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2015年10月30日 (金)

長崎空港と天正遣欧少年使節

 2015年10月26日(月)、夕暮れの「長崎空港」(長崎県大村市箕島町)を対岸の「森園公園」(大村市森園町)から眺める。 

 

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 大村航空基地を旋回する海上自衛隊ヘリコプター。

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 ローマの方角を指さす「天正遣欧少年使節顕彰之像」が、長崎空港に渡る箕島大橋のたもと、森園公園の中に立っている。

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 ★ ★ ★

 長崎空港は、大村湾に浮かぶ有人島「箕島(みしま)」を造成して作られた世界初の海上空港で、1975年(昭和50年)に開業。本土側とは970mの箕島大橋でつながる。

 離島航路や上海とソウル航路がある国際空港で、長崎県の空の玄関口。以前は、海軍飛行場跡の大村空港(大村市今津町)を、海上自衛隊と民間航空会社とが共用していた。

 長崎空港の航空写真(Google Earthから引用)。

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 長崎空港のターミナルビル(2015/10/18撮影)

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 駐機エプロンの全日空機と滑走路の向うに見える丘陵には、「NAGASAKI」の花文字がある(2018/10/19撮影)

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 駐機エプロンのソラシドエア機(2015/10/28撮影)

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 「天正遣欧少年使節顕彰之像」は、日本人で初めてヨーロッパを公式訪問した4人の少年使節の銅像で、彼らが長崎港を出帆して400年目を記念し少年らの偉業をたたえるため、1982年(昭和57年)にこの地に建てられた。

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 イエズス会の宣教師ヴァリニャーノ神父は、ヨーロッパのキリスト教文化を見聞させ、日本をヨーロッパに紹介するため、ローマへの使節派遣を計画。大村純忠、大友宗麟、有馬晴信のキリシタン大名の名代として、4少年を派遣した。向かって左から最年長で主席正使の伊東マンショ、正使の千々石ミゲル、副使の原マルチノと中浦ジュリアン。派遣当時の年齢は、13~14歳であった。

 伊東マンショは、日向の領主・伊東氏の一族として都於郡(とのこおり、現在の宮崎県西都市)に生まれたが、8歳の時薩摩の島津氏との戦いで綾城が落城、父を失う。遠縁だった大友宗麟の領地に逃れ、そこで洗礼を受ける。

 千々石ミゲルは、生まれてすぐに千々石(現在の長崎県雲仙市)の領主だった父が戦死。母と共に従兄の有馬晴信のもとで育つ。大村純忠の甥にあたる。

 中浦ジュリアンは大村領の波佐見(現在の長崎県波佐見町)、原マルチノは大村領の中浦(現在の長崎県西海市)の出身。

 戦国時代の1582年(天正15年)、長崎港を出港、マカオ、マラッカ、インド、喜望峰を経て、2年半かかってヨーロッパに渡る。行く先々で大歓迎を受け、ローマ教皇グレゴリオ13世と掲見した。出帆から8年5ヶ月という年月を経て、1590年(天正18年)に帰国。印刷機械などのヨーロッパの進んだ技術や知識を持ち帰った。

 4少年は京都の聚楽第で豊臣秀吉と謁見する。やがて時勢は急変し、禁教の時代となる。ミゲルはキリスト教を棄教、同じく棄教して日蓮宗に改宗した藩主・大村喜前(よしあき、純忠の長男)に仕えた。

 マンショ、マルチノ、ジュリアンの3人は司祭となるが、マンショは長崎で病死、マルチノはマカオに脱出後に病死、ジュリアノは潜伏して長崎で布教を続けるが捕らえられて殉教という不遇な運命をたどった。

 

 なお、「天正遣欧少年使節」に関連して、支倉常長(はせくらつねなが)らの「慶長遣欧使節」について、本プログの「仙台・石巻の旅-その1~その3」に記事がある。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/index.html

 

 宣教師が派遣した天正遣欧少年使節は、日本でのキリスト教布教の主導を図るイエズス会が、ヨーロッパの人々に優秀な少年信者たちを紹介して、日本での布教の成果を誇示し、本国から更なる支援を得るためであったと思われる。

 一方、少年使節が帰国した23年後に伊達政宗が派遣した支倉常長らの慶長遣欧使節は全く異なり、藩を豊かにするためメキシコと実際に貿易しようという通商交渉が目的であった。しかし、キリスト教弾圧の情報はすでにヨーロッパ伝わっていて、一応常長らを歓迎はするもの、交渉は成功しなかった。

 禁教・鎖国の時代の二百数十年もの間、彼ら遣欧使節の偉業や彼らが持って来たヨーロッパの進んだ技術・知識は、歴史の中に埋もれ、忘れ去られてしまうことになる。

 彼らが再び脚光を浴びることになるのは、明治になってからであった。

 

 少年像のそばにある「天正遺欧少年使節讃」と題する碑文には、彼らの偉業を讃え、最後には、

  「長崎出発四百年に当たる今年、今は世界の空を結ぶ使節にゆかり深きこの地にその雄図を讃え、併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよ、と念ずる人々この像を建てる。昭和五七年九月二十日 文並びに書 福田清人」

 とある。

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