野母崎と伊王島
2015年10月24日(土)、長崎半島の「野母崎」と、長崎港外の香焼沖に浮かぶ「伊王島」へ行く。
2005年、長崎県西彼杵郡の野母崎町と伊王島町は、香焼町、高島町、三和町、外海町と共に長崎市に編入された。
長崎半島の突端にある「野母崎」は、長崎市中心部から南西へ25Km、車で50分ほどの距離にある。
国道499号線南下して半島の海岸線を走ると、「端島(はしま)」、通称「軍艦島」が見えてくる。11:30、軍艦島がよく見える「野母崎総合運動公園」に行く。
総面積11万㎡の運動公園の敷地には、多目的グランド、プール、テニスコート、ローンボウルズ(ボウリングに似た芝生の上の競技)のコート、体育館、水仙の里(展望台)、親水ボードデッキなどが設置されている。
この公園内には、展望台を備えた「水仙の里」(写真下)がある。
「水仙の里」は、3つの小山に1,000万球の水仙が植裁されている。12月下旬から1月中旬にかけては、一面に水仙の花が咲き、「水仙まつり」が行われて多くの人で賑わう。爽やかな香りが漂い、環境省の「かおり風景100選」に選ばれた。
親水ボードデッキから北の方角、コバルトブルーの五島灘に浮かぶ「軍艦島」を望む。
「高島」から南西2.5Km、長崎港から南西に約18Kmの沖合に浮かぶ「軍艦島」は、南北約480m、東西約160m、周囲約1.2Kmの小さな海底炭鉱の島。江戸時代後期1810年頃に石炭が発見され、明治時代になると本格的に石炭採掘が開始された。
軍艦島の右手遠景に、伊王島(左)と伊王島大橋を望む。
更に右手遠景に、三菱重工長崎造船所の香焼工場。
小山の一つ、北側展望台に登ると「水仙の里」の説明板があった。(ダブルクリックで拡大表示)
展望台から、運動公園の多目的グランド、プールや「軍艦島資料館」(中央の建物)を見下ろす。
ここからは、「高浜海水浴場」がよく見える。800mのビーチは遠浅で良好な水質で、「日本の水浴場88選」にも選ばれている。
丘の上から見る「軍艦島」(左手)、中央の小さい「中の島」、その右手に島影に隠れていた「高島」が顔を出す。
「高島」のズームアップ。高島には、三菱石炭鉱業(株)の主力炭鉱があった。
高島は、長崎港から南西に14Kmにある。面積1.2㎡。高島炭鉱が島の主産業であったが、1986年(昭和61年)に閉山後は人口が急減。現在も数百人の有人島で、閉山後に栽培された「高島フルーティ・トマト」が名産。温泉、釣り、海水浴場、キャンプ場などの観光の島。
2005年に長崎市に編入する前は、西彼杵郡高島町として「飛島」(現在は防波堤で高島と繋がっている)、「中の島」、「端島(軍艦島)」の4島からなる、日本一小さな町だった。
江戸時代初期から採掘が始まっていた高島炭鉱は、明治時代初期にグラバー邸で有名な英国商人トーマス・グラバーらによって、外国の資本と技術が我が国で初めて導入された本格的な近代炭鉱。
特に「北渓井坑(ほっけいせいこう)」は、西洋の最新技術と機械が導入され、日本最初の蒸気機関によって海底炭田を掘る竪坑(たてこう)は、2015年(平成27年)の「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録された。
また、炭鉱近くに建てられた「グラバー別邸」と呼ばれる屋敷跡があり、復元して観光の目玉にしようという動きがあるという。
展望台を降り、12:00公園内の「軍艦島資料館」の建物に入る。入場無料。
資料館は、建物の2階にある。
資料館には、石炭の採掘や島の暮らしの様子など、当時の貴重な資料が写真、パネルやDVDビデオによって紹介されていた。最盛期には約5,300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍の人口密度。学校や病院、商店のほか、映画館やパチンコ店などの娯楽施設もあった。1916年に建てられた7階建ての集合住宅は、日本最古の鉄筋コンクリート造りの高層アパートとされている。鉄筋コンクリートが建ち並ぶ姿が、軍艦に似ていることから「軍艦島」と呼ばれる。
エネルギー需要が石炭から石油に移ったことで、出炭量や人口も徐々に減少、1974年(昭和49年)に炭鉱が閉山。その後無人島となり、廃墟となった。
2015年(平成27年)、「軍艦島」を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。現在は島の一部を見学出来る「軍艦島上陸ツアー」が人気。
なお運動公園の近くには「野母崎 海の健康村」がある。軍艦島と五島灘を一望できる宿泊と温泉を備えたホテルで、日帰りも利用できるという。
野母崎から国道499号線を戻り、香焼町から「伊王島大橋」を渡って伊王島に入る。2011年(平成23年)に、伊王島は対岸の香焼町と橋長876mの伊王島大橋でつながり、陸続きとなった。
伊王島は、長崎港から南西へ10Km、高速船で20分ほどの海上に浮かぶ。長崎中心部からだと車で35分。かつて炭鉱の島として栄え、閉山後は農漁業のほか、釣りや海水浴場、天然温泉のリゾートアイランド。
島の中央部にある長崎温泉「やすらぎ伊王島」は、ホテル3棟、コテージ13棟、レストラン、天然温泉、休憩所、テニスコート、バーベキューガーデン、ショップ、エステやマッサージなどのあるリゾート宿泊施設。
白壁とオレンジ色の屋根は、南欧を思わせる「やすらぎ伊王島」のコテージ群。手前は、伊王島港ターミナル。
13:00、やすらぎ伊王島の「海の見えるホテル」2階、「オリーブDeオリーブ」でランチバイキング。大人1,580円。
北の「伊王島」と南の「沖ノ島」の2つの島を合わせて「伊王島」と呼ぶ。2つの島の間は幅数十mしかなく、西から祝橋、賑橋、栄橋(写真下)の3つの橋が架かる。
ホテルの外に出て北東の方向を眺める。
三菱重工長崎造船所の香焼工場のクレーン。
14:00、伊王島の北端にある「伊王島灯台」に行く。
伊王島の北端の高台は、長崎港の出入口に近く、見張り台や砲台が設置された要塞としての歴史がある。
「伊王島灯台」は、1866年(慶応2年)に米・英・仏・蘭の4カ国と締結した江戸条約によって全国8ヶ所に設置されたものの一つ。日本で初めての鉄造六角形の洋式灯台で、1871年(明治4年)に点灯。1945年(昭和20年)8月9日の原爆の被害を受け、鉄筋コンクリート造の四角形に改築された。現在の建物は2003年(平成15年)に六角形に復元、灯塔上部のドームは140年前の建設当時のもの。
この灯台は、2012年高倉健主演の最後の作品、映画「あなたへ」のロケ地にもなったそうだ。
行かなかったが、「伊王島灯台記念館」が灯台の近くにあり、伊王島灯台の歴史を紹介する資料を展示されているそうだ。建物は、1877年(明治10年)にわが国初の無筋コンクリート造りの灯台守の宿所として建てられた。長崎県有形文化財に指定。
伊王島の玄関口にもどり、14:20近くの駐車場に車を停めて白亜のゴチック様式の「馬込ミカエル天主堂」を眺める。
住民の半数以上がカトリック教徒で、島のランドマークとなっている。1890年(明治23年)に建立され、現在の天主堂は、1931年(昭和6年)に建てられた。国の登録有形文化財。
14:35、伊王島大橋を渡り、香焼町へと伊王島を後にする。
関連ブログとして、2014年7月に行った「長崎市伊王島」の記事が以下にある。
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-dff2.html
★ ★ ★
明治以後、石炭は燃料、製鉄などの材料として需要が増大していった。北海道、福島・山口・福岡・佐賀・長崎県が主要産地で、最盛期には全国800以上の炭鉱があったという。昭和30年代の中学校の教科書には、石狩、釧路、常磐、三池、筑豊などの大規模炭田の名が連ね、憶えさせられた。
長崎県の中では、「長崎炭田」とか「西彼杵(にしそのぎ)炭田」と呼ばれた炭田は、長崎半島と西彼杵半島西部に点在した海底炭鉱群で、高島炭鉱、池島炭鉱、端島炭鉱、崎戸炭鉱、松島炭鉱などがあった。池島炭鉱は、2001年に閉山した九州最後の炭鉱。トロッコ電車に乗って、坑内見学ができるそうだ。
国内の炭鉱は、やがて安価な輸入石炭に押され、また石油の大量輸入と石油へのエネルギー革命を転機に、1961年をピークに多くが衰退し、姿を消していった。
福島の原発事故は、もう過去の出来事として、再稼働や原発輸出が推し進められ、国民の関心も薄れて「福島の教訓」は忘れ去られようとしている。「原発ゼロ」の道のりは遠い。原発の立地自治体の首長らは、原発の再稼働を求め、地域経済、雇用、財政等の理由で、「安全より経済」優先を唱えているようにも思える。
電力事業者は、老朽化した一部原発の廃炉により、比較的新しい原発の安全確保をPRして再稼働と、さらに裏では新増設の計画も進められている。
原発の廃炉の問題は、炭鉱閉山の過去の事例に学ぶべき点もある。再生エネルギーに転換し「脱原発」を進めるための諸課題の中から、次の共通点と相違点を挙げておきたい。
廃炉によって大きな影響を受ける原発立地自治体を対象に、炭鉱閉山時につくられた「産炭地振興臨時措置法」のような時限立法で、従来の原発交付金に代わって、財政、雇用、地域振興について活性化を図る必要がある。原発地域の原発依存からの脱却がなければ、全原発の廃止にはつながらない。
一方、石油へエネルギー政策の転換時には、炭鉱は閉山するだけで良かった。しかし原発を廃炉にするには、莫大な費用のほか、高度な技術を持つ専門家や技術者が30年~40年もの間、核のゴミ処理や原発解体の作業が必要となる。こういった廃炉のためだけの優秀な人材を確保しなければならない。
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