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2015年9月17日 (木)

江の島散策

 2015年9月12日(土)、神奈川県藤沢市の「江の島」に行く。

 

 江の島は、湘南海岸から相模湾に突き出た周囲4Km、標高60mの陸繋島。

 江戸時代、「日本三大弁財天」のひとつである「江島弁財天」への信仰が盛んになり、「江の島詣(もうで)」の人々で大いに賑わいを見せた。明治以降、日本神話の三姉妹の女神を祭神とする「江島神社」へと変わり、神社はそれぞれの神を祀る「辺津宮」、 「中津宮」、「奥津宮」の三社からなる。

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 (上の写真は、2014/5/6撮影)

 

 車で弁天橋を渡り、午後2時過ぎ江の島に上陸。この日は、土曜とあって駐車場も混んでいる。なぎさ駐車場(2時間以内620円)へ入場する車の列に並ぶ。

 

●青銅の鳥居

 駐車場から、参道入口にある鳥居へ向かう。

 この青銅の鳥居は、1747年(延享4年)に創建、1821年(文政4年)再建。「江の島道」(えのしまみち)においては三番目の鳥居である三の鳥居。

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 「江の島道」は、藤沢宿や鎌倉から遊山(ゆさん)客が江の島へ向かう道。

 鳥居正面の額「江島大明神」は、鎌倉時代の文永の役(蒙古襲来)に勝利した記念に、後宇多天皇から贈られた勅額の写し。

 ちょうど浅草の仲見世商店街を歩いているような人混みの中を歩く。

 
 

●朱の鳥居

 江戸時代から現在まで変わらない賑やかな狭い参道の商店街を通り抜けると、鮮やかな朱の鳥居が見えてくる。現在の鳥居は、1936年(昭和11年)再建。

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●瑞心門(ずいしんもん)

  朱の鳥居の正面の石段を上ったところにある龍宮城に似た楼門。瑞々(みずみず)しい心でお参りできるようにと名付けられている。

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 壁や天井には、牡丹や唐獅子の絵が飾られている。門をくぐると、江島神社ご鎮座1450年を記念して奉献された「弁財天童子石像」がある。

 

●江の島エスカ―

 江の島の頂上に行くには、数百段の石段を上らなければならないが、1959年(昭和34年)、国内初の屋外エスカレータの「江の島エスカー」が建設された。「朱の鳥居」の左手にエスカ―のりばがある。高低差46mを4連のエスカレータで結ぶ。全長は106m。

 頂上まで石段を上ると20分かかるところ、わずか4分。エスカレーターを乗り継ぐので、途中の神社に参拝したり、旧跡を見ながらでも行ける。

 エスカーは有料、全区間で360円。、島の頂上にある「江の島サムエル・コッキング苑」、「江の島シーキャンドル」(展望灯台)の利用がセットになった「展望灯台セット券」が750円。

 

●龍神と銭洗い

 エスカ―を降りると、白龍池。お金をこの池で洗うと、金運が上昇するという。

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 白龍の左手にある案内板には、

 「当江の島弁才天は日本三大弁才天(厳島、竹生島)の一つで、近年まで岩屋洞窟に祀られ、その御霊水で金銭を洗うと金運向上、財宝福徳の御利益があると伝えられてきました。 現在はこゝの白龍池にお移し致しました。」

 と書いてある。

 

●辺津宮(へつみや)

 朱の鳥居から石段を上った所にある。「辺津宮」は、三姉妹の神のうち「田寸津比賣命」(たぎつひめのみこと)を祀る。江の島では、一番下に位置していることから「下之宮」(しものみや)とも呼ばれ、神社での祈祷は主にこちらで行われる。

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 1206年(建永元年)、将軍・源実朝が創建。1675年(延宝3年)に再建、1976年(昭和51年)の大改修により権現造りの現在の社殿が新築。

 

●奉安殿(ほうあんでん)

 辺津宮の境内の左側にある八角のお堂。神奈川県の重要文化財「八臂弁財天」(はっぴべんざいてん)と、日本三大弁財天のひとつとして有名な全裸の弁財天「妙音弁財天」(みょうおんべんざいてん)、その他が安置されていて拝観料150円。

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 (写真は、ウィキペディアから引用)

 江戸時代に江の島詣が大変な賑わいを見せたのは、この「江島弁財天」への信仰で大人気となったから。時間の都合で入館せず。

 

●江の島弁天橋

 樹木の間から、対岸と島を結ぶ「江の島弁天橋」を見下ろす。

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 昔は片瀬の浜から干潮時に現れる陸路を歩き、江の島に渡った。明治になって木橋が架けられたが、現在のコンクリート橋(全長389m)は1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックのヨット競技に合わせ完成した。

 

●江の島ヨットハーバー

 季節の花が咲く「みどりの広場」の展望台から、北東の方向を望む。江の島ヨットハーバーと白い屋根のヨットハウス、相模湾が良く見える。対岸は鎌倉方面。

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●中津宮(なかつみや)

 「中津宮」(上之宮)は、三姉妹の女神「市寸島比賣命」(いちきしまひめのみこと)を祀る。853年慈覚大師が創建、将軍綱吉が1689年(元禄2年)に再建。1996年(平成8年)の大改修で、当時の鮮明な朱色の社殿を再現した。

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●奥津宮(おくつみや)

 島の西側、霊場発祥の地である「岩屋」洞窟にもっとも近い場所にある。三姉妹の女神のうち、ここ「奥津宮」には一番上の姉神の「多紀理比賣命」(たぎりひめのみこと)が祀られている。中津宮から歩いて約10分だが、時間の都合でスキップ。

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 (写真の出典は、ウィキメディア・コモンズ 神奈川県藤沢市江の島の江島神社奥津宮2011年3月27日 作者 Aimaimyi )

 奥津宮は、昔「岩屋」洞窟(本宮)に海水が入りこんでしまう4月~10月までの期間、本宮のご本尊が遷座されたところ。江戸時代までは「本宮御度所(おたびしょ)」といわれ、壮麗を極めた社殿であった。創建年代は不詳。

 1841年(天保12年)に焼失、翌1842年(天保13年)に再建された。拝殿上部には「八方睨みの亀」が描かれ、どこからみても、こちらを睨んでいるようにみえるそうだ。

 

●江の島サムエル・コッキング苑

 4番目のエスカ―で、広い頂上部に着く。明治時代の英国人貿易商「サムエル・コッキング」に由来し、和洋・南国ムードの植物園(旧・江の島植物園)がある。苑内には、江ノ島電鉄の経営する「江の島展望灯台」などが含まれる。

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 アイルランド人の貿易商サムエル・コッキングは、島の頂上部で廃寺となった「金亀山与願寺」( きんきざんよがんじ )の菜園を買い取り、別荘と庭園を造営。数多くの熱帯植物を収集、ボイラーのある大型温室や、オオオニバスの池など、熱帯植物園を1885年(明治18年)に完成させた。

 2002年(平成14年)、この「江の島植物園」がリニューアル工事される際に、コッキングの温室跡が発見、整備されて公開されるようになった(写真下)。新しくオープンした植物は「江の島サムエル・コッキング苑」と名付けられた。

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●江の島シーキャンドル

 湘南のシンボルとして親しまれる愛称「江の島シーキャンドル」(展望灯台)は、2002年の江ノ電開業100周年事業の一環として旧「平和塔」の脇に建設され、2003年にオープンした。旧「平和塔」は、解体された。

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 避雷針含む塔の高さは、地上60m、海面から120m。展望台にはエレベーターで昇れ、360度の展望が楽しめる。平日は17時までだが、土休日は20時まで営業、LEDによるライトアップも時折り行われる。

 展望灯台から北の方角、藤沢市街を展望。左(西)手に新江ノ島水族館、突き出た堤防は片瀬漁港、その後方に江ノ電の片瀬江ノ島駅がある。境川河口の右の砂浜は片瀬海水浴場。右手は鎌倉方面。

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 さらに左手、西の方角に目をやれば、相模市・海老名市方面、武甲山、御岳山、丹沢、富士山、箱根、伊豆半島、伊豆大島などが遠望できるが、この日は遠くが霞んでいて確認出来なかった。

 東の方角を展望。三浦半島、房総半島方面。眼下の緑は「江の島サムエル・コッキング苑」。

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 南の方角は、断崖絶壁。大正の関東地震により島全体が2m近く隆起し、海蝕台(写真下)が海面に現れたという。

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 江の島にはこのほか、八坂神社、児玉神社、江の島大師など神社仏閣、県立かながわ女性センター、市民の家(廃校になった分校)などの施設、岩屋洞窟、様々な銅像、記念碑・顕彰碑、歌・詩碑句碑、石碑、墓石など、1日で回りきれないほど名所・旧跡がある。

 

 午後4時頃、江の島を後にする。

 エスカーで展望灯台まで行く、2時間ほどの急ぎ足の散策であった。

 

 ★ ★ ★

 社伝では、552年欽明天皇の勅命により、江の島の南側にある洞窟(海蝕洞)に宮を建てたのが、江島神社の始まりであると伝えている。また洞窟は修行の場として、古代から多くの行者や高僧が修行に励んだ伝えられている。

 『吾妻鏡』によれば、1182年に源頼朝の祈願により文覚上人が弁財天を勧請、頼朝が参拝の折りに鳥居を奉納したことで、代々将軍や御家人の江の島信仰が盛んになった。

 江戸時代には江戸っ子の行楽として、大山、江の島、鎌倉、金沢八景を結ぶルートが流行した。寺社参拝だけでなく、名勝旧跡を訪ね、名物料理を味あい、名産品を土産にという遊山(ゆさん)、つまり観光の側面が強かった。

 江の島は、浮世絵に描かれたり、歌舞伎の舞台となったりして、広く全国に知られるようになった。 以下は、葛飾北斎と歌川広重の浮世絵(いずれもウィキベディア「江の島」から引用、出典:ウィキメディア・コモンズ)。

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 「江島神社」の祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(うけい、占いのこと)により生まれた三姉妹の女神。三女神を「江島大神」と総称し、「江島神社」はそれぞれの女神を祀る「辺津宮」、 「中津宮」、「奥津宮」の三社からなる。 

 江戸時代までは「弁財天女」を祀っており、「江島弁財天」、「江島明神」と呼ばれ、日本三大弁財天のひとつとして信仰されていた。日本三大弁財天とは、安芸の宮島、近江の竹生島、江の島の3つの弁財天のこと。

 「弁財天女」は、いわゆる「弁天様」として七福神の一員となって宝船に乗っている紅一点だが、海や水の神の他、幸福や財宝を招き、芸道上達の神として、今日まで崇敬されている。

 神仏習合の時代の千年以上、江島神社は「金亀山与願寺」( きんきざんよがんじ )と称し、神仏双方が祀られていた。明治の廃仏毀釈で寺は廃され、国家神道の「江島神社」という神社となった。江の島に現在の三女神が祀られたのは、明治の廃仏毀釈後の現在までのたった140年のことだそうだ。

 

 1902年(明治35年)江ノ島電鉄が開通、多くの観光客が利用するようになる。更に鎌倉まで全通すると、江の島~鎌倉を結ぶ観光ルートが出来、更に修学旅行なども加わるようになった。

 戦後、江の島を含む鎌倉郡片瀬町は藤沢市に編入、藤沢市と江ノ島電鉄による江の島の観光地開発が本格化。コンクリートの江の島弁天橋、江の島植物園、平和塔などの観光施設が出来る。1959年(昭和34年)、藤沢市は米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結び、「東洋のマイアミビーチ」というキャッチコピーで観光開発に更に力を入れるようになった。その年には江ノ島エスカーを建設、1964年の第18回東京オリンピックではヨット競技会場となった。

 江の島にも、住民はいる。江戸時代から明治、大正にかけて島の人口は600~700人台だった。昭和に入って1,000人を突破、現在は急減して360人ほどだそうだ。

 

 藤沢市は、神奈川県南部中央に位置し、相模湾に面して湘南の海に開かれ、遠くに富士山を望む。東京・横浜のベッドタウン、工業都市、文教都市であり、江の島、片瀬・鵠沼(くげぬま)・辻堂の美しい海岸を有する観光都市でもある。藤沢市のホームページによると、2014年(平成26年)の年間観光客数は1,773万人で、前年の約220万人増(14.2%増)だったそうだ。

 湘南と呼ばれる地域の中では、藤沢市は最大の人口約42万人を有する。政令指定都市である3市(横浜市、川崎市、相模原市)に次ぎ、県内4位の大都市である。

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