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2015年6月の4件の投稿

2015年6月28日 (日)

小田原方面の旅

 2015年6月25日(木)、神奈川県にある2つの工場を見学する日帰り研修旅行に行く。

 

 見学先は、アサヒビールの神奈川工場(南足柄市)と、国立印刷局の小田原工場(小田原市)。

 このところ不安定な天気が続いていたが、この日は梅雨間の晴れ。30名ほど参加者を乗せたバスは、7:30出発。早々とお茶にビール、つまみが配られ、車中はにぎやかにカラオケも始まる。

 東名高速の大井松田ICで降り、9:55には最初の訪問先「アサヒビール神奈川工場」(神奈川県南足柄市怒田)に到着。

 広大な敷地の緑の中に、工場とは思えぬしゃれた建物が並んでいる。

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 消費地を関東エリアとする神奈川工場は、「地球・地域・人との調和を考えた21世紀の環境創造工場」と謳う。アサヒビールの中では、2002年に操業した最も新しい、自動化が進んだ工場。

 工場内は、仕込み釜や濾過室、巨大な発酵・熟成タンク、びん詰・缶詰などのビール製造工程や品質管理室など、案内のおねえさんについて見学コースを歩く。環境への取り組み、自然との調和についても説明を受けた。ビールの原料である麦芽やホップの展示品に、実際に触れてみた。工場内は、残念ながら撮影禁止。

 見学後はゲストホールに移り、お楽しみのビールの試飲。出来立ての美味しい生ビールをタンブラーグラスで3杯まで無料で飲める。ただ時間が限られているので、2杯くらいが限度だった。バスの中で配られた発泡酒を飲むのを、止めとけば良かった。

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 発酵・熟成タンクの直径は8.5m、高さは大きいもの約20m。タンク1本には、500㎘のビールが入っている。神奈川工場には、この巨大なタンクが50本あるそうだが、見えてるのはその一部。

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 11:25アサヒビールを退出し、小田原市へ。

 

 小田原市は神奈川県西部に位置し、人口約20万人。戦国時代は北條氏の、江戸時代は小田原藩の城下町として栄えた。東海道の宿場町、箱根の玄関口、小田原ちょうちんやかまぼこが有名。

 

 12:05から1時間ほど、「鈴廣かまぼこの里」(小田原市風祭)で昼食と買い物。ここは、買い物や食事処、かまぼこ博物館や体験教室などの施設が集まったところ。お店では50種類以上のかまぼこや、干物や塩からなどが販売されている。

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 次の見学先の「国立印刷局小田原工場」(小田原市)には、13:25到着。

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 ここでは、事前に見学者の氏名・住所の名簿を提出し、入門の時にチェックを受ける。門から先は、撮影禁止。

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 まず印刷局の仕事の説明があり、ここは日本銀行の発注に基づきお札(日本銀行券)を製造するところ。ほかに官報、旅券、切手、証紙などの印刷もしているそうだ。コインを製造する造幣局と、よく間違えられるという。

 参加者は2グループに分かれ、それぞれの案内者について見学。紙幣の原材料のミツマタを見せてもらい、製造現場では2階廊下にある印刷機の模型で説明を聴いた後、廊下のガラス窓越しに、巨大な印刷機からお札が次々と出てくる様子を見学。

 展示室では、お札の製造工程、お札の歴史、小田原工場の歴史、偽造防止技術について学び、1億円の札束を手に抱えて重さを実感する。身近なお札の話とあって、参加者は案内者には質問攻めだった。

 15:40印刷局を出て、16:00~16:20小田原漁港・小田原魚市場のすぐそばにある「小田原さかなセンター」で海産物の買い物。

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 帰りは、小田原厚木道路から東名、圏央道、関越へと、カラオケやゲームを楽しみながら、午後6時半に出発地に無事帰着。

 

 ★ ★ ★ 

 アサヒピールで会社の沿革のパネルを見て、その歴史を学ぶ。

 1889(明治22年)に「朝日麦酒(株)」の前身である「大阪麦酒会社」が創業。1906(明治39年)には、大阪麦酒(株)、日本麦酒(株)、札幌麦酒(株)の3社合同により、「大日本麦酒(株)」が設立されたが、戦後の1949(昭和24年)に分割されて「朝日麦酒(株)」が創立された。

 1989(昭和64年)に「朝日麦酒(株)」から「アサヒビール(株)」に社名を変更。ニッカウヰスキー、三ツ矢サイダー、バャリース、カルピスなどのブランドが、アサヒビールの販売だとは知っていたが、最近はブランディーやワインなどの洋酒、焼酎、チューハイ、お茶飲料などの分野にも参入し、総合飲料メーカーであることに改めて気づく。

 酒類事業、飲料事業、食品事業、国際事業、その他の事業を吸収したアサヒビール(株)は、2011年商号変更を行い、「アサヒグループホールディングス(株)」に移行した。グループ会社は、連結子会社がアサヒビール(株)、アサヒ飲料(株)、ニッカウヰスキー(株)をはじめとして50社以上、関連会社も50社以上あるという。

 

 NHK連続テレビ小説『マッサン』は、2014年9月末から2015年3月末まで放送され、好評を博した。

 理想のウイスキーつくりの夢を追い続けた主人公と、その夢を支えて共に生きたスコットランド生まれの妻との夫婦愛の物語。ニッカウヰスキーの創業者である実在の竹鶴政孝とその妻リタがモデル。リタは、夫のことを「マッサン」と呼んでいた。

 ヒロインの 女優シャーロット・ケイト・フォックスが、日本の習慣に戸惑いつつも異文化を学び奮闘する姿を演じ、コメディタッチだが、筆者も含め多くの視聴者の共感を得たのだった。ドラマの結末では、多くの人が涙した。

 マッサンこと竹鶴政孝は、(株)寿屋 (現サントリー(株)の前身)でウイスキー製造に従事していたが、スコットランドに近い気候の北海道で、本物のウイスキー作りたいと退社する。1934年 (昭和9年)、北海道余市町に「ニッカウヰスキー(株)」の前身となる「大日本果汁(株)」を設立、同社の略称「日果 (にっか)」のカタカナ名をブランド名とした。

 2001年 (平成13年)、筆頭株主のアサヒビール(株)が全株式を取得して完全子会社化され、ニッカウヰスキー(株)が製造する商品の販売は、アサヒビール(株)が行なっている。

 マッサン人気で、ニッカの「竹鶴ピュアモルト」の売り上げが急増し、一時品薄になったと聞く。

2015年6月21日 (日)

吉見朝観音2015

 2015年6月18日(木)、今年も埼玉県比企郡吉見町の「吉見朝観音詣り」に行く。

 

 古くから地元では「吉見観音」と呼ばれ親しまれている坂東11番札所「岩殿山安楽寺」では、毎年6月18日に朝早くお詣りするとご利益があるという「厄除け朝観音ご開帳」がある。

 御開帳に日に合わせ、今年も恒例の「吉見観音ウォーキング」が、開催された。出発地の会場に早朝5時集合、吉見観音までの数キロの道のりを徒歩で往復する。しかし、午前中に用事があって参加できず。車で行って参拝し、すぐ帰って来ることに。

 このところ厚い雲で覆われたり、大雨が降ったり、降ったと思ったら晴れたりと、大気の状態が不安定な日が続いている。梅雨時期の6月18日の日は、ここ数年間は雨に降られずに済んだが、この日は朝からあいにくの雨。雨天決行で、ウォーキング参加者は傘やカッパを着用し、吉見観音に向かって出発。

 午前6時頃、車を臨時駐車場に止め「吉見観音」の本堂に向かい、ウォーキング参加者と合流。

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 境内では相変わらず、名物の「厄除け団子」を売る露店が並び、傘を差した大勢の参拝客で賑やか。この頃から、雨も小降りに。

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 本堂正面に安置されているご本尊は、「聖観世音菩薩」。ロウソクの光だけで薄暗くて、観音さまはよく拝観できない。今年も家族の厄除けを祈願。

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 境内の露店で「厄除け団子」を買う参拝客。

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 参拝後、「厄除け団子」の包みを手に提げて帰る人々。

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 境内で売られる名物の「厄除け団子」は、米粉で作ったダンゴに串を通し、醤油をつけて焼いた昔ながらのシンプルなモノ。近所や親せきに配るためか、一抱えも買う人も見かける。江戸時代、疫病が流行した時にダンゴをつくって観音さまへお供えしたところ、疫病がおさまったのが始まりだという。

 

 ★ ★ ★

 「吉見観音」つまり「安楽寺」は、今から約1200年前に奈良時代の僧・行基がこの地に「観世音菩薩」の像を彫って岩窟に納めたことが始まりとし、平安時代初期の坂上田村麻呂が奥州征伐の途中、この地に立ち寄り、戦勝を祈願し、堂宇を建立したと伝えられる古刹。また平安末期、源頼朝の弟範頼がその幼少期に身を隠していたという範頼ゆかりの寺と伝えられる。

 6月18日という日は、ちょうど田植えが終わって一段落した時期というので、昔から決められたのだろうか。当日は深夜0時から昼頃くらいまで参拝客で賑やかというが、だいたい7時頃からは、参拝客はだいぶまばらになるようだ。朝早い方が御利益があるらしいので、まだ暗い午前2時から4時がピークだという話も聞く。その時刻には、まだ行ったことがないが、年が明けた元旦の初詣とどこか似ている。

 

 2014年のブログ記事「吉見朝観音2014」は、こちら。
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-8047.html

 2013年のブログ記事「吉見朝観音2013」は、こちら。
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-8047.html

 2012年のブログ記事「吉見朝観音2012」は、こちら。
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-8047.html

2015年6月16日 (火)

水郷の佐原と潮来

 2015年6月13日(土)、千葉県と茨城県をまたいで、佐原と潮来(いたこ)へ行く。

 

 この辺りは、関東平野東部の「水郷筑波国定公園」に指定されている。

 千葉県の旧佐原市は、2006年に香取郡小見川町・山田町・栗源町と合併して香取市となった。香取市は千葉県の北東部にあり、市北部を東西に流れる利根川を挟んで茨城県と接する。

 利根川下流の「水郷」の風情が漂うの町の一つで、その流域には水田地帯が広がり、千葉県の米どころ。古くから早場米産地として知られる。南部は、山林と畑を中心とした平坦地。農業が基幹産業で首都圏の食糧生産地。

 江戸時代に水運で栄えた佐原には、小野川周辺に広がる「小江戸」とも称される歴史景観の街並みを残す。また「香取神宮」の門前町としても有名。

 首都高、京葉道路、東関東道と乗継ぎ、香取佐原ICから2、3分のところにある「香取神宮」に、9:25到着。

 

●香取神宮

 旧佐原市香取にある「香取神宮」の旧社格は、官幣大社。関東地方を中心に全国に400社ある香取神社の総本社。朱塗りの大鳥居まで土産屋が並ぶ参道が続く。

 

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  明治以降は、明治神宮、熱田神宮、平安神宮、橿原神宮、宮崎神宮などなど、勅許により特定の神を祭神とする神社の一部が、「神宮」を名乗った。しかし江戸時代以前から社号を「神宮」とする神社は、「伊勢神宮」、「鹿島神宮」(茨城県鹿嶋市)と「香取神宮」の三社のみであった。

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 「香取神宮」は、近隣の「鹿島神宮」と深い関係にある。「鹿島」・「香取」と並び称され、朝廷や武士から武神を祭っていることで有名。現代でも武術分野での信仰が強く、道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた掛軸が対で掲げられることが多い。

 玉砂利の長い参道を歩く。桜や楓のうっそうとした木々に囲まれている。

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 参道の石灯籠には、鹿の彫刻が数多く見られる。

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 香取神宮と鹿島神宮は、鹿は神様の使者である神鹿(しんろく)、また鹿が飼育されているそうだ。奈良の春日大社も鹿で有名だが、春日大社が創建されたときに、白い鹿に乗って鹿島大明神が奈良にやって来たと伝えれれている。

 以下は、朱塗りの楼門、檜皮葺(ひわだぶき)の拝殿と本殿。

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 本殿と楼門は、国の重要文化財。拝殿は国の登録有形文化財。旧拝殿(祈祷殿、写真なし)は、千葉県指定文化財に指定されている。

 拝殿の前に立つ「御神木」、参道横にある「要石(かなめいし)道」の道標。

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 「御神木」は、周囲10m、樹齢1000年といわれる大杉。「香取の森」と呼ばれる12万3千㎡に及ぶ広大な境内には、このような巨杉、老杉がうっそうと茂る。

 この地方は地震が多く、人々はとても恐れていた。「要石道」の道標から奥宮へ向かう途中、護国神社の少し奥に「要石」があるという。要石は、地中に住む大鯰(なまず)を押さえつける地震の守り神。鹿島・香取の両神宮の境内には、それぞれ地中深く突き刺さった要石があるそうだ。

 

 香取佐原ICにもどり、東関東道を1区間北上した潮来ICから、潮来市の「水郷潮来あやめ園」へ。10:40到着。

 潮来(いたこ)市は、茨城県の南東部に位置する。霞ヶ浦や北浦、常陸利根川などに面した水郷で有名な町の一つ。江戸時代に利根川水運の港町として栄えた。2001年に潮来町が牛堀町を編入し市制を施行した。

 「水郷潮来あやめ園」を中心としたあやめ(花菖蒲)の名所や、十二橋めぐりといった水郷特有の観光名所があるほか、ここも米を中心とした農業が中心。 

 

●水郷潮来あやめまつり

 潮来市では、今年も5月23日~6月28日の期間、「水郷潮来あやめまつり」が開かれている。そのまつりのメイン会場となるのが、「水郷潮来あやめ園」。1976年(昭和51年)に開園した「前川あやめ園」が、2013年(平成25年)に改称した。

 前川沿いにある園内には、約500種100万株のアヤメ(花菖蒲)が植えられていて、白、紫、黄の色とりどりの花が咲き誇る。一番の見頃は6月中旬。

 大会期間中は、「嫁入り舟」や「あやめ踊り」、「ろ漕ぎ舟遊覧」など様々なイベントが開催されている。下の写真は、 [潮来市公式ホームページ]より引用したチラシの表裏。

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●嫁入り舟

 この地方は水郷地帯であったことから、水路が縦横に張りめぐらされ、1955年(昭和30年)前半ごろまでは「ろ(櫓)舟」(サッパ舟とも呼ぶ)は、日常の交通手段として利用されていた。嫁入りや花嫁道具の移動もこの「ろ舟」が使われ、対岸で待つ婿のもとへやってきた。この情緒豊かな嫁入りの様子を「水郷潮来あやめまつり」で披露する。

 「水郷潮来あやめ園」内には「潮来花嫁さん記念碑」(写真は [潮来市公式ホームページ]より)が設置されており、花嫁は記念碑前に到着後、船頭・仲人と共に園路を歩き、ろ舟乗り場から出航する。

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 花村菊枝の『潮来花嫁さん』の音楽が流れる中、嫁入り舟が前川をゆっくりと下る。

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 まつり関係者の話では、花嫁は一般の人だそうだ。前後1年以内に結婚された人、または結婚予定で、出身地・国籍は不問。あやめまつり期間の数か月前に、35組を募集。当日挙式・披露宴の予定のある人を優先し、応募者多数の場合抽選。乗船は花嫁と仲人または両親の3名。花嫁は16歳以上だったら何歳でも、また再婚でも良いそうだ。

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 1955年(昭和30年)には、美空ひばり主演映画『娘船頭さん』のロケが水郷潮来で行われ、更に1956年(昭和31年)に花村菊江が歌った歌謡曲『潮来花嫁さん』の大ヒットにより、潮来の名や嫁入り舟は全国的に知られるようになった。

 「潮来の伊太郎・・・」で有名な股旅もの歌謡曲『潮来笠』は、1960年(昭和35年)に発売された橋幸夫のデビュー曲、「第2回日本レコード大賞」の新人賞を受賞した。あやめ園には『潮来笠』の歌碑や、潮来の伊太郎のブロンズ像が建てられている。

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●水郷佐原あやめ祭り

 佐原でも 5 月30日~6月28日、「水郷佐原あやめ祭り」が 「水郷佐原水生植物園」(入園料700円)で開催中。400品種150万本の花菖蒲は、東洋一を誇る。「園内舟巡り」、「嫁入り舟」や「佐原囃子」の演奏と手踊り、オランダ楽隊の演奏などのイベントもあるそうだ。

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 潮来から香取市佐原に戻るが、時間の都合で「水郷佐原水生植物園」は省略して、「小江戸佐原の歴史的町並み」に向かう。

 佐原はうなぎが有名、創業300年の「うなぎ割烹山田」などの老舗があるそうだ。12:45、千葉銀行の向かいにある「桶松食堂」に入る。昼時で混み合っている。ここは創業100年の名店で、ボリュームのあるカツ丼が人気。親子丼(950円)を注文したが、少食の筆者には、これでも食べきれなかった。

 

●小江戸佐原の歴史的町並み

 中心部を流れる小野川沿いには、今も多くの商家や町家が軒を連ね、水運で発展した古い街並を現代に残している。また、数々の時代劇やドラマのロケ地にもなっている。

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●伊能忠敬記念館と旧宅

 「伊能忠敬記念館」(下の写真)は、小江戸佐原の町並みにあり、忠敬の生涯と功績を展示してあるそうだ。時間の都合で、入館(入館料500円)せず。

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 記念館のすぐ近くの「伊能忠敬旧宅」は、国の史跡に指定。店舗、炊事場、書院、土蔵が残っていて、入館無料。下の写真は、書院。

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 忠敬は17歳で婿養子になって、醤油や酒の醸造業を営む伊能家に入る。家業のほか佐原の名主や村方後見を務め、50歳までの30年余りを過ごした。

 伊能忠敬旧宅の敷地に建つ銅像。

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 忠敬は50歳で隠居して江戸へ出て、幕府天文方の高橋至時に暦学天文を学ぶ。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行った。73歳逝去。没後3年にして「大日本沿海輿地全図」は完成し、「伊能図」とも呼ばれている。

 名字帯刀を許されたとはいえ武士でない数術好きの隠居が、寿命が短かった時代に関わらず50歳から勉強し、70歳過ぎまで全国を駆け回った彼のライフワークは凄いことだ。この大偉業を成し遂げた忠敬に足元も及ばない筆者は、ただただ敬服するばかりである。

 全国測量の旅に出かける際は、安全祈願のために江戸・深川の「富岡八幡宮」に必ず参拝に来ていた。2012年1月に行った「富岡八幡宮」の境内にも忠敬の銅像があった。

 本ブログ関連記事:「深川界隈」
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-189d.html

 「伊能忠敬旧宅」前にある小野川にかかる「樋橋(とよはし)」は、もとは農業用水を小野川の東岸から対岸の水田に送るための大きな樋(とよ)で江戸時代前期に造られた。戦前にコンクリート橋になってからも、橋の下側の大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ち「ジャージャー」と音を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の愛称で親しまれている。

 今の橋は観光用に造られたもので、30分ごとに落水させている。この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれているそうだ。

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 佐原の土産物は、小鮒(コブナ)を串に刺した「すずめ焼き」、ワカサギを串に刺した「いかだ焼き」などの川魚佃煮が有名。   

 

 14:45佐原の歴史的町並みをあとにして、東関東道の佐原香取ICから、圏央道の開通区間を経て、帰宅。

 
 ★ ★ ★

 江戸時代になって、東北地方諸藩の物産を載せて江戸に向かう千石船が、銚子河口から利根川を遡上して、潮来で高瀬舟に積み替えを行った。潮来の前川は、行き交う大小の船で賑わい、荷の揚げ降ろしの船付場(河岸、かし)が続く中継港として大いに繁栄をした。

 しかし江戸中期の元文年代(1736~1740年)の大洪水で、利根川の本流が佐原地方に移ると、潮来の中継港としての拠点機能は、佐原に移ってしまった。

 水運で繁栄した佐原の人々は、江戸の文化を取り入れ、更にそれを独自の文化に育てた。しかし明治以降、鉄道の常磐線が開通してからは、水運は一挙に衰退していった。

 「小江戸佐原」と呼ばれる当時の面影を残す町並みは、市街地の小野川沿岸や香取街道に今でも残っていて、市は観光資源として取り組んでいる。

 「小京都」や「小江戸」と呼ばれる都市は、銀座商店街ほどではないが、全国各地にある。「小江戸」の代表的な都市として埼玉県川越市が有名だが、「小江戸佐原」は昔からの家業を引き継いで今も商売を続けている商家が多く、「生きている町並み」としても評価されている。

 小京都と呼ばれる都市が集まる「全国京都会議」がある。1985年(昭和60年)に結成され、京都市を含む26市町が加盟している。一方で「小江戸サミット」が、1996年から開催されている。こちらは川越市、栃木市、香取市の3市で、「小江戸」をキーワードとしたまちつくりに取り組んでいるそうだ。

 明治時代から昭和の初めにかけて、水のほとりの村や河川や湖沼の多くある景勝地は、水郷(すいきょう)と呼ばれていた。その中でも利根川下流から霞ヶ浦にかけての低湿地は、特に水郷(すいごう)と呼ぶようになったそうだ。水郷では、移動手段として舟運が発達していた。

 日本各地で「水郷」と呼ばれているのは、潮来市と香取市のほか、埼玉県越谷市、滋賀県近江八幡市、福岡県柳川市、大分県日田市、島根県松江市、岐阜県大垣市、宮崎県延岡市などがあるそうだ。

 「水の都」とか「水都」という呼び方もある。低湿地の水郷とは異なり、大阪の難波のように運河や水路、河川等の水の景観が、大きな役割を果たしている都市をいうらしいが、かならずしも定義は明確ではない。

 1996年(平成8年)国土交通省が、水環境保全の重要性を広報するため、地域の水をめぐる歴史文化や水環境の保全に努め、水を活かした町づくりに優れた成果をあげている地域を認定した「水の郷百選」というのもある。

 「水郷水都全国会議」は、全国の水環境を守る市民のネットワーク。1984年に琵琶湖畔で開催された世界湖沼会議に参加した市民の交流をきっかけに始まった。水郷だけでなく各地域での水環境問題(干拓問題、海・湖・河の問題など)を焦点に取り上げながら、市民・研究者、団体・企業・自治体など幅広い人びとが参加し、交流を重ねているという。

 水郷の佐原と潮来の町を巡って、水にかかわる歴史や文化、水環境の保全など考えさせられた。

2015年6月10日 (水)

東京都美術館「大英博物館展」

  2015年6月7日(日)、特別展「大英博物館展」が開催されている上野の東京都美術館に行く。

 

 9時半、上野駅着。いつ来ても上野公園は人が多い。

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 友人と待ち合わせて、9:45東京都美術館に入館。

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 東京都美術館では、2015年4月18日(土) ~ 6月28日(日)の会期で「大英博物館展」が開催されている。主催は、東京都美術館、大英博物館、朝日新聞、NHKなど。

 

●特別展「大英博物館展―100のモノが語る世界の歴史」
(The British Museum Exhibiton: A History of the World in 100 Objects.)

 「人類の文化遺産の殿堂」として、世界中のあらゆる地域と時代から集められた大英博物館の収蔵品は、700万点を超えるという。今回の特別展は、その所蔵品の中から厳選された100の展示品を通じて、200万年前から現代に至る「人類の創造の歴史」をたどる。観覧料は、当日券1,600円。

 大英博物館展のチケットとパンフレット。

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 大英博物館展図録(公式カタログ、2,400円)を購入。

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 観覧前は、いろいろな地域、時代のモノが、単にバラバラに並べられているのに過ぎないのか、それともどう体系化されて展示されているのか、興味があった。

 しかし、200万年前の第1章「創造の芽生え」から現代の第8章「工業化と大量生産が変えた世界」までの8つのテーマに分け、各テーマは世界地図のパネルを使って展示品が紹介されていた。

・まず「プロローグ」の展示室に入ると、いきなり紀元前600年のミイラの棺(ひつぎ)が目に飛び込んできて、驚く。中のミイラは、棺には女と書いてあったが、近年CT検査をすると何故か男だったそうだ。

・第1番目の展示品は、200万~180万年前の「オルドヴァイ渓谷の礫(れき)石器」で、アフリカのタンザニアで発見された。大英博物館が所蔵する最古のモノ。 石を打ち欠いて加工成形した打製石器とは異なり、礫石器というのは自然のままの石。木の実や動物の骨を叩き割ったり、磨り潰したりした。展示品は、どうみてもただの石だが、人工的に擦り減った痕跡があり、人類の遺骸と砕かれた動物の骨のセットで見つかった状況から、これは原始人が使ったと石だと判断されている。

・石器時代の素朴なモノもあるが、王家の墓から発見されたという「ウルのスタンダード」のと呼ばれる用途不明の箱はすごい。紀元前2500年のメソポタミアの時代、このような緻密な工芸品があったのか。箱に描かれた戦争の場面、宴会の様子が、当時の文明を物語る。

・ローマ帝国の「ミトラス神像」は、ミトラス教の神が雄牛を殺している場面。神の衣装のリアルさと質感が、とても大理石の造形とは思えない。ミトラス教は、ローマ帝国の中で飛躍的に広まったが、やがてキリスト教に隆盛とともに消えて行った。歴史の表舞台に立てなかったミトラス教は、この「ミトラス神像」に歴史の記憶を残している。

・南米初の国家を造ったモチェ族の「モチェ文化の壺」は、若い兵士をかたどっている。モチェ族は残酷な民族だったそうだが、3~4頭身のこの人形型壺は、ユーモラスな顔立ちで、実にカワイイ。

・日本のモノは、葛飾北斎の「北斎漫画」や磁器で作られた「柿右衛門の象」などいくつかあった。こういうモノは、ヨーロッパ人には珍しくて面白かったに違いない。 

・「アメリカの選挙バッジ」は、1860年代に大統領選挙のキャンペーンとして、肖像写真入りバッジが大量に作られた。他の消費財と同様に使い捨てにされたという皮肉か。「クレジットカード」も、現代のモノの一つとして展示は少し違和感があるが、貨幣・紙幣経済の歴史を見た後では納得できる。

・100番目のモノは、「ソーラーランプと充電器」。太陽電池とLEDランプは、低コストで大量生産できるが、電力がふんだんに使える先進国には不要だ。電力が普及していない貧しい国の夜の照明として、あるいはパソコンや携帯電話に利用され、彼らの暮らしを一変させた。現代文明の利器が、世界の貧困を救っているかと思うと、世界の歴史を語る最後にふさわしい。
 

 日曜日ということもあって会場は非常に混雑していて、特に小さなモノは近くに寄ってじっくり見られるわけではなかった。背の低い子供たちには、ちょっとかわいそう。子供用に分かり易く解説したミニブック(600円)が、ショップで販売されていた。

 輸送や展示スペースの都合もあると思うが、想像していたより小さなモノが多かった。会場は、撮影禁止だったので残念。

 

●レストラン「IVORY(アイボリー)」

 12:15、予約してあった美術館内のレストランに入る。

 ゆったりした椅子で、少しだけリッチにランチ。ブランチコースは、ポタージュ、野菜サラダ、牛肉の赤ワイン煮込み 、ライス、コーヒー付きで2,500円。それにプレミアムモルツ生700円。

 午後からは、併設の公募展のうち知人の作品が展示されている「日本水彩展」と写真展「視点」を観覧する。

 

●第103回「日本水彩展」

 公募展示室では、日本水彩画会主催の「日本水彩展」が、6月2日(火)~9日(火)の会期で開催している。観覧料700円(大英博物館展チケット持参の場合は300円)。

 この公募展は、受賞者が100人くらい、入選者が1,000人以上いて、展示点数が全部で1,222点もある。ロビー階の第1~第4公募展示室を貸し切っていて、観て回るだけで相当な時間がかかりそう。

 「日本水彩展」の受付の看板とチケット。
 
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 日本水彩画会創立の考え方を尊重し、会として特定の方向性は定めず、作品は写実の伝統的なものから、抽象を含む現代的なものまで幅広い作風を受け入れているそうだ。

 作品の大きさは、50号とか80号。こういった大規模な水彩画の展示会は初めて観覧したが、水彩画とは思えない油絵風の作品、抽象画や前衛的、アニメ的な表現など、自分が持っていた水彩画のイメージは、この展示を観ていっぺんに吹き飛んでしまった。

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 日本水彩画会は、1913年(大正2年)に当時の有力な水彩画家60余名が結集して、水彩画専門の会として設立された。我国では最も長い歴史をもつ絵画団体の一つ。

 

●2015年 第40回『視点』

 観覧料、500円。公募作品の入賞・入選の205作品が展示されている。

 写真展「視点」のチケットとパンフレットに掲載されている写真。

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 5枚~8枚の組み写真、モノクロの写真が多い。絵画的な写真、芸術的な写真というよりも、報道写真、社会派写真といった感じの写真が多い。

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 この写真展の主催団体である「日本リアリズム写真集団」(JRP)は、1963年に結成、プロ、アマ問わず全国に800人以上の会員がいるという。写真を学び、撮り、発表するという旺盛な写真活動を展開、著名な写真家も数多く参加しているそうだ。付属の写真学校「現代写真研究所」を開設している。

 なお、日本を代表する写真家である土門拳と木村伊平は、「リアリズム写真」においては双璧を成すが、1966年には「日本リアリズム写真集団」の顧問に就任している。

 

 ★ ★ ★

 大英博物館は、世界初の国立博物館として1753年に創設、現在も世界最大の博物館のひとつ。所蔵品のほんの1%程度の常設展示だけでも、全部を1日で見ることは不可能だという。収蔵品の多くは、個人収集家の寄贈によるもの。入場料は無料で、施設維持費は寄付やグッズ販売から得られているという。

 収蔵品には大英帝国時代の植民地から持ち去ったものも多く、しばしば返還問題も起こっている。その反面、大英博物館に集められたことで、歴史研究が進展したり、文化財の散逸を防いでいるという側面も否定できない。

 2012年7月のNHKスペシャル『知られざる大英博物館』、第2集「古代ギリシア」でも放映されていたが、古代ギリシアの遺物は、かつては鮮やかな色彩が施されていた。経年により色落ちしていたが、1930年頃に行われた博物館スポンサーの初代デュヴィーン男爵(美術収集家・画商)の指示で、色が剥ぎ取られたそうだ。当時、ギリシャ文明がヨーロッパ人のあこがれとなり、白が純潔の象徴として流行、博物館に訪れる大衆受けを狙うためだったという。この「古代ギリシャ」のNHKテレビを見て、大英博物館のスキャンダルを知り、衝撃を受けた。

 後世になって、自分たちの都合良く歴史の真実を捻じ曲げようとする勢力は、いつの時代もどの国のも存在する。こういった歴史の変更は、決して許されることではなく、今後とも注目していきたい。

 大英博物館展の膨大な所蔵品のほんの一部を観覧して、数百万年の人類の歴史を2時間弱の駆け足で振り返えった。そして、あらためてその時代と地域の生活や社会、信仰や芸術、政治や経済の一端を垣間見ることができた。

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