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2014年12月の5件の投稿

2014年12月27日 (土)

浅草寺の羽子板市

 2014年12月19日(金)、東京・浅草の浅草寺(せんそうじ、台東区浅草2丁目)に久しぶりに行く。ちょうど「羽子板市」が開かれている。

 その後、月島・佃島を巡る。

 

 

 江戸時代の12月17、18日には、正月用品や縁起物を売る店が浅草寺境内に集まり、江戸随一の「歳の市」として人々で賑わった。

 現在の「歳の市」は、「羽子板市」としてその形を残している。江戸後期頃から女の子が生まれた家に、縁起物として羽子板を贈る風習ができ、「歳の市」で売られるようになった。 

 18日は観音さま(浅草寺)のご縁日、12月の18日は「納めの観音ご縁日」で、その前後も含め、12月17~19日に「羽子板市」として境内に数10軒の羽子板の露店が軒を連ねる。

 

 9:40過ぎ最寄り駅から電車で、グループ11人で出発。JR上野駅で乗り換え、銀座線浅草駅下車。11:15頃、浅草寺の入り口「雷門」に着く。

 

 11:30~12:45、浅草寺境内を自由散策。

 仲見世通りは、相変わらず人出が多い。東日本大震災以降あまり見かけなかった外国人観光客も、最近はだいぶ多くなっている。

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 「宝蔵門」の近くに露店が並ぶが、羽子板市の露店ではない。後方に見えるのは、「五重塔」。 

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 宝蔵門を抜け、本堂に向かう。

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 本堂側から振り返り、宝蔵門を望む。香炉の煙がすごい。

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 本堂に参拝。お賽銭を奮発し、家内安全を祈願。

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 五重塔に近くに、羽子板市の露店が並んでいた。

 職人の手作りで、けっこうな値段がするが、値札はついてない。購入者との交渉が成立すると、縁起の良い三本締めが響く。

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 話題の時事ネタ、人気タレント、アニメなどを題材にした変わり種の羽子板などもある。

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 浅草駅から都営浅草線で蔵前駅で都営大江戸線に乗り換え、月島駅で下車。

 午後2時を過ぎていたが、月島の「西仲通り商店街」、通称「月島もんじゃストリート」(中央区月島1丁目)に行く。約500mあるストリートには、路地裏の店も含めて、全部で80軒以上のもんじゃ店があるそうだ。駅近くの店「風月」に入る。

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 もんじゃ(焼き)は、小麦粉を主体とした粉もの料理。キャベツや他の具材を混ぜ、鉄板で調理する。お好み焼きに似ているが、小麦粉を溶かす水の量が多く、またソースなどの調味料を一緒に混ぜ込む。

 主に東京の下町、埼玉県・群馬県・栃木県の一部に店がある。東京・下町育ちの人に聞くと、昔は子供のおやつのようなもので、下町の駄菓子屋には昭和40年代ころまでは、もんじゃ焼きの鉄板があったそうだ。

 サラリーマンや観光客が食べるようになったのは、近年になってからだという。

 この店の「海賊もんじゃ」と「風月もんじゃ」(各1,300円)、「いか焼きそば」(1,000円)、生ビール(550円)を注文、3人でシェアする。お好み焼きとは違うので、店の人に鉄板での焼き方を教わる。ソースのせいか、お好み焼きに比べると味はあっさりしている。

 

 

 佃2丁目から、佃1丁目へ移動。周りが埋め立てられたが、昔佃島があった所。

 佃小橋の橋の上から、おなじみの水路に写るマンション。この水路は、すぐそばの隅田川につながる。

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 おなじみの老舗の佃煮屋「天安」。佃煮を買うため店に入ろうと思ったが、店の中は観光客で満杯であきらめる。

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 堤防を越え、隅田川の水辺の遊歩道から、勝鬨橋(かちどきばし)を望む。午後3時半ごろだが、陽はだいぶ傾いている。

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 16:00ころ、月島駅付近でグループは解散。

 

 帰りに、レバーフライの店に寄ってみる。

 清澄通りを清澄方面に向かって進み、16:10相生(あいおい)橋の手前の右手に緑の看板「ひさご家 阿部」(佃3丁目)。月島名物「レバーフライ」を売っている。

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 55年の歴史があり、東京のご当地グルメとしてTV、雑誌などで紹介されているそうだ。薄くスライスした豚レバーにパン粉を付け、菜種油で揚げ、秘伝のタレにくぐらせる。

 この時刻ではすでに売り切れていて、午後3時くらいまでに来てくれとのこと。

 

 

 この後は、銀座駅に移動。

 銀座4丁目、数寄屋橋交差点近くの居酒屋「極楽蝶」で、18:00~別グループの忘年会に参加。

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 本ブログの浅草寺、月島、佃島の関連記事は、以下の通り。

  2012年7月 「浅草寺の風景」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-2c3c.html

  2012年7月 「東京スカイツリー」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-09af.html 

  2012年7月 「月島周辺の風景」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ae36.html

  2013年7月 「隅田川水上バスと浅草寺」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-98b3.html

  2013年9月 「月島・佃島と新橋界隈」
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-df2a.html

2014年12月21日 (日)

高尾山

 2014年12月15日(月)、4年半ぶりに「高尾山」に登る。

 高尾山は、東京都八王子市にある標高599mの山。東京スカイツリー(634m)が出来て、高尾山の標高とよく比較される。

 

 高尾山は、東京近郊の行楽地として有名で、年間を通して多くの観光客・登山者が訪れる。古くから修験道の霊山とされ、中腹には「高尾山薬王院」がある。

 

 9:40、京王高尾線の終点・高尾山口に到着。友人を待ち合わせ。

 ケーブルカーの清滝駅前で弁当を買おうと思ったが、ほとんどの土産屋がまだ開いてない。

 

 10:10、清滝駅前から、6号路コース(3.3Km)で登山開始。

 清滝駅左側の舗装道路を 400mほど歩くと人家と東京高尾山病院がある。6号路コースは、その手前を沢に沿って左に入る道があり、山頂の近くまで沢に沿って登る。

 まもなく「琵琶滝」が見えてくる。

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 琵琶滝は、高さ数メートルの小さな滝で、修験者の水行道場。

 一般御信徒にも開放されていて、初心者も入滝の作法などの指導もあるという。要予約、有料。  

 

 杉林を歩く。紅葉は過ぎているが、所々に黄色に染まったカエデ。ゆるい傾斜が続く登山道で、他の登山客に抜かれながら、のんびりと歩く。

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 6号号路の最後は長い急な階段で、以前登った時は結構キツかったが、今回はしゃべりなからゆっくり登ったので、楽だった。

 頂上近くで、シモバシラの氷柱の華を見つける。

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 シモバシラはシソ科の多年草で、氷点下になると根から吸い上げた枯れた茎の中の水が凍って、花のような霜柱が出来る。写真で見たことはあったが、実物を見たのは初めて。

 氷点下の日が3日続くと、良いシモバシラの花が出来るので、写真を撮りに来るというおじさんがいた。

 

 12時過ぎ、山頂に到着。

 いつも天気が悪くて、山頂から富士山が見えなかったが、こんなにはっきり見えたのは初めて。

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 ただし、山頂から見る富士山は逆光で、富士山を背景に人物写真は撮りにくい。

 

 山頂の茶屋で、うどん、おでん、缶ビールを買って、陽だまりのベンチで昼食。ここで2時間近く過ごしただろうか。午後、陽が傾くと少し寒くなる。

 下山は、表参道コース。「薬王院」で参拝。

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 ケーブルカー高尾山駅の方に向かうが、駅の少し手前で、右手に小さい舗装されてない脇道がある。この登山道は、あまり人が通らない細くて急で荒れた道。登山装備していない観光客には危ない。下って行くとこの道は、6号路の「琵琶滝」の付近に通じていた。

 結局、ケーブルカーやリフトを使わず、また6号路の登山口に下りてきた。16:00高尾山口駅に到着。

 この日は、紅葉シーズンも終わった平日とあって、観光・登山客はいつもより多くはなかった。

 

 ★ ★ ★

 京王電鉄は、高尾山口駅の前に2015年春オープンに向け、日帰り温泉施設と駅のリニューアル工事中。施設は鉄骨造りの2階建て、食事処やリラクゼーションコーナーなどを併設するという。

 高尾山は、多くの自然の樹木がうっそうと茂っていて、野鳥、昆虫、動物たちが数多く生息している。東京都心から電車で約1時間で行くことができるというアクセスの良さ、登山道がよく整備され、ケーブルカーやリフトなどを使って、気軽に登山できる。夜は、夜景が見えるビアガーデン、ホタルの観察、ムササビの観察なども楽しめるという。

 年間の登山者数は約260万人を超え、世界一の登山者数を誇るそうだ。多くの都内の小・中学校が、遠足にも来る。ミシュランガイドで、最高ランクの「三つ星」観光地にも選出されている。

 師走の寒い日であったが、良い天気に恵まれたハイキングだった。

 

 

 

2014年12月18日 (木)

比企西国札所巡り-その1

 2014年12月12日(金)、「比企西国三十三札所」のうちの埼玉県滑川町、嵐山町の7ヶ寺を巡る。

 

 札所巡りは、「四国八十八所」、「西国三十三所」、「坂東三十三所」、「秩父三十四所」などが有名だが、「比企西国三十三所」というのは、ほとんど知られていない。

 埼玉県比企郡内の札所巡りは、遠隔地を巡礼できない人々のために江戸享保年間に開設された。江戸時代には地域ごとの札所巡りが、全国各地に数多く作られたそうだ。

 当日の天気は、日本付近は冬型の気圧配置となって、東北・北陸は雪。関東は気圧の谷の影響では曇が広がる。北風が冷たい。

 東武東上線の森林公園駅西口に集合、9:25出発。

 

●羽尾寺(現・興長禅寺)

 森林公園駅から北西に30分程歩くと、曹洞宗の萬勝山「興長禅寺」(滑川町羽尾)、22番札所。この地の地頭・加藤喜左衛門が、1570年(元亀元年)に開基(寺を創始)したようだが、前身の羽尾寺との関係はよくわからない。

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 本堂に隣接する客殿は、2012年7月に新築した。

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 近くには、古墳時代6世紀後半~7世紀初頭に作られたという「五輪沼窯(かま)跡」の登り窯がある。県内最古級の須恵器窯跡で、県指定史跡。現在は砂で埋め戻して保存している。

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●福正寺

 市野川に架かる学校橋を渡り、月輪神社の近くに天台宗月光山「福正寺」(滑川町月輪)がある。23番札所。境内に鎮座する「勢至堂」には狛犬ならぬ狛兎(うさぎ)だ。

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 勢至堂は、1196年(建久7年)に創建され、太政大臣・藤原(九条)兼実が日夜礼拝していたという勢至菩薩を祀る。

 藤原兼実は、平安末期から鎌倉初期の公卿。従一位、摂政、関白、太政大臣。京都九条殿に住み、九条家を創設。九条兼実、また月輪殿、法性寺殿と呼ばれた。

 京にいた兼実は、東国に下って当地に来たのだろうか? この地に「月輪館(つきのわのやかた)」という城跡がある。九条兼実が、月輪殿と呼ばれていたことを関連付けて兼実の居館として誤って伝えられるようになったようだ。この事で兼実が礼拝した勢至菩薩が、このお堂にあるということにしたのだろうか。

 

●放善寺

 市野川に沿って西に向かい、県道175号線を横切り、民家の敷地のような所に入る。墓のそばに小さい観音堂がひっそり立っている。24番札所「放善寺」(滑川町水房)は、廃寺となっていて、観音堂となって残っている。

 
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●御堂山

  関越道の下をくぐって滑川町との境にある「御堂山」と呼ばれる小高い山に向かう。南には市野川が流れ、北東に関越自動車道が走る。石段を登ると中腹に小さなお堂、25番札所(嵐山町太郎丸)がある。

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 本尊の聖(しょう)観音像は、終戦直後に盗まれたという。

 

●菩薩堂

 県道69号を横断、地産団地の北側を流れる市野川に沿って進み、県道296号線沿いに28番札所「菩薩堂」(嵐山町志賀)がある。地元では「観音堂」と呼び、お堂と墓地のみ。

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 現在の菩薩堂は新しいが、1982年(昭和57年)に建て替えられたそうだ。

 道を隔てて志賀堂沼、志賀地区集会場と小さい公園あり。12:10、公園で昼食、休憩。

 

●千手院

 午後からは県道296号を南下、東武東上線と国道254号嵐山バイパスを横切り、約30分で大平山を背にした山麓にある27番札所「千手院」(嵐山町千手堂)。

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 曹洞宗で山号は普門山。村上天皇の時代、962年(応和2)に千手観音堂が建てられたという。本尊の千手観音像は、949年(天暦3)村上天皇自作のものを賜ったそうだ。

 本堂の屋根のてっぺん中央に、葵の御紋があるが、何故だろうか。

 

●多田堂(現・東昌寺)

 もと来た道を戻り、武蔵嵐山駅に近くの市街地に、曹洞宗長慶山「東昌寺」(嵐山町菅谷)がある。

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 山門を入ると、すぐ左側に観音堂がある。この観音堂は、26番札所の「多田堂」の前身だった。本尊は千手観音で、二代将軍秀忠の乳母を勤めた岡部局(おかべのつぼね)に由来するという。

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 境内には、七福神、仁王や羅漢等々の石像が多い。

 ここから数分先の武蔵嵐山駅に14:45到着、解散。

 

 師走の寒い日だったが、歩程15Km、約5時間半のウォーキングだった。

 

 

 ★ ★ ★
   
 比企西国札所は、1723年(享保8年)に開かれたといわれる。埼玉県比企郡内の東松山市、吉見町、川島町、滑川町、嵐山町、小川町に、合計33ヶ所のお寺やお堂がある。全行程約60kmだそうだ。

 

 お伊勢参りや、四国・西国・坂東・秩父などといったメジャーな札所巡りは、遠隔地でもあったり、行程、費用もかなりかかったので、裕福な町人や農民以外は、なかなか大変なことであったろう。

 その点、比企西国三十三所のようにマイナーでローカルな札所巡りは、行程、費用面でも貧しい庶民にも手が届いたのではないだろうか。

 明治維新後の神仏分離政策、仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈によって、比企西国のかつてのお寺やお堂の多くの札所は、廃寺になったり、本尊が他の寺院に移されるなどしたようだ。残念ながら、当時のままに残っているお寺やお堂は、少ない。 

2014年12月10日 (水)

晩秋の甲州路-その2

 2014年11月30日(日)~12月1日(月)、1泊2日の甲州路の旅。

 甲府市とその周辺、笛吹市・甲州市・甲斐市の名所旧跡を巡る。 「晩秋の甲州路-その1」の続き。

 

 12月1日(月)、6:00起床。朝から小雨。7:55~朝食バイキング。

 9:10、石和温泉「ホテル新光」を出発。

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 国道140号線を北東へ向かい、9:35「恵林寺」に到着。

 

●ころ(枯露)柿の里

 甲州市のボランティアガイドを待つ間、恵林寺周辺の柿畑を見て回る。

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 9:50~ボランティアガイドの案内で、すぐ近くの「ころ(枯露)柿」の岩波農園の庭先に入る。

 一般の農家の軒先に干している柿は、無断で立ち入りできないが、ここ岩波農園は観光客を受け入れていて、吊るした柿やころ柿つくりの作業の様子を自由に見学、写真撮影できる。

 干し柿は全国各地で作られているが、甲州市の「ころ柿」は柔らかく上品な甘さがあり、最高級品とされているそうだ。

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 岩波農園の入り口には、「ころ柿の里ウオーキング 信玄の里コース」と書かれた以下のような説明板があった。

 「ころ柿という名は、柿を乾かす時まんべんなく陽が当たるようにころころ位置を変える作業をすることによるといわれています。
 武田信玄公の時代に奨励され、美濃の国から蜂屋(はちや)柿を移植して増産をはかったそうです。
 松里(まつさと)地区では、気象条件が適していることから、甲州百目(ひゃくめ、百匁)柿を中心にころ柿つくりが盛んで、十一月から十二月にかけて民家の軒先に吊るされた「ころ柿のすだれ」は、甲州を代表する風物詩です。」

 

●恵林(えりん)寺

 「恵林寺」は、山梨県甲州市塩山にある寺院で、山号は「乾徳山(けんとくさん)」。臨済宗妙心寺派の古刹。武田信玄公、柳沢吉保公の菩提寺として知られる。

 山号の乾徳山は、山梨県山梨市にある標高2,031mの奥秩父山塊の山。鎌倉時代1330年に「恵林寺」を開いた国師・夢窓疎石(むそうそせき)が修行したという。山には師が座禅をしたといわれる座禅石や髪剃岩、天狗岩などの奇石がある。

 

 恵林寺正面の総門(黒門)。大きく「雑華世界」と書かれた扁額は、先は静寂なる世界、外は喧騒なる世界という意。

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 参道から総門を振り返る。

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 参道を上がると「四脚門(通称赤門)」が現れる。この赤門は織田信長により全山焼かれた後、将軍・徳川家康によって再建されたもので、1606年の棟札が掲げられおり、国の重要文化財に指定。

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 赤門をくぐると、立派な庭園が広がる。

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 次の門を「三門」と称するのは、空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門を表すとされる。県の文化財に指定。

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  快川(かいせん)和尚が、中国の漢詩から引用した最期に残した言葉が、門の左右に掛けられている。

 「安禅不必須山水」 「減却心頭火自涼」

 安禅必ずしも山水をもちいず、心頭滅却すれば火もおのずから涼し

 座禅をして修業に励むには、必ずしも山や川を必要としない。暑いと思う心を消し去れば、火でさえ自然と涼しく感じられるものであるという意味。

 武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、かくまった者達を引き渡すよう快川和尚に命じた。しかし拒否されて怒った信長が、1582年(天正10年)三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放った。

 三門のそばには、「天正亡諸大和尚諸位禅師安骨場」の碑があり、快川和尚ら焼死した僧侶の遺骨が埋葬されている。

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 三つの門をくぐると、正面に「開山堂」がある。堂内には、夢窓国師、快川和尚、末宗和尚の三像が安置。

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 「開山堂」の庇(ひさし)の裏には、風神、雷神の彫刻がある。(堂に向かって立ち、見上げると逆さに見える。)

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 大庫裡(だいくり、僧侶の居住する場所・台所)。ここから拝観料300円支払って入館。

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 下の写真が本堂。本堂と大庫裡は明治38年に失火により焼失しており、築100年あまり。

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 本堂の中に入り、「うぐいす廊下」を抜けると、明王殿に「武田不動尊」が安置。

 信玄が、比叡山より大僧正の位を受けた際、京都より仏師の齊藤康清(こうせい)を招き、対面で本人の姿を模刻させたという等身大の不動明王。

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 1573年、53歳で亡くなった信玄公が眠っている「武田信玄公墓所」。以後、命日の4月12日には毎年供養が行われており、武田家臣の墓約七十基も墓所の後陣に並んでいる。

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 本堂から見る庭園(夢窓国師築庭)。国の名勝指定を受けている。

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 徳川幕府老中の柳沢吉保公と正室・定子の墓所もあるそうだが、確認できず。

 

 11:10、ボランティアガイド終了。休憩後、11:35恵林寺を出発。

 

 国道140号でもと来た道を戻り、国道411号を経て、国道20号(勝沼バイパス)沿いの笛吹市にある「権六」と「桔梗屋」へ向かう。

 

●権六と桔梗屋

 12:05、笛吹市石和町にある、ほうとう・そば処の「長寿村 権六」に到着。十割そば(天ざるそば) 1,200円、 辛み大根とおろしがね付。お惣菜がバイキング方式でいただける。

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 「桔梗屋」は、信玄餅で有名なお菓子の製造・販売会社。「長寿村 権六」のすぐそば(車で2~3分)、笛吹市一宮町にある。

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 工場見学ができ、敷地内にお菓子の美術館、お土産や、食事処、アウトレットの店がある。 アウトレットは、工場での規格外品や輸送中の破損品、賞味期限の近い品などが破格値で購入できる他、袋詰め放題がある。

 「長寿村 権六」は、桔梗屋グループの店。

 

 国道20号を北西に進み、県道616号を北上。雨が降ったり止んだりの変な天気だ。

 

●サントリーワイナリー

 14:40、甲斐市大垈(おおぬた)にある「サントリー登美(とみ)の丘ワイナリー」に到着。

 14:45~20分ほどゲストルームでワインについてのビデオ鑑賞のあと、ガイドツアー。

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 ぶどう畑の見学。すでに収穫が終わっている。遠くに甲府盆地を見下ろす。

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 半地下の貯蔵庫に入る。

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 樽に入ったワインと瓶のまま熟成させるラック。かすかにワインの香りがする。

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 この後、ワインのテイスティング、ショッピング。

 登美の丘からは、天気が良ければ富士山、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳、茅ヶ岳などが展望できる。

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 甲府の市街を見下ろす。

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 16:05、ワイナリーを出発。

 県道616号を経て、16:20韮崎ICから中央道を走る。自宅着18:45

 なお、「権六」と「桔梗屋」については、今年4月の本ブログ記事「甲州桜の名木と桃源郷」にも記述がある。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-27af.html

 

 

 ★ ★ ★

 戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名の武田信玄は、1521年(大永元年)に生まれ、俗名を晴信。幼少より禅僧に学び、後に快川(かいせん)和尚を恵林寺に招く。また好んで兵法を学んだ。16才の時元服。甲斐源氏の嫡流にあたる武田家第19代当主。

 先代・信虎の時代に武田氏は甲斐国内を統一、信玄もそれを継承して隣国の信濃に侵攻する。越後の上杉謙信と五次にわたる「川中島の戦い」を争いつつ、信濃をほぼ平定。甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領有し、北条と和し、越前の朝倉、近江の浅井や本願寺と結ぶ。将軍・足利義昭の意を受け1572年(元亀3年)、3万の大軍を率いて上洛の途につく。
 遠江国の三方ヶ原(現在の浜松市)に織田・徳川の連合軍を破り、更に三河の野田城を落とした時に病を発し、帰国途中の1573年(元亀4年)、信州駒場(現在の下伊那郡阿智村)で死去した。享年53歳。

 信玄の死により、勝頼が家督を相続。領国を更に拡大するが、1575年(天正3年)長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍に大敗したことを契機に衰退、やがて平安時代から続く甲斐武田氏は滅亡した。

 

 信玄は、稀有の軍略家、智略家であり、民政家でもあった。仏教に深く帰依、大僧正の位を受けた。

 

 
 信玄は、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」

 疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵掠(しんりょう)すること火の如く、動かざること山の如し

の句を旗指物(軍旗)して掲げた。中国の兵法書『孫子』を部分的に引用したものだそうだ。また「風林火山」という通称は、現代の創作で井上靖の歴史小説『風林火山』が最初とされる。

 武田氏の戦略・戦術を記した軍学書で、江戸時代に書かれた『甲陽軍鑑』には、

 「人は城、人は石垣、人は掘、なさけは見方、あだは敵なり」

が信玄の言葉として紹介されている。後世の創作なのか、本当に信玄のものなのかどうかは定かではないが、信玄の軍事・政治の哲学を如実に表現している。

 

 「恵林寺」本堂で見た「武田不動尊」が造られたのは、信玄が30歳前半の頃と伝わっている。京都の仏師・康清を招いて、自分の姿を対面して模刻させたという。坐像の高さ92cmは信玄の等身大といわれる。自分の仏像を作ることは、その仏像と自分を同化させることである。仏像を彫っている最中、信玄は剃髪して、その毛髪を漆に混ぜて、仏像の胸に塗りこめて、彩色したと言われている。

 
 最初は、不動明王を造るつもりはなくて、本人が存命中に肖像彫刻として残すつもりだったようだ。ところが、仏師が彫っていくと、不動明王になったという言い伝えがある。その時の信玄の気迫を仏師が感じ取って、不動明王にしたのではないかと想像されている。

 

 もし信玄が病死しなかったら、天下は信玄と信長の全面対決になったであろう。そして、どちらが勝っても、その前に家康は信玄に滅ぼされていたであろうから、徳川時代は存在しなっかったはずだ。

2014年12月 8日 (月)

晩秋の甲州路-その1

 2014年11月30日(日)~12月1日(月)、1泊2日の甲州路の旅。

 甲府市とその周辺、笛吹市・甲州市・甲斐市の名所旧跡を巡る。

 

 11月30日(日)、9:10出発。天気は、 曇り。中央自動車道の車窓から、冠雪した甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、北岳、南アルプスを久しぶりに展望。後で撮影しようと思ったが、その後は、雲で覆われてまったく見えなくなった。

 

 二宮御坂ICで高速を降り、国道20号(甲府バイパス)を西に進み、国道140号を北上、更に県道6号(山の手通り)を西に進む。11:15、甲府市善光寺町の「甲斐善光寺」に到着。

 

●甲斐善光寺

 川中島の合戦で兵火が信濃善光寺におよぶのをおそれ、1558年(永禄元年)武田信玄が仏像や教典をこの地に移して建立。長野市にある「善光寺」などと区別するため、「甲斐善光寺」、「甲府善光寺」、「甲州善光寺」とも呼ばれている。

 浄土宗、山号は「定額山」。山門とともにこの立派な金堂は、国指定の重要文化財。

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 長野善光寺に比べると規模はずいぶん小さい。500円を払うと本堂内部と宝物館に入ることが出来るが、時間の関係で省略。御本尊の前には、手を打つと鳴るいわゆる「鳴き龍」があり、また「戒壇めぐり」が出来るそうだ。

 本堂の獅子と龍の彫刻。

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●かいてらす

 「甲斐善光寺」から、200mほど北に「かいてらす」(県地場産業センター)があり、車を置いて徒歩で行ってみる。施設内には宝石、貴金属、ワインなど、山梨県の地場産業製品の展示・販売、お土産コーナーがある。豪華なシャンデリアや、一千万円?、一億円?の日本最大級の水晶玉が目を引く。ワインやほうとうなど山梨の味が楽しめるレストランも併設されている。

 

●武田神社

 県道6号(山の手通り)から県道31号を北上、山梨大学甲府キャンパスの前を通って、 約10分ほどで「武田神社」に到着。

 ここは、武田信玄公を御祭神として祀ってあり、境内はかなり広い。大正8年(1919)に建立。

 

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 この神社は、武田信虎・信玄・勝頼の三代が住んだ「つつじが崎館」(武田氏館)の跡地で、1938年(昭和13年)には国の史跡として指定された。

 拝殿は。質素で彫刻が見当たらない。

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 立派な神楽殿、看板には「甲陽武能殿」とある。能楽や神楽が奉納される。

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 境内の紅葉。

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 入場しなかったが、境内にある宝物殿(入場料300円)には、三條家より寄進された鎌倉時代末期製作の名刀「吉岡一文字」の太刀や信玄公の軍扇、武田二十四将図等、武田家ゆかりの貴重な品々が収められているそうだ。

 12:30、武田神社を出る。

 

●昇仙峡

 県道104号、県道7号(昇仙峡ライン)を北上、12:55「ほうとう会館」に駐車。昼食に「かぼちゃほうとう鍋」の定食1,100円を食す。

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 すぐそばのロープウェイ乗り場まで歩く。14:00発ロープウェイに乗車。パノラマ台まで片道5分、往復前売券1100円。

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 この辺りの紅葉は、盛りを過ぎていて枯れ木が目立つ。ロープウェイのゴンドラからは、奥秩父の金峰山(きんぷさん、2599m)、瑞牆山(みずがきやま、2230m)、茅ヶ岳(かやがたけ、1704m)が展望できるそうだが、曇ってていて見えず。

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 パノラマ台からの甲府盆地と南アルプス方面の展望。

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 しばらくすると富士山が雲間から顔を出す。

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 甲斐駒ヶ岳(2967m)、鳳凰三山(2840m)、北岳(3193m)など、天気が悪くて見えず。

 パノラマ台から下り臨時便14:50発。

 
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 15:00、昇仙峡の遊歩道を散策。

 昇仙峡は、甲府盆地北側、富士川の支流・荒川上流の渓谷、国指定特別名勝。正式名称は、「御嶽(みたけ)昇仙峡」。

 仙が滝入口から遊歩道を下ると、やがて断層によってできた高さ30mの豪快な「仙娥滝(せんがたき)」が現われる。

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 その昔、数畳の広さの頂上で覚円が修行したと伝えられる昇仙峡の主峰「覚円峰(がくえんぽう)」。

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 大きな花崗岩に囲まれた「石門(いしもん)」は、先端がわずか離れている。

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 「ほうとう会館」の駐車場への帰り道、「円右衛門伝承館」に寄る。水晶の研磨(下の写真の右手に研磨工場)や宝飾品を販売(中央の建物)。

 
 道路沿いには、昇仙峡開拓者の長田円右衛門(おさだ・えんえもん)の碑(写真左手)がある。

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 円右衛門(1795-1856)は、江戸時代後期、甲斐・猪狩(いかり)村の農民。名主で叔父の長田勇右衛門とともに、富士川支流の荒川渓谷沿いの甲府と猪狩村間の道路「御嶽(みたけ)新道」を計画、村人の協力を得て天保5年着工、14年に完成させた。これによって昇仙峡の美しい景観が世に知られることになる。

 上の写真で、左手にある祠(ほこら)には、1612年に昇仙峡で産出された最古の水晶が収められている。

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 16:00県道6号線に戻り、国道140号線から石和温泉へ。石和(いさわ)温泉・大江戸温泉グループ「ホテル新光」(山梨県笛吹市石和町八田97)へ16:50到着。

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 入浴後、17:40~19:00バイキング。 23:00ころ就寝。

 

 「晩秋の甲州路-その2」に続く。
    

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