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2016年3月の5件の投稿

2016年3月26日 (土)

長野市周辺と白馬の旅

 2016年3月16日(水)~17日(木)、長野とその周辺の松代、小布施と白馬を巡る旅。

 秋に予定しているイベントのための下見。

 

 北陸新幹線「はくたか557号」に乗車、11:23長野駅着。長野在住の友人が出迎え。

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 長野駅西口側の商業ビルMIDORIの3階「おごっそダイニング」レストランゾーンへ。階段を上がって目前の「信州蕎麦の草笛」に入店し昼食。くるみ蕎麦、かき揚げ天ぷら蕎麦など。信州の蕎麦屋は、「並」でも関東の「大盛り」くらいのボリュームがあって、注文には注意する必要がある。
 

 12:40頃~、駅東口から地元友人の車で、長野駅のから国道19号を北上、「善光寺」と「信濃美術館」を回る。

 場所を確認して、拝観や入館は次回に持ち越す。
 

  
●善光寺

 無宗派の寺院。日本最古の仏像と伝わる「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」が本尊。

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 写真の出典:ウィキメディア・コモンズ

 7年に一度だけ行われる善光寺最大のイベントが、「御開帳」。江戸時代には「一生に一度は善光寺詣り」とか「牛に引かれて善光寺参り」と言われ、全国的に知られるようになった。本堂は国宝。
 
 

●長野県信濃美術館・東山魁夷館

 美術館は、「善光寺」の東側に隣接した城山公園内にある。

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 写真の出典:ウィキメディア・コモンズ

 郷土作家の作品や郷土の風景画を中心に収蔵・展示する「信濃美術館」と、信州の風景をよく描いた日本画家・東山魁夷の作品を収蔵・展示する「東山魁夷館」から成る。


 再び国道19号を南下して「犀川(さいがわ)」を渡り、県道35号線を走る。「千曲川」に架かる松代大橋の手前に、「八幡原史跡公園」がある。

 犀川の上流域は、上高地へとつながる「梓川(あずさがわ)」。犀川は千曲川と合流するが、新潟県域では信濃川と呼ばれて日本海へ注ぐ。

 「八幡原史跡公園」は、「川中島古戦場」とも呼ばれ、松林の中に武田信玄(左)と上杉謙信(左)の像がある。以前何度か来たことがあるが、下車せず車窓から眺める。

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 写真の出典は、パブリックドメイン。

 

 少し回り道をしながら13:50頃、上信越道の長野インター近くの長野市松代の市営殿町駐車場に到着。

 

●松代城址

 武田信玄側の拠点として築城された千曲川の流れを外堀とする天然の要塞。当時は「海津城」と呼ばれた。入場せず。

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●池田万寿夫美術館

 写真右手が「池田万寿夫美術館」、左手の建物は「竹風堂」松代店。

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 長野市出身で異才の芸術家・池田満寿夫(1934-1997)の没後、その作品を集めた美術館。栗菓子製造・販売の株式会社「竹風堂」(本社:小布施町)が運営、竹風堂松代店に併設されている。

 昨年12月から、企画展「読めそうで読めない」を開催中。入館料700円。

 チケット(左)と企画展のビラ(右)。館内は撮影禁止。

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 銅版画家として脚光を浴びた20代~30代の作品には、抽象的な作品に文字やそれらしい即興的な線が添えられている。文字には意味があったり、なかったりで理解困難。上のビラあるような、似たような作品が延々と続くので、見ていて飽きてくる。

 中庭に展示されている作品。ひとつの巨石が割れて、偶然凹凸になっているもの。男性と女性をあらわしているらしい。

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 観覧後14:30~、隣接する「竹風堂」で休憩、あんみつ、お汁粉などのお茶菓子で一服。

 

 15:10頃、白馬村へ向け出発。国道19号、県道31号、33号を経て所要時間は約1時間10分。

 前日と前々日には久しぶりに寒気が戻り、長野には雪が降ったらしくて積雪を心配したが、除雪されたり融けたりしたのか、道路には全く雪は無い。


●ホテル五龍館

 16:30、白馬村八方温泉「ホテル五龍館」にチェックイン。

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 西側部屋の窓からは、八方尾根スキー場が正面に見える。スキー場は、ここから徒歩10分。今年は雪が少ないようだ。

 八方尾根の左手には、すぐ近くの白馬ジャンプ競技場が窓から見える。後方には、雪をかぶった北アルプスの五竜岳(標高2,814m)。その尾根の右手には唐松岳(2,696m)が位置するが、八方尾根に隠れている。

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八方尾根スキー場の右手後方には、白馬三山。左から白馬鑓ヶ岳(やりがたけ、2,903m)、杓子岳(しゃくしだけ、2,812m)、白馬岳(2,932m)。

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 入浴後、18:30~夕食。20:00からイベントの打ち合わせ、23:30過ぎに就寝。

 翌17日6:30起床、7:30朝食。9:30チェックアウト。

 

●白馬ジャンプ競技場

 ホテルから徒歩だと10分。ノーマルヒルとラージヒルの間にあるリフトに乗る。リフト往復券は460円。

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 白馬ジャンプ競技場は、1998年に開催された長野オリンピックで日本が金メダルに輝いたスキージャンプ競技場。現在でもオールシーズン、スキージャンプが可能。

 地上約140mの高さにあるスタート地点まで登ると、選手の目線を感じる事ができるが、足がすくむ。

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 10:30、長野市近くの小布施町に向かう。


●道の駅「おがわ」

 白馬村から長野市方面に向かう途中、県道31号線(長野-大町線)沿いの小川村の道の駅で休憩。小川村は、長野市と白馬村の中間、北アルプス連峰を一望に出来るロケーションに位置する。

 おやき・手打ちそば・山菜・きのこ・リンゴ・野沢菜など、小川村産の採れたての新鮮野菜や果物が並ぶ。

 ひさしぶりに、野沢菜入りの「おやき」(1個150円)を買って食べてみる。昔食べた時は、あまり良い印象でなかったが、出来立ての温かい「おやき」は美味しかった。土地によっておやきにもいろいろな種類があるそうだが、モチモチで少し甘めに作ってあるようだ。

 

●栗の町・小布施町

 小布施町は、長野市中心街の北東にあって、千曲川東岸に広がる豊かな土地。葛飾北斎や栗菓子で有名。特に千曲川の舟運が発達した江戸時代には、交通と経済の要所として栄えたそうだ。

 歴史的遺産を活かした町並修景地区は、最近は北信濃の観光名所として注目を集めている。

 昼食に、栗菓子の「竹風堂」小布施本店に入店。写真は、裏の駐車場から撮影。

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 1Fは菓子などの商品販売。2Fのレストランに上がると、信越国境の山々を展望しながら食事できる。

 左から飯綱山(1,917m)、戸隠連山(1,911m)、黒姫山(2,053m)が目前に。

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 黒姫山の更に右手、写真左側に噴煙が出ている火打山(2,462m)が小さく見え、その右手は妙高山(2,455m)がそびえる。

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 栗おこわ 山里(やまさと)定食を注文。税込1,296円。

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 箸袋には、この定食について次のように書いてある。

 この柳ごうりに盛られた「栗おこわ」は、今から凡そ40年前、昭和47年(1972)に竹風堂がはじめて売り出したもので、今や、そばやおやきと並んで北信濃を代表する食文化として親しまれています。
 混ぜこまれた栗は、収穫期の秋に一年分を手むき加工をして貯蔵しておいたものです。
 小鉢のつぶつぶは、千曲川の河川敷で栽培される長芋の子「むかご」で、茄でてクルミゴマ和(あ)えとしたものです。
 味噌汁は、鰹節(かつおぶし)を削ってダシをとる昔ながらのやり方、山野の幸による煮物なども、すべて芋づくりに徹した、郷土色ゆたかで安全、ヘルシーなお食事です。

 

 飲食や小物販売などの店や博物館が多い小布施の町並みを散策する。町並みは、長野電鉄小布施駅の東側、国道403号線沿いに広がっている。

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 古い酒蔵だが、レストランになっていた。

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 酒蔵の中庭を覘く。

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 15:00、長野駅に戻る。

 15:41長野駅発の「はくたか568号」に乗車。18:30頃帰宅。

 
 
 ★ ★ ★

 4年前に「池田満寿夫美術館」を観覧したが、今回の展示内容とは異なり、銅版画やリトグラフ、デッサン、油彩、水彩画、書、陶芸や彫刻の立体作品など様々な作品や関連資料や写真などが展示してあって、池田満寿夫の世界を良く知ることが出来て感激した。

 池田満寿夫については、1977年に『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を受賞し、自身が監督して映画化された。この時、文学だけでなく本来の芸術家としての実績や才能を初めて知った。

 1980年代以降は、TV番組にも盛んに出演、またTVドラマの演出したり、また文化人としても活躍したりした。終生連れ添ったバイオリニスト佐藤陽子は内縁の妻であったが、おしどり夫婦としても有名であった。1997年3月、63歳で逝去。

 館内のほとんどが企画展で常設展示は少ない。企画展は、池田氏のいろいろな芸術的な側面をそれぞれをテーマにして展示してあると思うが、初めて観覧する人にとっては偏りすぎた感があった。もっと作品全体も展示して欲しかったので残念だった。

 

 真田十万石の城下町である松代には、以下のような博物館や史跡が集まっている。これらの見学は今回省略したが、4年前のブログに掲載している。

 ・真田宝物館=松代藩真田家の歴史と大名道具を紹介。他に信玄・秀吉・三成・家康らの書状なども。

 ・真田邸=9代藩主・幸教が、義母・貞松院(幸良の夫人)のための建築した城外御殿。

 ・旧文武学校=江戸時代後期に創設された松代藩の藩校。

 ・象山神社=幕末の松代藩士で思想家の佐久間象山を祀る。

 ・象山記念館=佐久間象山の遺品・発明品等を展示。松代通信資料館も併設。

 ・象山地下壕=第二次大戦末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに大本営、政府機関を移転する計画のもとに建設された地下壕。

 関連ブログ「信州松代の史跡巡り」  2012年6月20日投稿

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-3d01.html

2016年3月24日 (木)

比企西国札所巡り-その3

 2016年3月18日(金)、「比企西国三十三札所」を巡るウォーキングシリーズの3回目。
 

 
 33札所のうち、一昨年の第1回は埼玉県比企郡滑川町と嵐山町の7ヶ所、昨年の第2回は東松山市と比企郡吉見町の4ヶ所を回った。

 「比企西国札所巡り-その1」 2014年12月18日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-e8ac.html

 「比企西国札所巡り-その2」 2015年12月13日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-cf25.html

 

 今回は、超福寺、普門寺、潮音寺、延命寺、観音寺、宝蔵寺(以上比企郡川島町)、世明寿寺、東光院(以上東松山市)の合計8ヶ所を徒歩で巡る。

 

 日中は晴れ、桜の開花も早まりそうな最高気温19℃、4月中旬並みの暖かさ。参加者は、9:35東松山駅発の川越駅行の路線バスに乗車。

 バスは、国道254号線の旧道を走り、9:50川島町にある北戸守バス停で下車。

 

●超福寺(川島町戸守)

 バス停から最初の6番札所「超福寺」へは徒歩5分。

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 本堂(写真下)には寺社名を書いた扁額が無い。

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 境内にある北戸守地区の集会所(上の写真左手の建物)に、観音様(聖観音)が安置されているそうだが、確認できず。

 また本堂に続く住職の住まいと思われる建物にも人の気配が無い。天台宗の埼玉教区寺院紹介を見ると、「超福寺」の電話番号は東松山市高坂の「常安寺」の番号が書いてある。埼玉県の宗教法人一覧にも、「超福寺」と「常安寺」の代表役員名が同じ。「超福寺」の仏事は、「常安寺」が執り行っているようだ。

●普門寺(川島町正直)

 5番札所「普門寺」は、長楽用水路をはさんで超福寺の北の方向に10分、田園を歩く。

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 この寺は廃仏毀釈により廃寺となり、現在その場所には正直地区の集会所が建てられ、その前にある観音堂に聖観音が祀られているようだ。観音堂の中をガラス越しに覘くと、祭壇はカーテンで覆われていて、ご本尊は確認できない。

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●潮音寺(川島町正直)

 7番札所「潮音寺」は、「普門寺」のちょうど東の方向、国道254号線を横断し、長楽用水路に沿って20分ほど歩いた田園の中(下の写真の中央の樹木)にある。

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 天文年間(1532年~1555年)に建立されたという観音堂は、その後再建されたと思うが、年季が入っている。屋根が破損していて落下する危険があるので、しばらく参拝は控えるようにと注意書きが貼ってあった。

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 安産・子育て・子授けの観音として信仰を集め、2月21日の縁日は露店が集まり、護摩が焚かれるそうだ。この辺りの地名から「正直観音」とも呼ばれている。

 他に水子観音や幸せ観音、弘法大師の銅像もある。赤い屋根の建物は、潮音寺の本堂。

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●延命寺(川島町中山)

 長楽用水路の土手の上の舗装された小道を歩いて、国道254号線に戻る。

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 再び国道254号線を横断。この辺りの国道沿いには、圏央道の川島インターが近いせいか、大手運送会社の倉庫などが集まっている。この先を南西の方向へ農道を進む。

 約30分で、8番札所の「延命寺」。この寺は無住(住職不在)の寺であるが、2002年(平成14年)6月に、本堂落慶法要が行われたそうだ。境内の一部は、延命寺児童公園になっている。本尊は、十一面観音だが、確認できず。

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●観音寺(川島町戸守)

 更に南西の方向へ約10分。中山小学校の近くにある「観音寺」は、15番札所。ここも廃寺となっていて、墓地の中に観音堂がある。この観音様(聖観音)は、子授かり観音として地元の人に親しまれているそうだ。

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●宝蔵寺(川島町長楽)

 住宅街を抜けて、県道212号線に向かう。

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 工業団地に囲まれた県道212号線を通って東松山方面へ。35分ほど歩くと、16番札所「宝蔵寺」は都幾川に架かる早俣橋の手前にある。ここも廃寺で、観音堂が墓地の中にある。

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 文字のかすれた案内板には、「慶長2年(1597)8月に開山、本寺は下青鳥(東松山市下青鳥)の浄光寺。無住時代が長く・・・・明治2年・・・無住無檀の寺として廃寺となり、その際・・・である観音堂のみが残されました。ご本尊は聖観音、子安観音として長楽はじめ広く住民の信仰を集めて・・・。縁日は毎年8月18日、長楽当番により開帳されます。」と読めた。

 早俣橋を渡ると、東松山市に入る。

 

 12:40~13:10、三々五々と都幾川の堤防の上に座り、のどかな昼食。

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●世明寿寺(せみょうじゅじ、東松山市正代)

 田園の中を歩き、17番札所「世明寿寺」へ。宝蔵寺から約35分、赤い仁王像があるの立派な山門をくぐる。

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 山門の先にも立派な観音堂。

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  観音堂の内部を格子を通して覘いたが暗くてよくは見えない。中央に千手観音と左右に風神、雷神の2神と28部衆が揃って、あわせて30体が並んでいるという。

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 この他、和算家が奉納した算額もあり、これらは市指定の有形文化財となっているそうだ。

 このほかこの寺の鐘楼堂は、数年前に落慶法要が行われたらしく、新しかった。

 

●東光院(東松山市高坂)

 折本山緑地という林の中を、ケーズデンキやピオニーウォークなどの商業施設を右手に見ながら歩く。国道407号線を横断、カインズホームと高坂神社の間の小道を通って、高台にある「東光院」へ。この辺りは、昔と比べずいぶん宅地化が進んでいる。

 こちらは、「東光院」の本堂。

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 東光院の18番札所の観音堂。

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 観音堂のガラス度から覘くと、掛軸に描かれた聖観音が安置されていた。

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 休憩後、14:05解散。ここから10分で、東武東上線の高坂駅に到着。

 

 高坂駅駅までの歩程は、2万歩、約12Km、約4時間半のウォーキングだった。


 

 ★ ★ ★

 札所巡りは、「四国八十八所」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」などが有名だが、「比企西国三十三所」というのは、ほとんど全国的には知られていない。埼玉県比企郡エリアのローカル版の札所である。

 遠隔地を巡礼できない人々のために、1723年(享保8年)に穏誉浄安(おんよじょうあん)により開かれたとされる。埼玉県の比企郡内で、東松山市9ヶ所、吉見町1ヶ所、川島町12ヶ所、滑川町4ヶ所、嵐山町6ヶ所、小川町1ヶ所のあわせて33ヶ所のお寺やお堂を巡る全行程約60kmのコース。 

 江戸時代には、地域ごとの札所巡りが全国各地に数多く作られたそうだ。

 しかし、多くは明治維新後、維新政府の神仏分離政策やそれを拡大解釈した廃仏毀釈によって廃寺となったり、本尊だけが他の寺院に保管されたりして、「比企西国三十三所」の中で現在も当時のままの形で残っているのは12ヶ所だけである。

2016年3月 9日 (水)

奥武蔵・笠山

 2016年3月5日(日)、早春の笠山(標高837m)ハイキング。

 笠山(かさやま)は、埼玉県小川町側で東秩父村との境界付近に位置する。秩父盆地東側に連なる外秩父山地の代表的な山。この辺りは高くて険しい山はなく、ハイキングに適した低山が多い。

 秩父高原牧場から見る「笠山」、右手は「堂平山」。2014年3月8日撮影。

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 東武鉄道は、毎年4月に6,000人を集めて、小川町駅から寄居駅まで外秩父山地の山々を縦走する「外秩父七峰縦走ハイキング大会」(全行程はフルマラソンと同じ42Km)を主催している。

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 「奥武蔵」は、武蔵野または武蔵の国の奥地という意味で、奥多摩の北側、奥秩父の東側の地域をいう。

 「外秩父」は奥武蔵の一部、埼玉県西部から秩父地域にかけて、秩父盆地を取り巻く山地の東側にあたる外秩父山地とその東側山麓をいう。狭義の「奥武蔵」とは、外秩父山地の南部で西武秩父線沿いをいうそうだ。

 笠山の乳房状の山容は、別名「乳房山」とも呼ばれ小川町のシンボル。頂上は二つの小峰があり、東峰に笠山神社が祀られる。南側の笠山峠(700m)を隔てて堂平山(876m)に連なる。

 

 笠山への登山道は、北側の萩平集落と南側の笠山峠からの二つある。

 今回のコースは、白石車庫バス停~笠山峠~笠山~萩平集落~皆谷バス停をたどる。

 

 東武東上線小川町駅に8:33到着。駅前のコンビニで、弁当とお茶を購入。

 小川町駅前9:13発、イーグルバス(株)の白石車庫行に乗車。ほとんどがハイキング客で、満席になる。県道11号線を走り、バス終点の白石車庫バス停(東秩父村)に9:52着。運賃620円。

 

 バス停が登山のスタート点。9:52出発、しばらく舗装した林道を歩き、10:30山道へ入る。

 東秩父村役場の「熊出没注意」の看板があり。こんなところに熊が・・・と思ったが、秩父地方は熊野生息地で、東秩父村のこの辺りにいても不思議ではない。平成22年6月15日に目撃情報があったとある。

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 途中10:55、林道を横断した後はしばらく急登が続く。

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 11:10、笠山峠に到着。ここは堂平山へ向かう登山道と林道とが交差している。

 かすれた文字の「林道萩殿線(終点)」の看板。右手が東秩父方面。「外秩父七峰縦走ハイキングコース」の標識、奥には「熊出没注意」の看板、写真上方が堂平山への登山道。

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 林道萩殿線の東秩父方面、道路の日陰には雪が残る。

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 笠山峠からは、春霞のせいで遠くの山々や下界の展望が無い。

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 本当の「笠山峠」は舗装されてない山道にあり、林道部分は「七重峠」と呼ぶのが正しいようだ。この林道萩殿線(終点)の先は、小川方面への林道栗山線となる。

 峠で5分休憩、11:15山頂に向けて出発、尾根道を歩く。

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 やがて、笠山の山頂が姿を現す。

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 樹間から、堂平山(876m)の天文観測ドームが見える。

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 急坂をしばらく登ると、11:55笠山の山頂(標高837m)に到着。

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 山頂にザックを置いて、ここから2、3分の東峰にある笠山神社に行ってみる。

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 祠の扉の前には、親切にも麓のバス停の時刻表が置いてある。無事下山できるようにという意味か。

 山頂に戻り、昼食。山頂はおおむね樹林に覆われているが、西峰からは北側の眺めが楽しめるそうだ。しかし、春の霞で、展望はほとんどなかった。

 

 昼食後の12:30、萩平(東秩父村)方面へ下山を開始。

 急坂を30分ほど下り、13:00林道萩平笠山線を横断。

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 再び山道に入る。

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 13:30、林道御堂笠山線に出て、しばらく林道を歩く。

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 再び山道入り、13:34山道を出ると、この辺りは東秩父村の萩平集落。

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 左手の「野際ぶどう園」の先のT字路、林道白萩起点(萩平~白石)に13:40着。

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 ぶどう園のものか、ちょうど良い休憩場所。ここから皆谷(かいや)バス停まで徒歩30分。

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 13:40 、舗装されたる林道新田線を皆谷バス停(東秩父村)に向かってひたすら下る。

 萩平集落で、早春の花々を見つける。

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 14:10、県道11号線の皆谷バス停に到着。

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 バスは1時間間隔で運行。バスが来るまで30分ほど時間をつぶす。このバス停は、2年前の大霧山ハイキングの下山で利用した場所。

 14:44発の小川町駅行きイーグルバスに乗車。15:10、小川町駅前に到着。運賃500円。

 

 15:15~16:50、駅前の食堂(大衆割烹)「いわた屋」で、下山祝い。

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 17:01、小川町駅初の東武東上線急行・池袋行に乗車、帰路へ。

 

 ★ ★ ★           
      
 天候に恵まれて寒くもなく、ほど良い早春のハイキング日和だった。春霞のために、関東一円を眼下にとはいかなかったのは残念。休憩を入れて、約4時間20分のハイキング。

 風は無かったが、この辺りは杉林が多くて、スギ花粉にすっかりやられてしまった。       
      
 歩数計では、歩数約15,00歩、約9Km。

 

 小川町では、「乾杯は地元の飲物で!」と「小川町地酒等による乾杯の推進に関する条例」(乾杯条例)が、2014年12月に施行されたそうだ。小川駅前のお店に入ると、女将から地酒とおつまみがセットになった「乾杯セット」1,000円を勧められる。

 町内で生産される地酒などの飲料による乾杯の習慣を広め、これら飲料の普及を促進することで町内産業の活性化、地域住民の意識高揚に寄与することを目的としているという。小川町は人口約32,000人ながら、町内に3酒蔵(晴雲酒造、武蔵鶴酒造、松岡醸造)もあり、ほかにも焼酎、地ビール、ワインも生産している。

 小川の和紙「細川紙」がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど注目されているが、乾杯を通して地酒を普及しようと、町や地酒などの製造・販売業者、町民に努力を促す。珍しい条例だと思ったが、県内では同様の条例のある秩父市に次いで2例目だそうだ。

 小川町民ではない我々は、お勧め地酒の乾杯セットをやめ、やっぱり最初は「とりあえず生ビール」で注文した。

 

 

 関連ブログ

 「奥武蔵・大霧山」 2014年3月12日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c72f.html

  「奥武蔵・堂平山~笠山」 2012年3月17日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-2d20.html

2016年3月 2日 (水)

横浜ミュージアム巡り-その2

 2016年2月28日(日)、横浜市内のミュージアムを歩いて巡る。

 

 みなとみらい駅~横浜美術館~三菱みなとみらい技術館~商業施設MARKS ISまでのブログ記事「横浜ミュージアム巡り-その1」の続き。

 本記事の経路は、商業施設MARKS IS~神奈川県立歴史博物館~横浜開港記念館~横浜都市発展記念館~東光飯店本館(中華街)~日本大通り駅。

 商業施設「MARK IS」4階で昼食の後、12:10次の目的地「神奈川県立歴史博物館」へ本町通りを歩いて向かう。

 

 途中、左手に帆船「日本丸」を見る。この辺りは、日本丸メモリアルパーク。

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 日本丸メモリアルパークはウォータフロント公園で、引退した大型練習帆船「日本丸」の展示と船内見学、展示ドック、横浜みなと博物館などの施設がある。旧横浜船渠(せんきょ)株式会社の第一号船渠(ドック)の跡地で、2,000年(平成12年)に国の重要文化財に指定された。

 みなとみらい通りの道路沿い、メモリアルパークの入口付近に旧横浜船渠株式会社のエアーコンプレッサー(空気圧縮機)が置かれている。

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 案内板には、横浜船渠株式会社(後の三菱重工株式会社横浜造船所)が造船事業に進出する際、アメリカのメーカーから購入した機械で、65年間活躍した横浜の造船歴史を物語る。

 「北仲橋(きたなかばし)」を渡ると、「汽車道(きしゃみち)」とその鉄橋が見渡せる。

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 汽車道は、桜木町駅前と新港地区とを結ぶ鉄道廃線跡を利用して、1997年(平成9年)に開通したプロムナード(散策コース)で、日本丸メモリアルパークから横浜赤レンガ倉庫を結ぶ。鉄道は、1911年(明治44年)開通した旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨港線だった。

 馬車道駅の近くにあるレンガ造りのビルの廃屋。何に使われていたのが不明。この先に同じような建物があったが、そちらは未だ使われていそうなビルだった。

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 北仲橋を渡って馬車道駅付近からは、本町通りとなって中華街方面に続く。

 みなとみらい地区の商業施設MARKISから約1.5Km(約20分)ほど、馬車道駅前にある神奈川県立歴史博物館に到着。

 

●神奈川県立歴史博物館(12:50~14:00)

 建物は、明治30年代における代表的な洋風建築。「横浜正金(しょうきん)銀行本店」として1900年(明治33年)に着工、1904年(明治37年)に完成。1969年(昭和44年)建物が国の重要文化財に、1995年(平成7年)には敷地が国の史跡に指定されている。

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 展示場内は写真撮影禁止。常設展だけは受付で申し込めば、制約条件のもとで許可される。首から「撮影許可証」のカードを下げ、ストロボ・三脚がダメなのは当然であるが、展示品をアップで撮ってはダメ(展示室全体なら良い)、画像データの二次利用禁止(ブログやツイッターへの掲載はダメ)とのこと。

 
 特別展 「石展 -かながわの歴史を彩った石の文化-」が開催中だったが、こちらは観覧せず。

 

 総合テーマ展示(常設展)は、古代・中世・近世・近代・現代と民俗の5つのテーマにより構成され、3階から2階常設展示室へと時代順に展示されていた。

 

<テーマ1> さがみの古代に生きた人びと

 旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安の時代に区分して、県内で出土した石器、土器、陶器、金属器、鏡、埴輪、瓦など展示やパネルの解説。 

 

<テーマ2> 都市鎌倉と中世びと

 平安時代の中頃(10世紀~)には、武力をたくわえた在地の領主が武士化し、多くの武士団が発生した。

 中世のヒーローの一人は、西国の平氏を追討し、東北の奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝。1192年征夷大将軍に任命され、武家がはじめて政権を取った鎌倉幕府が誕生した。

 鎌倉時代の武士の様子が生き生きと描かれた「男衾(おぶすま)三郎絵巻」(絵詞、えことばともいう)の部分が展示されていて興味深い。展示品は、東京国立博物館蔵の模写品(江戸時代の作) で下の写真とは異なる。

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 上の写真は、ウィキペディア「男衾三郎絵詞」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ、「男衾三郎絵詞」、東京博物館蔵の部分で、笠懸練習風景、鎌倉時代の作)

 兄・吉見二郎と弟・男衾(おぶすま)三郎という対称的な武士兄弟と、その家族の絵巻物語である。

 伝(でん)源頼朝像は、京都・神護寺の所蔵で国宝。昔の教科書では頼朝とされていたが、1995年に像は足利直義の肖像画であるとする新説が論議を呼んでいる。展示品は複製。

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 上の写真は、ウィキペディア「源頼朝」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ)。
 

 伝(でん)源頼朝坐像。この頼朝の坐像は初めて見た。展示は複製。現品は、東京国立博物館の所蔵で重要文化財。 

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 この座像は鶴岡八幡宮に伝来したもので、江戸時代に源頼朝とされていた。頼朝の没後100年が経過している鎌倉時代の作で、本人に似ているかどうかは疑わしいという。写真は、 「国立東京博物館 e国宝」から引用。

 

 そしてもう一人のヒーローは、北条早雲。室町時代に政治の中心が京都に移ったため、関東には権力の空白が生まれた。そのような中で、早雲を始祖とする戦国大名の北条氏は、小田原を拠点として関東一円を支配した。やがて秀吉の小田原征伐により滅亡した。

 下の写真の北条早雲画像(小田原城天守閣所蔵)は、ウィキペディア「北条早雲」より引用(出典:ウィキメディア・コモンズ)。展示品は、部分複製で、原品は早雲寺蔵(室町時代)、重要文化財。

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<テーマ3> 近世の街道と庶民文化

 近世の県域には五街道のうちの東海道と甲州道が通り、宿場町が整備された。街道の要点には関所が設置され旅人を監視した。江戸時代の一般庶民の信仰と大山・江の島・鎌倉・箱根など名所めぐり、相武(相模と武蔵)の産物、江戸への消費を支える物資供給について展示。

 

<テーマ4> 横浜開港と近代化

 鎖国を守り続けた江戸幕府は、ペリーの黒船来航により日米和親条約を締結。それまで一寒村にすぎなかった横浜は、通商条約によって開港、生糸・茶の輸出、綿織物の輸入が盛んな貿易港となり、また西洋文明がいち早く流入して来る窓口となった。明治維新後、富国強兵・殖産興業政策が行われ、人々の暮らしも次第に変化していく。

 特集展示 「五姓田義松」(ごせだ よしまつ)が開催中で、2階常設展示室内に作品が展示されていた。義松は、明治期に活躍した横浜ゆかりの洋画家である。

 

<テーマ5> 現代の神奈川と伝統文化

 関東大震災と第二次世界大戦時の空襲という二つの大きな被害を乗り越え、農地が宅地化され、道路などの社会資本が整備。昭和30年代になると、高度経済成長期を迎え、急激な人口増加があり、農山漁村に都市化が進んだ。神奈川県の人口は、2006年(平成18年)大阪府を抜いて第2位となった。

 高度成長期には、公害や交通戦争など社会問題も起こり、暮らしの中で長く培われ伝えられてきた生活様式や生活用具が消滅していった。しかし、伝統芸能や民族工芸などの伝統文化は継承され続けている。

 

 歴史博物館から本町通りを500mほど歩くと、神奈川県庁(写真下)の斜め向かいに開港記念館がある。神奈川県庁本庁舎は、キングの塔と呼ばれる。

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●横浜開港記念館(14:25~15:00)

 横浜が開港してから50周年を記念して、1909年(明治42年)に計画された公会堂で、1917年(大正6年)完成。関東大震災で全焼したが、1927年(昭和2年)に再建された。国の重要文化財に指定。現在も横浜市中区公会堂として講堂や会議室が利用されている。

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 ボランティアガイドに案内で、30分ほど館内を巡る。

 キングの塔(神奈川県庁本庁舎)、クイーンの塔(横浜税関)とこの開港記念館の時計塔はジャックの塔と呼ばれ、横浜港のシンボル「横浜三塔」として、長年市民に親しまれている。

 2階に上がる踊り場にある「バラ窓」と呼ばれる珍しいデザインの窓。

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 2階ホール入口にある咸臨丸の絵。

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 2階大広間のアーチ奥には、ステンドグラスがはめ込まれている。関東大震災後の復旧時に製作された。開港当時の横浜は交通の便が悪く、渡し船に乗る人々を描いた「呉越同舟」(左)、「箱根越え」(右)は西洋人が籠に乗って箱根越えをしている様子、中央には「鳳凰」が描かれている。

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 中庭に面した階段踊り場の窓は、バラ窓でなくステンドグラス。

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 ペリーが再来した際の外輪船「ポーハタン号」を描いたもの。

 ガイドの話題の一つ。福井藩(藩主は松平春嶽)の下級藩士・岡倉勘右衛門は、藩命により武士の身分を捨て、藩が財政立て直しに横浜に開いた生糸を扱う商館「石川屋」(現・横浜開港記念会館)の貿易商(支配人)となった。日本美術院を創設した岡倉天心は、その勘右衛門の子で、この地で生まれたという。

 
 開港記念館から200m先、横浜情報文化センターに隣接してチョコレート色の建物の中に「横浜都市発展記念館」と「横浜ユーラシア文化館」がある。

 

●横浜都市発展記念館(15:10~15:35)

 2000年(平成12年)年に「旧横浜市外電話局」として横浜市の歴史的建造物に認定された建物は、改修して利用されている。

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 その建物の4階が横浜都市発展記念館、2階に横浜ユーラシア文化館がある。

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 横浜都市発展記念館は、横浜市の発展と拡大のあゆみを、「都市形成」「市民のくらし」「ヨコハマ文化」の三つの側面に焦点を当て、関東大震災以降、昭和の戦前期を中心に歴史資料を展示。2003年3月に開館。撮影は禁止。

 横浜ユーラシア文化館は、考古学者・江上波夫が横浜市に寄贈した考古学・歴史学・民族学・美術関係の資料をもとに、2003年3月に開館。シルクロードが結ぶ広大なユーラシア世界の美術品・考古・民族資料を収蔵、展示。時間都合で、文化館の観覧はスキップ。

 横浜都市発展記念館を出て、横浜スタジアムのそばを通り横浜中華街の北側「玄武門」をくぐって歩くと、加賀町警察署の向かい側に「東光飯店本館」がある。横浜都市発展記念館から約600m。

 

●東光飯店本館(15:50~18:10) 

 芸能人もよく訪れるという庶民的な台湾料理・中華料理の店「東光飯店本館」に行く。

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 ここで夕食後、解散。

 帰りのみなとみらい線日本大通り駅へは、中華街から戻って横浜都市発展記念館の地下にある。18:48発の副都心線経由の和光市行きに乗車。

 自宅21:45頃着。

 

 ★ ★ ★

 みなとみらい駅から中華街~日本大通り駅まで、横浜のミュージアム巡りと街並みウォーキングは地図の上の距離にして約4Km弱程度。しかし歩数計で12,500歩、歩数距離は7Km余りであった。

 喧噪の市街地歩きと立ちっぱなしの見学で、郊外や山道を20Km以上歩いた感じで、帰りの電車の中では疲れと夕食時の紹興酒のせいか、ぐっすり寝てしまった。

 横浜の街並みを見ながらのウォーキング、初めてのミュージアムで横浜の歴史と文化を学び、有意義な1日だった。長崎、神戸、横浜の異国情緒のある街は、いつ行っても楽しい。

 

 関連ブログ記事 「横浜山手西洋館」 2013年7月21日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-e314.html

 関連ブログ記事 「横浜港の風景」  2011年11月13日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e314.html

2016年3月 1日 (火)

横浜ミュージアム巡り-その1

 2016年2月28日(日)、横浜市内のミュージアムを歩いて巡る。

 

 みなとみらい駅~横浜美術館~三菱みなとみらい技術館~商業施設MARKS IS~神奈川県立歴史博物館~横浜開港記念館~横浜都市発展記念館~東光飯店本館(中華街)~日本大通り駅。

 

 9:25、みなとみらい駅着。

 駅から三菱地所の商業施設「MARK IS」(マークイズ)を通り抜け、横浜美術館前で待ち合わせ。後方は、三菱重工横浜ビル。

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●横浜美術館

 現在美術館では、3つの展示会が開催中。

 New Artist Picks展:若手作家を紹介する展覧会。映像作家の「荒木悠展 複製神殿」。

 企画展「村上隆のスーパーフラット・コレクション」:アーティスト・村上隆の現代美術を中心とするコレクションを紹介。

 コレクション展:収蔵作品を公開展示。今年度第3期は、神話とヌード、抽象と構成~工業化と都市のイメージ、無名都市~現代の写真に見る匿名の風景、コムデギャルソンの家具の4つのパート構成で展示。

 

 時間の都合で、参加者8名のうち2名が「横浜美術館」を観覧、他は別れてすぐ裏の三菱ビルにある「三菱みなとみらい技術館」に行く。

 

●三菱みなとみらい技術館(10:10~11:30)

 三菱みなとみらい技術館は、「航空宇宙」「海洋」「交通・輸送」「くらしの発見」「環境・エネルギー」「技術探検」「乗物の歴史」の7つのテーマで、最先端技術を実機や模型などで展示。1994年6月、三菱重工業株式会社が設立した施設。

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 ロビーには、H-ⅡAロケットの10分の1の模型、聞いたりしゃべったりする黄色いロボット、最近初フライトに成功した国産の小型旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)の模型が陳列。展示室内の撮影可。

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 「航空宇宙ゾーン」の展示室内に入ると、いきなりMRJの機首部分と左翼のエンジンの実物大模型。2月28日にリニューアルオープンしたばかり。近くで見ると、いつも乗っているボーイング7シリーズに比べ、70~90席の小型旅客機とあってこじんまりしている。 

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 MRJの機内に入ることが出来、座席に座る。中央通路に座席が2列ずつ。ちょうど大型バスのような空間だが、ガイドの話では新幹線くらいだと言う。座席が意外と薄っぺらい感じで、座席前後の余裕をもたせているそうだ。こういった軽量化で燃費が良いのが特徴らしいが、安全性は大丈夫なんだろう。

 操縦席には、操縦シミュレータがあって子供たちが長い行列を作って混雑、近くに行って覗き見ることが出来なかった。 

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 このほか、H-ⅡAとH-ⅡBのほか、開発中のH3ロケットの20分の1模型。それらに搭載するLE-7Aエンジンなどの実物も展示。

 
 「海洋ゾーン」では、資源やエネルギー開発など、最新の技術や調査・研究を紹介。実物大の有人潜水調査船「しんかい6500」が分解展示。マニピュレータやカメラなどを備えた外側や内部の耐圧殻に守られたコックピットも再現されている。

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 「環境・エネルギーゾーン」では、「エネルギーの多様性を探ろう」をテーマに、様々な発電方法の特徴や最新技術について、映像や実物、模型展示で紹介。原子力、火力、風力、地熱、水力、太陽利用の各発電システムと、発電した電力を蓄えるリチウムイオン二次電池の7つのコーナーから構成。

 原子力コーナーでは、加圧水型(PWR)の原子炉模型、発電の仕組み、燃料棒や安全対策などについて、映像や模型で解説。2013年1月に展示がリニューアルされているが、やはり控えめである。

 加圧水型原子炉の1/30模型。

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 火力コーナーでは、ガスタービン・コンバインドサイクル(GTCC)、燃料電池とGTCCを組み合わせることで高い発電効率が得られるトリプルコンバインドサイクルなどの発電設備を紹介。

 風力コーナーでは、洋上風車のブレード(羽根)の一部を展示。洋上風車のメカニズムを模型などの展示。

 

 「乗物の歴史ゾーン」では、日本の産業発展に大きな役割を果たし、それぞれの時代の最高技術から生み出された船舶・航空機・鉄道車両の模型を展示。

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 以下、零式艦上戦闘機、YS-11、南米航路のあるぜんちな丸、戦艦武蔵、潜水艦伊19号、豪華客船プリンセスダイヤモンド。 

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 11:40、近くの商業施設「MARK IS」の4階「みんなのフードコート」で昼食。麺類を注文。

 12:10、次の目的地「神奈川県立歴史博物館」へ向かう。

 

 ★ ★ ★

 三菱重工は、三菱みなとみらい技術館(横浜)のほかに、M's Square(品川)、長崎造船所史料館、下関造船所史料館、名古屋航空宇宙システム製作所史料室などを公開。

 企業が所有するミュージアムには美術館が多いが、博物館、資料館などの展示施設の中では、東芝未来科学館(旧東芝科学館、川崎市)、鉄道博物館(さいたま市、JR東日本)、トヨタ博物館(愛知県長久手市)、リニア・鉄道館(名古屋市、JR東海)、印刷博物館(東京都、凸版印刷) などが良く知られている。

 三菱みなとみらい技術館は、ビルの1、2階の2フロアを使っていて、想像したよりも小さかった。トヨタ博物館のように、1日中見ても飽きない、見て回れきれないほどの規模ではない。しかし、子供たちは大喜びで、ちょうど良いかもしれない。MRJの操縦シミュレータには人気があって、子供が1時間以上並ぶのもかわいそうで、代わりに母親が並んでいた。

 子供も大人も楽しめるが、なかなか最先端技術を分かり易く展示、解説するのは大変だと思う。「スマートコミュニティ」など、大人が見てもよく理解できない展示もいくつかあった。

 

 この後は、本ブログ記事「横浜ミュージアム巡り-その2」に続く。

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