真砂乗越」(2750m)、その右手の斜面のピークが「真砂岳」(2861m)。更にその右には、写ってないが立山の主峰が連なる。

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 室堂平の高山植物。バラ科のワレモコウ(吾亦紅)とキク科のゴマナ(胡麻菜) 。

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 室堂ターミナルで、13:00発の立山高原バスに乗車。予定より1時間遅れで美女平へ。帰りも霧で、車窓からの「称名滝」(しょうみょうたき)は見えず。13:50、美女平からケーブルカーに乗るころは、山々の頂に霧が降りて来る。

 14:08発の富山地方鉄道・電鉄富山行き。晴れ渡った午前中と比べ、午後からは雲が多くなってきた。行きと同じく、千垣鉄橋を渡るとき列車は速度を落とすが、川の向こうの立山連峰は雲で見えなかった。

 15:12、電鉄富山駅に到着。コインロッカーから荷物取り出し、登山靴を履き替え。   

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 宿泊先の「呉羽ハイツ」の無料バスの発車時刻まで、JR富山駅周辺を散策。駅正面CiCビル5階にある観光と物産の施設「いきいきKAN」で時間をつぶす。

 16:30富山駅前発の無料バスに乗車、「呉羽ハイツ」に16:45に着く。

 「呉羽ハイツ」は、呉羽丘陵の城山の山頂近くの眺望の良い場所にある。宴会・研修・法要などにも利用され、大浴場や展望露天風呂のある多目的の宿。財団法人「富山勤労総合福祉センター」が運営。ガラス張りの展望風呂からは、富山市街、富山平野、富山湾、遥か能登半島を望める抜群の展望。写真を撮れなかったのが残念。

 18:30~夕食。下山を祝って乾杯、富山の郷土料理を味わう。23:45頃就寝。

 

 ★ ★ ★

 3日目の8月29日(月)、5:30起床。朝風呂、7:00~朝食バイキング。

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 8:40発の送迎バスで、9:00富山駅前着。不要な荷物を、富山駅南口のコインロッカーに預ける。今日も天気は良い。

 富山駅北口から「環水公園」までの両側の歩道は、とても広くよく整備されて綺麗。散策しながら「富岩(ふがん)水上ライン」の乗船場に向かう。

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 広々とした「環水公園」の運河に架かる公園のシンボル施設「天門橋」。

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 「富岩水上ライン」は、環水公園から岩瀬を結ぶ運河クルーズ。定期運航する県のソーラー船「sora」と「fugan」(ともに定員55名)、市の電気ボート「もみじ」(定員11名)がある。 ソーラー船は、太陽発電のエネルギーを充電し、電気モーターだけで推力を得るエコな船。船長の話では、電力を消費しないようにうまく操船するのだそうだ。

 10:10発の観光船「Sora」に乗船。運賃1,500円(10%割引券あり)は、帰りの路面電車ライトレールを含む。北前船で栄えた下流の岩瀬まで、女性ガイドさんの分かり易い説明を聞きながら運河クルーズを楽しむ。
   
 古くから商業が盛んであった岩瀬港は、富山城のある富山市中心部までは遠くて不便であった。「富岩運河」は、1930年(昭和5)に運河のほか区画整理、街路や公園の整備を同時に行う都市計画事業として着工。5年後完成。

 クルーズの最大の見どころは「中島閘門(こうもん)」。船が近づくと観音扉のゲートが開く。

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 上流のゲートが閉まり、閘室(こうしつ、前後を扉で仕切って船を収容するプール)の水がゆっくりと抜かれる。下流と水位が同じになると、下流のゲートが開き、船は閘室を出て行く。写真は、上流側のゲート。

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 「中島閘門」は、富岩運河の建設にあわせて、昭和9年(1934年)に造られた。 水位差を二対の扉で調節するパナマ運河方式。昭和の土木技術の粋を集めた構造物として全国で初めて、国指定重要文化財に指定された。

 閘室の水の排出、流入をポンプのような動力で行っていると思いきや、上流・下流の高低差を利用して給排水すると聞き、納得する。

 中島閘門を出てしばらくすると、やがて観光船は運河から富山港の海に出る。

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 11:10、岩瀬カナル会館前での乗船場で下船。カナル会館に立ち寄る。

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 11:25、岩瀬橋の上から立山連峰を望む。下船したソーラー船「sora」が、次の客を乗せて上流の環水公園に向かう。 

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 岩瀬橋を渡り、旧北国街道の大町通りを歩く。通りに面して馬場家や森家のほか北前船(きたまえぶね)の廻船問屋や海商の旧家が建ち並ぶ岩瀬の歴史的町並み。

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 北前船は、江戸時代から明治の頃まで、北海道から日本海を経て瀬戸内海の大阪までの航路で、米や昆布・ニシン、酒や塩を載せて往復した。地元では「バイ船」と呼ぶ。

 11:35~12:15、北前船の廻船問屋「森家」(国指定の重要文化財)に入館。

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 名調子のガイドの説明に耳を傾けながら、繁栄を極めた北前船廻船問屋「森家」を見学。森家の財力を示すように、全国から取り寄せた贅を尽くした建築材料と京から呼んだ宮大工の技巧を凝らした重厚な町屋(商家)で、1878(明治11)に建てられた。

 囲炉裏や吹き抜けのある風格のある部屋。畳に敷き方も面白い。右手に北前船の模型が展示されている。

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 奥の座敷で中庭の説明を聞く。

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 中庭の向うに鏝絵(こてえ)が描かれた土蔵がある。

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 こんな貴重な物を見て、解説を聞いて入場料100円とは安い。岩瀬の町屋の特徴に、竹を使ったスダレ「簾虫篭(スムシコ)」がある。中から外が見えて、外からは中が見えないのだそうだ。また、黒塀と見越しの松の家が目立った。

 森家を出て通りを150mほど南に歩き、銘酒「満寿泉」の桝田酒造を覘いてみる。(写真なし)

 1893年(明治26)、舛田酒造の初代の亀次郎は、妻と共に北前船に乗って北海道旭川で酒造業を創業、12年後に岩瀬に戻る。 「満寿泉」は昭和初期に桝田の苗字にちなむ銘柄で地元で親しまれ、昭和40年代後半に育てた「吟醸満寿泉」は全国にその名を馳せたという。

 

 まち歩きをしながら、路面電車のライトレール東岩瀬駅まで行く。

 東岩瀬駅から、12:33発のライトレールに乗車、12:55富山駅北に到着。

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 「富山ライトレール」は、車いすやベビーカー等のバリアフリーに配慮した低床式の路面電車。安全で安心、環境にもやさしいという公共交通機関だそうだ。富山駅北口の富山駅北と岩瀬浜の約7Kmの区間を、約24分で運行。運賃は均一で200円。車両は「ポートラム」という愛称がある。 

 13:05~13:35、駅南口前にある富山湾食堂「撰鮮」で昼食。サケとイクラの親子海鮮丼、1,280円。

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 富山駅構内の売店でみやげを購入、朝預けた荷物をロッカーから取り出す。

 14:19発の北陸新幹線「はくたか566号」・東京行に乗車。これで2泊3日の立山・富山の旅を終わる。

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 ★ ★ ★ 

 昨日登頂した「雄山」から見た峻険な岩峰「剱岳」(つるぎだけ)は、日本百名山で国内で最も危険な山とされる。新田次郎の小説とこれを原作とした同名の映画『劒岳 点の記』で有名。

 物語は明治末期、日本地図の完成のために陸軍参謀本部の陸地測量部(現在の国土地理院)によって、立山連峰の危険で困難な山岳測量に命をかけて挑んだ男たちの実話に基づく。映画は、2009年(平成21年)6月公開。監督・撮影は木村大作。山案内人の香川照之、測量手・浅野忠信、その妻・宮崎あおい、測量助手の松田龍平らが出演した。

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 日本アルプスの山々が登り尽くされる最後まで、この山は人を寄せ付けない霊峰として残った。古来から山岳信仰の対象であり、雄山神社の祭神の一柱のご神体として信仰を集め、また立山連峰の他の頂きから参拝する山であって、登拝することは許されなかった。弘法大師が草鞋(わらじ)千足を費やしても登頂できなかった、という伝説もある。
 
 1906年(明治39年)、陸軍陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎に剱岳への登頂と測量の命令が下る。それは日本地図最後の空白地帯を埋めるため、三等三角点をを設置するという重要だが困難な任務であった。山麓の山案内人・宇治長次郎とともに測量に挑んだ男たちは、信仰から剱岳を畏れる地元民の反感、ガレ場とそそり立つ岩稜、悪天候や雪崩などの大自然の過酷さ、初登頂を試みる民間の日本山岳会との先陣争い、今日に比べて未熟な登山装備と測量技術など、さまざまな苦難と闘った。

 1907年(明治40年)7月13日、測量部隊はついに頂に到達した。ところが前人未踏と思われた山頂で、槍の穂と錫杖(しゃくじょう、僧が用いる杖)の頭を発見する。以前から、数例の修験者の登山伝説が存在はしていた。これらの遺物は、奈良時代後半から平安時代初期にかけての修験者のものと考えられた。山頂近くの岩屋には、古い焚き火跡も見つかったという。

 測量隊は登頂の困難さから、重い三角点標石(石柱)とやぐらを組む丸太を運び上げることができず、三等三角点の設置を断念、山頂には標石のない四等三角点を置いた。三等以上の三角点設置の記録、つまり「点の記」は作成されなかった。当時の陸軍上層部からは、彼らの業績は何も賞賛されずに終わったのだった。

 山頂にあった遺物は、立山修験者の貴重な証しとして重要文化財に指定、現在は立山町にある富山県「立山博物館」に展示されているそうだ。

 

 
 『日本百名山』の著者である深田久弥は、「剱岳」について以下の様に評価している。

 「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう。層々たる岩に鎧(よろ)われて、その豪宕(ごうとう)、峻烈(しゅんれつ)、高邁(こうまい)の風格は、この両巨峰に相通じるものである。」(『日本百名山』48剱岳より)

 また『万葉集』に見る「立山(たちやま)」について、これは今の「立山」ではなく「剱岳」のことであろうという自説を述べている。

 「昔は、立山も劔も一様に立山と総称されていたのに違いない。越中の平野から望むと立山は特にピラミッドにそびえた峰でもなければ左右に際立った稜線をおろした姿でもなく、つまり一個の独立した山というより波濤(はとう)のように連なった山という感じである。ことに富山あたりからではその前方に大日岳が大きく立ちはだかっていて、立山はその裏に頭を出しているだけなので、山に詳しい人でなければ立山を的確に指摘することはできまい。」(『日本百名山』49立山より)

2016年9月 7日 (水)

立山-その2

 2016年8月27日(土)~29(月)の2泊3日の立山山行。本ブログ記事「立山―その1」のつづき。

 

 2日目の8月28日(日)、「一ノ越山荘」(標高2700m)で5:30起床。すでに夜は明けている。

 昨日の雨から打って変わって、朝からすばらしい快晴。昨夜は、星空を見たという人の話も聞く。外に出て見ると、なんと眼下に室堂平、正面に「大日岳」(左、標高2501m)と「奥大日岳」(右、2611m)、遠く富山湾が朝焼けに浮かぶ。

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 室堂平の中央の池が、「みくりが池」とその右に「みどりが池」。左端に室堂ターミナルとホテル立山の建物。右手には「地獄谷」の白い噴煙が上がる。ちょうど大日岳の山頂に朝日が当たる。

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 雄山へ尾根伝いの登山道。手前の建物は、チッブ制の公衆トイレ。

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 6:00~山小屋の質素な朝食。生卵は、卓上の鍋で目玉焼にする。

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 軽い高山病か、頭痛がするという者も含め6名が、7:00登山開始。1名は足の故障で山小屋で留守番。不要な荷物は、山小屋の乾燥室に置いて行く。

 最初はなだらかな登りだが、だんだん急坂となる。大小の石が混在する登山道が続く。浮石、落石に注意。山小屋のある一ノ越から、二ノ越、三ノ越・・・、山頂が五ノ越。それぞれに小さな祠やケルンがあるが、標識は無い。

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 南の方角、正面の尖った特徴的な山「槍ヶ岳」(標高3180m)がはっきり見える。

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 振り返ると、「一ノ越山荘」が眼下に。山小屋からの向うの尾根の頂点が「浄土山」の南峰(標高2830m)、富山大学の立山研究所がある。その左の半円形の岩頭は、「龍王山」(2875m)。

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 南東の方角、雲海の向うに左側に「八ヶ岳連峰」のシルエット。

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 峻険な「槍ヶ岳」のズームアップ。その後方の山々は雲が覆う。

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 雄山の山頂にある「雄山神社」」立山頂上社務所が見えて来た。

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 7:55、ここが「三ノ越」と思われるが、その標識らしきものはない。しばし休憩。

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 ここから更に険しくなり、登山道もはっきりしないガレ場。ストックをザックにしまい、手袋を装着、大岩を掴みながら登る。単調なガレ場の直登は、かなり負荷がかかる。酸素も薄くなっているのか、息を切らしながら進む。

 「槍ヶ岳」の後方から雲が去り、日本第3位の高峰「奥穗高岳」(3190m)ほか穂高連峰が姿を現す。「槍ヶ岳」の左前方が「野口五郎岳」(2925m)、右端が「水晶岳」(標高2986m)。更にその稜線に続く右手には、写ってないが「黒部五郎岳」(2840m)がある。

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 「一ノ越山荘」は、すっかり見えなくなった。こんな急坂をよく登って来たものだ。正面の左から「龍王山」、「浄土山」の南峰(標高2830m)、北峰(2831m)が並ぶ。

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 南の方角。雲海の向う左手遠景に、目を凝らしてみると日本三霊山の雄「富士山」のかすかなシルエットが浮かぶ。右手遠景は、南アルプス。中景の左端の丸いピークは「餓鬼岳」(がきだけ、2647m)、右端のピークは、「燕山」(つばくろさん、2763m)。

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 標高差が約500mとなった室堂平と大日連峰はまるで箱庭の様。

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 黒部湖の一部が見えて来た。黒部ダムは、左手の方向にある。

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 8:35、「雄山」の山頂に到着。一等三角点は標高2991.8m。社務所の建物には神社関係者の宿舎が併設され、登山客用のトイレもある。

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 「雄山神社峰本社」が、この先の標高3003mの岩頭に鎮座する。きつい登山だったが、山頂の景色と展望に感激する。

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 雄山神社立山頂上社務所(授与所)。ちゃんと巫女さんがいて、お守り、お札、記念バッジ等が並んでいる。

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 山頂の東側は、氷河が造った「サルノ又カール」。白い所は、夏でも融けない雪渓。

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 鳥居をくぐると、3003mのピークに立つ峰本社への登拝受付所。登拝料は、500円。

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 山頂から見下ろす社務所の屋根の方向に有峰湖(ありみねこ)、確認できないがその遥か遠くに日本三大霊山の一つ「白山」があるはず。

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 北の方角。左手に小説・映画『劒岳 点の記』の舞台となった「剱岳」(つるぎだけ、標高2999m)の岩峰。その手前はなだらかな「別山」(2874m)、右手の岩は「富士ノ折立」(ふじのおりたて、2999m)。

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 険しい岩山の「剱岳」のズームアップ。その手前のピークが「別山」、そのまた手前の稜線上のなだらかなピークは「真砂岳」(2861m)。

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 山頂からの展望を満喫した後、登拝者は12人ほどのグループになって、神殿前の玉砂利の上に脱帽して座る。神主から、峰神社の御由緒の話を聞く。神主は、太鼓を叩き祝詞をあげた後、登拝者は頭を垂れてお祓いを受ける。祭神は、厄難消滅・家内安全、職業繁栄・開運招福の守り神。最後に一人一人、お神酒を頂く。

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 この後の下山からは、次のプログ記事に続く。

 

 ★ ★ ★ 

 「立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽(あか)ず 神からならし」(『万葉集』巻17)

 - 立山に降り積もった雪は、夏に見ても見飽きることがない。この山が神の山だからにちがいない。 -

 8世紀(奈良時代)、越中の国主として赴任した大伴家持(おおとものやかもち)は、神々しい立山の雄大な景観に感動し、その姿を詠んだ。

 

 立山は、「雄山」(標高3003m)、「大汝山」(おおなんじやま、3015m)、「富士の折立」(ふじのおりたて、2999m)の三つの峰の総称。その中で、雄山神社峰本社がある「雄山」が狭義の立山。これに「浄土山」、「別山」を加えて「立山三山」といい、その周辺の山々を含めて「立山連峰」というが、富山平野から見える北アルプスを総称して広く「立山」、「立山連峰」ということもあるのでややこしい。

 古くは「たちやま」と呼ばれ、「たてやま」は中世以降になってから。『万葉集』に詠まれた「たちやま」は、「劔岳」(つるぎだけ、2999m)を中心とした一帯を指すとも言われる。

 

 雄山神社の社伝によると、701年(大宝元年)に景行天皇の後裔と伝えられる越中の国司・佐伯有若(さえきのありわか)の嫡男・佐伯有頼(ありより、後の慈興上人)が、白鷹に導かれて、立山の奥深く入って岩窟に至り、神示により立山を開山したと言われている。

 この峰本社の神殿は、加賀藩主前田家によって代々造営が行われていた。明治以降、造営は途絶えていたが、1996年(平成8年)に136年ぶりに建て替えられたそうだ。雄山神社は峰本社のほか、麓の立山町にある中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)と前立社壇(まえたてしゃだん)の三社をもって成す。

 

 今回アクセスに利用した、「立山黒部アルペンルート」は、富山県立山町の立山駅と長野県大町市の扇沢駅とを結ぶ大規模な山岳観光ルートで、1971年(昭和46年)に全通した。立山駅から扇沢駅までは、ほぼ西から東に 直線距離25 km足らずだが、高低差は 2,000mほどもある。

 我々は、富山市から電車で立山駅、立山駅から立山ケーブルカー、立山高原バスを乗り継いで室堂まで来た。この先、室堂から扇沢まで行くには、立山トンネルを通るトロリーバス、立山ロープウェイ、黒部ケーブルカー、黒部ダムの堰堤上の徒歩、関電トロリーバスの様々な乗り物を乗り継いで移動する。

 一般利用よりも観光客を相手にしているので、料金は高い。なお広義の「立山黒部アルペンルート」は、富山地方鉄道の電鉄富山駅(富山市)からJR信濃大町駅(大町市)までとされる。

 

 深田久弥の著書『日本百名山』は、1964年(昭和39年)に新潮社から刊行された。氏は、立山の頂を誰よりも数多く踏んだと自負し、立山は天下の名峰であることを疑わない。氏の時代は、まだこのアルペンルートはなかった。富山駅~立山駅は鉄道が開業していたが、その先はどうやって移動したのだろうか。

 美女平のブナ原生林や立山杉の巨木、壮大な「称名滝」(しょうみょうたき)、弥陀ヶ原の広大な湿原と池塘、室堂平の高山植物(お花畑)、蒸気を吹き出す荒々しい地獄谷、神秘的なミクリガ池。何日もかけて俗界から旅してきた先人たちは、こんな自然の姿から、極楽浄土と地獄を見たに違いない。そして室堂から険しい立山への登拝。この頃の立山は、白装束の修験者や立山詣の登拝者たちの神の山であった。

 やがて多くの信仰の山と同じように、明治以降の立山は登山の対象となっていく。そして深田氏は、都会の服装のままの観光客のために、現代の立山は観光開発された「山上遊園地」と皮肉っている。

 

 本ブログ記事「立山―その3」につづく。

2016年9月 1日 (木)

立山-その1

 2016年8月27日(土)~29(月)の2泊3日の立山山行。

 

 立山は、北アルプスの北部にある立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山。日本百名山。雄山(おやま、標高3,003m)、大汝山(おおなんじやま、3,015m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、2,999m)の3つの峰の総称。古くから信仰の対象とされ、富士山、白山と共に「日本三霊山」の一つとして有名。

 二泊三日の山行は、室堂(むろどう)から立山稜線上にある山小屋「一ノ越山荘」へ。2日目に雄山登頂、下山後は富山市内の「呉羽ハイツ」泊、3日目は富山の史跡見学の予定。

 迷走していた大型台風10号が、本州に接近中。27日の立山(室堂)の天気は、曇か霧、一時雨。30日には、関東に上陸との予想。

 

 1日目の8月27日(土)、7人のパーティが乗った北陸新幹線「はくたか553号」は、10:38JR富山駅に到着。まずは隣接するビル2階の電鉄富山駅乗車券センターに行って、鉄道とあわせた室堂までのアルペンルート乗車券(往復6,710円)を購入する。

 JR富山駅に戻り、構内売店で昼食の駅弁「富山湾弁当」(1,080円)を購入。ほたるいか、白エビかき揚げ、ぶり大根、幻魚(げんげ)、ばい貝、ますのすしの入った富山郷土料理。電鉄富山駅の待合室で、早めの昼食。コインロッカーに登山に不要な荷物を預ける。

 

 富山地方鉄道本線の11:34発立山行きに乗車する。2両編成のボックス席。市街地を抜けると黄色くなり始めた稲穂が垂れる田園地帯の富山平野を行く。寺田駅から本線と分岐し立山線となり、やがて徐々に高度を上げて常願寺川に沿った渓谷を走るころには雲行きが怪しくなる。

 常願寺川の渓流を跨ぐ千垣鉄橋を渡る。川の向こうの立山連峰は望めないが、この鉄橋上で観光サービスのためか、列車は速度を落として通過する。

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 12:38、立山駅に到着。ここは、標高475m。

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 2階に上がると、立山黒部貫光(株)立山ケーブルカーの立山駅。外を見ると雨が降り出している。このケーブルカーは、黒部ダムの工事用運搬車ために造られたそうだ。美女平まで1.3Km、高低差487mを所要時間7分で一気に昇る。

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 美女平駅は、標高977m。駅前には伝説の巨木・美女杉がそびえ立ち、近くにはブナ林や立山杉の原生林が広がって、樹林の間に遊歩道があるそうだ。

 13:20、美女平で立山高原バスに乗り換え、室堂に向かう。バスの運営は、立山黒部貫光。

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 室堂までは、トレッキングコースのある阿弥陀ケ原や天狗平を経由して約50分、23Km。途中でバスを止めて、350 mという日本一の落差を誇る「称名滝(しょうみょうだき)」を見せてくれるのだが、霧にため全く見えない。

 称名滝は、立山連峰を源流とし弥陀ヶ原台地から称名川に一気に流れ落ち、やがて常願寺川に注ぐ。国指定の名勝、天然記念物、日本の滝百選に選定されているという。

 

 14:10、標高2450mの室堂ターミナルに到着。立山黒部アルペンルート観光・登山の拠点。ターミナル内で、雨具を着て登山準備。

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 ターミナルの3階部分から外へ出ると、「玉殿の湧水」の給水場がある。雄山直下の地下水で、立山トンネル開通と共にその一部が湧出した。全国名水百選に選ばれている。

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 立山三山、剱岳(つるぎだけ)、大日連山など、3,000m級の山々を望めるはずだが、今日は雨と霧で何も見えず。14:30出発、小雨と霧の中の室堂平を歩く。

 やがて「立山室堂山荘」が霧の中に浮かぶ。江戸時代中期に建てられた日本最古の山小屋(国の重要文化財指定)がある。手前の一面黄色い花が咲いたように見えるのは、イワイチョウの葉。

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 雨と霧の中、緩やかな登山道を登る。一ノ越までの登山道は、石をコンクリートで固めた石畳が続く。

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 途中に1カ所、雪渓がある。春はこの雪渓が登山道を埋め、アイゼンが必要となる。

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 チングルマ(稚児車)の実とイワイチョウ(岩銀杏)の黄色い葉。

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 チングルマは、7月上旬~8月上旬に梅の花のような白い花が咲くが、花が散ると風車のような実をつける。イワイチョウは、7月中旬~8月上旬に白い花を咲かせる。花が散った後に残る葉っぱが黄色く色付き、遠くから見ると黄色の花が咲いているように見える。

 高山植物のヤマハハコ(山母子) とミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草)

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 ヤマハハコは、ハハコグサ(春の七草のオギョウのこと)に似ているが、山地に生え、花は白。ミヤマアキノキリンソウは、秋の花で別名コガネギク。
 

 ナナマカドとその赤い実。ナナカマドは、秋にはいち早く紅葉する。

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 15:30頃、登山道そばの石の上に立つライチョウに遭遇。

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 しばらく他の登山客と一緒に観察する。近くの草むらにヒナが2羽ほどいて見え隠れする。親鳥は、逃げずに外敵(人間)を見張っているように見える。

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 写真に撮れなかったが、イタチの仲間のオコジョも室堂平で見かけた。オコジョは、可愛い顔をしているが、気性が荒くノネズミなどを捕食する他、自分の体よりも大きいノウサギやライチョウを食べることもあるそうだ。(写真の出典:ウィキメディア・コモンズ )

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 15:40、標高2520mにある「祓堂(はらいどう)」。立山信仰で、下界と神域との境界とされる小さな祠。

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 やがて前方を見上げると、霧の中で鞍部に山小屋らしき建物が霞む。

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 最後の急坂を登ると、標高2700mにある「一ノ越山荘」。室堂から続いた石畳の登山道は、ここで終わる。

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 「一ノ越山荘」の対面に見える峰の先に目指す雄山がある。この雨では、明日登れるだろうか。

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 一ノ越山荘の中に入ると売店があって、右手奥に受付がある。この山小屋は、150人収容。1泊2食付9,300円。翌日昼の弁当(700円)を注文する。

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 6畳の個室、1部屋に3~4人が泊まる。

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 17:45~夕食。意外と質素でヘルシー。

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 山荘からは、北アルプスや、室堂、富山湾の夜景が展望できるが、今日は何も見えない。消灯は21:00だが、明日の天気を心配しながら、疲れていたので20:00頃には就寝。

 ぐっすり寝て目が覚めると、まだ夜中の22:00頃。その後は、朝までウトウト。

 

 本ブログ記事「立山―その2」につづく。

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