福島県二本松と飯坂温泉
2014年10月28日(火)~29日(水)、1泊2日の福島県二本松菊人形、飯坂温泉、紅葉の飯坂温泉、吾妻・裏磐梯の旅。
1日目の10月28日(火)は、二本松菊人形から飯坂温泉へ。
このところ秋にしては暖かい日が続いていたが、当日と翌日の天気予報は、冬型の気圧配置で、福島県は晴れや曇りだが、寒気が入り込んで冷え込むという。
午前8時出発。総勢27名を乗せた観光バスの中は、関越自動車道から東関東自動車道を経由して、東北自動車道へ。二本松ICで降りて二本松観光センター「隊士館」に着くと、ちょうど12時で、昼食。
13時、「霞ヶ城公園」(二本松城跡)に到着。公園入口の復元された箕輪門近くにはNHK大河ドラマ「八重の桜」に出てきた悲劇の「二本松少年隊群像」が立っている。
日本最大規模といわれる開催中の「二本松の菊人形」を見学。菊人形の題材は、毎年NHK大河ドラマが採用されているが、今年は二本松城築城600年を迎え、地元にゆかりの人物や歴史、祭りなどにスポットを当てた内容となっているそうだ。
二本松城は、福島県二本松市郭内にあり、二本松藩丹羽十万石の居城。別名は、霞ヶ城、白旗城。戊辰戦争で多数の犠牲者を出して炎上・落城。二本松少年隊の悲話を残し、主戦論者であった家老ら3名が自刃して壮絶な最後を遂げた。
桜、つつじ、紅葉、そして菊人形展と、四季折々の景観が楽しめる。南側の高台には智恵子抄詩碑がある。2007年、二本松城跡として国の史跡に指定された。
霞ヶ城公園をあとにし、国道4号線を南下。
14:20、国道4号線沿いの「奥の松酒造株式会社」に到着。工場見学と試飲で30分滞在。
もと来た道をたどり、二本松ICから再び東北自動車道を北上し、福島飯坂ICから飯坂温泉へ。県道3号線を経て、摺上川(すりかみがわ)沿いを北上。
15:35、飯坂温泉「ホテル聚楽」に到着。
飯坂温泉は、福島市北東部の飯坂地区中心部にあり、飯坂温泉街がある。飯坂温泉は、古くは「鯖湖(さばこ)の湯」と呼ばれ、宮城県の鳴子温泉、秋保温泉とともに奥州三名湯の一つとされた。
浴衣に着替えて、18:00~20:30懇親会。この後、カラオケルームで2時間ほど過ごす。
★ ★ ★
4年前、「安達太良山」(1,699.6m)に登山した翌日の2010年10月24日、観光ボランティアガイドをお願いして、少人数で半日かけて二本松の史跡巡りを行ったことがあった。
今回のツアーは、二本松のほんのさわりしか見なかったが、その時は二本松の歴史を詳しく知ることが出来た。見学したところは、次のようであった。
・二本松の総鎮守である「二本松神社」。
・「智恵子の生家」と「智恵子記念館」、「智恵子の杜公園」の「詩碑の丘」
・霞ヶ城では、本丸跡、公園東入口にある「戒石銘碑」。庭園公園を会場に開催中の竜馬伝をテーマの「二本松の菊人形」。「二本松少年隊」の群像、復元された「箕輪門」、庭園の「霞池」、展望台の「智恵子台」、樹齢350年の「傘松」、江戸期茶室の「洗心亭」などを巡った。
・二本松藩主丹羽氏の菩提寺である「大隣寺」では、戊辰戦争で亡くなった「二本松少年隊」の供養塔や、寺の裏山で歴代藩主の墓所があった。
この中で「戒石銘碑」は、藩主高寛公が家臣で儒学者の岩井田昨非の進言で刻ませた銘で、「なんじの俸、なんじの禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し」と漢文で刻まれている。武士がお上から頂く俸禄は、民の汗と脂(あぶら)の結晶である。下々は虐(しいた)げ易いが、神を欺(あざむ)くことはできないという意味だ。
霞ヶ城公園の東入口にある「戒石銘碑」 2010/10/24撮影
この銘は、二本松藩の藩政改革と綱紀粛正の指針とし、藩士の士風をおおいに奮い起こしたという。あの時代にこのような立派な学者がいたことに感激。
高村光太郎の妻・智恵子についてもその生涯を良く知ることが出来た。
智恵子の杜公園の詩碑の丘。光太郎の「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生れたふるさと・・・。」の石碑。2010/10/24撮影。
また、戊辰戦争で戦った会津藩の白虎隊の陰に隠れていたマイナーな「二本松少年隊」の悲劇も印象深かった。
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