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2016年7月16日 (土)

古代蓮の里

 2016年7月11日(月)朝、埼玉県行田市の「古代蓮の里」公園へ行く。

 

 6月下旬から8月上旬にかけて、公園内では古代蓮(行田蓮)を含め42種類12万株の蓮の花を見ることができるそうだ。蓮の花びらは朝に開き、午後になると閉じてしまう。開花から4日を過ぎると、花びらが一枚ずつ散っていくそうだ。朝6時半に家を出る。

 7時45分ころから10時頃まで、公園内の「古代蓮池」を巡り、「展望タワー」に昇り、田んぼアートを見る。

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 行田市は、市の天然記念物で市の花である古代蓮(行田蓮)が自生する付近に、ふるさと創生事業の一環として「古代蓮の里」を1992年から2000年(平成4年~12年)にかけてを整備した。2001年(平成13年)には、園内に「古代蓮会館」が開館。

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 この原始的な形態を持つ古代蓮は、公共施設建設工事の際の掘削地の池で、蓮の種子が自然発芽し開花したもの。出土した遺物や木片の放射性炭素年代測定から約1400年から3000年前のものと推定される。

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 園内には古代蓮池の他にも、世界の蓮園、水生植物園、水鳥の池、牡丹園、梅林、桜のお花見広場など四季の花を、そして冒険遊び場や見晴らしの丘などがあり、家族連れで楽しめる。

​ 園内にある古代蓮会館の展望タワー(地上50m)に昇る。行田の市街地や田園風景の素晴らしい眺望。ただし遠くの空が霞んでいて、残念ながら富士山、浅間山などの甲信の山々はもとより、関東の山々もよく確認できず。

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 北西の方向。手前は「古代蓮の里」公園、行田浄水場、遠くに赤城山がかすかに見える。

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 西の方向の行田市街。中央の森に行田市役所、忍(おし)城址がある。

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 北東の方向。中央の那須岳は見えない。右端は羽生市街。

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 南西の方向。中央の富士山や左手の丹沢山系は見えない。右端は吹上方面。眼下はこの公園の駐車場と古代蓮うどん店の建物。

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 南東の方向、眼下の「田んぼアート」は有名で、さすがに大きい。

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 「田んぼアート」は、田んぼにいろいろな色彩の稲を植えてアートにしたもので、2008年から始められ、毎年テーマが変わるそうだ。今年は、30年もの間人気が続いているゲーム「ドラゴンクエスト」が描かれている。

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 行田市の「田んぼアートコメづくり推進事業協議会」は、田植え体験(今年は6/12終了)や秋の稲刈り体験の参加者を募集している。

 2015年には「最大の田んぼアート」として、ギネス世界記録(27平方m)に認定されたそうだ(写真下)。

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 梅雨とはいえ、今日も真夏の暑さ。午前10時過ぎには公園を出て、昼前に帰宅。

 

 ★ ★ ★

 1951年(昭和26年)、千葉市花見川区の東京大学検見川厚生農場(現・東大検見川総合運動場)で、およそ2000年前の縄文時代の地層から丸木舟などと蓮の実3個が発見された。この実の1個は、翌年に発芽して順調に生育、立派な花を咲かせたそうだ。発見者の大賀一郎博士にちなんで「大賀蓮(オオガハス)」と命名され、1954年には「検見川の大賀蓮」として千葉県の天然記念物に指定。花弁数は14~20枚の一重咲きで、花色は鮮やかなピンク色。

 

 1971年(昭和46年)、埼玉県行田市小針地区の焼却場建設工事によって、地中深くに眠っていた多くの蓮の種子が偶然掘り起こされた。その2年後の1973年(昭和48年)、種子は自然発芽して、池に一斉に開花したのが発見された。このように多くの古代蓮の種子が発見され、一斉に開花した例は、珍しいという。

 行田市教育委員会が依頼した蓮の研究家である神奈川県歯科大学の豊田清修教授は、1974年(昭和49年)から翌年にかけての調査研究で、工事現場で採取した種子や出土した木片を年代測定したところ、およそ1400年前のものだったという。

 この結果、行田蓮は大賀蓮の例を参考に、約1400年から3000年前の古代蓮とされている。ただし、開花した種子を直接測定したものではなく、ずっと新しい時代の種子が発芽した可能性も否定できないという説もある。

 行田蓮の花は、濃いピンク色の一重咲き。花径は25~28cmで大型だが、花弁は13~18枚と少ない。つぼみは楕円形で、葉心角(葉を逆にして笠の形の角度)は120度~130度と小さいのが特徴で、植物学的に貴重なものだそうだ。

 

 タイムカプセルのような蓮の実が、千年以上の時を経て、堅い殻を破って甦り、大輪の花を咲かせるというロマンに心が躍る。まるでキリストの復活、いや仏陀の復活のようだ。

 全国各地で大賀蓮が移植された池や沼が十数カ所あるそうだ。行田市のほかにも、埼玉県白岡市では、1991年~1992年(平成3~4年)の土地改良工事で、蓮の実が発見された。その後近所の農家の方が繁殖に成功したものを、現在の調整池に移植し生育している。年代的には不明だが、専門家の鑑定でこれも古代蓮とされている。

 素人目には古代蓮と現代蓮の花の区別はつきにくい。素人考えだが、古代蓮が全国に拡散して現代の蓮と自然と交雑していけば、いずれは純粋な古代蓮のDNAは無くなってしまうような気がする。

 自然災害、経済崩壊、戦争、気候変動などから農作物の種子を守るため、「ノアの箱舟」と呼ばれる国際種子保存施設がノールウェイにある。そんな大げさなものでなくても、学術的な意味で、古代蓮の初代種子は保存されているのだろうか、気になった。

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