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2015年11月11日 (水)

長崎出島とグラバー園

 2015年10月20日(火)、長崎市の出島とグラバー園に行く。

 

 前日の19日、長崎県雲仙市の小浜温泉「雲仙荘」に20数名が集まり、年に1度の宿泊のイベントが18:00~開かれた。

 当日の20日、7:00~宿泊先の「雲仙荘」で朝食後、8:40マイクロバスに乗車し長崎市内へ観光ツアーに出発。

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 ガイドの案内で、出島オランダ商館跡、新地中華街、グラバー園を巡る。

 10:10、「出島」付近でマイクロバスを下車。中島川に架かる玉江橋から「出島」を望む。

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 出島西側メインゲートから入場。料金大人510円。

 西側の護岸石垣、荷卸し場の「水門」を見学。

 

 「一番船船頭部屋」の建物に入る。1階は、倉庫として使用された土間が復元。

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 2階に上がると、オランダ船の船長の宿泊所及び商館員の住まい。乗組員のほとんどは、停泊している船の中に宿泊したそうだ。

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 当時は、日本人の大工が建物を建てたが、内装は和洋折衷。

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 復元された建物の中の家具や調度品は、オランダから当時のアンティークを取り寄せたという。

 

 「カピタン部屋」の建物に入る。

 カピタンと呼ばれたオランダ商館長の事務所兼住居と、大名や役人など客をもてなす、出島を代表するメインの建物。

 17.5畳の部屋。商館の事務を執る部屋と思われる。

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 カピタン部屋の15畳の事務所。幕府に献上するオルゴール時計が置いてある。

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 カピタン部屋の35畳の大広間。商館員がそろって食事をした。

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 食卓には、「阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)」と呼んでクリスマスを祝ったとされるの宴会料理を再現したという。

 カピタン部屋にあった晩餐の様子のミニチュア。左端には出入りが許された遊女、奥には楽隊、東南アジア系の召使もいる。

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 「乙名(おとな)部屋」は、長崎の有力町人から奉行所が選出した出島乙名が、貿易事務を行う部屋。

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 建物は全部回りきれなかったが、出島の歴史や生活に関する展示がされていた。

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 出島の「表門」や「ミニ出島」などを見学、東側ゲートから退場する。

 

 出島から徒歩で、長崎新地・中華街へ向かう。

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 11:30、中華料理店「西湖(せいこ)」で、昼食にちゃんぽん。

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 近くの「築町」電停から石橋行きの路面電車に乗る。多くの観光客は、一つ手前の「大浦天主堂下」電停で降りて、グラバー園の第1ゲートから入園していた。

 2002年(平成14年)から、大浦の「石橋」電停から「グラバー園」を結んでいる「グラバースカイロード」が運行している。斜行エレベーターと垂直エレベーターを利用して、グラバー園の第2ゲートから入園できようになった。こちらのゲートからは、園内の斜面を下りながら見学することが出来る。

 

 12:50、グラバー園に入園。入園料610円。

 「旧三菱第2ドッグハウス」の前から長崎の中心街を望む。

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 長崎港と対岸の稲佐山方面。

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 明治日本の産業革命遺産(ユネスコ世界遺産)となった長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」(緑色の構造物)が見える。

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 日本に初めて設置された最新式電動クレーンで、英国製。1909年(明治42)年に長崎造船所で竣工、現在も使用されている。

 クレーンの左手には、同じく世界遺産となった「三菱長崎造船所 第三船渠(せんきょ、ドックのこと)」。

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 二つの建物の間の海面上に「№ 3 DOCK」の文字が見える。1905年(明治38年)に竣工した当時全長222m、建造能力3万トンの大型ドック。その後増強されて、現在も稼働中。

 

 「旧リンガー住宅」は、イングランド出身フレデリック・リンガー一家が明治から昭和にかけて住んでいた。国重要文化財。

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 この家は、わが国に例の少ない石造りの洋風住宅。リンガーは、1864年(元治元)頃長崎に来日。「グラバー商会」に勤めたが、 同商会にいたライル・ホームとともに、「ホーム・リンガー商会」を設立。外国貿易、 商社代理店、 製茶、 製粉など幅広い分野で活動した。

 ちなみに長崎ちゃんぽんの全国チェーン店「リンガーハット」は、このリンガー氏の名にあやかっているそうだ。なおハット(HUT)は、小さい家という意味。

 
 「旧オルト住宅」は、イングランド出身ウィリアム・オルトの旧宅。国重要文化財。

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 開国とともに長崎に来日、「オルト商会」を設立。長崎を代表する女傑・大浦慶と提携して、九州一円から茶を買い求め、世界に輸出した。オルト夫人のエリザベスは、17歳の時に結婚し来日した。下の写真は、食堂。

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 三浦環(たまき)が、蝶々夫人に扮した銅像。

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 三浦環は、プッチーニ作の「蝶々夫人」で国際的に活躍したオペラ歌手。モデルは、グラバーの妻ツルという説があるが、グラバー邸が「蝶々夫人」の舞台になる港を見下ろす丘に立つ家にマッチする。

 三浦環は、1922年に日本に帰国するとしばらく長崎に滞在、「蝶々夫人」ゆかりの土地を訪ね歩き、演奏会を開いたりしたそうだ。三浦環の像の近くには、大理石のプッチーニの像もある。

 

 「旧グラバー住宅」は、スコットランド出身の実業家トーマス・グラバーの邸宅。応接室にあるグラバーと妻のツルの写真。

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 見学中に修学旅行生がドッと押し入り、おなじみの撮影スポットは、記念撮影で占拠されてしまった。

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 旧グラバー住宅は、1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築。国重要文化財。明治日本の産業革命遺産(ユネスコ世界遺産)。グラバーは、同じく産業革命遺産の「小菅修船場」(船舶修理施設)や「高島炭鉱」の経営など、近代技術を導入して日本の近代化に尽力した。

 

 13:45グラバー園を出て、すぐそばに立つ国宝の「大浦天主堂」を見上げる。
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 時間の都合で大浦天主堂は拝観せず。マイクロバスで長崎駅へ移動、14:10解散。

 

 連泊する数人は、15:15小浜温泉「雲仙荘」へ戻る。

 小浜温泉沖の橘湾に沈む夕日が美しいと聞いて、日没を待っていたが、うっかり外を見るのを失念してしまった。気がついたときは、日の入りの時刻を10分ほど過ぎた17:53だった。

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 翌日は、雲仙・普賢岳に登る。

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 ★ ★ ★

 1636年(寛永13年)、出島が完成。当時はポルトガル人を収容するため、幕府が長崎の有力町人25人に命じて、2年をかけて人工島を築造させた。建設費は銀200貫目(約4,000両)、今の金額で約4億円。

 1639年(寛永16年)、幕府がキリスト教布教を禁止しポルトガル人を国外に追放。出島は無人となる。その後、築造に出資した人たちの訴えにより、1641年(寛永18年)に平戸にあった東インド会社のオランダ商館が出島に移され、宗教活動を制限されたオランダ人が居住、西欧との唯一の窓口となる。

 明治以降は、出島周辺の埋め立てが進む。1883年(明治16年)から8年間にわたって行われた中島川の河口改修工事によって出島の北側部分が削られ、1897年(明治30年)から7年にわたって行われた港湾改良工事によって周辺が埋め立てられ、海に浮かぶ扇形の原形は失われた。

 
 長崎市は、1951年(昭和26年)度より「出島復元整備事業」に着手、1996年(平成8年)度に策定された「出島復元整備計画」に基づき、19世紀初頭の出島を復元する計画を進めている。

 2000年(平成12年)度までの第1期工事で、商館長次席が住んだ「ヘトル部屋」、商館員の食事を作った「料理部屋」、オランダ船長の「一番船船頭部屋」、輸入品の砂糖や蘇木を収納した「一番蔵」・「二番蔵」の計5棟が完成した。

 第2期復元工事は、2006年(平成18年)4月に完成。オランダ船から人や物が搬出入された「水門」、商館長の「カピタン部屋」、日本側の貿易事務の「乙名部屋」(おとなべや)、輸入した砂糖や酒を納めた「三番蔵」、帳簿などの筆記を行うオランダ人主席事務員の「拝礼筆者蘭人部屋」(蘭学館)など5棟を復元した。

 第3期工事の2016年度(平成28年度)には、新たに出島中央部6棟の復元建物が完成する予定、現在復元のため発掘調査中である。

 この6棟の復元に続き、2017年(平成29年)度に出島表門橋の架橋を目指し、将来は周囲に堀を巡らし、扇形の島を完全復元するという。

 

 オランダ政府は戦後、日本に対して出島の復元を戦争賠償権を放棄する条件にしたという話があったとも聞く。それが今長崎市に受け継がれているのだろうか、真偽のほどはわからない。昭和30年代、観光バスで出島の近くを通った時、「この辺りが出島です」とバスガイドから案内されても、ビルが立ち並びその面影は全く無かった。

 1951年の事業開始から、既に60年以上が経過している。民有地の公有地化だけでも50年もの歳月を要した。2050年を目指して、夢のような壮大な「出島復元100年プロジェクト」が推進されている。出島が貴重な歴史的遺産として、完全復元されることを期待したい。

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