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2016年5月18日 (水)

初夏の新宿御苑

 2016年5月15日(日)、「新宿御苑」と浅草の「三社祭り」を見に行く。
 

 午前中、久しぶりに新宿御苑に行って大温室やバラ花壇など、10:20~14:00まで巡る。その後は、浅草へ移動して三社祭を見る。

 

 新宿駅南口から国道20号線(甲州街道)に沿って15分ほど歩き、午前10時前には「新宿御苑」に着く。まずは、まだ一度も行ったこと事のなかった「新宿御苑大温室」に入ってみる。

 ここは日本で初めての温室。2012年にリニューアルされ、熱帯の植物や珍しいラン、絶滅危惧種の植物などが鑑賞ができる。植栽種数は、約500種類(品種含む)。内、高木約100種、低木・地被約400種。

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 広々とした温室内では、大きなヤシなどの樹木やシダが生い茂るジャングルや池、滝がある。順路を進むと、次に何が出てくるかワクワクする。主温室では、乾燥地や熱帯山地などに自生する世界の植物が集められて栽培されている。特別室では、亜熱帯の絶滅危惧植物や歴史的遺産である洋ランなど、室外からガラス越しに見学もできる。

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 池の水面に浮かぶオオオニバス(右)や熱帯スイレンの花々(左)。

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 ベゴニア・マソニアナは、葉の模様からアイアンクロスの名前でも有名。中国南部からマレーシア半島原産。

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 洋ランの一種。

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 ツインベルギア・マイソレンシス。キツネノゴマ科。

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 オクナ・セルラタ。見た目が似ているから、別名ミッキーマウスの木。原産地は東・南アフリカ。

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 カラテア・マコヤーナ。原産地はブラジルなど熱帯アメリカ。

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 プラタナス並木に囲まれたバラ花壇は、苑内のフランス式整形庭園にある。まずはその前に、並木の下のベンチで休憩して弁当を頂く。

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 赤やピンク、黄、白、紫などバラの花が110種、500株ほどが植えられ、色とりどりに咲き誇る。この時期は、苑内でいちばんの華やかさで、多くの入園者がバラの花々を楽しんでいる。

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 バラはほとんどが植えこみに沿って一列に並んでいるだけで、他の植物園や公園の有名なバラ園と比べると、アーチやドームといった立体的に構成されてはない。

 ここは、明治時代にフランスの著名な造園家アンリ・マルチネが設計した庭園で、バラだけではなく、整形された植え込みや芝生、まわりの木々といっしょにバラを楽しむものだという。

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 ボリューム感のあるバラは、とてもインパクトがある。今年のバラは、連日の夏のような陽気で例年よりもずいぶん花つきが良く、ほとんど満開で、つぼみはあまり見かけなかった。

 

 ★ ★ ★

 「新宿御苑」は、江戸時代に信州・高遠藩主内藤家の屋敷があったところ。秀吉の命で家康が江戸に入った翌年の1591年(天正19)、家臣の内藤清成は家康への功労・功績を認められ、現在の新宿に広大な屋敷地を拝領した。

 1872年(明治5)、この地は近代農業振興を目的とした国営の「内藤新宿試験場」となり、様々な西洋野菜や果物、樹木や花卉などの栽培が行われたという。

 1879年(明治12)には、皇室の御料地・農園として「新宿植物御苑」が開設、宮内省の所管となった。やがて、ベルサイユ園芸学校の造園学教授アンリ・マルチネに植物御苑を庭園に改造設計を依頼、4年の歳月をかけて皇室庭園とし大改造された。1906年(明治39年)に「新宿御苑」として、明治天皇の御臨席のもと日露戦争の戦勝祝賀を兼ねた開苑式が催された。庭園は、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園や、イギリス風景式庭園、日本庭園が広がっている。

 戦後は、国民公園として一般に開放され、厚生省その後環境庁、現環境省へと所管を移した。

 1892年(明治25)、苑内に加温式の本格的な洋風温室が建てられ、洋ラン等の花卉栽培が日本で初めて行われた。1958年(昭和33)には当時、東洋一の規模を誇るドーム型の大温室が完成、日本初の観賞温室となった。

 

 ★ ★ ★

 新宿御苑の発展に最も貢献した人物は、農学・造園・園芸家で御苑の総責任者となった福羽逸人(ふくば はやと、1856年(安政3)-1921年(大正10))。

 津和野藩士の子で福羽家の養子となり、後に子爵を継いだ。1872年(明治5年)16歳の時に上京してドイツ語その他を学び、実習生として「内藤新宿試験場」に入る。

 明治10年(1877)、津田仙(農学者・キリスト者で、津田塾大創始者・津田梅子の父)が主宰する学農社農学校に入学。卒業後の1878年(明治11)に内務省勧農局試験場に入る。

 その後、欧州の園芸の実地研究のため1886年(明治19)年~1889年、フランス・ドイツに留学。帰国後もパリ万博やヨーロッパ、北米を訪問、この後も、延べ8回にわたり 欧米各地を訪れてたという。この時代の交通事情を考えた時、この渡航回数の多さと、彼がいかに国際人であったことに驚く。

 1890年(明治23)、農商務省の技師補となり東京農林学校(東大農学部の前身)の講師を兼務、日本で初めて園芸学を講じた。翌年には植物御苑発足にあたり宮内省の御料局技師、その後植物御苑掛長に任命される。

 1900年(明治33)にもパリ万国博覧会へ出張し、園芸万国会議に出席。その合間にベルサイユ園芸学校のアンリ・マルチネに御苑の改造を相談、設計を依頼した。

 1903年(明治36)には植物御苑苑長、翌年の御苑改造後に内苑局長1914年(大正3)、58歳で大膳頭(だいぜんのかみ、宮中の食事をつかさどる長)に任命された。

 宮内省で主厨長を務めた料理人・秋山徳蔵は、その生涯を描いた小説やドラマ化作品『天皇の料理番』の主人公として知られる。大正天皇即位の礼の宮中晩さん会のエピソードで、秋山の上司として大膳頭・福羽逸人が登場している。

 福羽は宮内庁を退職後、正三位勲一等瑞宝章を受章、宮中顧問官となる。2年後には農学博士の称号を受けた。写真は、一般財団法人国民公園協会 新宿御苑 公式サイトより転載。

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 福羽は、日本におけるイチゴ栽培へにも貢献した。西洋イチゴの種子を御苑で実生させ、国産品種「福羽イチゴ」を作出した。後に「福羽イチゴ」から改良されたものに、有名な「女峰」、「あまおう」、「とちおとめ」・・・など多くの品種がある。日本の温室栽培の創始者でもあり、野菜、花卉の促成栽培の先覚者として、また国内初の無加温室での温室ブドウの栽培事業を手掛けるなど、日本の近代農業や園芸の改良において数多くの功績を残した。菊の千輪づくりの考案者としても有名。

 造園の領域では、新宿御苑造営をはじめ宮内省管轄の庭園の改修や設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計を手がけた。

 

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