東京国立博物館「みちのくの仏像」
2015年2月22日(日)、東京国立博物館(東京・上野公園)に行く。
JR上野駅公園口から上野公園の噴水池を通って、博物館へ向かう。正面の本館は、2001年(平成13)重要文化財に指定。
10:00入門。 東北を代表する仏像を集めた特別展「みちのくの仏像」が、1月14日(水)~4月5日(日)の会期で、開催中。
●特別展「みちのくの仏像」
会場の本館特別5室へ入室。観覧料1,000円。
東北の「三大薬師」と呼ばれる、「黒石寺」(こくせきじ、岩手県)、「勝常寺」(しょうじょうじ、福島県)、「双林寺」(そうりんじ、宮城県)の「薬師如来座像」をはじめ、東北6県を代表する仏像19点が出品。東日本大震災から4年を迎え、復興支援のため東京での公開となった。収益を震災で被害を受けた東北各地の文化財修復に役立てるという。
右の写真(東京国立博物館HPより引用)は、岩手県「黒石寺」蔵の重要文化財「薬師如来坐像」、平安時代・862年(貞観4年)の製作。左は特別展パンフレットの表紙。
黒石寺は、2月に行われる裸祭り「蘇民(そみん)祭」でも有名。この坐像は、9世紀の貞観地震(869年)を経験し、今回の21世紀の大地震にも居合わせている。
この仏像が注目されるのは、つり上がった目や引き締まった口元、鋭いまなざし。なぜこの仏像は、厳しい表情をしているのだろうか。
802年、征夷大将軍・坂上田村麻呂は蝦夷(えみし)に侵攻し、東北支配の拠点として「胆沢(いさわ)城」を築く。その60年後、胆沢城と10Kmほど離れた黒石寺に、この薬師如来坐像は造られた。これには仏教による蝦夷教化の狙いがあったという。
坐像の表情がきついのは、朝廷が東北の人々を威圧する意味か、逆に東北の人々の朝廷に対する抵抗の意志のいずれか、仏像の作り手の気持ちが込められている。
左側は、福島県「勝常寺」蔵の国宝「薬師如来坐像」。右側は、宮城県「双林寺」蔵の重要文化財「薬師如来坐像」。いずれも、平安時代・9世紀頃の製作。(いずれも東京国立博物館HPより引用)
「勝常寺」蔵の坐像(左)は、東北初めての国宝。巨材を用いた一木(いちぼく)造りの堂々としたその形は、極めてすぐれているとされる。 「双林寺」蔵の坐像(右)は、ケヤキ一本から全体を丸彫りに造りあげた仏像。肩が張り膝の厚い平安前期の力強さがよく表れているという。
山形県「本山慈恩寺」蔵の「十二神将(じゅうにしんしょう)立像」。左から、丑神、寅神、卯神、酉神。鎌倉時代・13世紀の製作。 (東京国立博物館HPより引用)
薬師如来を守護する武神12体のうちの4体を展示。活き活きとしたリアルで個性豊かな本像は、都の仏師による作で、東北を代表する十二神将。
そのほかの主な仏像。
左から、岩手県「天台寺」蔵の重要文化財「聖観音菩薩立像」、平安時代・11世紀。宮城県「給分浜観音堂」蔵の「十一面観音菩薩立像」、鎌倉時代・14世紀。秋田県「小沼神社」蔵の「聖観音菩薩立像」、平安時代・10世紀。青森県「常楽寺」蔵の「釈迦如来立像」、江戸時代・17世紀、円空作。(いずれも東京国立博物館HPより引用)
特別展の入館券で、総合文化展(常設展)を巡る。
●本館(日本ギャラリー)
本館2階(第1室~第10室)では、「日本美術の流れ」のテーマで、縄文時代から江戸時代までの「仏教の美術」「茶の美術」「武士の装い」「能と歌舞伎」などの小テーマを付した展示を行っている。
本館1階は、「ジャンル別展示」(第11室~第19室)で、彫刻、漆工、金工、刀剣、陶磁、民族資料(アイヌ、琉球)、歴史資料が展示されている。
本館1階北側から、庭園と茶室を望む。庭園は、春の桜と秋の紅葉の季節に一般に公開され、自由に散策できる。それ以外は立ち入り禁止。また、庭園内の5棟の茶室は、茶会・句会等に利用される。
●東洋館の別棟1階にあるホテルオークラレストラン「ゆりの木」。
12:00~12:50、昼食。海の幸丼1,440円を注文。
●東洋館(アジアギャラリー)
2013年1月リニューアルオープン。 中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示。展示は、1階から5階まである。
●表慶館
2014年10月1日(水)より当面の間、展示環境整備のため休館中。当館は、1978年(昭和53)重要文化財に指定。
●黒門
旧丸の内大名小路(現在の丸の内三丁目)にあった鳥取藩池田家の江戸上屋敷正門。明治以降、東宮御所や高松宮邸に引き継がれ、さらに1954年(昭和29)にここに移築された。この門は、1951年(昭和26)重要文化財に指定。
●法隆寺宝物館(法隆寺献納宝物)
西の正倉院、東の法隆寺宝物館と並び称される古代日本文化の宝庫。
●旧十輪院宝蔵
この小さい校倉(あぜくら)造りの建物は、法隆寺宝物館の脇にある。奈良の元興寺の別院「十輪院」にあった経蔵(経典を収める建物)を、1882年(明治15)に移築された。
●資料館
●平成館(考古展示)
2014年12月8日~2016年6月まで、リニューアルのため休館。
●黒田記念館
洋画家・黒田清輝の遺言により、1928年(昭和3)に建てられた。1930年に帝国美術院附属美術研究所として開所。黒田清輝の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵し、展示されている。時間の関係で観覧せず。
15:30、出門。昼食時間を除き、およそ4時間半もの観覧であった。
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帰りがけに、同行した友人たちと、池袋西口から徒歩2分の居酒屋「八丈島」に寄る(16:10~18:30)。
2年前に八丈島を旅行したが、明日葉のおひたし、クサヤ、島寿司などの郷土料理や、島酎(八丈島の焼酎)を懐かしく味わう。
関連ブログ記事 「八丈島-その1~3」 2013年3月
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-9a12.html
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/2-fee6.html
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-f74c.html
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「みちのくの仏像」展の出品数は多くはない。さほど広くはない展示室で、混雑というほどでもなく、午前中は一つ一つをゆっくり見ることができた。日曜日とあって、午後になると来場者が増えてきたようだ。
東洋館で見るアジアの仏像は、ほとんどが石造りの石像。仏教が伝来した頃、飛鳥時代の銅像や塑像は別として、その後の日本の仏像は、木像がいかに多いかを、改めて気付かされる。仏像、建物、橋、船・馬車などの乗り物、家具・・・、日本は「木造の文化」なのだ。そして木は、その日本人のこまやかさを十分に発揮させてくれる。
各国の仏像が、その国の人たちに近い顔をしているのは当然のことであるが、日本の仏像のほとんど(如来や菩薩)が、安らかで、優しい顔をしているのは何故だろうか。日本の仏像を、日本人の目で見ているからであろうか。仏像を信仰の対象、または美術品の対象として見るというよりも、名のある仏師も、名も無き彫り師も、精魂を込めて彫ったという情熱に想いを馳せ、その証しに感動する。
東北地方の仏像は、厳しい風土の中から生まれ、力強く、それでいて優しい、人間味に溢れる表情をしているという。
【追記】
仏像には、以下の4種があり、序列がある。
「如来」: 悟りを開いたもの。仏教で最上の境地に達した存在。釈迦がモデル。
「菩薩」: 如来のもとで悟りを目指し修行を続ける修行者。修業中の釈迦(ゴータマ・シッダールタ)がモデル。
「明王」: 仏法を守る守護神。仏教に帰依しない強情な民衆を力づくでも折伏して救済しようとするため、恐ろしい外貌と憤怒の形相が特徴。不動明王などの五大明王、大元帥明王、愛染明王などがある。
「天部」: 仏教に帰依した他宗教の神々。毘沙門天(多聞天)や大黒天、弁財天、帝釈天など。
なお、薬師如来の「薬師」は、「くすし」のことで、薬を処方する医者、つまり民衆の身体や心の病を癒してくれるという。薬師如来は、手に小さい薬壺(やっこ)を持っている場合がある。日光・月光菩薩を脇侍として従えたり、十二神将を従える。
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