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2015年10月10日 (土)

日南海岸

 2015年10月4日(日)、宮崎・日南海岸のドライブに行く。

 

 ホテル「ニューウェルシティ宮崎」をチェックアウト。9:10、友人らと案内してくれる知人とで日南海岸へドライブに出発。

 

 宮崎市街から南下する海岸に沿って、フェニックスやワシントン椰子などが植えられたトロピカルムードのあふれる道路は、「日南海岸ロードパーク」の愛称で呼ばれる。また1986年には、「日南フェニックスロード」として「日本の道100選」に選ばれている。ガイドブックに、日南海岸の観光ルートやドライブ、ツーリングルートとしてその愛称が書かれて知ったが、今までそんな愛称は聞いたことはなかった。

 宮崎市街から田園地帯を抜ける宮崎南バイパスは、今では国道220号線となっていて、片側二車線の中央分離帯にワシントン椰子が植えられ、いかにも南国らしい。

 宮崎県総合運動公園を左手に見て、加江田川に架かる鵜来橋を渡ったところで、「こどものくに」や「青島」の横を抜ける県道377号線に分かれる。この道は以前は、国道220号線だった。

 

●堀切峠(道の駅フェニックス)

 県道377号線は、青島から折生迫(おりゅうざこ)の街を過ぎ、白浜入口交差点からやがて海岸から離れて山側の峠道を蛇行しながら走る。

 9:40、峠道を上り詰めたところで視界は一気に開け、小さな駐車場がある「堀切峠」に着く。突然広々とした太平洋が見える光景は、初めての人なら感動するにちがない。眼下には「鬼の洗濯板(岩)」を見下ろす。

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 ここで道路は右へ折れ、海岸に沿って南下すると、約1Kmほど先に「道の駅フェニックス」がある。広い駐車場が用意されており、ここも美しい海を眺められるビュースポットだ。かつて、宮崎交通が「フェニックスドライブイン」として運営していたが、2005年から道の駅になっていた。

 道の駅では、ちょうど伊勢海老の味噌汁が無料配布されていて、ラッキーだ。

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 この日は、8:30から「秋のお客様感謝祭、青島どれ!伊勢海老味噌汁が、先着400名様に無料配布」だった。伊勢海老は、高級な食材のイメージがあるが、無料で配布できるくらい獲れるのだろうか。「青島どれ」とは何か、調べてみると青島漁港で水揚げされた魚介類のブランド名だそうだ。

 縦半分の伊勢海老が入っている美味しい味噌汁をいただく。

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 県道377号線は、堀切峠から緩やかに下って短いトンネルを抜け、内海(うちうみ)の辺りで国道220号線に合流。ここからJR日南線と併走、「巾着島」を右に見てやがて小内海(こうちうみ)に至る。

 小内海を過ぎると日南線から離れ、山側にはいつごろ開発されたのか「南青島エメラルドタウン」という別荘地、海側には「オーシャンヒルオートキャンプ場」が見える。道路は海岸に沿ったまま「いるか岬」へと向かう。このあたりの海岸の「鬼の洗濯板」の景観がとても良い。「いるか岬」は、宮崎市と日南市の市境。

 「いるか岬」から伊比井を過ぎ、岬を回ると富士(ふじ)と読み間違えそうな「富土(ふと)海水浴場」の道路標識。県内有数の海水浴場で、夏になると海水浴客で賑わうそうだ。国道220号線は、富土から海岸沿いをトンネルでバイパスして、小目井に抜ける。岬を回る旧道沿いには宮崎交通が所有する「サボテンハーブ園」(旧サポテン公園)跡がある。昔懐かしい観光名所のひとつだったのだが、2005年3月で閉園したそうだ。

 

●サンメッセ日南

 小目井から宮浦ビーチを過ぎると、10:30「サンメッセ日南」に着く。日向灘を見下ろす広い丘の上の公園には、実物大に復刻された7体のモアイ像、ふれあい牧場、世界昆虫展、天空の塔、レストランやショップなどの施設がある。

 入園料700円。5人乗りゴルフ場のカートに乗って(30分で1,000円)、園内を巡る。

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 ここから見える地球の丸さを感じる広々とした真っ青な太平洋は、解放感があって心が癒され、いつまでも見ていて飽きない。

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 この地は京都の財団法人「一燈園」の青年たちが、牧場を作って和牛の生産をしていたが、1987年に閉鎖した。地元の村おこしの要請を受け、また地球の平和を祈って「サンメセッセ日南」を設立したという。

 イースター島の荒廃したモアイ像は、石工の左野勝司氏らの日本人たちによって1990年より3年かけて修復された。島の長老会は、日本での復刻の希望を許可し、左野氏は7体を彫り上げ、この地に建立したという。

 この施設の建築物は、何か宗教的な雰囲気があると感じたが、パンフレットには神道、仏教、キリスト教などの18の教団が協力して作ったとある。

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 子供が喜びそうな、約4,500点の世界の蝶やカブトムシなどの昆虫等の展示。

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●鵜戸(うど)神宮

 サンメッセ日南からすぐの「新鵜戸トンネル」の手前で、「鵜戸神宮」を指す道路標識があり、左折して旧道へ進む。旧道のトンネルを抜けて左に折れると駐車場。ここからは「八丁坂参道」という古い参道があって、鵜戸の港から鵜戸神宮の神門まで長さ八丁(約800m)の石段が続く。石段を上りかけて、時間の都合で駐車場に戻る。

 もう一つの鵜戸神宮へのアクセスは、旧道トンネルを抜けて直進し、海岸近くに出てから少しばかり引き返すようにして、岬の海岸に沿った狭い道路(観光バス通行不可)で向うルート。

 10:00駐車場に車を停め、朱塗りの「神門」と「楼門」をくぐる。

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 鵜戸神宮の岩窟の前は、様々な形状の奇岩が連なり、太平洋の荒波が打ち寄せ激しい波しぶき上がり、神秘的な景勝地となっている。この辺りは、釣りのスポットでもある。

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 岩窟内に本殿がある神社はめずらしい。

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 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)」は、「海幸彦・山幸彦」伝説の山幸彦。兄・海幸彦の釣針を失くし、探しに海宮(龍宮)に赴き、海神の娘・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と結ばれた。

 山幸彦が海宮から帰った後、身重になった豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」と、この岩窟に急いで産屋を建てた。鵜の羽で屋根を葺(ふ)き終わらないうちに御子(御祭神)がご誕生したという。御主祭神は、「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」という舌を噛みそうな名前。

 豊玉姫命が海宮へ帰る際、子のために自分の両乳房を洞窟内に残して行った伝えられる「おちち岩」が洞窟の奥にあり、安産・育児を願う人々から信仰されている。「おちち岩」より滴り落ちる水で作った「おちちあめ」というのもあるらしい。また、本殿前の岩の「亀石」の穴の中に「運玉」を投げ入れて入ると、願いが叶うとされる。

 鵜戸神宮から再び南下、やがて道が海岸から離れると日南市街が近い。風田を過ぎて長い直線道路を走り抜け、広渡川を渡ってそのまま真っ直ぐに進むとこのあたりが油津の繁華街。国道220号線は、春日町交差点を右へ折れ、飫肥方面へ向かう。飫肥城下の町に入ると、電柱と広告看板が無いことに気付く。

 

●飫肥城趾

 飫肥城は、戦国時代に伊東氏と薩摩の島津氏が争った舞台で、江戸時代は飫肥藩伊東家5万1千石の居城となった。周囲の山々と蛇行する酒井川に囲まれた飫肥城と城下町が広がる。 

 12:40、飫肥城の駐車場着。大手門に向かう。

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 維新後に藩主が住んだ邸宅の「豫章館」、藩校の「振徳堂」などが近くにある。

 飫肥城の大手門は1978年(昭和53年)に復元された。 

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 大手門をくぐらず、右手・東側に延びる武家屋敷通りを歩く。高級武士の重厚な石垣、門や屋敷が数多く残る。

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 明治の外交官・小村寿太郎の生家(移築されたもの)。近くに生誕の碑や寿太郎の功績を紹介する「小村記念館」がある。

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 寿太郎は飫肥藩の下級武士で、のちに外務大臣を務め、日露戦争を終結させたポーツマス会議で講和条約を結んだことで知られる。
 

 昼食に、武家屋敷通りにある古めかしい料亭「服部亭」に入る。

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 南側の大広間からは、立派な庭が見える。遠くの山々が借景となっている。

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 ランチの「服部膳」 1,620円。庭を眺めながら優雅な気分で会食。これに、茄子の田楽(写真なし)と、食後に抹茶(写真下)が付く。

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 「服部亭」は、かつては飫肥藩御用商人で山林王・服部家の屋敷で、旧藩時代を偲ばせる由緒ある建物。

 

 飫肥城に戻り、城内に入る。石垣、白い土塀など、城独特の雰囲気が漂う。城内には、「松尾の丸」、「飫肥城歴史資料館」、「本丸跡」などがある。

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 城内本丸跡にある飫肥小学校では、ちょうど運動会をやっていた。

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 30段の石段を上ると書院造りの藩主御殿「松尾の丸」が再建されている。入館せず。

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 石垣で囲まれ高台になっている旧本丸跡には、地面は緑の苔がびっしりで、飫肥杉が林立している。築城以来3度の地震で崩壊、現在の飫肥城学校の位置に移された。天守閣は無かったとされる。

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 また「飫肥城歴史資料館」には、甲冑や刀剣、小地図など飫肥藩ゆかりの約220点の資料がが展示されているが、入館せず。

 飫肥は、 2004年(平成16年)9月から放送されたNHK連続テレビ小説『わかば』のロケ地。主人公の若葉は、阪神大震災の孤児で、飫肥の伯父の家に身を寄せていた。その若葉がよく訪れていたのが飫肥城址で、うっそうとした旧本丸の杉林で心を癒されていた。

 数年前に飫肥城址に来た時は、「松尾の丸」、「飫肥城歴史資料館」、「小村記念館」などを見学したが、今回時間の都合で省略した。

 入館共通券(610円)で、飫肥城有料施設7ヵ所すべてに入館できる。

 飫肥を後にして、宮崎へ戻る。

 

●太陽光発電

 15:30、宮崎大学の広い木花キャンパスに立ち寄る。屋外に設置されている太陽光発電の研究施設を見学する。

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 ビームダウン式太陽集光装置。

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 タワーの上部にあるお椀をかぶせたよな楕円鏡で、ヘリオスタットと呼ばれる太陽の位置を追尾する反射鏡で太陽光を集める。太陽光は、塔の中央に焦点を結ぶ位置に集められ、高温の熱を様々な研究に利用する。新潟大学との共同研究。宮崎県が支援、三鷹光機(株)が開発。

 

 集光型太陽光発電システム。

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 大同特殊鋼(株)製2基、住友電工(株)製2基、シャープ(株)製1基が設置されている。アクリルレンズで太陽光を集め、数100倍になった太陽光を太陽電池に照射して発電する。最適な角度で太陽光を集められるよう、装置は太陽の位置を追尾する。

 これらは、世界でもトップレベルの技術を誇るものだという。

 

 そのほかキャンパス内には、三菱電機製のシリコン太陽電池、(株)カネカ製の薄膜シリコン太陽電池、ソーラーフロンティア製のCIS系太陽電池などが設置されている。なおCIS太陽電池とは、主成分に銅(Copper)、インジウム(Indium)、セレン(Selenium)を用いており、薄膜系太陽電池の中で最も変換効率が高いという。

 同一地域に種々の太陽発電装置を設置することで、同一条件での発電量の比較研究が出来るとしている。

 

 この後16:00に宮崎空港まで送迎してもらい、17:00発の羽田空港行きの便で東京へ帰る。

 

 ★ ★ ★

 10月3日に宮崎市街と青島、翌4日は日南海岸や飫肥城趾を巡った。かつて宮崎は新婚旅行先として人気を集め、空前の観光ブームに湧いた時代があった。

 1960年(昭和35年)に島津久永・貴子(昭和天皇の第5皇女)夫妻が新婚旅行で青島を訪れた。その2年後の1962年(昭和37年)には、新婚間もない皇太子夫妻(現天皇・皇后)が来県、青島と日南海岸は「プリンセスライン」として全国的な知名度を得た。1965年(昭和40年)、NHK連続テレビ小説『たまゆら』の舞台に宮崎が選ばれ、国民の人気を博した。

 1960年代後半から1970年代前半(昭和40年代)のおよそ10年間、宮崎は新婚旅行のメッカだった。しかしその後の新婚旅行先は本土復帰した沖縄へ、さらにはグアムやハワイをはじめとする海外に移っていく。しだいに宮崎は忘れ去られ、観光地は当時の賑わいもなく、宮崎県は全国でも知名度の低い県の一つになった。

 

 2006年の宮崎県知事選前、「お笑いタレント」のそのまんま東(東国原英夫)が当選したら宮崎が終わる」などと言われていたが、見事当選。2007年1月、宮崎県知事に就任した。宮崎のセールスマンが必死にテレビなどで宮崎県や県の名産品をPRしてくれたお陰で、宮崎県は全国的に知名度が上がった。知事は、食と観光を柱にして、さらには企業誘致を宣言。東国原フィーバーはどどまるところを知らず、県庁舎の見学などを含め宮崎観光は再び脚光を浴びつつあった。2010年、牛などの伝染病である口蹄疫が発生し県経済は大打撃を被ったが、何とか切り抜けた。

 2011年1月、東国原氏は1期4年の任期満了で、副知事の河野俊嗣氏を後任に、知事を辞めてしまう。2011年4月の東京都知事選に立候補して石原氏に敗れるが、日本維新の会に所属して2012年12月衆議院議員となる。しかしそれも1年で会派を離脱、議員も辞職。最初の頃の氏への期待は大きかったが、ワイドショー的なやりかたで、あまりにも政治を弄んでいて残念だった。

 

 2012年(平成24年)は古事記が、また2020年(平成32年)は日本書紀が編さん1300年という大きな歴史的節目に当たるそうだ。宮崎は古事記や日本書紀に描かれた日本発祥にまつわる日向(ひむか)神話の舞台で、多くの史跡、伝説、伝統文化が残されている。

 宮崎県では、観光の再興を県の重要な課題と位置付けている。県だけでなく観光に携わる様々な機関が連携し、観光振興に取り組むために、「神話のふるさと宮崎観光おもてなし推進条例」を制定、今年4月から施行したそうだ。

 政治の世界で、保守右派の中には神道、とりわけ戦前の国家神道を是とする思想が引き継がれており、神社本庁を母体とする神道政治連盟は、安倍首相を始めとする大半の自民党員が参加する一大勢力となって大きな政治的影響力を保っている。現政権は、伊勢神宮式年遷宮行事への参列、A級戦犯合祀の靖国神社参拝などにみられるように、憲法の政教分離の原則を無視した天皇元首化・神格化や天皇中心国つくり、過去の戦争の肯定、現憲法下で戦争の出来る国つくりが進められている。日本古来の神話と呼ばれる伝承が、こういった国家主義者や復古主義者に利用されないよう、今後の宮崎観光の再興を期待したい。

 

 本記事の関連記事として、1年前の「宮崎県日南市」を参照。
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-c216.html

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