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2016年2月 4日 (木)

別府地獄めぐり

 2016年1月25日(月)~27日(水)、大分県別府市、宇佐市を旅行。

 本ブログの記事「大分県立歴史博物館」の続き。

 27日(水)午前、別府を代表する観光スポット「地獄めぐり」に行く。

 

 別府温泉には、含有物によって青、赤、白などの様々な泉色の熱湯や熱泥、そして噴気や間欠泉など、特色のある源泉が多く点在する。

 この不思議な自然湧出の源泉で、別府地獄組合に加入しているのは鉄輪(かんなわ)温泉の「海地獄」、「鬼石坊主地獄」、「山地獄」、「かまど地獄」、「鬼山地獄」、「白池地獄」、やや離れて柴石(しばせき)温泉にある「血の池地獄」、「龍巻地獄」の8つ。「別府地獄めぐり」は、この8つの地獄を回るのが定番コース。

 この中から「海地獄」、「白池地獄」、「血の池地獄」、「龍巻地獄」の4つが、国指定名勝として2009年に選ばれた。

 

 別府駅西口前からタクシーで、 地獄めぐりの最初のスポット、鉄輪(かんなわ)温泉の「海地獄」に10:30着く。

 窓口で8地獄の共通観覧券(2,100円)を購入するが、事前に別府駅構内の観光案内所でもらった割引券を提出すると、10%引きで1,890円。

 

●海地獄(国名勝指定)

 園内に入ると硫黄の匂いがして睡蓮(スイレン)の大きな池がある。この先に猛烈な噴煙が昇っているところが「海地獄」。

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 海地獄は、今から約1,200年前に鶴見岳の爆発で誕生した。別府の地獄の中で最も大きい池。

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 98度もある熱湯の池で、海をイメージする硫酸鉄のコバルトブルーがとても美しい。しかし、もうもうとした噴気でよく見えない。

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 園内の別の池では、温泉熱を利用してアマゾン原産のオオオニバスや熱帯性スイレンを栽培している。

 

●鬼石坊主地獄

 ボコボコと噴き上げる灰色の熱泥の沸騰する様子が、「坊主の頭」に見えるというので、この名で呼ばれるようになった。まさに見ていて地獄そのもの。

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 鬼石坊主地獄の歴史は古く、733年(天平5)に編まれた「豊後風土記」にも登場している。明治時代には「新坊主地獄」として観光名所となったが、1950年代後半に一旦閉鎖された。2002年(平成14年)に、約40年ぶりに「鬼石坊主地獄」として復活したそうだ。

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●山地獄

 岩山の山裾付近のいたるところから、ゴボゴボと水蒸気が吹き上げている。

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 ここでは、温泉熱を利用やミニ動物園があり、カバ、ウサギ、カピパラ、サル、クジャク、ミニチュアホース、フラミンゴなど数種が飼育されている。

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 いくら温泉熱といっても、この寒空で動物たちはじっとして動かない。

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●かまど地獄

 その昔、氏神である「竈門(かまど)八幡宮」の大祭に、地獄の噴気で神前に供える御飯を炊いていた事が、名前の由来そうだ。かまど地獄は、一丁目~六丁目までさまざまな湯の池がある。また、足湯や飲湯、美肌効果のある「肌の湯」(顔に噴気を当てる)が楽しめる。

 かまど地獄二丁目。釜と赤鬼は、かまど地獄のシンボル。

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 かまど地獄三丁目は、乳白色の幻想的な池。

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 かまど地獄四丁目は、熱泥の坊主地獄。一丁目は見過ごしたが、こんな感じでもっと赤い。

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 かまど地獄五丁目の池は、気温によって湯の色がグリーンやブルーに変化する。

 韓国からの観光客が多く来ていた。韓国人ガイドが大声で、池の水面にたばこの煙を吹きかけると、噴煙を上げるという実験をやっていた。

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 かまど地獄六丁目は、真っ赤な熱泥地獄の池。

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●鬼山地獄

 緑白色の熱水をたたえた池を中心に、温泉熱を利用し世界各国のワニが飼育されていて、別名「ワニ地獄」とも呼ばれている。

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  1923年(大正12年)に日本で初めて温泉熱を利用して、ワニ飼育を開始した。現在、クロコダイル、アリゲーターなど世界のワニ 約100頭を飼育。貴重なワニの剥製も展示。

 ここで誕生した赤ちゃんワニ(イリエワニ)も 、現在水槽の中で成長している。

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 間近で見るとワニ柄がきれい。

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●白池地獄(国名勝指定)

 白池地獄は含ホウ酸食塩泉で、噴出時は無色透明の熱湯が、池に落ちると温度と圧力の低下で、青みを帯びた白色に変色する。

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 池は、落ち着いた和風庭園の中にある。またここには、温泉熱を利用した熱帯魚館があり、アマゾンに生息するピラニア等、さまざまなめずらしい熱帯魚を観察することができる。

 

 ここで、12:00になった。食事処を探す。

 

●海山の蔵(さちのくら)

 12:10、近くの温泉宿「もと湯の宿 黒田や」1階にある併設レストラン「海山(さち)の蔵」に入る。畳の掘りごたつ席に座る。高級感があって、静かで落ち着いた雰囲気。

 鉄輪温泉の名物「地獄蒸しランチ」1,620円を注文。デザート、コーヒー付き。入口にたくさんの蒸し釜があって、温泉の蒸気熱を利用して、野菜、豚肉や魚を蒸したヘルシーなランチ。温泉熱のせいか柔らかくて、野菜も甘くておいしい。

 写真は、もと湯の宿「黒田や」のホームページから転載。

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 この店でゆっくりし過ぎた。

 次の、「血の池地獄」・・・酸化鉄の朱色の地獄、国指定名勝

     「龍巻地獄」・・・30~40分間隔の間欠泉で知られる地獄、国指定名勝

 は、車で10分ほどの柴石温泉へ移動しなくてはならない。

 

 時間が中途半端なので、残り2つの地獄はスキップして、別府駅へ戻ることに。

 

 15:05、別府北浜バス停から、空港連絡バスで大分空港へ。

 17:30、定刻を15分遅れで、羽田空港行きは出発した。

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 ★ ★ ★

  別府市は、西側の鶴見岳(標高1,375m)等の火山帯から、東側の別府湾へと広がるの扇状地に位置する。多数の温泉が湧き出ていて、源泉数・湧出量ともに日本一を誇る温泉都市。

 別府温泉は、狭義には別府駅周辺の温泉を指すが、広義には別府市内に泉質や雰囲気を異にした数百ある温泉の総称。それらは歴史の異なる8箇所の温泉郷、別府・浜脇・観海寺・堀田・明礬(みょうばん)・鉄輪(かんなわ)・柴石(しばせき)・亀川を中心に分布しており、これらを「別府八湯」(べっぷはっとう)と呼ぶそうだ。

 別府の歴史を知る資料は少ないが、昔の別府温泉・地獄はどうだったのだろうか。
 

 【別府の古代・中世】

 8世紀の前半に編纂された『豊後国風土記』に、別府地獄について記述があるそうだ。鉄輪・亀川の辺りは、近寄ることができない、忌み嫌われた土地であったと記され、赤湯の泉(血の池地獄)や間欠泉などに関する詳しい記事もある。人々から、これらを「地獄」と呼ばれるようになった。

 大昔の人々は荒涼たる地に地獄の世界を目の当たりに見て、おののいたに違いない。この風土記には、温泉の湯の利用に関する記述はまったく見られないという。この当時は、100度もある高温の湯が噴出する鉄輪の一帯は、人々の保養に使われる温泉とは全く意識されていなかったようである。

 四国・道後温泉では、神様が温泉治療を行ったという伝説があり、8世紀の時代の人々は、病を癒やす薬として湯を利用した。古代から、道後の湯を始め、天皇も通ういくつかの温泉が知られていたが、別府が湯治場、療養の地として認められるようになったのは、中世以降のこととされる。
 

 【別府の近世】

 別府が、積極的な湯治場として活用されるようになるのは、近世以降のこと。最初は里人が入湯したり、日常生活での蒸し物に利用したりする程度で、他の地域から湯治客がやってくることは少なかった。

 湯治のため多くの人々がやってくるようになるのは、江戸時代末期の文化・文政時代(1804~1830)からで、その頃から屋内に湯屋を持つ旅籠や木賃宿もでき、次第に温泉場としての形を成すようになったようだ。

 日本の風呂は、中世以前の蒸し湯の時代から、江戸時代に湯船のある風呂へと変化したそうだ。江戸時代の鉄輪温泉の蒸し湯は、世に知られた存在だったらしい。蒸し湯は、石室の中に温泉の熱気を入れ、身体を温め悪い箇所を治癒するものである。このような蒸し風呂による治療の伝統は、かつて石風呂などが全国各地にあったそうだが、温泉の熱気を利用したものは極めてめずらしいらしい。

 そして、蒸し湯や地獄蒸し料理への利用、明礬(みょうばん)や湯の花を生産など、蒸気の利用が次第に積極的に行われてきた。そして、地獄を観覧するために巡る小旅行も、この頃から始まっただろう。きっと当時の旅人や湯治客が、恐る恐る、興味深く地獄を見て回ったのは容易に想像できる。
 

 【別府の近代・現代】

 明治以降、別府港の築港、鉄道や道路の整備により交通網が発達して観光客が増加、別府温泉は全国的に知られるようになり、別府は一大観光都市へと発展していく。近世の旅籠や木賃宿に起源を持つ宿泊業は、現在も継続している。また、住民が組合を作って管理・運営する温泉共同浴場も利用されている。

 明治後半になるまで、湯治客が見物していく程度の地獄は、すべて無料で開放されていた。しかし1911年(明治44)年、「海地獄」が見物客に入場料を取り始めたことをきっかけに、そのほかの地獄も入場料を取りはじめた。

 高温の熱水が噴出する地獄は、作物の栽培も、住居を建てることもできず、地主からすれば不良資産でもあった。それが見物客から入場料を徴収することで、収入を得ることのできる観光資源に変わったのである。それぞれの地獄の地主たちは、見物客のために柵を整備したり売店を設置したりと、見物客を集めるため色々な工夫を行った。これが、本格的な「地獄めぐり」のはじまりだった。

 当時の交通手段は、徒歩、人力車、馬車などが主力であった。1917年(大正6年)頃、地獄遊覧にタクシーが運行を始め、地獄めぐりに訪れる観光客が多くなる。1920年(大正9年)には、乗客6人程度の乗合バスができた。

 1928年(昭和3年)、油屋熊八が設立した亀の井自動車(現在の亀の井バス)は、地獄めぐりバスを運行する際に、初めて女性バスガイドによる案内を始めた。この観光案内は大好評を博し、地獄めぐりの人気は決定的なものとなった。現在も、国内で最長の歴史を持つ定期観光バスとして、亀の井バスにより運行されている。

 地獄は柵で囲まれ、周りに見学路が作られ、温泉熱を利用した動植物の飼育・栽培やお土産屋など、観光地として整備され充実していった。別府には現在、別府地獄組合に加盟していない地獄もたくさんあり、また消滅した地獄なども多いという。
 

 【別府の湯けむり景観】

 2012年(平成24年)に「別府の湯けむり・温泉地景観」が、文化庁の重要文化的景観に選定された。別府市のホームページによると、別府のこの重要文化的景観は、扇状地の随所から立ち上る湯けむりの下で営まれる、温泉資源の多面的な利用の在り方を示す文化的景観として極めて価値の高いものだとしている。

 別府市が、豊富な温泉資源を活用した生活・生業の在り方を示す文化的景観を、後世のために保護しながら、魅力ある地域つくりを進めているのは、素晴らしい。

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別府温泉は、歴史の異なる8カ所の温泉郷(別府八湯)から成り、古いものは8世紀初頭に遡ることができる。源泉数、湧出量とも日本一を誇る。石畳の坂道に囲まれた鉄輪温泉は別府地獄めぐりの中心で、国の重要文化的景観に選ばれている。別府駅前には、別府観光開発に尽力した油屋熊八が奇抜なポーズをとる「ピカピカのおじさん」のブロンズ像がある。... [続きを読む]

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