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2015年6月16日 (火)

水郷の佐原と潮来

 2015年6月13日(土)、千葉県と茨城県をまたいで、佐原と潮来(いたこ)へ行く。

 

 この辺りは、関東平野東部の「水郷筑波国定公園」に指定されている。

 千葉県の旧佐原市は、2006年に香取郡小見川町・山田町・栗源町と合併して香取市となった。香取市は千葉県の北東部にあり、市北部を東西に流れる利根川を挟んで茨城県と接する。

 利根川下流の「水郷」の風情が漂うの町の一つで、その流域には水田地帯が広がり、千葉県の米どころ。古くから早場米産地として知られる。南部は、山林と畑を中心とした平坦地。農業が基幹産業で首都圏の食糧生産地。

 江戸時代に水運で栄えた佐原には、小野川周辺に広がる「小江戸」とも称される歴史景観の街並みを残す。また「香取神宮」の門前町としても有名。

 首都高、京葉道路、東関東道と乗継ぎ、香取佐原ICから2、3分のところにある「香取神宮」に、9:25到着。

 

●香取神宮

 旧佐原市香取にある「香取神宮」の旧社格は、官幣大社。関東地方を中心に全国に400社ある香取神社の総本社。朱塗りの大鳥居まで土産屋が並ぶ参道が続く。

 

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  明治以降は、明治神宮、熱田神宮、平安神宮、橿原神宮、宮崎神宮などなど、勅許により特定の神を祭神とする神社の一部が、「神宮」を名乗った。しかし江戸時代以前から社号を「神宮」とする神社は、「伊勢神宮」、「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市)と「香取神宮」の三社のみであった。

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 「香取神宮」は、近隣の「鹿島神宮」と深い関係にある。「鹿島」・「香取」と並び称され、朝廷や武士から武神を祭っていることで有名。現代でも武術分野での信仰が強く、道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた掛軸が対で掲げられることが多い。

 玉砂利の長い参道を歩く。桜や楓のうっそうとした木々に囲まれている。

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 参道の石灯籠には、鹿の彫刻が数多く見られる。

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 香取神宮と鹿島神宮は、鹿は神様の使者である神鹿(しんろく)、また鹿が飼育されているそうだ。奈良の春日大社も鹿で有名だが、春日大社が創建されたときに、白い鹿に乗って鹿島大明神が奈良にやって来たと伝えれれている。

 以下は、朱塗りの楼門、檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿と本殿。

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 本殿と楼門は、国の重要文化財。拝殿は国の登録有形文化財。旧拝殿(祈祷殿、写真なし)は、千葉県指定文化財に指定されている。

 拝殿の前に立つ「御神木」、参道横にある「要石(かなめいし)道」の道標。

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 「御神木」は、周囲10m、樹齢1000年といわれる大杉。「香取の森」と呼ばれる12万3千㎡に及ぶ広大な境内には、このような巨杉、老杉がうっそうと茂る。

 この地方は地震が多く、人々はとても恐れていた。「要石道」の道標から奥宮へ向かう途中、護国神社の少し奥に「要石」があるという。要石は、地中に住む大鯰(なまず)を押さえつける地震の守り神。鹿島・香取の両神宮の境内には、それぞれ地中深く突き刺さった要石があるそうだ。

 

 香取佐原ICにもどり、東関東道を1区間北上した潮来ICから、潮来市の「水郷潮来あやめ園」へ。10:40到着。

 潮来(いたこ)市は、茨城県の南東部に位置する。霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面した水郷で有名な町の一つ。江戸時代に利根川水運の港町として栄えた。2001年に潮来町が牛堀町を編入し市制を施行した。

 「水郷潮来あやめ園」を中心としたあやめ(花菖蒲)の名所や、十二橋めぐりといった水郷特有の観光名所があるほか、ここも米を中心とした農業が中心。 

 

●水郷潮来あやめまつり

 潮来市では、今年も5月23日~6月28日の期間、「水郷潮来あやめまつり」が開かれている。そのまつりのメイン会場となるのが、「水郷潮来あやめ園」。1976年(昭和51年)に開園した「前川あやめ園」が、2013年(平成25年)に改称した。

 前川沿いにある園内には、約500種100万株のアヤメ(花菖蒲)が植えられていて、白、紫、黄の色とりどりの花が咲き誇る。一番の見頃は6月中旬。

 大会期間中は、「嫁入り舟」や「あやめ踊り」、「ろ漕ぎ舟遊覧」など様々なイベントが開催されている。下の写真は、 [潮来市公式ホームページ]より引用したチラシの表裏。

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●嫁入り舟

 この地方は水郷地帯であったことから、水路が縦横に張りめぐらされ、1955年(昭和30年)前半ごろまでは「ろ(櫓)舟」(サッパ舟とも呼ぶ)は、日常の交通手段として利用されていた。嫁入りや花嫁道具の移動もこの「ろ舟」が使われ、対岸で待つ婿のもとへやってきた。この情緒豊かな嫁入りの様子を「水郷潮来あやめまつり」で披露する。

 「水郷潮来あやめ園」内には「潮来花嫁さん記念碑」(写真は [潮来市公式ホームページ]より)が設置されており、花嫁は記念碑前に到着後、船頭・仲人と共に園路を歩き、ろ舟乗り場から出航する。

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 花村菊枝の『潮来花嫁さん』の音楽が流れる中、嫁入り舟が前川をゆっくりと下る。

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 まつり関係者の話では、花嫁は一般の人だそうだ。前後1年以内に結婚された人、または結婚予定で、出身地・国籍は不問。あやめまつり期間の数か月前に、35組を募集。当日挙式・披露宴の予定のある人を優先し、応募者多数の場合抽選。乗船は花嫁と仲人または両親の3名。花嫁は16歳以上だったら何歳でも、また再婚でも良いそうだ。

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 1955年(昭和30年)には、美空ひばり主演映画『娘船頭さん』のロケが水郷潮来で行われ、更に1956年(昭和31年)に花村菊江が歌った歌謡曲『潮来花嫁さん』の大ヒットにより、潮来の名や嫁入り舟は全国的に知られるようになった。

 「潮来の伊太郎・・・」で有名な股旅もの歌謡曲『潮来笠』は、1960年(昭和35年)に発売された橋幸夫のデビュー曲、「第2回日本レコード大賞」の新人賞を受賞した。あやめ園には『潮来笠』の歌碑や、潮来の伊太郎のブロンズ像が建てられている。

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●水郷佐原あやめ祭り

 佐原でも 5 月30日~6月28日、「水郷佐原あやめ祭り」が 「水郷佐原水生植物園」(入園料700円)で開催中。400品種150万本の花菖蒲は、東洋一を誇る。「園内舟巡り」、「嫁入り舟」や「佐原囃子」の演奏と手踊り、オランダ楽隊の演奏などのイベントもあるそうだ。

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 潮来から香取市佐原に戻るが、時間の都合で「水郷佐原水生植物園」は省略して、「小江戸佐原の歴史的町並み」に向かう。

 佐原はうなぎが有名、創業300年の「うなぎ割烹山田」などの老舗があるそうだ。12:45、千葉銀行の向かいにある「桶松食堂」に入る。昼時で混み合っている。ここは創業100年の名店で、ボリュームのあるカツ丼が人気。親子丼(950円)を注文したが、少食の筆者には、これでも食べきれなかった。

 

●小江戸佐原の歴史的町並み

 中心部を流れる小野川沿いには、今も多くの商家や町家が軒を連ね、水運で発展した古い街並を現代に残している。また、数々の時代劇やドラマのロケ地にもなっている。

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●伊能忠敬記念館と旧宅

 「伊能忠敬記念館」(下の写真)は、小江戸佐原の町並みにあり、忠敬の生涯と功績を展示してあるそうだ。時間の都合で、入館(入館料500円)せず。

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 記念館のすぐ近くの「伊能忠敬旧宅」は、国の史跡に指定。店舗、炊事場、書院、土蔵が残っていて、入館無料。下の写真は、書院。

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 忠敬は17歳で婿養子になって、醤油や酒の醸造業を営む伊能家に入る。家業のほか佐原の名主や村方後見を務め、50歳までの30年余りを過ごした。

 伊能忠敬旧宅の敷地に建つ銅像。

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 忠敬は50歳で隠居して江戸へ出て、幕府天文方の高橋至時に暦学天文を学ぶ。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行った。73歳逝去。没後3年にして「大日本沿海輿地全図」は完成し、「伊能図」とも呼ばれている。

 名字帯刀を許されたとはいえ武士でない数術好きの隠居が、寿命が短かった時代に関わらず50歳から勉強し、70歳過ぎまで全国を駆け回った彼のライフワークは凄いことだ。この大偉業を成し遂げた忠敬に足元も及ばない筆者は、ただただ敬服するばかりである。

 全国測量の旅に出かける際は、安全祈願のために江戸・深川の「富岡八幡宮」に必ず参拝に来ていた。2012年1月に行った「富岡八幡宮」の境内にも忠敬の銅像があった。

 本ブログ関連記事:「深川界隈」
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-189d.html

 「伊能忠敬旧宅」前にある小野川にかかる「樋橋(とよはし)」は、もとは農業用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大きな樋(とよ)で江戸時代前期に造られた。戦前にコンクリート橋になってからも、橋の下側の大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ち「ジャージャー」と音を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の愛称で親しまれている。

 今の橋は観光用に造られたもので、30分ごとに落水させている。この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれているそうだ。

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 佐原の土産物は、小鮒(コブナ)を串に刺した「すずめ焼き」、ワカサギを串に刺した「いかだ焼き」などの川魚佃煮が有名。   

 

 14:45佐原の歴史的町並みをあとにして、東関東道の佐原香取ICから、圏央道の開通区間を経て、帰宅。

 
 ★ ★ ★

 江戸時代になって、東北地方諸藩の物産を載せて江戸に向かう千石船が、銚子河口から利根川を遡上して、潮来で高瀬舟に積み替えを行った。潮来の前川は、行き交う大小の船で賑わい、荷の揚げ降ろしの船付場(河岸、かし)が続く中継港として大いに繁栄をした。

 しかし江戸中期の元文年代(1736~1740年)の大洪水で、利根川の本流が佐原地方に移ると、潮来の中継港としての拠点機能は、佐原に移ってしまった。

 水運で繁栄した佐原の人々は、江戸の文化を取り入れ、更にそれを独自の文化に育てた。しかし明治以降、鉄道の常磐線が開通してからは、水運は一挙に衰退していった。

 「小江戸佐原」と呼ばれる当時の面影を残す町並みは、市街地の小野川沿岸や香取街道に今でも残っていて、市は観光資源として取り組んでいる。

 「小京都」や「小江戸」と呼ばれる都市は、銀座商店街ほどではないが、全国各地にある。「小江戸」の代表的な都市として埼玉県川越市が有名だが、「小江戸佐原」は昔からの家業を引き継いで今も商売を続けている商家が多く、「生きている町並み」としても評価されている。

 小京都と呼ばれる都市が集まる「全国京都会議」がある。1985年(昭和60年)に結成され、京都市を含む26市町が加盟している。一方で「小江戸サミット」が、1996年から開催されている。こちらは川越市、栃木市、香取市の3市で、「小江戸」をキーワードとしたまちつくりに取り組んでいるそうだ。

 明治時代から昭和の初めにかけて、水のほとりの村や河川や湖沼の多くある景勝地は、水郷(すいきょう)と呼ばれていた。その中でも利根川下流から霞ヶ浦にかけての低湿地は、特に水郷(すいごう)と呼ぶようになったそうだ。水郷では、移動手段として舟運が発達していた。

 日本各地で「水郷」と呼ばれているのは、潮来市と香取市のほか、埼玉県越谷市、滋賀県近江八幡市、福岡県柳川市、大分県日田市、島根県松江市、岐阜県大垣市、宮崎県延岡市などがあるそうだ。

 「水の都」とか「水都」という呼び方もある。低湿地の水郷とは異なり、大阪の難波のように運河や水路、河川等の水の景観が、大きな役割を果たしている都市をいうらしいが、かならずしも定義は明確ではない。

 1996年(平成8年)国土交通省が、水環境保全の重要性を広報するため、地域の水をめぐる歴史文化や水環境の保全に努め、水を活かした町づくりに優れた成果をあげている地域を認定した「水の郷百選」というのもある。

 「水郷水都全国会議」は、全国の水環境を守る市民のネットワーク。1984年に琵琶湖畔で開催された世界湖沼会議に参加した市民の交流をきっかけに始まった。水郷だけでなく各地域での水環境問題(干拓問題、海・湖・河の問題など)を焦点に取り上げながら、市民・研究者、団体・企業・自治体など幅広い人びとが参加し、交流を重ねているという。

 水郷の佐原と潮来の町を巡って、水にかかわる歴史や文化、水環境の保全など考えさせられた。

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