日本スリーデーマーチ2015
2015年11月1日(日)、11月3日(祝日)の2日間、「日本スリーデーマーチ」に参加。
日本最大のウオーキングの祭典「第38回日本スリーデーマーチ」が、埼玉県東松山市を中心にした周辺の市や町を舞台に、11月1日(日)から3日間繰り広げられた。
1日は、友人数人と一緒に20Kmコースを歩く。
2日目は休養して、3日目の最終日は団体で10Kmのコースを歩き、その後2Kmの市内パレードに参加。
●11月1日(日)、吉見百穴・森林公園20Kmコース。
天気は、晴れのち曇り、最高気温17℃。
9:00、東松山駅前を出発、吉見百穴(ひゃくあな)を経て岩鼻運動公園へ向かう。
市民病院前から総合福祉エリア付近を通り、整備されたウオーキング・トレイル(小道)へ入る。
春には9千株の牡丹が満開となる「東松山ぼたん園」を抜ける。この時期は、年に2回開花する十月桜(じゅうがつさくら)が咲く。
静かな里山のトレイルをたどり、秋庭神社と江戸時代に当地を治めた旗本・森川氏の陣屋跡のそばを通る。
12:00頃、障害者支援施設「あかつき園」(青い鳥福祉会)。いつも休憩所として開放されていて、豚汁などが販売。ここで昼食をとる予定だったが工事中で、閉鎖されていた。
12:15~12:40、扇谷山(おおぎやさん)「宗悟寺(そうごじ)」(東松山市大谷)の境内に入り昼食。
30Kmコースと合流して、「国営武蔵丘陵森林公園」の中央口から入る。当日は入園無料で開放。
公園の南口から出て、森林公園駅まで続く森林公園緑道を歩くころには、やや疲れも出てくる。ゴールの中央会場をめざす。
ゴール前の市街地大通りでは、「よさこい陣屋まつり」が行われている。
15:00、ゴール(中央会場)に到着。
16:30~18:30、予約してあったやきとり屋の店で友人らと打ち上げ。
素晴らしい天気に恵まれ、田園風景を楽しみながらの20km。やきとり屋も超満員、久しぶりのやきとりは美味い。
●11月2日は、あいにくの雨。12月並みの寒さで、最高気温は14℃ (14:30頃) 。
ちょうど休養日にしていたが、この日歩く人たちは大変だったようだ。
●11月3日(祝)、唐子中央公園コース10Kmと市内パレード2Km。
冷たい雨が降った2日目から一転、秋晴れで、気持ちの良いウォーキング。最高気温は21℃。
中央会場前の市役所の建物2階と市総合会館2階で結ぶ渡り廊下には、「祝ノーベル物理学賞! 東松山出身 梶田隆章氏」の看板が参加者を迎える。
東松山市のホームページで、「ノーベル物理学賞の梶田隆章氏の故郷を歩こう!!」がキャッチフレーズ。中央会場には、氏を紹介する特設ブースが設置されているそうだ。
9:35、中央会場をスタート。しばらく住宅街を通って、唐子中央公園にむかう。
コースの途中の「唐子中央公園」では、地元の文化祭・商工祭で賑やか。地元名産品の販売とか、お茶や豚汁などの配布、歌や踊りのイベントをやっている。11:05~11:50、ここで昼食休憩。
田園風景の中を歩き、次の休憩所「南中学校」をめざす。
ノーベル物理学賞の梶田氏の大きな垂れ幕。氏は、この東松山市立南中学校を1974年(昭和49年)卒業した。12:30、ここで小休止。
その後、上野本の「金谷氷川神社」前を通過。13:00、市内パレード集合場所に到着。
14:00、参加した団体の市内パレードが出発。東松山駅前の歩道橋にもノーベル賞の横断幕。
市内パレードの大通りでは、和太鼓、学校の吹奏楽部や警察音楽隊などが演奏。学校、団体、自治会、企業などが、のぼりや旗を持って、行列を作る。ユニフォーム、はっぴやコスプレで歩く人も。
14:40、ゴールのメイン会場に着き、解散。舞台では、ちょうどプロ歌手が舞台で歌っていた。最終日なので、会場はものすごい混雑。
会場には、全国のウォーキング団体などの模擬店や飲食の屋台、グッズ販売などのテントが並ぶ。知人がやっているドイツ料理店の屋台で、ソーセージの炭火焼きをつまみにビールをタンブラーで2杯飲んで帰る。
東松山市の今回の参加者集計表を見ると、1日目は約3万1千人、2日目は少なくて約1万3千人、3日目は約3万2千人が参加し、3日間の延べ人数は約7万6千人だったそうだ。3日間とも天気がよければ、例年の10万人くらいになったはずだった。
日本スリーデーマーチ関連のブログ記事。
「日本スリーデーマーチ2014」 2014/11/10 投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-ba9a.html
「日本スリーデーマーチ」 2012/11/17 投稿
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-ba9a.html
★ ★ ★
東松山市大谷の扇谷山「宗悟寺」は、江戸時代を通じて当地を治めた旗本の森川氏の菩提寺で、比企氏のゆかりの寺。
比企氏は、平安末期から鎌倉前期にかけて武蔵国比企郡(現在の東松山市)を支配した豪族。比企氏の館は、この「宗悟寺」の東側の城ヶ谷(じょうがやつ)にあったそうだ。
鎌倉時代初期の1203年(建仁3年)、二代将軍源頼家の外戚として権勢をふるった比企能員(よしかず)とその一族は、北条時政の謀略によって滅ぼされた。
源頼家が伊豆の修善寺で暗殺された後、比企能員の娘で頼家の側室「若狭局(わかさのつぼね)」が、「宗悟寺」の西にある比企尼山(びくにやま)に逃れ、頼家を弔う為に尼となって、その地に粗末な庵「寿昌寺(じゅしょうじ)」を建てた、と「宗悟寺」には伝えられている。
この寺を1592年(天正20年)、森川氏が現在の地に再興して「宗悟寺」と改称。この寺には、頼家の位牌が残されているそうだ。寺の墓地には、森川氏代々の墓(市指定文化財)がある。また1999年(平成11年)、境内に「比企一族顕彰碑」が建てられた。
2015年ノーベル物理学賞の梶田孝章氏は、東松山市出身。1971年(昭和46年)に野本小学校、1974年(昭和49年)南中学校を卒業後、県立川越高校、埼玉大学を卒業し、東京大学大学院を修了して理学博士号を取得。
1999年(平成11年)東京大学宇宙線研究所教授、2008年(平成20年)同研究所所長に就任。今回のノーベル物理学賞受賞は、ニュートリノの観測施設スーパーカミオカンデで観測を行い、ニュートリノが質量をもつことを確認したことが高く評価された。
森田東松山市長は、梶田氏を市民の誇りとして「名誉市民」として推挙するという。
上田埼玉県知事は、ノーベル物理学賞の梶田隆章氏と医学生理学賞を受賞した大村智氏の二人に、「県民栄誉章」を贈呈することにした。その理由は、梶田氏が埼玉県東松山市出身で、高校・大学が埼玉県内、現在埼玉県越谷市民であることから。大村氏が埼玉県北本市に創設した北里大メディカルセンターが、高度な医療機関として地域に貢献しているとの功績をたたえた。
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