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2016年3月 2日 (水)

横浜ミュージアム巡り-その2

 2016年2月28日(日)、横浜市内のミュージアムを歩いて巡る。

 

 みなとみらい駅~横浜美術館~三菱みなとみらい技術館~商業施設MARKS ISまでのブログ記事「横浜ミュージアム巡り-その1」の続き。

 本記事の経路は、商業施設MARKS IS~神奈川県立歴史博物館~横浜開港記念館~横浜都市発展記念館~東光飯店本館(中華街)~日本大通り駅。

 商業施設「MARK IS」4階で昼食の後、12:10次の目的地「神奈川県立歴史博物館」へ本町通りを歩いて向かう。

 

 途中、左手に帆船「日本丸」を見る。この辺りは、日本丸メモリアルパーク。

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 日本丸メモリアルパークはウォータフロント公園で、引退した大型練習帆船「日本丸」の展示と船内見学、展示ドック、横浜みなと博物館などの施設がある。旧横浜船渠(せんきょ)株式会社の第一号船渠(ドック)の跡地で、2,000年(平成12年)に国の重要文化財に指定された。

 みなとみらい通りの道路沿い、メモリアルパークの入口付近に旧横浜船渠株式会社のエアーコンプレッサー(空気圧縮機)が置かれている。

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 案内板には、横浜船渠株式会社(後の三菱重工株式会社横浜造船所)が造船事業に進出する際、アメリカのメーカーから購入した機械で、65年間活躍した横浜の造船歴史を物語る。

 「北仲橋(きたなかばし)」を渡ると、「汽車道(きしゃみち)」とその鉄橋が見渡せる。

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 汽車道は、桜木町駅前と新港地区とを結ぶ鉄道廃線跡を利用して、1997年(平成9年)に開通したプロムナード(散策コース)で、日本丸メモリアルパークから横浜赤レンガ倉庫を結ぶ。鉄道は、1911年(明治44年)開通した旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨港線だった。

 馬車道駅の近くにあるレンガ造りのビルの廃屋。何に使われていたのが不明。この先に同じような建物があったが、そちらは未だ使われていそうなビルだった。

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 北仲橋を渡って馬車道駅付近からは、本町通りとなって中華街方面に続く。

 みなとみらい地区の商業施設MARKISから約1.5Km(約20分)ほど、馬車道駅前にある神奈川県立歴史博物館に到着。

 

●神奈川県立歴史博物館(12:50~14:00)

 建物は、明治30年代における代表的な洋風建築。「横浜正金(しょうきん)銀行本店」として1900年(明治33年)に着工、1904年(明治37年)に完成。1969年(昭和44年)建物が国の重要文化財に、1995年(平成7年)には敷地が国の史跡に指定されている。

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 展示場内は写真撮影禁止。常設展だけは受付で申し込めば、制約条件のもとで許可される。首から「撮影許可証」のカードを下げ、ストロボ・三脚がダメなのは当然であるが、展示品をアップで撮ってはダメ(展示室全体なら良い)、画像データの二次利用禁止(ブログやツイッターへの掲載はダメ)とのこと。

 
 特別展 「石展 -かながわの歴史を彩った石の文化-」が開催中だったが、こちらは観覧せず。

 

 総合テーマ展示(常設展)は、古代・中世・近世・近代・現代と民俗の5つのテーマにより構成され、3階から2階常設展示室へと時代順に展示されていた。

 

<テーマ1> さがみの古代に生きた人びと

 旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安の時代に区分して、県内で出土した石器、土器、陶器、金属器、鏡、埴輪、瓦など展示やパネルの解説。 

 

<テーマ2> 都市鎌倉と中世びと

 平安時代の中頃(10世紀~)には、武力をたくわえた在地の領主が武士化し、多くの武士団が発生した。

 中世のヒーローの一人は、西国の平氏を追討し、東北の奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝。1192年征夷大将軍に任命され、武家がはじめて政権を取った鎌倉幕府が誕生した。

 鎌倉時代の武士の様子が生き生きと描かれた「男衾(おぶすま)三郎絵巻」(絵詞、えことばともいう)の部分が展示されていて興味深い。展示品は、東京国立博物館蔵の模写品(江戸時代の作) で下の写真とは異なる。

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 上の写真は、ウィキペディア「男衾三郎絵詞」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ、「男衾三郎絵詞」、東京博物館蔵の部分で、笠懸練習風景、鎌倉時代の作)

 兄・吉見二郎と弟・男衾(おぶすま)三郎という対称的な武士兄弟と、その家族の絵巻物語である。

 伝(でん)源頼朝像は、京都・神護寺の所蔵で国宝。昔の教科書では頼朝とされていたが、1995年に像は足利直義の肖像画であるとする新説が論議を呼んでいる。展示品は複製。

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 上の写真は、ウィキペディア「源頼朝」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ)。
 

 伝(でん)源頼朝坐像。この頼朝の坐像は初めて見た。展示は複製。現品は、東京国立博物館の所蔵で重要文化財。 

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 この座像は鶴岡八幡宮に伝来したもので、江戸時代に源頼朝とされていた。頼朝の没後100年が経過している鎌倉時代の作で、本人に似ているかどうかは疑わしいという。写真は、 「国立東京博物館 e国宝」から引用。

 

 そしてもう一人のヒーローは、北条早雲。室町時代に政治の中心が京都に移ったため、関東には権力の空白が生まれた。そのような中で、早雲を始祖とする戦国大名の北条氏は、小田原を拠点として関東一円を支配した。やがて秀吉の小田原征伐により滅亡した。

 下の写真の北条早雲画像(小田原城天守閣所蔵)は、ウィキペディア「北条早雲」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ)。展示品は、部分複製で、原品は早雲寺蔵(室町時代)、重要文化財。

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<テーマ3> 近世の街道と庶民文化

 近世の県域には五街道のうちの東海道と甲州道が通り、宿場町が整備された。街道の要点には関所が設置され旅人を監視した。江戸時代の一般庶民の信仰と大山・江の島・鎌倉・箱根など名所めぐり、相武(相模と武蔵)の産物、江戸への消費を支える物資供給について展示。

 

<テーマ4> 横浜開港と近代化

 鎖国を守り続けた江戸幕府は、ペリーの黒船来航により日米和親条約を締結。それまで一寒村にすぎなかった横浜は、通商条約によって開港、生糸・茶の輸出、綿織物の輸入が盛んな貿易港となり、また西洋文明がいち早く流入して来る窓口となった。明治維新後、富国強兵・殖産興業政策が行われ、人々の暮らしも次第に変化していく。

 特集展示 「五姓田義松」(ごせだ よしまつ)が開催中で、2階常設展示室内に作品が展示されていた。義松は、明治期に活躍した横浜ゆかりの洋画家である。

 

<テーマ5> 現代の神奈川と伝統文化

 関東大震災と第二次世界大戦時の空襲という二つの大きな被害を乗り越え、農地が宅地化され、道路などの社会資本が整備。昭和30年代になると、高度経済成長期を迎え、急激な人口増加があり、農山漁村に都市化が進んだ。神奈川県の人口は、2006年(平成18年)大阪府を抜いて第2位となった。

 高度成長期には、公害や交通戦争など社会問題も起こり、暮らしの中で長く培われ伝えられてきた生活様式や生活用具が消滅していった。しかし、伝統芸能や民族工芸などの伝統文化は継承され続けている。

 

 歴史博物館から本町通りを500mほど歩くと、神奈川県庁(写真下)の斜め向かいに開港記念館がある。神奈川県庁本庁舎は、キングの塔と呼ばれる。

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●横浜開港記念館(14:25~15:00)

 横浜が開港してから50周年を記念して、1909年(明治42年)に計画された公会堂で、1917年(大正6年)完成。関東大震災で全焼したが、1927年(昭和2年)に再建された。国の重要文化財に指定。現在も横浜市中区公会堂として講堂や会議室が利用されている。

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 ボランティアガイドに案内で、30分ほど館内を巡る。

 キングの塔(神奈川県庁本庁舎)、クイーンの塔(横浜税関)とこの開港記念館の時計塔はジャックの塔と呼ばれ、横浜港のシンボル「横浜三塔」として、長年市民に親しまれている。

 2階に上がる踊り場にある「バラ窓」と呼ばれる珍しいデザインの窓。

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 2階ホール入口にある咸臨丸の絵。

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 2階大広間のアーチ奥には、ステンドグラスがはめ込まれている。関東大震災後の復旧時に製作された。開港当時の横浜は交通の便が悪く、渡し船に乗る人々を描いた「呉越同舟」(左)、「箱根越え」(右)は西洋人が籠に乗って箱根越えをしている様子、中央には「鳳凰」が描かれている。

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 中庭に面した階段踊り場の窓は、バラ窓でなくステンドグラス。

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 ペリーが再来した際の外輪船「ポーハタン号」を描いたもの。

 ガイドの話題の一つ。福井藩(藩主は松平春嶽)の下級藩士・岡倉勘右衛門は、藩命により武士の身分を捨て、藩が財政立て直しに横浜に開いた生糸を扱う商館「石川屋」(現・横浜開港記念会館)の貿易商(支配人)となった。日本美術院を創設した岡倉天心は、その勘右衛門の子で、この地で生まれたという。

 
 開港記念館から200m先、横浜情報文化センターに隣接してチョコレート色の建物の中に「横浜都市発展記念館」と「横浜ユーラシア文化館」がある。

 

●横浜都市発展記念館(15:10~15:35)

 2000年(平成12年)年に「旧横浜市外電話局」として横浜市の歴史的建造物に認定された建物は、改修して利用されている。

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 その建物の4階が横浜都市発展記念館、2階に横浜ユーラシア文化館がある。

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 横浜都市発展記念館は、横浜市の発展と拡大のあゆみを、「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の三つの側面に焦点を当て、関東大震災以降、昭和の戦前期を中心に歴史資料を展示。2003年3月に開館。撮影は禁止。

 横浜ユーラシア文化館は、考古学者・江上波夫が横浜市に寄贈した考古学・歴史学・民族学・美術関係の資料をもとに、2003年3月に開館。シルクロードが結ぶ広大なユーラシア世界の美術品・考古・民族資料を収蔵、展示。時間都合で、文化館の観覧はスキップ。

 横浜都市発展記念館を出て、横浜スタジアムのそばを通り横浜中華街の北側「玄武門」をくぐって歩くと、加賀町警察署の向かい側に「東光飯店本館」がある。横浜都市発展記念館から約600m。

 

●東光飯店本館(15:50~18:10) 

 芸能人もよく訪れるという庶民的な台湾料理・中華料理の店「東光飯店本館」に行く。

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 ここで夕食後、解散。

 帰りのみなとみらい線日本大通り駅へは、中華街から戻って横浜都市発展記念館の地下にある。18:48発の副都心線経由の和光市行きに乗車。

 自宅21:45頃着。

 

 ★ ★ ★

 みなとみらい駅から中華街~日本大通り駅まで、横浜のミュージアム巡りと街並みウォーキングは地図の上の距離にして約4Km弱程度。しかし歩数計で12,500歩、歩数距離は7Km余りであった。

 喧噪の市街地歩きと立ちっぱなしの見学で、郊外や山道を20Km以上歩いた感じで、帰りの電車の中では疲れと夕食時の紹興酒のせいか、ぐっすり寝てしまった。

 横浜の街並みを見ながらのウォーキング、初めてのミュージアムで横浜の歴史と文化を学び、有意義な1日だった。長崎、神戸、横浜の異国情緒のある街は、いつ行っても楽しい。

 

 関連ブログ記事 「横浜山手西洋館」 2013年7月21日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-e314.html

 関連ブログ記事 「横浜港の風景」  2011年11月13日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e314.html

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コメント

こんにちは、神奈川県立歴史博物館の千葉と申します。
貴ブログにて当館を取り上げていただき感謝申し上げます。
2017年、当館は前身の神奈川県立博物館の開館から50年目を迎えました。
それを記念し、現在当館では当館にまつわる思い出を募集しアーカイブしていく企画を実施しています。
もしよろしければ、こちらのブログの記事もアーカイブとして加えさせていただくことは出来ませんでしょうか。
また、アーカイブでは、当館に思い出をお持ちの方々がいらっしゃる場所を地図上におおまかに示し、どのような場所に「当館の思い出」が広がっているのかを可視化することを試みる予定です。
そのため投稿していただいた方がいらっしゃる場所の郵便番号を合わせてお知らせいただけると非常にありがたく存じます。
突然の不躾なご相談で大変恐縮ではありますが、何とぞご検討下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
http://ch.kanagawa-museum.jp/gyoji/50anniversary.html

>神奈川県博50周年記念プロジェクト 千葉さま
私の匿名ブログ「ものみ・ゆさん」のつたない駄文に、関心をお持ち下さりありがとうございます。各地の自然や歴史文化に興味があって、あちこち旅をしたり博物館や資料館を巡っています。
ご要望の件は、別途ご連絡申し上げます。

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