映画「母と暮らせば」
2016年1月4日(月)、映画『母と暮らせば』を観る。
正月の仕事始めの日で、少しは空いてるかと思ったが、学校も会社もまだ休みのところが多く、映画館はけっこう混んでいた。
監督は、山田洋次。出演は、山田監督作品 『母べえ』や『おとうと』の吉永小百合、クリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』の二宮和也、やはり山田監督作の『小さなおうち』の黒木華(はな)など。いずれもお気に入りの監督、女優、俳優。
吉永小百合は、70歳とはとても見えない若々しさ。昔よりもますます色気さえ感じる。女優とはいえ、こんな歳の重ね方の女性にはあこがれる。
二宮和也は、アイドルグループ「嵐」のメンバーだが、舞台、TVドラマ、映画と活躍、アイドルのイメージとは違った味のある演技をする。ハリウッド作品の『硫黄島からの手紙』では、アメリカで高い評価を受けた。ハリウッドデビューは、日本のアイドルでは初めてだという。この映画は、アカデミー賞にノミネートされ、うち音響編集賞を授賞した。
黒木華は、2014年に『小さいおうち』でベルリン国際映画祭の最優秀女優賞を受賞。日本では左幸子、田中絹代、寺島しのぶに次いで4人目の受賞女優となった。昭和の匂いのする、割ぽう着の似合う、セーラー服の似合う可憐な女優。
故・井上ひさしの舞台作品
『父と暮せば』は、原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居で、映画化もされた。
父・竹造は原爆で死亡したが、幻となって美津江の前に現れる。
美津江は明るく快活な娘だが、心の底に原爆で生き残ったことに罪悪感を持っている。竹造は、美津江の日々話し相手となり、ときに諭したり、助言を与えたりして二人で暮らす。
その井上ひさしが『父と暮せば』と対比させた長崎を舞台にした作品を作りたいという遺志を、山田監督が受け継いだ。戦後70年の2015年、12月12日に公開。
1948年8月9日。長崎港の見える丘の上の墓地に、伸子(吉永小百合)と町子(黒木華)が墓参りに来て、十字架の墓石に水をかけるシーンから始まる。
助産婦をして一人暮らしをする伸子の前に、3年前に原爆で亡くなったはずの医学生だった息子・浩二が亡霊となってひょっこり現れる。「母さんはあきらめが悪いから、なかなか出てこられんかったとさ」と笑う。
その日から、浩二は時々伸子の前に現れ、二人は楽しかった思い出などいろんな話をする。だが浩二の一番の関心事は、恋人の町子のことだった。突然婚約者を失ってしまった町子は、この3年間ずっと気持ちの晴れない伸子を気にかけ、世話をしてくれる優しい娘だった。いい人を見つけて、幸せになって欲しい願いながら、寂しい気持ち、あきらめきれない気持ちは母も息子も同じだ。
町子は、一生結婚しないで浩二を心に抱いて生きていくと、伸子に泣いて訴える。
母も息子が、時々一緒に暮らす奇妙な時間は、二人にとって楽しく幸せなひと時だった。こんな状態が、いつまで続くのだろうか、どうやってこの映画は、エンディングを迎えるのだろうか、二人の幸せはきっと永遠に続くはずはない・・・。
そう思って観ていると、結末は思いもよらぬ方向に行く・・・。「やさしくて、かなしい、母と息子の物語」である。
8月9日、プルトニュウム爆弾を搭載したB29の操縦席のリアルなシーン。浩二が長崎医科大の階段教室で心臓についての講義を聴く場面で、午前11時2分投下された原爆がさく裂する瞬間の凄まじいばかりの光と音響。山田監督は、亡くなられた多くの人々のために、出来るだけ忠実に映画で再現しようとされた場面だ。そして昭和の時代の伸子の家の大道具・小道具も懐かしい。
『母べえ』や『小さなおうち』と同じように、戦争の悲惨さや悲劇を直接描くのではなく、亡くなった父や母、兄弟、子、恋人の家族の物語を映画を通して描くことで、戦争の愚かさを訴えようとしている監督に、敬意を表したい。
下のポスターは、家の形をした花々を背景に、伸子が浩二の腕を組み、肩を寄せ合う。
ちょうど天国に行くラストシーンが、こんな恋人同士のような感じのシーン。せっかく感動の結末を、綺麗に描き過ぎた演出で、非常に違和感があって残念だった。
★ ★ ★
「原爆が投下されたおかげで、戦争が終わった」、「原爆が投下されたおかげで、もっと多くに人々が死なずに済んだ」などのバカげたことを、いまだにアメリカではまかり通っている。戦争も非人道的だが、大量殺りく兵器はもっと非人道的である。そして、世界の核廃絶の道のりも遠い。
戦後ドイツは、ナチスのユダヤ人大虐殺の過ちを、ユダヤ人や周辺諸国に謝罪した。日本に対して謝罪を要求する、南京大虐殺の中国や従軍慰安婦問題の韓国に、なぜこれまで日本は徹底究明もせずに責任をあいまいにしてきたのだろうか。同じように、日本はなぜアメリカに対して、原爆の謝罪を要求しないのだろうか。
終戦後もはや70年が経つ。もう戦勝国、敗戦国と言う時代ではない。敗者の行為が間違っていて、勝者のの行為が正しいという論理はない。
勤労動員を腹痛で休んだため、工場で原爆の被災を免れた町子が、死んだ親友の母親から町子だけが仮病で生き残ったとなじられる。そんな町子を伸子が慰める。だが、町子が結婚することになって、「どうしてあの子だけが幸せになるの」とクリスチャンの伸子は死んだ浩二の亡霊に訴える。伸子もやっぱり、町子の親友の母親と同じような嫉妬をする普通の人間なんだということが、また悲しい。
映画のエンドロールの最後に、「井上ひさしさんに感謝をささげる」の字幕が流れる。
関連ブログ 映画「小さいおうち」 2014/02/20投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-d79b.html
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