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2015年1月29日 (木)

両国・お茶の水界隈-その1

 2015年1月25日(日)、両国・お茶の水界隈の史跡を巡る。

 この日は、天気に恵まれて快晴。日差しが暖かい、最高気温は12℃。

 
 

●JR両国駅

 JR秋葉原駅で総武線に乗り換え、9:56両国駅に到着。

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 駅西口の改札口前には、国技館に飾られていた毎日新聞社の優勝額や横綱力士の手形が展示されていた。

 
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 駅前の露店の向うに、両国国技館の幟(のぼり)と櫓(やぐら)が、目に飛び込む。

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 23日の大相撲初場所13日目で、東横綱・白鵬は大関・稀勢の里を下し、千秋楽を待たず5場所連続、33回目の優勝を飾った。33度目の優勝は、昭和の大横綱・大鵬の史上最多優勝回数の記録を塗り替えた。

 この日の25日は千秋楽とあって、まだ午前中だが駅前は混雑している。白鵬は、全勝優勝をかけて西横綱・鶴竜と闘う。

 

 両国駅西口を10:10出発。

 手前の緑の屋根が両国国技館。奥の白い建物が江戸東京博物館。

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●横網町公園(10:22~)

 
 「旧安田庭園」に向かう途中にある「横網町(よこあみちょう)公園」は、都立の公園。関東大震災と東京空襲のメモリアルパーク。

 両国の国技館に近いので「よこづなちょう」と読みそうだが、「よこあみちょう」である。

 この場所は震災の時、陸軍被服廠跡の空き地だった。3万8千人の避難者がここに逃げ込んで焼死した。また東京空襲の犠牲者が多くここに仮埋葬された。東京都慰霊堂や復興記念館が建てられている。

 東京都慰霊堂は、ちょうど耐震補強の工事中。完成性は2016年(平成28)春の予定。

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 関東大震災の死者を追悼するため中国仏教徒から送られた梵鐘。

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 「震災遭難児童弔魂群像」は、関東大震災で被災し犠牲となった東京市の小学校児童5千人を弔うために作られた。

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●旧安田庭園(10:27~10:38)

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  「旧安田庭園」は江戸時代、本庄松平氏(常陸笠間藩、のち丹後宮津藩)の下屋敷だった。元禄年間に大名庭園として築造され、安政年間に隅田川の水を引いた潮入り回遊庭園として整備された。明治になって、安田財閥の祖である安田善次郎氏が所有。氏の没後、1936年(大正11年)に東京市に寄贈された。現在は墨田区が管理する。入園無料。

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●隅田川テラスと蔵前橋

 隅田川テラスを上流に向かって歩く。隅田川テラスは、隅田川の両岸にある親水テラスで、散策路となっている。護岸壁には、浮世絵や小中学校の作品の壁画が並ぶ。

 明治までの隅田川の川岸には、水勢を弱め護岸の役目をする杭が多数打たれていた。特にこの辺りは「百本杭」と呼ばれていて、隅田川の風情として親しまれていたそうだ。明治末期には、護岸工事でほとんどが抜かれたが、下の写真ように杭が再現展示してある。

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 上流に見える「厩(うまや)橋」は、春日通りを通す橋。米蔵とともに厩が並んでいて、馬を対岸へ渡す為、「厩の渡し」があった。1874年(明治7年)に、現在よりも約100mほど下流に架橋、現在の橋は1929年(昭和4年)に架けられた。川底に都営地下鉄大江戸線が通っている。隅田川テラスの上は、首都高6号向島線が通る。

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 黄色の「蔵前橋」は、蔵前橋通りを通す橋。西岸は台東区蔵前、川沿いに幕府の米蔵が並んでいた事から名付けられた「蔵前通り」の地名が、橋名となった。東岸は墨田区横網。関東大震災の復興計画により 1927年(昭和2年)、現在の橋が架橋された。それ以前は「富士見の渡し」と呼ばれていた渡船場があった。

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 10:52、蔵前橋を渡る。 

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●浅草御蔵跡(10:55)

 蔵前橋の蔵前側の橋のたもとに、「浅草御蔵跡」の石碑と説明板が立っている。

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 浅草御蔵というのは、江戸幕府が全国に散らばっている天領から運んだ年貢米や買い上げ米などを収納・保管した米蔵。大阪、京都の二条城と合わせて「三御蔵」と呼ばれていた。 浅草御蔵の前を御蔵前と呼び、「蔵前」の地名となっている。

   
●玩具問屋街

 蔵前・浅草橋の問屋街は、神田川にかかる浅草橋から春日通り交差点までの「江戸通り」のおよそ1.2Kmの道路の両側に並んでいる。この通りには、玩具、文具、花火、人形などの問屋街として、発展してきた。現在では、ビーズ、装飾品、手芸などのお店も加わり、個性豊かな特色のある問屋街として高い人気がある。

 11:00、蔵前一丁目交差点の玩具店「山縣商店」。シャッターが閉まっていた。

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●鳥越神社(11:07~11:13)

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 この地「浅草鳥越」は、平安後期頃までは、白鳥村と称していた。651年、小高い丘(白鳥山)の山頂に、東征した日本武尊を祀って白鳥神社を建てた。永承年間(1046~1053年)、奥州安部氏の反乱鎮定のため源頼義・義家父子が東国に向かう際、一羽の白い鳥が大川(隅田川)の浅瀬に降り立つのを知り、軍勢を無事対岸に渡すことに成功した。義家は、これは白鳥明神の御加護であるにちがいないと、山頂の本社に参拝、鳥越大明神の御社号を奉り、以後「鳥越神社」と称されるようになった。

 江戸時代の初め頃までは、神社は約2万坪の広大な敷地だった。江戸城築城や池・川の埋め立て用土砂の採取、旗本や大名屋敷用地として、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられてしまったという。
      
 見ることはできなかったが例大祭に出る「千貫神輿」は、都内最大級を誇るそうだ。例大祭「鳥越まつり」は、例年6月に開催される。 

 

 
●榊(さかき)神社( 11:20~11:24)    
      
 日本武尊が東夷征伐の折、西暦110年(景行天皇40年)に創建したという。もとは「第六天神社」と称し、森田町(現、蔵前3丁目)に鎮座していたが、1719(享保4年)浅草不唱小名(柳橋1丁目)へ遷座。明治の廃仏毀釈により社号を「榊神社」へ改称。1928年(昭和3年)「浅草文庫」の跡地であった当地へ移転した。

 浅草文庫は、1874年(明治7年)に創設された官立図書館で、翌年に開館。和・漢・洋の蔵書数は11万余冊とも13万余冊ともいわれていて、現在その蔵書は国立公文書館内閣文庫、国立国会図書館、東京国立博物館などに所蔵されている。浅草文庫は、1881年(明治14年)に閉館した。

 その後は東京職工学校(後に東京高等工業学校、現東京工業大学)の校地となっていた。関東大震災後に東京高等工業学校が目黒区大岡山へ移転したことから、1928年(昭和3年)には、その跡地の一部に当社が遷座し現在に至る。

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●人形問屋街

 
 江戸通りを南下すると浅草橋の近くに人形問屋街がある。創業1835年(天保6年)の「久月 浅草橋本店」に寄ると、ひな人形が多数展示され、混み合っていた。

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 隣には「秀月」、ほかにも「吉徳」の店などがあった。

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●浅草橋と両国橋

 11:44 、神田川に架かる「浅草橋」を渡る。屋形船が停泊するその先は、「柳橋」が架かり隅田川につながる。

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 11:49 、柳橋から逆に浅草橋を望む。左手は屋形船の船宿。

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 11:52、「両国橋」を渡る。総武線の鉄橋とスカイツリーが見える。

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 「両国橋」は、国道14号(靖国通り・京葉道路)を通す橋。本来の名は「大橋」であったが、武蔵と下総の国を結ぶ橋という事から「両国橋」と呼ばれた。江戸時代最大の火災である「明暦の大火」(1657年、明暦3年)で多数の犠牲者がでた為、防災上と江戸市街拡張のため、1659年(万治2年)に架設。現在の橋は、震災復興事業として、1929年(昭和7年)に架けられた。

     
●回向院(えこういん、12:00~12:14)

 明暦の大火の犠牲者を弔うために、1657年(明暦3年)に開かれた浄土宗の寺院。

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 明暦の大火で、10万以上の 焼死者を将軍・徳川家綱の命によって葬った万人塚が 始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬した。

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 江戸時代の勧進相撲の舞台ともなった。鼠小僧次郎吉の墓(写真)もある。

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 そのほか、水子供養や犬猫や鳥の動物供養の碑など、数々の石碑が所狭しと並ぶ。境内は、思ったより広くない。

    
●時津風部屋(12:19)

 墨田区両国三丁目、マンション風のビルの1階に時津風部屋がある。「時津風部屋」と「双葉山相撲道場」の二つの看板が掲げられている。

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 69連勝の大記録を打ち立てた大横綱・双葉山は、現役の1941年(昭和16年)立浪部屋から独立して「双葉山相撲道場」を設立。1945年(昭和20年)11月場所限りで現役引退して12代時津風を襲名、同時に「双葉山相撲道場」は「時津風部屋」と改称した。1957年からは11年間理事長を務めた。また横綱・鏡里、大関・大内山・北葉山・豊山の多くの力士を育成した。

 2007年(平成19年)6月に起こった時津風部屋力士暴行死事件で、17歳の新弟子・時太山(序ノ口)が、愛知県犬山市の宿舎で暴行を受け死亡した。暴行を指示した15代時津風親方(小結・双津竜)と暴行に関わった兄弟子3人は、傷害及び傷害致死で逮捕され、相撲協会から解雇された。

 15代時津風の後継16代時津風(前頭・時津海)は、2010年(平成22年)6月に野球賭博をしていた事実が発覚(大相撲野球賭博問題)し、平年寄りへの降格処分を受けた。

 大横綱・双葉山が創設した名門の「時津風部屋」は、これで消滅する危機に瀕したのだ。

 この近辺には、陸奥部屋、春日野部屋、井筒部屋、出羽ノ海部屋、大島部屋などの相撲部屋が多い。すみだ観光ガイドが案内する「相撲コースガイドツアー」というのがあるらしい。(90分1人500円、場所中のみ催行)

 

●本所松坂町公園(12:21~12:24 )

 回向院のすぐ東にある公園。赤穂浪士が討入りした吉良上野介の上屋敷跡。公園は周囲を高家の格式をあらわす長屋門を模した塀と門で囲まれている。

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 公園と言っても約100平方m(30坪)ほどの敷地に、吉良邸内にあった吉良首洗い井戸、松坂稲荷社があり、説明板、吉良邸見取図や資料などが展示されている。写真は、吉良上野介の像。

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 吉良邸は、浅野匠頭守による殿中刃傷事件の後の1701年(元禄14年)、上野介が当地を拝領して建設された吉良家の上屋敷で、坪数2,550坪あった。

 
      
●勝海舟生誕の地(12:27~12:32)

 両国小学校のそばの両国公園の中に、「勝海舟生誕の地」の石碑がある。

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 勝海舟は、墨田区の本所亀沢町の父小吉の実家・男谷家で1823年(文政6年)に誕生。幼名は麟太郎。青年期まで墨田の地で学問や剣術の修行に励み、その後蘭学を修め、西洋の兵学、砲術、航海、測量法などを学んだ。1860年(安政7年)、咸臨丸艦長として日本人初の太平洋を横断、米国を訪問した。1868年(慶応4年)、高輪の薩摩藩邸において西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城を果たす。明治政府に重用され、参謀兼海軍卿・元老院議官などになり伯爵となった。 

      
●芥川龍之介の文学碑(12:33~12:35)

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 出身校の両国小学校(当時は江東尋常小学校、墨田区両国4-26)の角に、芥川龍之介の自署、児童文学『杜子春(とししゅん)』の以下の一節が刻まれている。

 「-- お前はもう仙人になりたいといふ望も持つてゐまい。
  大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。
  ではお前はこれから後、何になつたら好いと思ふな。」
 「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
  杜子春の聲には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)って
  ゐました。
                                「杜子春」より

      
●相撲写真資料館(12:37~)

 1929年(昭和4年)に、先代が旧両国国技館の脇に開業して以来、相撲協会の専属を務めた「工藤写真館」が運営する写真の博物館。

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 相撲協会の公式行事や歴代横綱、優勝力士、幕内全力士をはじめ、国技館の変遷、相撲部屋の様子など、相撲に関する写真を数多く所蔵。各場所ごとに、70枚ほどを展示している。入場無料。

 

 

 回向院から両国駅に向かう通りの歩道には、横綱力士の土俵入りのブロンズ像と手形が並ぶ。

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●花の舞(12:51~13:34)

 両国駅前に戻り、食事処「大江戸八百八町 花の舞 両国国技館前店」 に入る。

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 店内に入ると、通路の左右に個室が並ぶ。

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 さらに通路を奥に進むと、正面に国技館を模した土俵があり、土俵の周りには人気の「升席」もある。

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 生ビール500円、そばセット800円(税抜き)を注文。      

 昼食を済ませ、両国駅から総武線に乗り「御茶ノ水駅」で下車。午後からは、お茶の水界隈の旧跡を巡ることにする。   

 

 次回のブログ記事「両国・お茶の水界隈-その2」に続く。

 

 なお関連ブログ記事は以下の通り。

  2013年7月 「隅田川水上バスと浅草寺」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-98b3.html

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