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2016年6月24日 (金)

大阪探訪の旅-その3

 2016年5月28(土)~30日(月)、2泊3日の大阪の歴史・文化探訪の旅。

 本ブログ「大阪探訪の旅-その2」の続き。

 

 5月30日(月)、旅の3日目(最終日)。中之島界隈を歩く。

 8:30、ホテルをチェックアウト。近くのコンビニで不要な荷物を自宅に送り、身軽になる。

 8:42日本橋駅発の地下鉄堺筋線に乗車、8:49南森町駅着。

 

●大阪天満宮

 南森町駅から徒歩数分で菅原道真公を祭った神社「大阪天満宮」へ。

 9:05、天満宮の表門(大門)。

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 権現造りの本殿に参拝。福岡の「大宰府天満宮」や東京の「湯島天満宮」に似ている。

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 901年に菅原道真は、政敵・藤原時平の策略によって、九州大宰府へ左遷させられることになった。大宰府に赴く前、中之島にあったここの「大将軍社」に参詣した。903年、59歳で道真が没した後、天神信仰が始まる。

 949年、「大将軍社」の前に突然7本の松が生え、霊光を放ったという不思議な話がが都に伝わった。村上天皇の勅命によって、道真を祀る天満宮を建立させたと伝えられている。

 境内にある「大将軍社」(写真下)は、天満宮が本社でその摂社(本社と縁の深い神社)となっている。

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 「太宰府天満宮」(福岡)と「北野天満宮」(京都)の二つに、天神祭で有名なここ「大阪天満宮」を入れた三つが「日本三大天神」だと思っていた。しかしそれは異説で、三つめは天満宮の中で最も古い歴史を持つ「防府天満宮」(山口県)を入れるのが、一般的のようだ。

 9:20天満宮を出て、天神橋筋を徒歩約10分で天神橋。橋の中央付近から、らせん階段で中之島公園へ下りる。

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●中之島公園

 9:35、中之島公園のバラ園。約4,00株のバラは、見頃を過ぎていた。

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 「ばらぞの橋」付近からバラ園と阪神高速道方面を見る。

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 中之島公園は1891年(明治24)、大阪市初の市営公園。堂島川と土佐掘川にはさまれた延長約1.5Km、面積10.6haの水辺公園。大阪の都心、オフィス街のオアシス。中央公会堂や中之島図書館などの歴史的建築物ほか現代的なビル群と緑が川面に映える。

 淀屋橋から肥後橋まで延長400mは、ケヤキ、ツバキ、ツツジなどの緑と10体の彫刻が設置されたの「中之島緑道」があるそうだ。

 

 9:55、「大阪市立東洋陶磁美術館」を通過。

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 住友グループから大阪市に寄贈された「安宅コレクション」と呼ばれる東洋陶磁コレクションを中心として1982年(昭和57年)に設立された美術館。安宅コレクションは、経営破綻した総合商社・安宅産業の元会長で芸術愛好家・安宅英一氏が収集した美術品。
 

 

●大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)

 しばらく公会堂の前で休憩した後、10:30「大阪市中央公会堂」に入館。

 中之島のシンボルで、赤煉瓦造りのこの公会堂は、大正時代のネオ・ルネッサンス様式の建築物。国指定の重要文化財。

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 1911年(明治44年)、株式仲買人の岩本栄之助が公会堂建設費として100万円を寄付したことにより、建設計画が始まった。懸賞付建築設計コンペにより岡田信一郎が1位を取り、その設計原案に基づいて、辰野金吾と片岡安が実施設計というように、当時を代表する建築家たちによって設計された。

 1913年(大正2年)に着工、1918年(大正7年)に開館。岩本栄之助は、第一次大戦による相場変動で大損失を出し、公会堂の完成を見ないまま1916年(大正5)に自殺した。

 3階へエレベータで上り、地下1階の展示室まで見学エリアを巡りながら下りる。公会堂の各室は、貸室のため見学できない。

 下の写真の左は大集会室、右は特別室。パンフより転載。

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 地下1階の展示室。寄付をした岩本氏ゆかりの記念品や近代大阪の名建築物の資料などが展示されている。

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 「大大阪時代の中之島」と題するパネル。1924年(大正13)発行の『大阪パノラマ地図』。

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 パネルの説明文は次の通り。

 「1918(大正7)年の中央公会堂竣工後から7年後の1925(大正14)年、大阪市は市域を拡大、人口も200万人を超え、面積、人口ともに東京市をぬいて日本第一の都市、世界でも第6位の大都市となりました。以後、昭和初期頃までを『大大阪時代』と呼びます。」 

 

●大阪府立中之島図書館

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 住友家の寄付を受けて、ネオ・バロック様式で建てられ、1904年(明治37)に「大阪図書館」として開館した。国指定の重要文化財。

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 10:55、中之島図書館に入館。エントランスを見る。

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 もう一つの府立図書館である「大阪府立中央図書館」(東大阪市)が、一般書から学術書まで幅広い分野の本を所蔵しているのに対し、「府立中之島図書館」は古文書や大阪関連の文献、ビジネス関係分野の書籍・資料に特化している。蔵書数は約55万冊。

 1906年(明治39)に「大阪府立図書館」に、1974年(昭和49)に「大阪府立中之島図書館」と改称。

 

●大阪市役所

 半年前まで橋下徹氏が市長をしていた「大阪市役所」は、図書館の隣にある。

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●旧日本銀行大阪支店

 大江橋南詰交差点からメインストリートの御堂筋を南に歩き、11:05「旧日本銀行大阪支店旧館」前を通過。

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 1903年(明治36)に、ベルギー国立銀行をモデルに建設された。緑青の円屋根をもつ煉瓦と石造りの2階建て洋風建築。設計は、日本銀行本店、東京駅舎や大阪市中央公会堂を手掛けた建築家・辰野金吾らによる。建物外観は、ネオ・ルネッサンス様式を主に取り入れている。

 江戸時代のこの地には、水戸藩や島原藩の蔵屋敷があり、明治初期には現在の郵便局に当たる「郵便役所」や、関西財界の指導者・五代友厚の別邸があったそうだ。

 日本銀行大阪支店は、一時は高層ビルへの全面建替えも計画されたが、1982年(昭和57)に御堂筋から見える東・南・北3面の外壁のほかドームの両側に三角屋根を組み合わせた屋根、旧貴賓室や大階段など重要な部分を保存して改築、西側敷地に新しい高層棟を新築した。

 

●大同生命大阪本社

 11:07淀屋橋を渡る。

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 中之島の対岸、土佐堀川に面して、NHK朝ドラマ『あさが来た』のヒロインのあさが嫁いだ先の両替屋の加島屋(ドラマでは、加野屋)の跡地に建てられた「大同生命大阪本社」ビル(写真中央)。淀屋橋から見る。

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 あさは、実在の広岡浅子のことで、明治を代表する女性実業家、教育家、社会運動家。

 また、ドラマに出て来た元薩摩藩士で大阪経済の基礎つくりをした五代友厚の像が、この界隈の大阪証券取引所の前、北浜1丁目交差点に建っているそうだ。

 

 淀屋橋を渡りきると、地下鉄淀屋橋駅。

 11:16淀屋橋駅発 、大阪市営御堂筋線・新大阪行 、11:26新大阪駅着。

 11:35~駅構内のそば処「やま家」で昼食(肉うどん680円)。みやげとビール・つまみを買い込み、新幹線ホームへ。

 

 13:03新大阪駅発「のぞみ22号」に乗車、15:33東京駅着。 「大阪探訪の旅」を終わる。

 17:30、自宅着。

 

 ★ ★ ★

 土曜と日曜の夜であったが、道頓堀界隈のにぎわいは驚いた。大阪の景気もいま一つ・・・という中で、予想外の活気であった。外国人の観光客も多い。定期的に観察したわけではないし、東京の新宿・渋谷と単純に比較するのも難しいが、やっぱり昔ながらの賑やかな大阪だった。

 そもそも大阪市は、かつて日本一の大都市になったという歴史を持っていたこと、大正末期から昭和初期にかけて「大大阪(だいおおさか)」と呼ばれていた時代があったことは、今回初めて知った。その時代を象徴しているのが昭和初期、かつて天下を取った秀吉の大阪城天守閣(実際のところは、徳川天守だったが)の再興だったという。

 もともと近世から「天下の台所」と呼ばれた経済基盤があって、商業・紡績・鉄鋼などの産業が発展、文化・芸術・産業の中心都市として華やかで活気にあふれた黄金時代だった。こうして、大大阪時代は昭和に年号が変わった1920年代後半にピークを迎える。

 1923年(大正12年)の関東大震災により、東京市や関東の被災者の一部が大阪に大挙して転居し、急激に人口が増加したという。また1925年(大正14年)の大阪市域拡張によって近隣町村を編入、面積181平方Km、人口211万人となり、東京市を追い抜いて日本一になった。この当時は、世界でも6番目の人口であったそうだ。

 やがて東京市は、大震災からの「帝都復興祭」が1930年(昭和5年)に行われ、また1932年(昭和7年)には市域を拡張して面積551平方Km、人口497万人の大東京市が誕生。一方大阪は、第一次世界大戦後の戦時バブル崩壊や昭和恐慌で、繊維や金属産業が大打撃を受ける。さらに戦争への道を進む中で、統制経済等により次第に大阪経済は衰えて行く。

 戦後の復興期と高度経済成長期には、大阪は依然として東京に次ぐ大都市であり、西日本の中核都市であった。しかし、1960年代後半より更なる衰退が始まり、万博開催の1970年(昭和45年)の前後から厳しくなっていく。高度成長期から安定成長期となった1978年(昭和53年)、人口で首都圏の横浜市に第2位の座を奪われてしまう。(ただし、財政規模はまだ大阪市のほうが大きいそうだ)。

 1990年代初めのバブル崩壊とその後の長期不景気で、大阪市の人口減少続くが、それでも人口が増加し続けている中京圏の名古屋市が背後に迫っている。

 2016年2月の推計人口は、東京都区部 926万人、横浜市 373万人、大阪市 269万人、名古屋市 230万人である。

 

 ★ ★ ★

 JR東日本のSuicaや関東の私鉄・バスのPasumoなどの「ICカード乗車券」は、エリア内での相互利用できていたが、2013年からエリア外でも全国で相互利用が出来るようになった。

 今回の旅行では「ICカード乗車券」を使えば、どこに行くにも乗車券をいちいち購入しなくても済んだので、非常に便利だった。こういったシステムは、世界でも日本が一番進んでいるのだろう。将来、1枚のクレジットカードでどのこのホテルに宿泊できるように、世界中の都市の公共交通機関でICカード乗車券が使える時代が来るのだろうか。

 ただし、オートチャージ機能を持つICカード乗車券を持っていたが、残念ながら大阪ではオートチャージが出来ないようだ。

 今回の大阪探訪の旅を企画・計画してくれたTさん、Kさんに感謝。

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