無料ブログはココログ

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月の4件の投稿

2015年2月24日 (火)

東京国立博物館「みちのくの仏像」

 2015年2月22日(日)、東京国立博物館(東京・上野公園)に行く。

 

 JR上野駅公園口から上野公園の噴水池を通って、博物館へ向かう。正面の本館は、2001年(平成13)重要文化財に指定。

Img_2258

 10:00入門。 東北を代表する仏像を集めた特別展「みちのくの仏像」が、1月14日(水)~4月5日(日)の会期で、開催中。

Img_2264


Img_2278

 

●特別展「みちのくの仏像」

 会場の本館特別5室へ入室。観覧料1,000円。

Img_2281

 東北の「三大薬師」と呼ばれる、「黒石寺」(こくせきじ、岩手県)、「勝常寺」(しょうじょうじ、福島県)、「双林寺」(そうりんじ、宮城県)の「薬師如来座像」をはじめ、東北6県を代表する仏像19点が出品。東日本大震災から4年を迎え、復興支援のため東京での公開となった。収益を震災で被害を受けた東北各地の文化財修復に役立てるという。

 

 右の写真(東京国立博物館HPより引用)は、岩手県「黒石寺」蔵の重要文化財「薬師如来坐像」、平安時代・862年(貞観4年)の製作。左は特別展パンフレットの表紙。

Img193Uid000067_2014101611391737454afe

 黒石寺は、2月に行われる裸祭り「蘇民(そみん)祭」でも有名。この坐像は、9世紀の貞観地震(869年)を経験し、今回の21世紀の大地震にも居合わせている。

 この仏像が注目されるのは、つり上がった目や引き締まった口元、鋭いまなざし。なぜこの仏像は、厳しい表情をしているのだろうか。
 802年、征夷大将軍・坂上田村麻呂は蝦夷(えみし)に侵攻し、東北支配の拠点として「胆沢(いさわ)城」を築く。その60年後、胆沢城と10Kmほど離れた黒石寺に、この薬師如来坐像は造られた。これには仏教による蝦夷教化の狙いがあったという。

 坐像の表情がきついのは、朝廷が東北の人々を威圧する意味か、逆に東北の人々の朝廷に対する抵抗の意志のいずれか、仏像の作り手の気持ちが込められている。

 

 左側は、福島県「勝常寺」蔵の国宝「薬師如来坐像」。右側は、宮城県「双林寺」蔵の重要文化財「薬師如来坐像」。いずれも、平安時代・9世紀頃の製作。(いずれも東京国立博物館HPより引用)
 

Uid000067_20141016113907efcc9c89Uid000067_201410161139138667ae50_2

 「勝常寺」蔵の坐像(左)は、東北初めての国宝。巨材を用いた一木(いちぼく)造りの堂々としたその形は、極めてすぐれているとされる。 「双林寺」蔵の坐像(右)は、ケヤキ一本から全体を丸彫りに造りあげた仏像。肩が張り膝の厚い平安前期の力強さがよく表れているという。

 

 山形県「本山慈恩寺」蔵の「十二神将(じゅうにしんしょう)立像」。左から、丑神、寅神、卯神、酉神。鎌倉時代・13世紀の製作。 (東京国立博物館HPより引用)

Uid000067_20150205123056865e355c

 薬師如来を守護する武神12体のうちの4体を展示。活き活きとしたリアルで個性豊かな本像は、都の仏師による作で、東北を代表する十二神将。

 

 そのほかの主な仏像。

Uid000067_2014101611392477690fae Uid000067_20141016113927a0bc202b Uid000067_2014102018433447bb4464 Uid000067_201410161139300e483d6c

 左から、岩手県「天台寺」蔵の重要文化財「聖観音菩薩立像」、平安時代・11世紀。宮城県「給分浜観音堂」蔵の「十一面観音菩薩立像」、鎌倉時代・14世紀。秋田県「小沼神社」蔵の「聖観音菩薩立像」、平安時代・10世紀。青森県「常楽寺」蔵の「釈迦如来立像」、江戸時代・17世紀、円空作。(いずれも東京国立博物館HPより引用)
 

 

 特別展の入館券で、総合文化展(常設展)を巡る。

●本館(日本ギャラリー)

 本館2階(第1室~第10室)では、「日本美術の流れ」のテーマで、縄文時代から江戸時代までの「仏教の美術」「茶の美術」「武士の装い」「能と歌舞伎」などの小テーマを付した展示を行っている。

 本館1階は、「ジャンル別展示」(第11室~第19室)で、彫刻、漆工、金工、刀剣、陶磁、民族資料(アイヌ、琉球)、歴史資料が展示されている。

Img_2361 Img_2362

Img_2369 Img_2367 Img_2353

Img_2365 Img_2381

Img_2377 Img_2372

Img_2357 Img_2360 Img_2274

Img_2355 Img_2346

Img_2345 Img_2378

 

 
 本館1階北側から、庭園と茶室を望む。庭園は、春の桜と秋の紅葉の季節に一般に公開され、自由に散策できる。それ以外は立ち入り禁止。また、庭園内の5棟の茶室は、茶会・句会等に利用される。

Img_2351

 

 

●東洋館の別棟1階にあるホテルオークラレストラン「ゆりの木」。

 12:00~12:50、昼食。海の幸丼1,440円を注文。

Img_2287

 

 

●東洋館(アジアギャラリー)

 2013年1月リニューアルオープン。 中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示。展示は、1階から5階まである。

Img_2266

Img_2289

Img_2294

Img_2297

 

●表慶館

 2014年10月1日(水)より当面の間、展示環境整備のため休館中。当館は、1978年(昭和53)重要文化財に指定。

Img_2283

 

●黒門

 旧丸の内大名小路(現在の丸の内三丁目)にあった鳥取藩池田家の江戸上屋敷正門。明治以降、東宮御所や高松宮邸に引き継がれ、さらに1954年(昭和29)にここに移築された。この門は、1951年(昭和26)重要文化財に指定。

Img_2299

 

 

●法隆寺宝物館(法隆寺献納宝物)

 西の正倉院、東の法隆寺宝物館と並び称される古代日本文化の宝庫。

Img_2301

Img_2309

Img_2305

 法隆寺宝物館から表慶館の方を望む。

Img_2320

 

 
●旧十輪院宝蔵

 この小さい校倉(あぜくら)造りの建物は、法隆寺宝物館の脇にある。奈良の元興寺の別院「十輪院」にあった経蔵(経典を収める建物)を、1882年(明治15)に移築された。

Img_2322

 

●資料館

 入館無料。ただし土、日、祝日は休館。

Img_2326

 

●平成館(考古展示)

 2014年12月8日~2016年6月まで、リニューアルのため休館。

Img_2329

 

●黒田記念館

 洋画家・黒田清輝の遺言により、1928年(昭和3)に建てられた。1930年に帝国美術院附属美術研究所として開所。黒田清輝の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵し、展示されている。時間の関係で観覧せず。

 15:30、出門。昼食時間を除き、およそ4時間半もの観覧であった。

 

 ★ ★ ★

 
 帰りがけに、同行した友人たちと、池袋西口から徒歩2分の居酒屋「八丈島」に寄る(16:10~18:30)。

 2年前に八丈島を旅行したが、明日葉のおひたし、クサヤ、島寿司などの郷土料理や、島酎(八丈島の焼酎)を懐かしく味わう。

Img_2399 Img_2404

Img_2408 Img_2410

 関連ブログ記事 「八丈島-その1~3」 2013年3月

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-9a12.html

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/2-fee6.html

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-f74c.html

 

 ★ ★ ★

 「みちのくの仏像」展の出品数は多くはない。さほど広くはない展示室で、混雑というほどでもなく、午前中は一つ一つをゆっくり見ることができた。日曜日とあって、午後になると来場者が増えてきたようだ。

 東洋館で見るアジアの仏像は、ほとんどが石造りの石像。仏教が伝来した頃、飛鳥時代の銅像や塑像は別として、その後の日本の仏像は、木像がいかに多いかを、改めて気付かされる。仏像、建物、橋、船・馬車などの乗り物、家具・・・、日本は「木造の文化」なのだ。そして木は、その日本人のこまやかさを十分に発揮させてくれる。

 各国の仏像が、その国の人たちに近い顔をしているのは当然のことであるが、日本の仏像のほとんど(如来や菩薩)が、安らかで、優しい顔をしているのは何故だろうか。日本の仏像を、日本人の目で見ているからであろうか。仏像を信仰の対象、または美術品の対象として見るというよりも、名のある仏師も、名も無き彫り師も、精魂を込めて彫ったという情熱に想いを馳せ、その証しに感動する。

 東北地方の仏像は、厳しい風土の中から生まれ、力強く、それでいて優しい、人間味に溢れる表情をしているという。

 

【追記】

 仏像には、以下の4種があり、序列がある。

 
 「如来」: 悟りを開いたもの。仏教で最上の境地に達した存在。釈迦がモデル。

 
 「菩薩」: 如来のもとで悟りを目指し修行を続ける修行者。修業中の釈迦(ゴータマ・シッダールタ)がモデル。

 「明王」: 仏法を守る守護神。仏教に帰依しない強情な民衆を力づくでも折伏して救済しようとするため、恐ろしい外貌と憤怒の形相が特徴。不動明王などの五大明王、大元帥明王、愛染明王などがある。

 「天部」: 仏教に帰依した他宗教の神々。毘沙門天(多聞天)や大黒天、弁財天、帝釈天など。

 なお、薬師如来の「薬師」は、「くすし」のことで、薬を処方する医者、つまり民衆の身体や心の病を癒してくれるという。薬師如来は、手に小さい薬壺(やっこ)を持っている場合がある。日光・月光菩薩を脇侍として従えたり、十二神将を従える。

2015年2月21日 (土)

秩父路の三大氷柱巡り

 2015年2月18日(水)、埼玉県秩父地方の氷柱を巡る。

 

 氷柱(ひょうちゅう、つらら)は、建物の軒下や岩場などから雨水や岩清水が氷結して棒状に伸びた氷。

 寒冷地では長さが数mに及ぶものも見られるが、長い氷柱となるためには一旦融けなければならないため、ただ極寒なだけでなく寒暖がある程度繰り返される必要があるそうだ。また滝が凍り付き、巨大な氷柱群と化したものは、氷瀑という。

 

 全国には大きな氷柱ができる滝・渓谷の名所がいくつもある。埼玉県の秩父市大滝の「三十槌(みそつち)の氷柱」、秩父郡小鹿野町の「尾ノ内百景の氷柱」が、秩父地方の冬の観光名所になっている。2014年1月、秩父郡横瀬町芦ヶ久保に新しい「あしがくぼの氷柱」が作られ、「秩父三大氷柱」が誕生した。

 
 例年1月初旬から2月中旬が氷柱の見頃になるが、その年の気候によって見頃等の時期が変わる。

 

 この日の秩父地方は、大雪で30cmの積雪との予想だった。防水登山靴とスパッツ、防寒着、傘とレインウェアを装備。しかし予報は外れ、朝から小雨やみぞれだったり、曇り。午後から雪となったが、そのうちに雨に変わった。

 関越自動車道を北上、7:45花園インターを降り、国道140号線を秩父市方面に向かう。

 

●尾の内百景の氷柱

 国道299号線を秩父郡小鹿野町の市街から志賀坂峠(埼玉・群馬県境)方面に約18km、龍頭神社前を左折する。花園インターから約1時間半後に、小鹿野町河原沢の尾ノ内渓谷にある「尾の内百景の氷柱」に到着。

 両神山(1,723m)を源流とする尾ノ内渓谷は、緑や紅葉、滝や渓谷など四季折々の自然が楽しめる。百景とは、大げさな名前だと思ったら、地元の人たちがここの氷柱を「冷っけぇ~」とかけて、観光名所にしようと名づけたらしい。

 尾ノ内沢の流水を斜面に散水して凍らせて造形した氷柱は、入場に環境整備協力金200円が必要。

 吊り橋から望む巨大な氷柱は、迫力がある。

Img_6842

Img_6845

Img_6865

Img_6888

 無料サービスの甘酒をいただく。夜は、ライトアップされる。

 

●三十槌(みそつち)の氷柱

 奥秩父の冬の名勝「三十槌の氷柱」は、秩父市大滝地区の荒川河川敷に、1月中旬~2月中旬まで見られる。

 三峰口から国道140号線を雁坂トンネル(埼玉・山梨県境)方面に進み、秩父湖の二瀬ダムの下流、「ウッドルーフ奥秩父オートキャンプ場」から降りた渓流沿いにある。

 切り立つ岩肌の一面に、岩清水が凍り自然が創りだす氷柱のオブジェ。ここは唯一の天然ものの氷柱。駐車料金500円。入り口には、環境整備協力金の募金箱もある。

Img_6900

 幅約30m、高さは8m。氷柱一本は太さ1m以上、長さ3m以上だという氷柱群は、圧巻だ。

Img_6929

 天然ものは、透明度が高く、氷柱一本が太いという。ただし上流には、人工の氷柱もある。

Img_6910

 ここも、夜間ライトアップあり。

 

 国道140号線を戻る途中、「道の駅大滝温泉」に寄る。

 敷地には秩父市の大滝振興会館があり、大滝温泉を使用した日帰り温泉「遊湯館」のほか食事処「帰路館」や特産品販売センター、歴史民俗資料館が併設されている。特産品販売センターで、まんじゅう650円、たまり漬け380円。

 11:35頃、外に出ると雪が本降りになってきた。

 

 
 ちょうど12:00、手打ちそばの店「水沢」(秩父市荒川小野原)に入る。国道140号線を熊谷市方面に向かい、秩父鉄道武州日野駅の手前400mで左折し、日野鷺(ひのさぎ)橋を渡った右側にある。天せいろ1,400円。

 次は、国道299号線を飯能方面へ、横瀬町芦ヶ久保に向かう。

 

●あしがくぼの氷柱

 
  西武秩父線芦ヶ久保(あしがくぼ)駅から散策路を15分、または道の駅「果樹公園あしがくぼ」からだと12分の場所にある。

 雪の中傘をさして、整備された長い散策路を歩く。気温も下がってきて、寒い。

Img_6943

 あしがくぼ氷柱は、秩父郡横瀬町大字芦ヶ久保。環境整備協力金200円払って入場。

  横瀬町の新しい観光名所として兵ノ沢(ひょうのさわ)の水が撒かれ、山肌に幅150m以上の大きな氷柱が作られる。その規模は、三大氷柱の中でも最大で、その大きさ・広さに息をのむ。

 
Img_6985

Img_6986

 近くの西武鉄道秩父線の車窓からも眺められる。 ちょうど西武鉄道「レッドアロー号」が通過。氷柱と電車の良い撮影スポットがあって、ここは鉄道ファンにも人気があるそうだ。

Img_6957

 甘酒または紅茶の無料サービスがある。ここも夜間は、ライトアップ。

 14:15に駐車場を退出。雪がひどくなったため、あしがくぼの氷柱は14時で臨時閉園した。

 

 思い出したが、道の駅「果樹公園あしがくぼ」は、以前登った二子山(883m)、武川岳(1052m)の登山口だった。

 

 

 今冬は例年より暖かいのか、すでに2月中旬で見頃を過ぎたのか、氷柱はやや小ぶりだったようで、地元の人はもっと大きな氷柱ができたのだが・・・と言っていた。

 今日は平日でもあり、大雪の予想ががあったせいか、観光客は少なかった。三十槌は天然の氷柱だが、尾ノ内とあしがくぼは水を撒いて人工的に作られている。人工氷柱はよく見ると、氷柱と言うより氷の塊で、不自然な感じがしないわけではない。いずれにせよ、最近になって秩父地方の氷柱は、冬の風物詩としてして、町おこし、観光の目玉になっている。

 帰りは、また雨に変わって、16:10頃自宅着。

2015年2月 5日 (木)

栃木県北部の冬景色

 2015年2月2日(月)、 栃木県北部、塩谷町と日光市の冬景色を巡る。 天気は晴れ。

 

 未だ夜が明けない早朝、車で出発。埼玉県行田市の「古代蓮の里」に寄ってみる。

 

●古代蓮の里(6:29~7:24)

 古代蓮の水鳥の池。空は白んでいるが、まだ陽は昇らない。3日前の雪がまだ残っている。

Img_6472

 6:40頃陽が昇りると、枯れた蓮の茎をオレンジ色に染め、眠っていたカモたちが活動を始める。

Img_6493

 「古代蓮の里」は、1992年(平成4)から2000年(平成12)にかけて、整備された公園。園内には、6月下旬~8月上旬、42種類12万株の花蓮が咲く。他にも水生植物園、水鳥の池、牡丹、梅、桜のお花見広場がある。古代蓮会館の高さ50メートルのタワーが目を引く。

 古代蓮(行田蓮)は、1,400年~3,000年前の蓮とされている。この付近の公共施設建設工事の際に、多くの蓮の実が出土し、自然発芽して開花しているのが発見された。濃いピンク色で花弁の数が少ない原始的な蓮で、植物学的に極めて貴重なものだそうだ。市の天然記念物。(写真は、行田市生き生き財団のホームページから)

Imggyoudasu

 

 羽生IC(埼玉県)から東北自動車道を走り、8:30大河内スマートIC(栃木県)を出る。

 
 県道63号を北上、塩谷町役場を経て、上寺島のY字路を左折。県道235号線を北西へ向かうと、「西荒川ダム」の人口湖「東古屋湖」がある。

 

●東古屋湖(9:12~10:00)

 東古屋湖(ひがしこやこ)の上流から沿った道を左折し、西荒川に架かる橋(橋の名前は不明)の付近で撮影。

Img_6548

Img_6562

 東古屋湖では、ニジマス、大型のニジマス、ヤマメ、サクラマス、イワナなどが棲息している。3月~12月の解禁期間には、多くの釣り客で賑わいを見せるそうだ。

 

 西荒川に沿って、舗装してない西荒川林道がある。

 林道入り口には、反対同盟会が立てた看板があった。ここから4.5Km先の塩谷町寺島入は、放射性物質を含む指定廃棄物の最終処分場の候補地とされている。

Img_6550

 しばらくすると、地元の人が2名で軽トラックでやってきて、我々よそ者をじろじろ見る。挨拶して話しかけると、今日午後1時ごろ環境副大臣が来て最終処分場を視察するので、これから反対町民が集まるのだそうだ。

 最終処分場の手前には、隠れた名所の「大滝」もある。騒ぎにならない今のうちに、行ってみることにする。「西荒川林道」と書かれた錆びた看板が立つ林道を進む。

Img_6554

 林道を2~3Km進むと、右脇に「大滝」の看板があって、渓流に下りると大滝があるはずだが、雪で看板も大滝のへ下りる道も確認できず。雪も深く、あきらめて引き返す。

 林道入り口に戻ると、すでに町民が十数人くらい集まっていて、我々に何者かと好奇の目で見られた。

 この近辺には反対同盟会が作った看板や、沿道には「最終処分地建設 断固反対」の幟(のぼり)が数多く立っている。いかにも町ぐるみで反対しているという感じ。

Img_6578

 塩谷町上寺島のY字路まで戻り、県道63号を北東に進み、「東荒川ダム」に向かう。

 

●尚仁沢はーとらんど(11:00~11:08)

  尚仁沢(しょうじんさわ)渓谷は、東荒川ダム下流に流入し、那珂川水系荒川に合流する。塩谷町では町おこし事業として、「尚仁沢湧水」の供給施設を設置し、業者向けに販売。また尚仁沢の清水を導水し、この東荒川ダム湖畔に「東荒川ダム親水公園」(尚仁沢名水パーク)を整備した。

 「尚仁沢はーとらんど」は、この東荒川ダム親水公園にあり、地元特産品と軽食、B級グルメ「里芋ふらい」等の販売や四季のイベントを開催する町営施設。

Img_6583

 尚仁沢の清水を現地に行かなくても取水できる給水施設(水汲み場)がある。県外からを含め、タンクを持ち込んが人たちがやって来て水を汲む。

Img_6588

 水色の黒沢橋の向うに、最高峰の釈迦岳1795mなどのいくつかの峰を有する火山群「高原山」が見える。公園内には、遊歩道や水遊び場、児童遊園などがある。

Img_6589

 尚仁沢湧水は、1975年(昭和60)に環境省選定「名水百選」の認定を受けた。栃木県塩谷町と矢板市の境界付近の高原山(釈迦ケ岳1795m)の山麓、標高590mの場所にあり、日量65,000トンにもなる豊富な湧水量を有する。

 水源林により伏流し、冬季でも渇水や凍結することがない。水温も年間通じて11℃前後、水質は天然アルカリイオン水、冷たく軟らかいのが特徴。1997年(平成9)にはおいしい水の中で全国第一位の認定を受け、その後も常に上位に並ぶという。

    
 更に県道63号を川治温泉方面に進み、次の豊月平牧場に向かう。
 

 

●豊月平牧場(11:21~11:38)

 やがて左手に町営の乳牛放牧場が見えてくる。 春から夏の緑の草原は、一面雪で覆われる。 豊月平(ほうげつだいら)牧場は、家畜伝染病予防のため場内には立ち入り禁止。柵外から撮影。

Img_6624

 ここにも指定廃棄物処分場の「断固反対」の幟(のぼり)。

Img_6619

Img_6617

 県道63号線を戻り、全国名水百選「尚仁沢湧水群」に向かうが、遊歩道を30分歩くようで、この雪の中ではちょっと無理。11:52、引き返すことにする。

 

●ふれあいの里(12:22~13:03)

 鬼怒川の上平橋のたもとにある農村レストラン「ふれあいの里しおや尚仁」。

Img_6633

 昼食に天ざるそば、800円。

Img_6626

 尚仁沢の清流と地元産の蕎麦粉を使った蕎麦は、けっこうコシが強い。

 

 再び県道63号線を北上、玉生(たまにゅう)交差点を左折し、国道461号(日光街道)、国道119号、国道120号を走る。

 中禅寺湖、戦場ヶ原を経て右折し、光徳牧場方面に向かう。やはり、日光・奥日光の冬の観光客はちらほら。

 

●光徳沼(14:32~14:51)

 道路から100mばかり雪の中を歩き、光徳沼へ着く。

Img_6637_2

Img_6645

 光徳沼は光徳牧場のすぐ近くにある。戦場ヶ原の湿原に流入する逆川(さかさがわ)上流の沼というより、幅広の川のイメージで、水深も浅い。

 

●龍頭の滝(15:01~15:23)

 もと来た道を戻り、龍頭(りゅうず)の滝の滝壺近くにあるお休み処「龍頭之茶屋」へ。

Img_6651

 滝は、戦場ヶ原から流出する湯川が中禅寺湖に注ぐ手前にある。凍り付いた滝を見るのは初めてだが、ここはやはり紅葉の時期が一番美しい。

Img_6664

 龍頭之茶屋で、お汁粉500円。

 

●中禅寺湖(15:27~15:48)

 中禅寺湖の東側湖岸で見られる冬の風物詩「しぶき氷」を見る。しぶき氷は、冬の北西からの強風で吹きつけられた波しぶきが、木の枝や石に付き、凍ったもの。福島県・猪苗代湖のしぶき氷は、木の枝に付いたのもが多いが、こちらは木の枝が少ないので、水際の石にできるようだ。

Img_6680

Img_6677


 国道120号線から、16:15日光宇都宮道路の清滝ICに入る。宇都宮JCT(ジャンクション)を経て東北自動車道、帰路へ。

 

 ★ ★ ★

 福島第一原発の事故に伴い、環境省は放出された放射性セシウムが付着した焼却灰、稲わら、下水汚泥などの「指定廃棄物」は、発生した県内において処理することとし、宮城、茨城、栃木、群馬、千葉の各県において、それぞれ最終処分場を設置するとしている。

 2012年(平成24)9月、栃木県内では指定廃棄物の最終処分場候補地に、矢板市の国有林野が選定されたが、白紙撤回を求める様々な運動が展開。2013年(平成25)2月、環境省は矢板市の候補地を取り下げ、選定のやり方を見直すこととなった。

 2014年(平成26)7月、環境省副大臣が塩谷町に来庁、栃木県の指定廃棄物処分場の調査候補地に塩谷町寺島入の国有地がなった旨、町長に伝えた。町長はその場で、反対を表明したという。

 
 8月、塩谷町議会は、候補地の白紙撤回を求める意見書を全会一致で可決。意見書では候補地が、「尚仁沢湧水」に隣接し不適切であるとしている。また「塩谷町民反対同盟会」が設立、処分場建設に反対する住民集会を開いた。

 9月~10月、塩谷町議会は、湧水等の保全地域での処分場設置は、町の許可を要するという条例を可決。反対同盟会は、白紙撤回の住民署名を環境省に提出。町長は、指定廃棄物を福島第一原発周辺に貯蔵すべきと主張した。

 11月、環境大臣は県内処理を見直さない方針を表明。栃木県知事は国の方針を支持した。

 

 ★ ★ ★ 

 2月3日付の「下野(しもつけ)新聞」(栃木県の地方新聞)朝刊によると(抜粋)、

- 環境省は今年2月2日、塩谷町上寺島の候補地で面積を測る現地確認を行おうとしたが、候補地に通じる林道を約300人の人垣でふさいだ住民の阻止活動に遭い、この日の立ち入りを中止した。
 林道につながる県道の沿道では、住民らがプラカードを持つなどして環境省への抗議の意思を示した。午後1時ごろ、同省関東地方環境事務所の職員ら計9人が林道入り口付近に到着。人垣をつくり待機していた塩谷町民指定廃棄物最終処分場反対同盟会役員や住民と相対した。 -

 

 林道入り口で、地元の人から環境副大臣が視察に来ると言ったのは間違いで、環境省職員が現地確認に来るということだったようだ。確かに新聞いあるように、林道入り口だけでなく、県道の沿道でもプラカードを持った町民を大勢見た。なお後で調べると、副大臣は町長に面会のため、何度か塩屋町に来庁している。

 

 ★ ★ ★ 

 「放射性廃棄物」は放射性物質を含む廃棄物で、原子力発電所や核燃料製造施設、または放射性同位体 (RI) を使用する実験施設や病院から排出され、「原子力基本法」に取扱いが規定されている。高レベルと低レベル放射性廃棄物に分けられる。

 一方、福島第一原発事故により大気中に放出された放射性廃棄物(放射性物質汚染廃棄物)は、「放射性物質汚染対処特措法」に基づき国が処理する対策地域内廃棄物(避難区域など福島原発に近い地域)と指定廃棄物(それ以外の6県)、「廃棄物処理法」に基づき自治体、業者が処理する通常の廃棄物に分類される。

 

 絶対安全と言われた原発は、事故による汚染問題が発生し、今でも福島第一原発では汚染水の処理が進まず、また汚染により今だ帰宅できない多くの避難民がいる。

 塩谷町では、高原山から清らかな川や、名水とされる湧水の近くの候補地に最終処分場ができ、もし汚染が広がれば取り返しのつかないことになると訴えている。どの自治体に処分場を持って行っても、この狭い国土で最善の解決策は、なかなか見い出せないだろう。

 高レベルの核燃料廃棄物の最終的な処理が、今だに解決できないのと同じように、低レベルであっても安全神話が崩壊した現在、住民を納得させることは困難だ。原発を推進する限り、再びこういった原発事故の汚染問題がつきまとう。

 今や核エネルギーは、人類がコントロールできないということを知るべきである。人類の英知を集めて、核兵器や原発を廃絶することができないものだろうか。政府は、原発の再稼働をやめ、再生エネルギーの開発に注力すべきだ。

 

 

 本ブログの関連記事は、以下の通り。

  2013年08月 戦場ヶ原と日光滝巡り-その2
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-3885.html

  2014年01月 猪苗代湖と裏磐梯の冬景色
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-8d9c.html

 

 

2015年2月 1日 (日)

両国・お茶の水界隈-その2

 2015年1月25日(日)、両国・お茶の水界隈の史跡を巡る。

 本ブログの記事「両国・お茶の水界隈-その1」の続き。

 

 両国駅前で遅い昼食を済ませ、13:41両国駅から総武線に乗る。

 13:47、御茶ノ水駅下車。

Img_6272

 御茶ノ水駅の聖橋口から出て、「ニコライ堂」に向かう。

 

●ニコライ堂(13:52~14:07)

  「ニコライ堂」の名で知られる「東京復活大聖堂教会」は、ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の教会。イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読み)の復活を記憶する聖堂。

Img_6273 

 江戸時代末期の1861年(文久元年)に、函館のロシア領事館の司祭として来日したギリシア正教会大主教・聖ニコライが、1884年(明治17年)に駿河台の火消屋敷跡に建設を始め、1891年(明治24年)に竣工。
 ロシア人シチュールポクの原設計、イギリス人コンドル(日本における西洋建築の草分け)の実施設計によるものであった。関東大震災で被災し、1929年(昭和4年)に修復された。国の重要文化財。石造りの重要文化財としては、最も古い。

Img_6277

 正教会は、東方正教会とも呼ばれる。ローマ・カトリック教会やプロテスタントの諸教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対し、キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がったという。(下は、聖堂のパンフから抜粋)

Leafimg189t

 日本最大のビザンチン式建築物で、水色のドームの屋根と白の壁が美しい、お茶の水のシンボルとなっている。

 聖堂の内部は、午後の数時間だけ拝観でき、300円の献金が必要。写真撮影は禁止。 

 入館するとパンフレットとロウソクを一本渡される。灯りのともった大きな燭台があって、そこから火をもらってお祈りする。
 よく見るキリスト教会と祭壇など内部の様子は、かなり違っている。美しいステンドガラスが張り巡らされ、何か荘厳な印象を受ける。教会の女性スタッフから、説明を聴く。

 ニコライ堂は、イスラム教のモスクに似ているが、これはそもそも東ローマ帝国の勢力下で興ったビザンチン建築様式で、正教会の聖堂やイスラム教のモスク(礼拝堂)にも利用されたという。

 

 聖橋(ひじりばし)を渡って、湯島聖堂へ向かう。

 聖橋から下を見下ろす。JR御茶ノ水駅の中央線快速、神田川とその上を斜めにまたぐ地下鉄丸ノ内線。

Img_6279

 聖橋を渡りきって、振り返るとビルの谷間にニコライ堂の丸い屋根が見える。

Img_6284

 

 
 

●湯島聖堂(14:15~14:28)

 聖橋門から入門し、入徳門をくぐる。入場無料。 

Img_6287

 「湯島聖堂」は、孔子を祀る孔子廟。「日本の学校教育発祥の地」である。湯島天満宮(湯島天神)とともに、合格祈願の受験生が参拝に訪れる。国の史跡に指定されている。

 杏壇(きょうだん)門をくぐる。

Img_6288

 広い前庭があって、左右に回廊、正面が大成殿(孔子廟)。関東大震災で焼失後、コンクリート造りで再建された。

Img_6290

 五代将軍綱吉は、儒学の振興を図るため、1690年(元禄3年)湯島の地に聖堂を創建し、幕府儒臣・林羅山が上野忍岡(現在の上野公園)の私邸内に建てた孔子廟と林家の家塾をここに移した。

 その後、およそ100年を経た1797年(寛政9年)、林家の私塾は林家の手を離れ、幕府は官立学校として「昌平坂学問所」を開設した。

 教育・研究機関としての昌平坂学問所は、幕府天文方の開成所、種痘所の医学所と併せて、後の東京大学へ連なる。また、この地に設立された東京師範学校(東京教育大学、現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流ともなっている。

 

 1975年(昭和50年)、台湾より贈られた世界一大きい孔子銅像。斯文(しぶん)会館の講堂のそばに立つ。

Img_6298

 迎高(ぎょうこう)門。本当はこっちが湯島聖堂の入口。右手に、斯文会館(管理棟)がある。

Img_6305


 東京都文京区の湯島には、湯島聖堂のほか、湯島天神(天満宮)、春日局の墓所がある麟祥院、東京医科歯科大学などがある。さらに近隣の本郷には、同じく順天堂大学や東京大学病院などの医療機関や医療関連会社が集っている。

 湯島と言えば、物理学者・長岡半太郎の伝記に出てくる「湯島小学校」を思い出す。湯島聖堂(文京区湯島一丁目)から少し北に方角の湯島二丁目にある公立小学校。江戸時代の寺子屋が起源だが、明治の学制施行前からの小学校として都内屈指の歴史がある。ほかの出身者に、日本画の横山大観、女形役者・花柳章太郎がいる。

 湯島通れば思い出す・・・・、泉鏡花の小説『婦系図』(おんなけいず)を題材とした歌謡曲「湯島の白梅」(歌・小畑実、作詩・佐伯孝夫、作曲・清水保雄)は、昭和17年に発表された。

  湯島通れば 想い出す
  お蔦(つた) 主税(ちから)の 心意気
  知るや白梅 玉垣に
  残る二人の 影法師

 
      

●神田明神(14:37~14:47)

 神田明神は、湯島聖堂のすぐ北にある。国道17号線(本郷通り)を横断し、神田明神の東側にある「明神男坂」と呼ばれる急な石段を登る。

Img_6311 Img_6316

 なお、この南側に裏道のような「明神女坂」という石段もあるそうだが、男坂と比べ階段のきつさは変わらないという。 

 男坂の階段を上り詰めたところに、神田明神の男坂門がある。

Img_6317

 
 神田明神は、千代田区外神田二丁目に鎮座する1300年近くの歴史をもつ神社。正式名称は「神田神社」。江戸時代には「江戸総鎮守」として、将軍から庶民にいたるまで、江戸のすべてを守護。今も、ビジネスの中心地である神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様で、東京都心をお守りする。東京十社の一社。

 
 祇園祭り(京都)、天神祭り(大阪)と並び日本三大祭り、また江戸三大祭りの一つ「神田祭り」をおこなう神社として知られる。

 
 
 

 境内は、日曜日とあってか、参列者で賑わいを見せている。ここで行われる結婚式の参列者らしい姿も。御神殿に参拝、今年一年の幸せを祈願する。

Img_6319

 立派な随神門から退場する。

Img_6337

 社伝によると、730年(天平2)年に出雲氏族・真神田臣(まかんだおみ)により、武蔵国豊島郡柴崎村(千代田区大手町)に創建。その後、天慶の乱(939~940年)に敗れた平将門の首が葬られたが、将門の祟りを鎮めるため、1309年(延慶2)には将門公が「神田明神」の祭神として祀られた。当初、皇居のほとりの大手町にあった。

 江戸時代に入ると、家康は当社を深く尊崇し、城下の大規模な造成により、1616年(元和2)には江戸城の丑寅(うしとら)の鬼門にあたる現在の地に移転。江戸総鎮守にふさわしく、幕命により桃山風の壮麗な社殿が築かれた。

 関東大震災で、建物は壊滅、昭和9年(1934)年に鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗の社殿を再興。1995年(平成7)より、建物の塗り替えと修復を行い現在に至る。

 

 

 少し時間があるので、「御茶ノ水駅」前から「秋葉原駅」まで歩くことにする。この日は日曜日で、秋葉原駅前は歩行者天国となっている。下の写真は、神田明神通りと交差する中央通り(正面)付近。

Img_6339

 2008年(平成20年)6月8日(日)に、25歳の男が2トントラックとサバイバルナイフを使った「秋葉原無差別殺傷事件」を起こしたのは、この辺りだったろうか。

 
 トラックは、神田明神下交差点から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた信号を無視して横断中の歩行者5人をはねとばした。トラックを降りた男は、通行人、駆け付けた警官らを無差別に殺傷。7人が死亡、10人が重軽傷。


 JR秋葉原駅に到着。

 
Img_6345

 15:09 秋葉原駅発 、15:27 池袋駅着。

 

 池袋駅東口からすぐの居酒屋「粋酔~SUISUI~」で新年会(15:50 ~18:40) 。   

 20:25 自宅着。

 

 今日は、両国・お茶の水界隈の名所旧跡を巡り、と秋葉原まで歩いた。ここまでの歩程は、約17,200歩、約10.3Km。都会の雑踏の中を歩いたので少々疲れたが、天気に恵まれ、暖かい新春ウォーキングであった。   

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

最近のトラックバック