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2016年5月の3件の投稿

2016年5月18日 (水)

浅草・三社祭り

 2016年5月15日(日)、「新宿御苑」の後、午後から台東区浅草の「三社祭り」を見に行く。

 

 14:00過ぎ、新宿御苑を後にして東京メトロ丸の内線の新宿御苑前駅へ。赤坂見付駅で銀座線に乗り換え、終点の浅草駅で下車。

  「三社祭り」は、毎年5月に行われる「浅草神社」の例大祭。かつては観音祭、船祭、示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。現在は、5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。
 

 現在の三社祭りの日程は、

 1日目(金):名物大行列。浅草芸者、田楽、手古舞、白鷺の舞などが登場。

 2日目(土):氏子各町内の神輿連合渡御。約100基の町内の神輿が順次、町内を練り歩く。

 3日日(日):宮出し、本社神輿の各町渡御、宮入り。一之宮、二之宮、三之宮の3基の神輿が神社の境内から出て、各町内を練り歩く。

 

 今日は、お祭りの3日目の日曜日とあって、駅から地下鉄出口までは大混雑。浅草は特に外国人観光客も多い。14:50~16:30、三社祭の現場に滞在。

 雷門通りは歩行者天国になっているが、ちょうど本社神輿が練り歩いていて、身動きが取れないほど混み合っている。大勢の人の頭だけと神輿だけで、担ぎ手は見えないし、近寄れない。

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 ちょうど神輿は、雷門に入って行く。人込みに揉まれながら、両手を挙げて写真を撮る。

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 浅草のシンボル雷門の大提灯は、神輿が門を抜けられるように、半分に縮められている。

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 神輿は仲見世通りを練り歩く。東京スカイツリーが見える。

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 神輿は仲見世通りを通って、浅草寺の宝蔵門へ向かう。

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 宝蔵門を抜けて、浅草寺の本堂へ。ものすごい混み合い。

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 2007年7月の朝日新聞には、「三社祭りでみこしを担ぐ同好会30数団体のうち、約7割で暴力団員が代表になっている」と報じられたそうだ。祭りが、暴力団の資金源になっているとみられている。

 これまでの三社祭りでは、下帯(ふんどし)だけの裸で全身の刺青を露出した男性が多かった。神輿の上に登って騒ぐ、祭りの進行を妨害・混乱や脅しや喧嘩などの行為、迷惑防止条例違反で逮捕など、ヤクザのお祭りのようだと問題になっていた。

 江戸時代の火消しや大工、鳶(とび)などの職人は、男気の職業で、堅気であったが背中などに刺青を彫って粋がっていたようだ。こういった人たちが、祭りで刺青を見せたのと、現代のヤクザの刺青は区別すべきであろう。

 2012年に都暴力団排除条例が施行、その後主催者側は暴力組織名の入った半纏を着用させない、担ぎ手は刺青禁止などをルール化したという。今回の三社祭りでは、刺青を見かけることはなかった。

 

 

 ★ ★ ★

 江戸時代から「江戸三大祭り」は、深川八幡祭り(富岡八幡宮)、神田祭り(神田神社)、山王祭り(日枝神社)であって、何故か三社祭りは入っていない。

 浅草寺縁起によれば西暦628年(推古天皇36年)、隅田川で投網をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)の兄弟が、漁網の中に1寸8分(約5cm)の黄金の観音像を発見し持ち帰った。土地の文化人であった土師真中知(はじのまつち)に一見を請うた。土師は、これぞ聖観音世音菩薩にして自らも 帰依するところの仏像である事を告げ、その功徳を諄々と説いた。

 土師はまもなく剃髪して出家、自宅を改造して寺(「浅草寺」の起源)とし、その観音像を安置して供養のかたわら、郷民の教化に生涯を捧げた。

 後世、この三人は浅草の開拓者として三社権現と称し、ここに「三社権現社」が創建された。それは平安時代末期に、「権現思想」という仏・ 菩薩が民衆を救うため仮の姿(神)になって現れるという神仏一体説があったころだろうとされる。

 やがて1312年(正和元年)3月、ご神託によって三社本祭礼の船渡御(ふなとぎょ、ご神体を乗せた神輿が川を渡る)が始められたことが知られる。明治の神仏分離令により、「三社権現社」は「浅草神社」と改名された。明治に入るまでは「三社権現社」と 「浅草寺」は不可分の関係であって、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。

 なお、重要文化財に指定されている現社殿は慶安2年、三代将軍家光により建立され、先の主座神三柱(土師、檜前兄弟)と、後に徳川家康公と大国主命(おおくにぬしのみこと)の二柱が合祀されているという。 

 

 

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初夏の新宿御苑

 2016年5月15日(日)、「新宿御苑」と浅草の「三社祭り」を見に行く。
 

 午前中、久しぶりに新宿御苑に行って大温室やバラ花壇など、10:20~14:00まで巡る。その後は、浅草へ移動して三社祭を見る。

 

 新宿駅南口から国道20号線(甲州街道)に沿って15分ほど歩き、午前10時前には「新宿御苑」に着く。まずは、まだ一度も行ったこと事のなかった「新宿御苑大温室」に入ってみる。

 ここは日本で初めての温室。2012年にリニューアルされ、熱帯の植物や珍しいラン、絶滅危惧種の植物などが鑑賞ができる。植栽種数は、約500種類(品種含む)。内、高木約100種、低木・地被約400種。

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 広々とした温室内では、大きなヤシなどの樹木やシダが生い茂るジャングルや池、滝がある。順路を進むと、次に何が出てくるかワクワクする。主温室では、乾燥地や熱帯山地などに自生する世界の植物が集められて栽培されている。特別室では、亜熱帯の絶滅危惧植物や歴史的遺産である洋ランなど、室外からガラス越しに見学もできる。

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 池の水面に浮かぶオオオニバス(右)や熱帯スイレンの花々(左)。

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 ベゴニア・マソニアナは、葉の模様からアイアンクロスの名前でも有名。中国南部からマレーシア半島原産。

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 洋ランの一種。

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 ツインベルギア・マイソレンシス。キツネノゴマ科。

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 オクナ・セルラタ。見た目が似ているから、別名ミッキーマウスの木。原産地は東・南アフリカ。

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 カラテア・マコヤーナ。原産地はブラジルなど熱帯アメリカ。

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 プラタナス並木に囲まれたバラ花壇は、苑内のフランス式整形庭園にある。まずはその前に、並木の下のベンチで休憩して弁当を頂く。

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 赤やピンク、黄、白、紫などバラの花が110種、500株ほどが植えられ、色とりどりに咲き誇る。この時期は、苑内でいちばんの華やかさで、多くの入園者がバラの花々を楽しんでいる。

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 バラはほとんどが植えこみに沿って一列に並んでいるだけで、他の植物園や公園の有名なバラ園と比べると、アーチやドームといった立体的に構成されてはない。

 ここは、明治時代にフランスの著名な造園家アンリ・マルチネが設計した庭園で、バラだけではなく、整形された植え込みや芝生、まわりの木々といっしょにバラを楽しむものだという。

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 ボリューム感のあるバラは、とてもインパクトがある。今年のバラは、連日の夏のような陽気で例年よりもずいぶん花つきが良く、ほとんど満開で、つぼみはあまり見かけなかった。

 

 ★ ★ ★

 「新宿御苑」は、江戸時代に信州・高遠藩主内藤家の屋敷があったところ。秀吉の命で家康が江戸に入った翌年の1591年(天正19)、家臣の内藤清成は家康への功労・功績を認められ、現在の新宿に広大な屋敷地を拝領した。

 1872年(明治5)、この地は近代農業振興を目的とした国営の「内藤新宿試験場」となり、様々な西洋野菜や果物、樹木や花卉などの栽培が行われたという。

 1879年(明治12)には、皇室の御料地・農園として「新宿植物御苑」が開設、宮内省の所管となった。やがて、ベルサイユ園芸学校の造園学教授アンリ・マルチネに植物御苑を庭園に改造設計を依頼、4年の歳月をかけて皇室庭園とし大改造された。1906年(明治39年)に「新宿御苑」として、明治天皇の御臨席のもと日露戦争の戦勝祝賀を兼ねた開苑式が催された。庭園は、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園や、イギリス風景式庭園、日本庭園が広がっている。

 戦後は、国民公園として一般に開放され、厚生省その後環境庁、現環境省へと所管を移した。

 1892年(明治25)、苑内に加温式の本格的な洋風温室が建てられ、洋ラン等の花卉栽培が日本で初めて行われた。1958年(昭和33)には当時、東洋一の規模を誇るドーム型の大温室が完成、日本初の観賞温室となった。

 

 ★ ★ ★

 新宿御苑の発展に最も貢献した人物は、農学・造園・園芸家で御苑の総責任者となった福羽逸人(ふくば はやと、1856年(安政3)-1921年(大正10))。

 津和野藩士の子で福羽家の養子となり、後に子爵を継いだ。1872年(明治5年)16歳の時に上京してドイツ語その他を学び、実習生として「内藤新宿試験場」に入る。

 明治10年(1877)、津田仙(農学者・キリスト者で、津田塾大創始者・津田梅子の父)が主宰する学農社農学校に入学。卒業後の1878年(明治11)に内務省勧農局試験場に入る。

 その後、欧州の園芸の実地研究のため1886年(明治19)年~1889年、フランス・ドイツに留学。帰国後もパリ万博やヨーロッパ、北米を訪問、この後も、延べ8回にわたり 欧米各地を訪れてたという。この時代の交通事情を考えた時、この渡航回数の多さと、彼がいかに国際人であったことに驚く。

 1890年(明治23)、農商務省の技師補となり東京農林学校(東大農学部の前身)の講師を兼務、日本で初めて園芸学を講じた。翌年には植物御苑発足にあたり宮内省の御料局技師、その後植物御苑掛長に任命される。

 1900年(明治33)にもパリ万国博覧会へ出張し、園芸万国会議に出席。その合間にベルサイユ園芸学校のアンリ・マルチネに御苑の改造を相談、設計を依頼した。

 1903年(明治36)には植物御苑苑長、翌年の御苑改造後に内苑局長1914年(大正3)、58歳で大膳頭(だいぜんのかみ、宮中の食事をつかさどる長)に任命された。

 宮内省で主厨長を務めた料理人・秋山徳蔵は、その生涯を描いた小説やドラマ化作品『天皇の料理番』の主人公として知られる。大正天皇即位の礼の宮中晩さん会のエピソードで、秋山の上司として大膳頭・福羽逸人が登場している。

 福羽は宮内庁を退職後、正三位勲一等瑞宝章を受章、宮中顧問官となる。2年後には農学博士の称号を受けた。写真は、一般財団法人国民公園協会 新宿御苑 公式サイトより転載。

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 福羽は、日本におけるイチゴ栽培へにも貢献した。西洋イチゴの種子を御苑で実生させ、国産品種「福羽イチゴ」を作出した。後に「福羽イチゴ」から改良されたものに、有名な「女峰」、「あまおう」、「とちおとめ」・・・など多くの品種がある。日本の温室栽培の創始者でもあり、野菜、花卉の促成栽培の先覚者として、また国内初の無加温室での温室ブドウの栽培事業を手掛けるなど、日本の近代農業や園芸の改良において数多くの功績を残した。菊の千輪づくりの考案者としても有名。

 造園の領域では、新宿御苑造営をはじめ宮内省管轄の庭園の改修や設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計を手がけた。

 

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2016年5月 1日 (日)

信州高山村の桜めぐり

 2016年4月22日(金)、信州高山村のしだれ桜を見に行く。

 

  マイクロバスに乗り合わせ、最寄駅前を7:20出発、関越道・上信越道を走る。途中、横川SAで休憩。この日の天気は、晴れたり曇ったり。

 朝7:00過ぎ、長野県上田市の上信越道上り線「太郎山トンネル」内で、トラックなど3台が絡む多重事故が発生、1人が負傷したようだ。上田菅平IC(インターチェンジ)~坂城(さかき)IC間の上下線が通行止めとなった。

 9:20、やむなく上田菅平ICで高速道路を降り、国道144号、国道18号を走るが、この影響で国道18号は上下線とも渋滞。約1時間後の10:20坂城ICに着き、再び上信越道に入る。

 二つのIC間の一般道は、13Kmだから通常なら所要時間は20分くらい。その間の上信越道は7.9Kmで10分もかからないので、50分くらいのロスだった。長野市の松代PAで休憩。

 
  
 10:50須坂長野東ICを出て、臥竜公園、サマーランド(須高広域総合プール)のそばを通る「北信濃くだもの街道」から県道54号「万座道路」を北東に高山村に向かう。

 須高農協高山支所の手前、高井寺付近から右に折れ1.5Kmほど住宅街の小道や田園の農道を上って、水中(みずなか)地区に向かう。高井寺付近の道路右手には、「長野県史跡 福島正則屋敷跡」の標識があった。

 

●高山村「水中(みずなか)の桜」 高山村水中1259-1 11:10~11:45

 しだれ桜の里として知られる「高山村五大桜」の一つ。江戸時代の1742年(寛保2年)の水害の後に、地元の鹿島大神を祀る鹿島神社を建てた際、境内に植えた桜と言われている。伝承から逆算される樹齢は約250年。樹高22m、幹周りは約4m。

 あまり気を止めなかったが、桜の傍に赤い屋根の小さい社(やしろ)というか祠(ほこら)があったが、これが鹿島神社だったのだろうか。

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 満開の際には、薄緋色の滝が流れ落ちるかのように咲き誇るという。しかし、すでに盛りを過ぎて散り始めていて、枝や若葉の色が混じっていて美しさは劣る。枝は風に揺れながら花びらを散らす。

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 鹿島神社の境内にあるので、地元では「鹿島のしだれ桜」と呼ぶ。

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 夜間はライトアップされるそうだ。

 県道54号線(万座道路)にもどり更に北東に向かうと、「万座道路」は県道112号線となる。この辺りから南へ数100mのところに「高山五大桜」の一つ「赤和観音のしだれ桜」があるが、パスする。

 やがて県道112号線と別れ、県道351号線を東に進むと、子安温泉を経て、山田温泉に至る。

 

●高山村 山田温泉「スパ・ワインセンター」 高山村大字奥山田3579-1 12:00~13:20

 12:00、信州高山アンチエイジングの里「スパ・ワインセンター」に着く。

 2階の休憩所で、山菜てんぷら定食の昼食をいただき、1階の土産屋で山菜タラの芽を購入。ここは、無料タオルを置いてある源泉の足湯も設置してあった。

 山田温泉は、森鴎外をはじめ多くの文人墨客が愛したという200年もの歴史を持つ山間の古湯。桃山風建築の村営の日帰り湯「大湯」を中心に並ぶ温泉街は、湯の宿が8軒ほどある。

 

●高山村「黒部のエドヒガン桜」 高山村黒部3740 13:30~14:10

 もと来た道を戻り、県道112号線(万座道路)から左に折れ、南下して黒部地区へ。

 名桜が多い高山村の中でも一番知名度が高く、ここの桜は「高山村五大桜」のなかで唯一のエドヒガンザクラ、最後に見頃をむかえる。

 村の細い道を上った高台の田園風景が広がる中に立つ。樹齢推定500年、樹高約13m、幹周り約7mの一本桜で、濃い花の赤みが特徴だそうだ。

 桜の上側に棚田と思われる駐車場にマイクロバスを駐める。ぬかるんでいて、帰りに 駐車場を出る時は大変だった。

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 長野県北部(つまり北信濃=北信)にそびえる5つの山、飯縄山(いいずなやま、1917m)、戸隠山(1904m)、黒姫山(2053m)、妙高山(2454m)、斑尾山(まだらおやま、1381m)を「北信五岳(ほくしんごがく)」と呼ぶ。晴れていれば、遠くには北信五岳が眺望できるはず。

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 雲が去って、台形型の飯縄山の山頂付近が顔を出す。

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 桜の主幹は何故か二裂し、一本は垂直に、他方は斜めに伸びて枝がはうように広がっている。樹下に、この地の山の神、水の神、農業の神が祀られた「十二ノ宮(じょんのみや)」跡の石碑が立つ。桜は、それらの神霊が宿った御神木として植えられたとされる。黒部地区では「十二ノ宮の桜」とも呼ばれているそうだ。

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 高台にあり、端正な扇状の樹形の一本桜は、信州の山里で民家を見守っているような孤高の存在感がある。夜間はライトアップされるそうだ。

 黒部のエドヒガン桜から北東へ向かう。途中の高山村役場付近には、「和美(なごみ)の桜」という姿が美しいシダレザクラがあるそうだが、パスする。

 

●高山村「坪井のしだれ桜」 高山村三郷4117 14:25~14:45

 信濃水系の千曲川の支流・松川を渡り、三郷地区に向かう。

 駐車場に車を止めて菜の花畑の中を歩いて行くと、しだれ桜とその下に墓石があるのが見える。

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 背景が杉の林で、花をつけた桜がより引き立つが、やはりここも散り始めていて、残念ながらあまり美しくはない。一本桜で、 「高山村五大桜」の一つ。「日本彼岸桜見立て番付」では、西の小結にランクされているそうだ。樹齢が600年ともいわれる古木桜で、樹下にはたくさんの墓石が並んでいる。

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 樹高が10mでそんなに高くないが、幹周りは8m。高山村では一番古さと太さを誇る。高山村指定有形文化財。老樹の歴史を感じさせるが、何本もの突っかい棒で支えられているのが痛々しい。夜間はライトアップされるそうだ。

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 近くにはテントが二つ建ち、地元の人たちが新鮮な野菜や山菜などを販売していた。桜茶の無料サービスを頂く。野沢菜、大根入りのおやき(1個120円)を4個買う。

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 ここから南に直線で1Km弱の所にある「中塩のしだれ桜」はパス。高山村から須坂市に移動する。坪井のしだれ桜から30分弱で、「弁天さんのしだれ桜」に着く。

 

 
●須坂市「弁天さんのしだれ桜」 須坂市豊丘中灰野梅ノ木地区(豊丘上町) 15:10~15:40

 坪井のしだれ桜から直線で2Kmほど南方、奈良山の山麓に位置する高台に湧水池「弁天池」があり、その池のほとりに樹齢推定250年のしだれ桜がある。地元では「弁天さんの大桜」と呼ばれ、見事な花が咲く。標高730mの高地にあるため、開花が平地より一週間ほど遅いそうだ。

 天気が良ければ北アルプスが望め、須坂市を一望できるビュースポット。樹齢推定250年のしだれ桜は、樹高約13m、幹周りは約4.2m。須坂市の指定天然記念物。

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 周囲を一周することができるので、違った角度から桜を鑑賞できる。しだれ桜の足下は「弁天池」。

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 開花期にはライトアップやコンサートなどのイベントもあるそうだ。

 

 須坂市には、ほかにも五大桜として「延命地蔵堂のエドヒガン桜」、「洞入(ほらいり)観音堂のしだれ桜」、「長妙寺のしだれ桜」、「大日向(おおびなた)観音堂のしだれ桜」、などが有名。


 帰りは、須坂長野東ICより上信越道へ、松代PAで休憩。

 「太郎山トンネル」の通行止めは、下り線が11:30過ぎ、上り線は通過する直前の16:15前に運よく解消した。横川SAで休憩。

 18:40、出発地の駅前に到着。

 

 ★ ★ ★

 長野の善光寺平の東辺に広がる山里・高山村には、20本以上のしだれ桜があり、その内の半数が樹齢200年を越す大樹であるという。 最近は「しだれ桜の里」として脚光を浴びている。

 高山村は標高差が大きいので、見頃は4月中旬から下旬と花見の期間が長いのが特徴。 「水中の桜」「坪井の桜」「黒部の桜」「赤和観音の桜」「中塩の桜」は、「高山村五大桜」と呼ばれている。

 高井村の松川渓谷沿いは、蕨温泉から始まり子安温泉、山田温泉、五色温泉、七味温泉、松川温泉、奥山田温泉と温泉の湯続きの里がある。春には見事な桜が咲き、芽吹きの新緑、夏の渓谷、秋の紅葉と山里の風景を楽しめる。

 今年の信州の桜は、平年より3日~5日ほど早いと開花状況だった。結局、北信州の高山村しだれ桜も、昨年比べてかなり早めの開花・満開となったようで、すでに散ってしまったり、散り始めたりしていて残念だった。

 

 高山村にある福島正則屋敷跡は、長野県史跡に指定されている。

 戦国時代、福島正則は加藤清正らとともに秀吉に仕え、軍功を上げて出世する。関が原の戦いでは徳川方を勝利に導き、安芸・備後両国を得て大名となった。しかし、1619年(元和5年)広島城の石垣を無断普請したことを幕府に咎められ、領地を没収される。豊臣方に忠誠心が強かった正則は、家康やその子・秀忠から警戒されていたからだった。この地に移封された後隠居、失意のうちに64歳で没した。

 高井野藩4万5千石(後に2万5千石を返上)の藩庁が置かれたこの屋敷跡は、現在は土塁が数m残るのみで、高井寺の敷地内にある。

 この周辺には、正則ゆかりの史跡がほかにもいくつかあるそうだ。

 

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  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-e697.html

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  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-f620.html

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