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2015年12月の1件の投稿

2015年12月13日 (日)

比企西国札所巡り-その2

 2015年12月11日(金)、「比企西国三十三札所」のうち埼玉県東松山市と比企郡吉見町の4ヶ寺を巡るウォーキング。 

 

 札所巡りは、「四国八十八所」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」などが有名だが、「比企西国三十三所」というのは、ほとんど知られていない。

 埼玉県比企郡内の札所巡りは、遠隔地を巡礼できない人々のために江戸享保年間に開設された。江戸時代には地域ごとの札所巡りが、全国各地に数多く作られたそうだ。

 しかし、多くは明治維新後の廃仏毀釈によって廃寺となったり、本尊だけが他の寺院に保管されるなど、現在残っているお寺やお堂は少ない。

 

 昨年に引き続き、第2回「比企西国三十三札所巡り」が計画された。昨年は、33ヶ寺のうち滑川町、嵐山町の22番から28番の7ヶ寺、今年は東松山市と吉見町の4ヶ寺を巡る。当初計画の10月2日は、爆弾低気圧で大荒れとの予報で中止。12月11日(金)に再挑戦。

 またもやこの日はあいにく朝から雨。今度は雨天決行。集合時刻の9時15分ころは本降りとなるが、14名が東武東上線の森林公園駅北口に集まる。

 

●観蔵寺(現・城恩寺)・・・森林公園駅から1.4Km

 9時25分出発、森林公園駅から東の方角にある「城恩寺」(東松山市松山町)を目指す。雨の降りしきる中、レインウェアを着て傘を差した一行は、熊谷に向かうバイパスの架橋をくぐり、比企郡滑川町の住宅のまばらな田園の中を進み、東松山市役所方面に向かう県道47号線(深谷東松山線)に出ると、東松山市域に入る。

 9時50分、県道47号線沿いにある「城恩寺」に到着。

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 「城恩寺」は、近代的な建材を使ったしゃれた寺院。

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 もともと札所1番の「観蔵寺」は、東松山市日吉町の「松山神社」近くにあったそうだ。明治初期の廃仏毀釈により廃寺となり、ご本尊の馬頭観音(浄土宗)はここ「城恩寺」に引き継がれたという。

 天気は雨は昼頃までとの予報だったが、城恩寺を出る10時頃には雨は止む。

 

●浄福寺・・・城恩寺から2.4Km

 城恩寺から更に東に向かう。県道47号線の商店街を経て脇道に入り、県立松山高校の前を通る。

 大正12年創立当時の面影を残す松山高校の「松高記念館(教育資料館)」。

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 住宅街を抜け、上沼公園のそばを通り、市内松本町へ。10時半頃になると空は明るくなる。

 県道66号線(行田東松山線)を横断して県道27号線沿いに、2番札所「浄福寺」(東松山市松本町)がある。10時40分到着。

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 県道27号線は、吉見町を経て鴻巣市に向かう道路。かつては松山街道と呼ばれた。

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 本堂の右、鐘楼の奥に観音堂がある。本尊は聖観音(浄土真宗)。

 

●岩室観音堂・・・浄福寺から1.1Km

 次の3番札所「岩室観音堂」(吉見町北吉見)に向かう。

 浄福寺の裏の墓所を抜けて東松山市民松山活動センターの裏を通り、荒川支流の市野川に架かる市野川橋を渡ると比企郡吉見町に入る。

 国指定史跡の「吉見百穴」(よしみひゃくあな、写真下)のすぐそばの松山城址のふもとに「岩室観音」はある。

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 11時10分、「岩室観音堂」に到着。本尊は、聖観音(真言宗)。

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 この建物は、京都の清水寺のように切り立った崖の上に観音さまを祀るという懸崖造りの2階建て、江戸時代のものとしては珍しいそうだ。

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 弘仁年間(810~824年)、弘法大師(空海)が観音像を彫刻してこの岩窟に納め、「岩室山」と号したと伝えられる。松山城主が代々信仰し護持していたとされる。1590年(天正18年)、秀吉の関東出陣により松山城が落城、その時建物が全焼したとされる。

 江戸時代の寛文年間(1661~1673年)に、 「龍性院」(吉見町北吉見)の中興第三世・堯音法師が、近郷の信者の助力を得て造営したと伝えられている。

 「岩室観音堂」は、北東約500mにある真言宗「龍性院」の境外(飛び地の境内)にある仏堂である。

 建物の一階の二つの岩室(いわむろ)には、88体の観音石仏が安置されている。

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 四国八十八ヶ所の寺の本尊を模した石仏で、これらお参りすると四国八十八ヶ所巡りと同じ功徳があるとされるので、非常に楽だ。日付や名前を書いた白い紙が何枚も貼り付けてあり、石仏に対する信仰の深さが伺える。

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 堂の奥、写真左手の鎖を使って崖を上ると小さいトンネルがあり、「胎内くぐり」ができる。崖の上は、松山城址となる。

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 ここをくぐると、諸難を除き、安産その他の願い事を叶えるという。

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 配られた弁当で早めの昼食。岩室観音堂で45分ほどを過ごす。

 

●慈雲寺(現・等覚院) 岩室観音堂から3.2Km

 岩室観音堂を出ると、青空が広がる。ここから南東方向にある「等覚院」(東松山市古凍)へ向かって、市野川の堤防を行く頃には陽が射して、汗ばんでくる。

 市野川橋のたもとの堤防に、大きな「河川改修記念碑」が建つ。

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 石碑には、明治43年8月の大洪水の死者43人のほか家屋流失、田畑浸水など被害状況が記載。昭和7年12月に改修工事を着工、昭和11年10月に竣工した。荒川の合流地点から市野川橋までの約10Kmの改修されたとある。1937年(昭和12年)、市野川水害予防組合(1町12村で構成、現在の東松山市、吉見町、川島町)によって建てられた。

 国道407号の東側の住宅街や工場、田園風景を縫った小道を、川越方面に向かって歩く。やがて国道407号線と国道254号線が合流する柏崎交差点の付近で、大きな寺院の屋根が見えてくる。

 13時5分、「等覚院」に到着。

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 4番札所「慈雲寺」は、市野川に架かる慈雲寺橋近くにあったそうだが、昭和44年に近郊の「等覚院」(西岸山・等覚院・来迎寺)と併合して「慈雲山・等覚院・来迎寺」と称し、「慈雲寺」は廃寺になった。「慈雲寺」の本尊は、十一面観音(天台宗)。

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 境内に建つ阿弥陀如来座像の収蔵庫(お堂)。如来座像は、国の重要文化財。

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 この阿弥陀如来像はもともと阿弥陀堂に安置されてきたが、江戸、明治の度重なる火災で脇侍(きょうじ)の観音と至勢の二菩薩や堂宇を失い、現在は耐震耐火の収蔵庫に安置されている。

 ひのき材の寄せ木造り、高さ88cmの漆箔の座像で、平安末期から鎌倉時代初期の作とされる。県内でも屈指の文化財で、東松山市を代表する古仏の一つ。

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 朝からの雨を突いてのウォーキングだったが、歩き始めて30分ほどで止む。昼からは青空となり、師走とはいえ20℃を超す暖かい日となった。

 ここまでの歩程は、およそ8Km、約13,400歩、約4時間のウォーキング。

 近くのバス停から、路線バスや市内循環バスを利用して東松山駅まで帰る予定だった。 しかしバスの本数が少ないため、1時間以上も待ち時間がある。天気も良いので、全員が歩いて帰ることに。

 13:20、等覚院を出発。東松山駅方面までの道のり3.4Kmをテクテク歩きながら、途中で流れ解散。

 

 関連ブログ記事 「比企西国札所巡り-その1」 2014年12月18日投稿
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-e8ac.html

 

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