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2014年11月 1日 (土)

宮崎市と神話のふるさと

 2014年10月18日(土)~、宮崎市に滞在。

 18日午前中、銀座のギャラリーで写真展を鑑賞した後、羽田空港へ。15:50、宮崎空港到着。宮崎駅東口(写真下)近くのホテル「ニューウェルシティ宮崎」に16:40チェックイン。久しぶりの友人らと再会し、懇親会。その夜は同ホテル泊。

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 10月19日(日)、9:45頃ホテルを出て、宮崎市内をめぐる。

 

●宮崎科学技術館と中央公園

 ホテル隣の「宮崎科学技術館」に行ってみる。敷地内に高さ40mのH1ロケット実物大模型が立つ。館内に設置された、懐かしい宇宙船「アポロ11号」の実物大模型を覘く。ここの直径27mのプラネタリウムは、世界最大級の規模を誇るらしい。

 隣接する「宮崎中央公園」を散策、のどかな時間をつぶす。ここは、宮崎刑務所の跡地で、昔は寂しいところだった。

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●宮崎ラーメン

  「宮崎ラーメン」というのはあまり聞かないが、昔宮崎市内で食べたラーメンが懐かしくて、「宮崎神宮」一の鳥居そばの老舗店ラーメン店「栄養軒」に行ってみる。九州は豚骨ラーメンだが、観光ガイドブックによると「宮崎ラーメン」は、豚骨スープのあっさり味とある。「栄養軒」は、昭和39年(1964年)創業以来、現在の味を守り続けてきたという。

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 日曜日のお昼時をとっくに過ぎた13:45ころ、まだ家族連れなどでほぼ満席に近い。庶民的で人気の店で、たぶん先ほどまで行列が出来ていたようだ。

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 チャシューとシナチク、もやし、ねぎの入った並のラーメンが、570円(税込価格)。スープは豚骨ベースの薄い醤油味、食べてみるとやはりあっさりしていて、美味しい。麺は、中太ストレートでこしの強い自家製麺。好みで、醤油やニンニクを入れるそうだ。

 

●平和台公園と平和の塔

 市内丘陵部にある県立「平和台公園」に行く。JR宮崎駅東口より宮崎交通バスで平和台公園行き終点まで、約30分の距離。14:30頃、平和台公園に到着。

 この公園は、「平和の塔」、別名「八紘一宇の塔」があることで有名な宮崎市を代表する観光地。園内には、古代風景の「はにわ園」、池や散策路、アスレチック施設、運動広場などがあり、市民の憩いの場でもある。

 
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 「平和の塔」は、紀元2600年記念事業として周辺広場の造成とともに「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)として、1940年(昭和15年)に完成。

 高さ36m、一部に世界各地から集めた石材で構成され、正面には昭和天皇の弟宮であった秩父宮雍仁(やすひと)親王による「八紘一宇」の文字が刻まれている。四隅には信楽焼で、漁人である「奇御魂」(くしみたま)、武人である「荒御魂」(あらみたま)、商工人である「和御魂」(にぎみたま)、農耕人である「幸御魂」(さちみたま)の四魂像(高さ4.5m)が配置されている。

 塔の内部には、天孫降臨や神武天皇即位などが描かれたレリーフがあるそうだが、一般に公開はされていない。

 「八紘一宇」は、『日本書紀』に記された神武天皇の文言から引用された造語。「天下(世界)を一つの家のようにする」という意味だが、戦時中は「日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」ともされた。

 大戦後の1946年、GHQは大東亜共栄圏や国家神道を連想させるとして、「八紘一宇」の文字と武人の「荒御魂」像が削られ、名称も「平和の塔」と改められた。

 しかし、1960年代になって塔の再興運動が進められ、1962年に荒御魂像、1965年「八紘一宇」の文字がそれぞれ復元されたのは、歴史を戻す行為として残念だ。1964年の東京オリンピックでは、聖火リレー第2コースのスタート地点となっている。

 平和の塔から見下ろす宮崎市街と日向灘。

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 この後、公園内を散策して、「市民の森」へと移動。


●阿波岐原森林公園(市民の森)

 JR宮崎駅から宮崎交通バスシーガイア行きで20分、市民の森下車すぐ 「阿波岐原(あわきはら)森林公園」は、明治100年記念事業の一環として整備され、1971年(昭和46年)に開園。宮崎市街地から少し離れた宮崎シーガイヤのある一ツ葉海岸にほど近い場所に位置する。南北約10kmに及ぶ広大な森林公園。うち約30ヘクタールが整備された「市民の森」となっている。

 16:00頃~「市民の森」を散策。

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 防潮林の松林や雑木林、季節によって梅・椿・花菖蒲などの樹木と花が園内を彩る。

 

 園内には、神話の伊邪那岐命(イザナキノミコト) が禊(みそぎ)をした「みそぎの池」として知られる「御池」がある。

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 イザナキノミコトの禊によって、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)の3人の神が生まれ、その子孫の神武天皇へとつながっていく。

 『古事記』が伝えている「筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原」 という場所は、筑紫は九州、日向は宮崎のことを指し、阿波岐原は一ッ葉海岸の一角にあたるここの地名だという。「市民の森」には、他にも幾つかの神話とゆかりのスポットが点在する。

 公園南側には平安時代の『延喜式』にも記載され、イザナキノミコト、 イザナミノミコトを祀る「江田神社」がある。意外と質素な、こじんまりした神社だ。

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 高千穂町の「天孫降臨」、「天岩戸」などなど、宮崎県内には『古事記』・『日本書紀』に記された数々の逸話が残されている。宮崎市内にも、初代天皇といわれる神武天皇を祀る「宮崎神宮」が有名だが、この公園(市民の森)にこのような神話スポットがあり、最近注目が集まっているとは知らなかった。その後、天皇の祖先である神武天皇は、この宮崎の地から大和へ東征し、即位したというのである。

 『古事記』・『日本書紀』の日本神話は、高天原神話、出雲神話、日向神話に分かれていているそうだが、日向神話は、具体的で事実に近いとされている。そうすると、「天皇家のふるさとは宮崎」だということになる。

 「江田神社」参道入り口設置された「日向神話-天皇家のふるさと宮崎」という案内板。

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 いったい、いつごろ、誰が、このような宮崎を中心にした神話に解釈し始めたのだろうか、という疑問が残る。江戸時代ごろからのいろんな研究、学説や論争、その土地での言い伝えなどから、形作られたのだろうが、どう見ても我田引水的なストーリーに思えなくはない。最近は観光ガイドやガイドブックなどで、更にそれらが固定化(既成事実化)されてきているように思える。 

 宮崎県観光推進課の観光パンフの表紙。

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 10月5日、高円宮家の次女典子さまと、出雲大社権宮司の千家国麿(せんげくにまろ)氏の結婚式が、出雲大社で行われた。

 
 
 代々、出雲大社の祭祀を担ってきた出雲国造(いずものくにのみやつこ)の千家氏の祖となるのが、天照大御神の次男に当たる天穂日神(アメノホヒノカミ)。天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫に当たるのが、初代天皇と伝えられる神武天皇である。

 千家国麿氏は、2000年を超える時を経て、天皇家と出雲大社との日本神話からのご縁を述べていた。さすが我々平民にはピンと来ないが、これも古代のロマンだと思って納得している。

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コメント

先日の同窓会お疲れさまでした。無事、帰宅されたようですね。宮崎ラーメン懐かしいですね。

失礼します m(__)m 昔(47年前) 宮崎刑務所の公務員官舎に住んでいました。
旧.宮崎刑務所の事を書かれてたので つい通りすがりの足を止めました。 重厚なコンクリート塀の中は、赤煉瓦の建物と 蘇鉄の植込みのあるロータリーがあったのを記憶してます。
刑務官だった父に 何度かお弁当を届けに行った時に、入口の受付で渡すのですが、中は薄暗く陰気な印象があった気がします。 意図的にそうしてたんでしょうね。

女子高(宮崎学園)の畑の中に 刑務所の柔剣場があって 年に一度、矯正展が開かれてました。

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