宇佐神宮
2016年1月25日(月)~27日(水)、大分県別府市、宇佐市を旅行。
26日(火)午前、全国に4万社余りある八幡神社の総本社「宇佐神宮」に行く。
気象庁は、1月23日~25日の日本列島全域の上空には今冬最強の寒気が流れ込むため、西日本を中心に大雪に警戒するよう呼びかけ。24日は、長崎市や鹿児島市など、九州各地の平野部でも積雪を観測。長崎市では観測史上で最高の17cmの積雪。沖縄でも1977年以来39年ぶり、史上2回目の降雪が観測された。
24日午前中、大分空港に向け羽田空港を出発予定だったが、大雪のため欠航となった。冬型の気圧配置は翌25日にかけても続き、西日本や北陸を中心に大荒れの予報で、強風や雪による交通の乱れが心配された。
25日午前中の東京は、寒気の中の晴天となった。羽田空港に着くと、長崎、福岡行き等が欠航しているが、大分行きは大丈夫。
雲一つない晴天の羽田空港。右端に遠く東京スカイツリー見える。10:50発大分行きソラシドエア機に搭乗。
12:35、大分空港に無事到着。今朝まで空港に降っていたとはずの雪が残っているかと思いきや、融けてしまったのか見当たらない。大分空港の空は雲が多いが、時々陽が射す。
空港レストラン「なゝ瀬」で大分名物のだんご汁の昼食あと、空港連絡バスで別府市内へ移動。途中の山間部でわずかに雪が舞うが、所要時間およそ50分で別府駅前に到着。
夕方は、別府駅周辺の居酒屋「とよ常」で、名物のとり天。
佐賀の関で水揚げされた豊後水道のブランド魚「関サバ」は、高くてちょっと手が出ない。別府駅周辺のホテル「アーサー」泊。
翌26日(火)朝、別府駅東口前におもしろいブロンズ像が建っているのに気がつく。台座には、「子どもたちをあいした ピカピカのおじさん The men called "Shiny Uncle" who loved children.」の文字が刻まれ、銘板には「油屋熊八の像」とある。
横から見ると、スーパーマンのように今にも飛び出しそう。マントにはぶら下がっている猿のような動物は何だろうか。
この像は、別府の観光開発に尽力し、温泉地由布院の礎を築いた油屋熊八翁の偉業をたたえ、今から10年前の2007年に建てられたそうだ。
別府駅10:20発の博多行きJR特急ソニック22号、30分で宇佐駅に着く。
駅からタクシー約10分ほどの「宇佐神宮」へ。
11:10、タクシーを降りると、参道の右手には土産物屋や茶屋が軒を連ねる仲見世商店街。平日で、昨日まで雪だったせいか、観光客は少ない。
商店街を過ぎると、大きな狛犬と朱塗りの大きな鳥居がある。
鳥居を抜けると、戦前の俳人・種田山頭火(たねだ・さんとうか)の句碑があった。山頭火は、1929年(昭和4年)と1938年(昭和13年)に宇佐神宮に参詣、その際に詠んだ俳句が2首刻まれている。
「松から朝日が赤い大鳥居」 「春霜にあとつけて詣でる」
なるほど「自律俳句」を唱えた氏の句は、五七五の定型をはみ出している。
参道は右に折れ、市内を流れる寄藻(よりも)川に架かる神橋を渡る。ここから先が宇佐神宮の境内、つまり神域となる。橋の上には、薄く雪が残り、注意して渡る。
これが、「大鳥居」(おおとりい)。そういえば、この鳥居の中央にあるはずの神社名を記した額束(がくづか)が無い。参道も広いが、境内の広さに驚く。
大鳥居のすぐ先の右手に「宝物館」があったが、残念ながら火曜休館。国指定、県指定の文化財等、数百点の宝物を収蔵・展示公開しているという。
写真では見えないが、宝物殿の手前に「初沢池」がある。奈良の「猿沢池」、京都の「大沢池」と共に日本三沢の一つだそうだ。
八幡大神がお現れになったという霊池「菱形池」と能楽殿。
右手は神社庁。左手にやっと手水舎(てみずや)が見えてくる。
「勅使祭」(後述)や「大祓式」(おおはらえしき)などで、お祓いの儀式を行う「祓所(はらいじょ)」。白いものは、融けずに残っている雪。参道はここから左に折れる。
森に囲まれた石段を本殿の「上宮」(じょうぐう)に向かって進む。イチイガシと楠(クス)を主体とした自然のままの常緑広葉樹林で、国の天然記念物に指定されている。
石段を上り切ったところの木造の鳥居は、県指定の有形文化財。その先にが「西大門」(さいだいもん)が見える。この鳥居は宇佐古来の形式をもつ鳥居として「宇佐鳥居」と称し、額束がなく黒い台輪を柱上に置いていて、「大鳥居」をはじめ宇佐の鳥居の規格となるものだそうだ。
「西大門」は、文禄時代(1592年~)に改築されたといわれ、桃山風の華麗な構造、内部は極彩色。県指定文化財。
「西大門」を抜けて、本殿に向かう。中央の説明板の左に、立札が3本立っている。
その立札3本は、右から以下のような行事と内容である。
平成27年5月28日 「本殿遷座祭」
上宮の修理工事のため下宮にお移ししていた御祭神が、上宮へお戻りになった際に天皇陛下の勅使がお見えになった。
平成27年10月3日 「大分県行幸啓」
天皇皇后両陛下が、大分県を御幸された。
平成27年10月6日 「臨時奉幣祭」
昨年秋、10年に一度の「臨時奉幣祭」(「勅使祭」ともいう)は、古式に則り斎行された。天皇陛下の勅使が御参向され、陛下よりの神前へのお供え物である幣帛(へいはく)を奉る重要な儀式。祭典前夜には、市民による提灯行列もあったそうだ。
摂社の一つ「八子(やこ)神社」と、右の「上宮」回廊の隙間を抜けて立つ楠木の幹の形が面白い。
左に上宮(じょうぐう)と呼ばれる本殿を囲む「南中楼門」(みなみちゅうろうもん)、正面は「大楠」(おおくす)。「南中楼門」は、県指定文化財。
この「南中楼門」の中に、左から一之御殿、二之御殿、三之御殿の3棟の本殿がある。それぞれの御殿名を書いた立て札と石段の上にさい銭箱があって、3か所をお参りする。
参拝は一般の神社の「二礼二拍手一礼」と異なり、「二礼四拍手一礼」で行うように、わざわざ立て札に書いてある。出雲大社とおなじ作法。
祭神は、以下の3柱である。
一之御殿:八幡大神 (はちまんおおかみ) - 第15代天皇・応神天皇のこと。
二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ) - 宗像三女神とされている。
三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう) - 応神天皇の母。
「上宮」の本殿は、「八幡造(はちまんづくり)」とよばれる建築様式で、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続したM字の形をしている。桧皮葺(ひはだぶき)で白壁朱漆塗柱の華麗な建物が、横一列に並んでいるそうだ。
奥殿を「内院」、前殿を「外院」といい、神様が昼は前殿、夜は奥殿に移動することが八幡造の特徴だそうだ。本殿は、1952年(昭和27年)国宝に指定された。楼門の外から、中の本殿の写真は撮れない。
下の本殿の写真は、宇佐市観光協会HPより転載。
「三之御殿」前にそびえる御神木の「大楠」は、推定樹齢800年。
何かと思ったら、ひょうたんの絵馬。祭神の神功皇后は、我が母乳をひょうたんの中に入れ、我が子の応神天皇に与えられたと伝えられている。ひょうたんの中に、願い事を書いた紙を入れて奉納するらしい。
「上宮」から帰り道は、順路に従い「若宮神社」、「下宮(げぐう)」へ下る。
「若宮神社」は、応神天皇の若宮(皇子)の大鷦鷯命(仁徳天皇)たちを祀ってある。除災難・厄難の神様。国指定の重要文化財。
「下宮(げぐう)」には、「上宮」と同じ御祭神を祀る。「下宮参らにゃ片参り」と云われるように、下宮にも二礼四拍一礼でお参りした。
西参道にある屋根付きの神橋「呉橋(くれはし)」。昔、呉の国の人が架けたともいわれ、鎌倉時代以前からある。10年に一度の「勅使祭」の時だけ扉が開かれる。県指定文化財。
帰りの参道沿いに、神社に不釣り合いな古い蒸気機関車が展示してある。近寄ってみると、「宇佐参宮線26号蒸気機関車」の説明板がある。
機関車は、1981年(明治24年)のドイツ製。1984年(明治27年)に九州鉄道(国鉄の前身)が購入し活躍していたが、1965年(昭和27年)大分交通(株)に譲渡されて「宇佐参宮線」の主役となり、1965年(昭和40年)に廃止された。以前は、宇佐神宮と豊後高田が鉄道で繋がっていたそうだ。県指定有形文化財。
仲見世通りでは、宇佐飴、甘酒などが名物らしい。もう午後1時近くになった。寒いので「神宮茶屋」のノンアルコールの甘酒200円。
「葱屋本舗(ねぎ屋さんのねぎ焼き)」に入り、「ねぎ焼き」(ミックス700円、豚550円)の軽い昼食。地元の甘くて食感の良い小ネギをたっぷり使ったお好み焼き、大分のB級グルメ。
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別府駅前の「油屋熊八の像」は、両手を上げた熊八が着ているマントに、小鬼が2匹取りついている。
熊八は、1863年(文久3年)生まれ、愛媛県宇和島出身。若い時に3年間北米を旅行したあと、別府に居住。亀の井ホテルの創業やバス会社を経営、日本で始めて女性のバスガイドを誕生させた人として有名で、「別府観光の父」として別府市民から慕われているそうだ。
クリスチャンで酒を飲まず、子供たちが大好きで、子供のための「オトギ倶楽部」を結成。童話、歌や演奏を聞かせたり、イベントを開いたりした。はげ頭から「ピカピカのおじさん」と自称して親しまれた。
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを考え、このフレーズを刻んだ標柱を富士山山頂付近に担ぎ上げたほか、全国各地に建ててPRした。当時はだれも思いつかないような奇抜なアイデアを、次々に実行したという。1935年(昭和10年)に亡くなった。
像は、天国から舞い降りて来た熊八が「やあ!」と呼びかけている陽気なおじさんのイメージだそうで、小鬼は子供を意味するのだろうか。駅前に、こんなユニークな銅像は見たことが無い。
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「宇佐神宮」は、大分県の国東半島付け根にそびえる聖地・御許山(おもとさん、標高647m)の北側山麓に鎮座する。
全国に約4万社余りある八幡宮の元祖である。あの有名な京都の「石清水八幡宮」、福岡の「筥崎(はこざき)宮」、または鎌倉の「鶴岡八幡宮」とともに、日本三大八幡宮の一つである。
主祭神である八幡大神は応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地に お現れになったといわれている。725年(神亀2年)、八幡大神を祀るため、現在の地に御殿が創建された。その後。731(天平3年)二之御殿、823年(弘仁14年)三之御殿が建立されたという。
本殿は、小椋山(亀山)という小高い丘陵の山頂に鎮座する「上宮」と、その山麓に鎮座する「下宮」とからなり、その周りにいくつもの社殿が散在する。広大な境内は国の史跡に指定、本殿は八幡造りという古来の様式を今に伝える国宝、ほかに国指定の重要文化財の工芸品も所蔵されている。
こんなに規模の大きい神社とは知らず、とにかく本殿までの道のりは遠かった。ぶらぶらしながら歩き、道すがら見どころもあって、本殿までゆうに30分以上はかかった。
「宇佐神宮」は、神仏習合発祥の地としても知られ、いち早く外来の仏教を取り入れた。神宮寺の「弥勒寺」と一体のものとして、明治の神仏分離までは、正式には「宇佐八幡宮弥勒寺」と称していたらしい。現在でも通称「宇佐八幡」とも呼ばれる。境内にあった「弥勒寺」は、廃仏毀釈によって廃寺となっていて、林の中に礎石がひっそりと残されているそうだ。
一之御殿の「八幡大神」は、第15代応神天皇の事。実在の最古の天皇で、大陸からの進んだ文化や産業を積極的に導入し、新しい国づくりをした天皇。その徳が後に神格化されて、「八幡大神」として崇められるようになったという。
「八幡大神」は万能な神様とされたが、特に源氏から武運の神様として信仰されたのは有名。「八幡大菩薩」というのは、以前はよく意味が分からなかったが、神仏習合によるものだということを知る。仏教の菩薩は仏ではないが、人々を教え導く修行僧のことである。「八幡様(応神天皇)は菩薩様である」ということになる。
また、三之御殿の神功皇后は、応神天皇の母。母神として安産、教育等のお守りとされている。
ただし主祭神の「八幡大神」でなく、二之御殿の「比売大神(ひめのおおかみ)」がなぜ中央に鎮座しているのは、よく分からない。
比売大神は、天照大神(あまてらすおおのかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)との誓いで誕生した三人娘の「宗像三女神」、すなわち多岐津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)と多紀理姫命(たぎりひめのみこと)の三神(三柱)とされる。後世の応神天皇よりも古い神で、上位だというのだろうか。なお比売大神は、実在したと思われる卑弥呼だという説もあるというのは面白い。
この大分県別府市、宇佐市の旅行ブログは、次の「大分県立歴史博物館」に続く。
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