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2014年11月の8件の投稿

2014年11月28日 (金)

紅葉の平林寺

 11月26日(水)、小雨の中、紅葉の美しさで知られる「平林寺(へいりんじ)」に行く。

  

 「平林寺」は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗の禅寺。山号は「金鳳山」。広大な約13万坪(43万㎡)の境内地の雑木林は、開発されていく武蔵野にあって、いまだにその面影を残す自然として1968年(昭和43)に国の天然記念物に指定。クヌギやコナラ、モミジなどが生い茂り、四季折々に美しさを見せる。

  南北朝時代の1375年(永和元年)に現在のさいたま市岩槻区に創建。1663年(寛文3年)に川越藩主松平信綱の遺言によって、子の輝綱が菩提寺としてこの野火止の地に移した。

  

 東武東上線の志木駅南口からひばりヶ丘駅行き西武バスで約15分、平林寺バス停下車。

 

 13:40頃入門、拝観料500円。

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 本堂まで一直線に配置された総門、山門、仏殿、中門は県指定の有形文化財。残念ながら、山門、仏殿はちょうど改修工事中だった。

  

●総門

  正面には「金凰山」の扁額が掛けられている。境内から総門を振り返る。右手の建物が、拝観受付。

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●山門 

 工事中の山門。ネットで覆われている。左右には金剛力士像を配し、楼上に十六羅漢像を安置されているそうだ。正面には「凌霄閣」の扁額が見える。

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●経蔵(きょうぞう)

  経蔵は、教典を収蔵してある建物。

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●仏殿

  フェンスで囲われて工事中の仏殿。中央の仏壇には釈迦、阿難、迦葉の三尊像が安置されているという。

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●鐘楼

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●中門とその先の本堂 

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  本堂に安置されている本尊は、松平信輝寄進の釈迦如来坐像。

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●本堂周辺の建物

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 遊歩道に沿って歩く。

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●大河内松平家歴代の墓

 源氏の流れを引く三河国の大河内氏は、大河内信貞のとき徳川家康に仕えた。孫の正綱の代に徳川氏一族の長沢松平家の養子となって松平姓を与えられ、以後は大河内松平家となった。大河内松平家歴代の廟所は、約3,000坪もある。

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 その大河内松平家の廟所の中に、松平信綱夫妻の墓(埼玉県指定史跡)がある。

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 「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱(1596~1662)は、武蔵国の忍(おし)藩主、川越藩主で、三代将軍家光の老中を務め、島原の乱の鎮圧、幕藩体制の確立など多くの功績を残した。川越藩政においては、城下町の整備、武蔵野の新田開発、川越街道の整備、新河岸川の舟運整備、野火用水(別名:伊豆殿堀)開削などの基礎固めを行った。

 

●島原の乱戦没者供養塔

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 松平信綱は、1637年(寛永14年)にキリシタン天草四郎らが大反乱を起こした「島原の乱」を、幕府軍の総大将となって平定した。反乱した3万数千人の老若男女を死に至らしめたが、鎮圧する幕府側の死者は数千人だったといわれている。

 この塔は、「島原の乱」から200年が経過した1863年(文久3年)に、犠牲になった鎮圧側死者のため、松平家が遠忌供養を行った際、三河国吉田藩の家臣大嶋佐源太が建立したもの。信綱の墓からほど近いところにある。ただし、この供養塔は死者の供養のためだけではなく、大河内松平家・信綱の功績を後世に残す記念碑的な意味もあったらしい。

 

●野火止用水(のびどめようすい)の平林寺堀。

 新座市内の史跡公園で野火止用水は、平林寺堀として右へと分流、本流の東を通って平林寺内を貫き、新河岸川へと流れ込む。平林寺堀は、1728年(享保13年)に分水されたとされる。水は流れていなかった。

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 幕府老中で上水道工事を取り仕切っていた松平信綱は、江戸の飲料水不足を解消するため、多摩川の水を羽村から武蔵野台地を通し四谷までの全長43Kmの「玉川上水」を難工事の末に完成させた。その後、玉川上水から領内の野火止(新座市)への分水が許され、1655年(承応4年)に家臣に命じ、「野火止用水」(全長25Km)を作らせた。主に飲料水のほか、雑用水や灌漑用として利用された。

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●野火止塚(九十九塚、つくもつか)

 小さい小山の「野火止塚」は、火を放って獲物を追い出す狩猟か、焼畑の場合に利用しあたのかはっきりしないが、野火の監視台であったらしい。この種の塚は、古くからこの平野のあちこちにあって、その名残りを留めている。「野火止」という地名の由来を今に伝える貴重な遺構である。

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●業平塚(なりひらつか)

 説明板によると、 次のように書かれている。

 在原業平が京より東国へ東くだりの折、武蔵野が原に駒を止めて休んだという伝えがある。江戸名所図会によると、野火止塚(九十九塚)と同じく、古へ野火を遮り止むるために築きたりしものなるべきを後世好事の人、伊勢物語によりて名付けしなるべし。塚上石碑を建てて和歌の一首をちりばめたり。その詠にいはく『むさし野にかたり伝へし在原のその名を忍ぶ露の小塚』とあるが、この歌碑は今はない。

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●歴代塔所(れきだいたっしょ)

 平林寺を開山した石室善玖(せきしつぜんきゅう、1294-1389)禅師のほか、歴代住職の墓が並ぶ。

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 16:00頃、平林寺を退場。雨は止まない。

 

 以前から平林寺の紅葉に行く機会を逸していた。この日は終日雨だったが、やっと実現。紅葉の素晴らしさに圧倒された。気温は10℃前後で、師走並みの寒さ。それでも、観光客やアマチュア写真家が三々五々と来場していた。

 2009年11月、天皇皇后両陛下がこの寺を訪問し、紅葉の境内を散策されている。

 

 ★ ★ ★

  関東の名刹といわれる「平林寺」には、老中であり幕府軍の総大将として島原の乱を鎮圧した松平信綱の墓があること、「島原の乱供養塔」があることは、4年前に初めて知った。

 「島原の乱」の悲劇には大変興味があって、以前いろいろ調べているうちに、この乱が複雑な要因で起きていて、昔教科書で習ったようなイメージとは違っている。この反乱は、宗教戦争や宗教弾圧だけでない側面がある。

 島原藩主でキリシタン大名だった有馬晴信が幕府のとがめを受けて転封され、その代わりに来た藩主松永氏に対する反乱ともなっている。飢饉と過重な年貢に対する農民一揆に、武士から農民になっていた有馬氏の家来たち、昔キリシタン大名小西行長に仕えていた遺臣の浪人たち、元来の島原・天草に土着していた豪族などが加わっている。総大将の天草四郎は「神の子」と祭り上げられているが、ローマ教会が認めた正式な指導者ではないので、ローマ教会はキリシタンを装った農民一揆だとしている。

 カトリックでは、殉教者を「福者」とか「聖人」と呼んでいるが、反乱軍に参戦したキリシタンは現在に至るまで殉教者としては認められていない。反乱軍は、ポルトガルやイスパニアからの援軍を待って篭城したが、松平信綱はプロテスタントのオランダと手を組み、艦砲射撃をさせたという。

 後世に建てられた「島原の乱供養塔」は、近代の博愛の精神が江戸時代にあったのかと一瞬驚いた。しかし実際には、幕府軍側の死者を供養するもので、しかも信綱の鎮圧の功績を讃えるものであったことは、残念ながら納得できる。

 

 

2014年11月10日 (月)

日本スリーデーマーチ2014

 2014年11月2日(日)、11月3日(祝日)の2日間、「日本スリーデーマーチ」に参加。

 

 国内最大のウオーキングの祭典「第37回日本スリーデーマーチ」が、11月1日(土)に開幕。埼玉県東松山市を中心に周辺の市や町を舞台に、3日間繰り広げられた。

  1日目 11月1日(土) 和紙の里・武蔵嵐山ルート
  2日目 11月2日(日) 吉見百穴・森林公園ルート
  3日目 11月3日(祝) 都幾川・千年谷公園ルート

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 1日目は、あいにくの雨だったが、元Jリーガーの城彰二さん、元全日本女子バレーの益子直美さんが、駆けつけたという。大会3日間では、延べ8万人余りが参加したそうだ。

 

 今年も2日目に、駅前を9:00出発、昼食を入れて、15:30頃まで20Kmコースを歩く。3日目は、中央会場付近を9:45出発、13:30まで10Kmコースを歩き、14:00からパレードに参加した。パレードは、駅前から中央会場までのメインストリート約2Kmを行進した。

 パレードは大会のフィナーレを飾り、音楽隊、吹奏楽団を先頭に各参加団体がのぼりや旗を持って隊列を組で歩く。午前中には、「仮装ウォーク・コスパレ!」(コスチューム・パレード)というのもあったそうだ。

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 2011年を除いて、3日間の大会のうち毎年2日間に参加している。2年前の2012年の第35回大会の参加については、以下にブログ記事を書いた。

 
 本ブログの関連記事:「日本スリーデーマーチ」
  
   http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-ba9a.html

 

 この2012年の35回大会3日間の延べ参加者数は、過去最多で12万人余りだった。ちなみに2013年(参加したが、ブログは投稿していない)は、延べ参加者数は10万人ちょっとで、平年並み。
 

 今年37回の延べ参加者が8万人余りと少なかったのは、初日の雨が響いたようだ。午前中は曇りか小雨程度だったようだが、午後から本格的な雨になった。最高気温は16度で、肌寒かった。30Kmコースを歩いた人の話では、雨具を用意していたがびしょ濡れで、舗装してない道路で靴が泥まみれになったと言う。それでもその日だけで、2万3千人が参加したのは、すごい。

 2日目以降も雨なら参加を止めようと思っていたが、2日目、3日目は運良く秋晴れ。最高気温も21度で、Tシャツでも良いくらいの暖かさで、快適だった。

 

 
 このところ10月18日から29日まで、九州、福島への旅行が続いていて、帰宅して3日間休養後の2日間合計30Kmのウォーキングだった。足の痛みはなかったが、やはり数日間は疲労が残った。

 来年の大会日程は、11月1日(日)、2日(月)、3日(祝)に決まったそうだ。

2014年11月 7日 (金)

紅葉の吾妻・裏磐梯の旅

 2014年10月29日(水)、前日の二本松と飯坂温泉に続き、福島県の吾妻・裏磐梯の旅。

 

 この日は、冬型の気圧配置が次第に緩み、昨日よりは気温は上昇するらしい。 

 8:35、飯坂温泉「ホテル聚楽」を出発。県道5号線の愛称「フルーツライン」を南下、道路沿いの果物直売所「まるげん果樹園」(福島市大笹生字鹿ノ畑)に寄る。

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 この辺りは盆地のため夏は暑く、冬は寒く雪が多い。土壌はさらさらしていて水はけが良く、さくらんぼ、もも、なし、ぶどう、りんごなど果物作りには最適な場所らしい。福島の陽光りんごを購入。
   

 「フルーツライン」は、やがて蛇行した山岳観光道路の「磐梯吾妻スカイライン」(県道70号)となり、高湯温泉を通過して、9:40展望ポイント「不動沢橋」に到着。不動橋は、「つばくろ谷」に架かる長さ170m、高さ84mのアーチ橋。

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 紅葉の名所で、橋上からのぞき込むと深い谷に足がすくむ。

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 橋上左手から、福島市街地を遠望。

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 更に「磐梯吾妻スカイライン」を上り詰めると、10:15標高1,600mの「浄土平」に到着。

 レストハウスの後ろは、吾妻連峰の「一切経山」(いっさいきょうざん、1,949m)が火山活動中で、白い噴気が見える。

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 駐車場から徒歩10分弱で「吾妻小富士」(1,707m)に登る。風が強く冷たい。

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 一帯は昨日朝方に初雪があって、だいぶ融けたようだが、所々にまだ雪が残っている。

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 飛ばされそうな強風の中で、「吾妻小富士」の火口跡をこわごわのぞく。

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 バスの出発時刻が気になって、つい駆け足で登ったので、冷たい吸気を一気に吸って、バスの中で咳こんでしまう。


 「浄土平」は、吾妻連峰東部の「吾妻小富士」(1,707m)、「東吾妻山」(1,975m)、「一切経山(1,949m)、「高山」(1,805m)に囲まれた平坦地。 「一切経山」の火山噴火により生成された火山荒原とオオシラビソを主とする針葉樹林の原生林となっていて、高山植物群落や湿原などが点在している。

 磐梯吾妻スカイラインの中間地点で、吾妻連峰東部の景観が一望できる観光拠点。大駐車場、ビジターセンターや天文台、レストハウス、土産物店がある。自然探勝路が整備されていて、亜高山帯の自然に触れることが出来る。

 「吾妻小富士」から「浄土平湿原」と丸い形の「東吾妻山」を望む。

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 「浄土平」を10:37出発。「磐梯吾妻レークライン」(県道70号線)を走って、「秋元湖」、「小野川湖」の紅葉を車窓から眺めながら、11:55「檜原湖」湖畔のレストハウス「第一ゴールドハウス目黒」に到着。

 檜原湖を眺望できる食堂2階席で昼食。

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 「桧原湖 」は、福島県耶麻郡北塩原村にある湖。1888年(明治21)、磐梯山が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、岩屑(がんせつ)なだれが長瀬川をせき止め、数百の湖沼が形成された。堰止め湖の中では、「檜原湖」が最大規模で、最大水深31m、湖岸周31.5km。噴火の際には500人近い死者がでたほか、桧原村が水没、消滅した。

 アウトドアレジャーの拠点として、散策路、遊覧船、キャンプ場のほか、冬場はワカサギ釣りや夏場のバスフィッシングなど、四季を通じて賑わう。 

   
   
 「檜原湖」湖畔から数分後、15:00「毘沙門沼」の駐車場に着く。「五色沼」最大で、青緑色に光る「毘沙門沼」からは、磐梯山(1,818m)が目に飛んでくる。

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 「毘沙門沼」から望む磐梯山は裏磐梯を代表する景観の一つ。ボートが浮かび、多くの観光客で賑わっていた。

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 「五色沼」は、「秋元湖」、「小野川湖」、「桧原湖」の大きい湖に挟まれた数十の湖沼群。名前の由来は、火山性の水や植物・藻などにより、湖沼群は緑、赤、青などの様々な色彩を見せることから。   
   
 散策路が整備されていて、磐梯山の眺めが良い「毘沙門沼」、草木が赤色い鉄錆に染まる「赤沼」、水が3色に変わる「深泥(みどろ)沼」、幻想的な雰囲気の「竜(たつ)沼」、水中植物が美しい模様を描く「弁天沼」、コバルトブルーの「瑠璃(るり)沼」、青白色に光る「青沼」、紅葉で美しく染まる「柳沼」などなど、変化の富んだ約1時間ほどのトレッキングコースとなっている。宿泊施設が集まっており、ここも観光地として発展している。

 

 帰りは、猪苗代磐梯高原ICから磐梯自動車道、東北道を走る。途中、那須高原SA、羽生PAで休憩。

 上りの羽生PAは、昨年(2013年)年末に、「鬼平江戸処」としてリニューアルオープンした。 近隣に江戸の入り口である栗橋関所があること、2013年が池波正太郎の生誕90周年にあたることから、氏の人気小説『鬼平犯科帳』の世界を表現し、江戸の街並みを再現している。写真は、NEXT東日本のHPより引用。

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 この羽生PAに来たのは2度目だが、平日にもかかわらず観光客で混み合っていて、人気のほどを知る。

 18:45、自宅着。

 

 本ブログの関連記事「猪苗代湖と裏磐梯の冬景色」
  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-8d9c.html

2014年11月 6日 (木)

福島県二本松と飯坂温泉

 2014年10月28日(火)~29日(水)、1泊2日の福島県二本松菊人形、飯坂温泉、紅葉の飯坂温泉、吾妻・裏磐梯の旅。

 

 1日目の10月28日(火)は、二本松菊人形から飯坂温泉へ。

 このところ秋にしては暖かい日が続いていたが、当日と翌日の天気予報は、冬型の気圧配置で、福島県は晴れや曇りだが、寒気が入り込んで冷え込むという。   

 午前8時出発。総勢27名を乗せた観光バスの中は、関越自動車道から東関東自動車道を経由して、東北自動車道へ。二本松ICで降りて二本松観光センター「隊士館」に着くと、ちょうど12時で、昼食。

 13時、「霞ヶ城公園」(二本松城跡)に到着。公園入口の復元された箕輪門近くにはNHK大河ドラマ「八重の桜」に出てきた悲劇の「二本松少年隊群像」が立っている。

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 日本最大規模といわれる開催中の「二本松の菊人形」を見学。菊人形の題材は、毎年NHK大河ドラマが採用されているが、今年は二本松城築城600年を迎え、地元にゆかりの人物や歴史、祭りなどにスポットを当てた内容となっているそうだ。

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 二本松城は、福島県二本松市郭内にあり、二本松藩丹羽十万石の居城。別名は、霞ヶ城、白旗城。戊辰戦争で多数の犠牲者を出して炎上・落城。二本松少年隊の悲話を残し、主戦論者であった家老ら3名が自刃して壮絶な最後を遂げた。

 
 桜、つつじ、紅葉、そして菊人形展と、四季折々の景観が楽しめる。南側の高台には智恵子抄詩碑がある。2007年、二本松城跡として国の史跡に指定された。 

 

 霞ヶ城公園をあとにし、国道4号線を南下。
14:20、国道4号線沿いの「奥の松酒造株式会社」に到着。工場見学と試飲で30分滞在。

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 もと来た道をたどり、二本松ICから再び東北自動車道を北上し、福島飯坂ICから飯坂温泉へ。県道3号線を経て、摺上川(すりかみがわ)沿いを北上。

 

 15:35、飯坂温泉「ホテル聚楽」に到着。

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 飯坂温泉は、福島市北東部の飯坂地区中心部にあり、飯坂温泉街がある。飯坂温泉は、古くは「鯖湖(さばこ)の湯」と呼ばれ、宮城県の鳴子温泉、秋保温泉とともに奥州三名湯の一つとされた。

 浴衣に着替えて、18:00~20:30懇親会。この後、カラオケルームで2時間ほど過ごす。

 

 

 ★ ★ ★

 4年前、「安達太良山」(1,699.6m)に登山した翌日の2010年10月24日、観光ボランティアガイドをお願いして、少人数で半日かけて二本松の史跡巡りを行ったことがあった。

 今回のツアーは、二本松のほんのさわりしか見なかったが、その時は二本松の歴史を詳しく知ることが出来た。見学したところは、次のようであった。 

 
 ・二本松の総鎮守である「二本松神社」。

 ・「智恵子の生家」と「智恵子記念館」、「智恵子の杜公園」の「詩碑の丘」

 ・霞ヶ城では、本丸跡、公園東入口にある「戒石銘碑」。庭園公園を会場に開催中の竜馬伝をテーマの「二本松の菊人形」。「二本松少年隊」の群像、復元された「箕輪門」、庭園の「霞池」、展望台の「智恵子台」、樹齢350年の「傘松」、江戸期茶室の「洗心亭」などを巡った。

 ・二本松藩主丹羽氏の菩提寺である「大隣寺」では、戊辰戦争で亡くなった「二本松少年隊」の供養塔や、寺の裏山で歴代藩主の墓所があった。

 

 この中で「戒石銘碑」は、藩主高寛公が家臣で儒学者の岩井田昨非の進言で刻ませた銘で、「なんじの俸、なんじの禄は、民の膏、民の脂なり。下民は虐げ易きも、上天は欺き難し」と漢文で刻まれている。武士がお上から頂く俸禄は、民の汗と脂(あぶら)の結晶である。下々は虐(しいた)げ易いが、神を欺(あざむ)くことはできないという意味だ。

 霞ヶ城公園の東入口にある「戒石銘碑」 2010/10/24撮影 

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 この銘は、二本松藩の藩政改革と綱紀粛正の指針とし、藩士の士風をおおいに奮い起こしたという。あの時代にこのような立派な学者がいたことに感激。

 

 高村光太郎の妻・智恵子についてもその生涯を良く知ることが出来た。

 智恵子の杜公園の詩碑の丘。光太郎の「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川 ここはあなたの生れたふるさと・・・。」の石碑。2010/10/24撮影。

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 また、戊辰戦争で戦った会津藩の白虎隊の陰に隠れていたマイナーな「二本松少年隊」の悲劇も印象深かった。
 

 

2014年11月 5日 (水)

鹿児島県霧島市

 2014年10月22日(水)午前中、鹿児島県の霧島市周辺をめぐる。

 

 前日、「韓国岳」に登った後、鹿児島県霧島市牧園町にある温泉宿の「霧の里本館」に宿泊。

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●霧の里本館からの雲海

 6:00起床、朝風呂に入る。露天風呂から見える霧島の山なみに雲海が素晴らしい。急いでカメラを持って館外に出て撮影。

 ここの宿の名の通り「霧の里」。早朝の雲海は幻想的で神々しい。確かに「天孫降臨」の神話の地にふさわしい光景。こんな景色が見られて運が良かった。

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 「天孫降臨」の地としては、大和の山々ではなく南九州の日向(ひむか)で、この地の霧島連山の一峰である「高千穂峰」(宮崎県高原町)と、宮崎県北部にある高千穂町(天岩戸の洞窟がある)に伝承がある。どちらの説も、いまだ定説には至ってはいない。


 7:30~朝食。9:10各車に分乗してホテル出発、一行は小雨の中の「霧島アートの森」に向かう。

 

●霧島アートの森

 「霧島アートの森」は、鹿児島県立の野外美術館。鹿児島県姶良郡湧水町(旧栗野町)の霧島連山「栗野岳」の山麓の標高約700mの高原に位置する。2000年(平成12年)に開園。

 野外に20数点の作品が展示されている。入園料、一般310円、団体20名以上240円。

 西野康造/気流-風になるとき(1999年)

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 ジョナサン・ボロフスキー/男と女(1999年)

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 このアートの森は、鹿児島県が「霧島国際芸術の森基本構想」として芸術交流拠点施設として芸術性の高い作品を展示・整備し、公益財団法人「鹿児島県文化振興財団」が管理運営している。 

 野外作品の一部を見た後、霧と雨がひどくなったので屋内に入る。

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 屋内展示物 草間彌生/赤い靴(2002年)

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 屋内では、秋の特別企画展「横尾忠則の地底旅行」が開催中だったので、鑑賞する。観覧料、一般800円。

 左:地球の果てまで連れてって(1994年)、右:自立の炎(1994年) 霧島アートの森HPから引用。

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 横尾忠則は、もともとはグラフィックデザイナー。80年代に画家宣言を行い、現在は絵画を中心に制作を行なっている。洞窟を中心にした風景、神話をモチーフにした作品などが多い。

 横尾忠則については、昔からデザインとしてよく目にしたり、テレビなどにもよく顔を出したりしていたが、独特な作風や個性には、個人的にはちょっとついていけない。

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●きままなキッチン

 11:30、国道223号線沿いの霧島温泉郷の中心にある「霧島温泉市場」付近(霧島市牧園町高千穂)の駐車場に車を止める。

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 そこから細い坂道を2、3分歩いて上ると、森の中にガラスで囲まれたイタリアン料理のレストラン「きままな台所(キッチン)」がある。

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 レストランの手前には、「森のテラス 夢楽(むら)」が併設されている。オリジナル藍染め衣類やブルーの焼き物、ドレッシング、雑貨や小物など、女子には楽しそうな商品が販売されている。昼食を予約していたがまだ準備中だったので、しばらく店内を見て回る。

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 ランチは、ワンプレートにデザートとスープ、パン、ドリンクなど。

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 食事の14:00頃、旧友たちと別れる。

 

 友人の車に同乗、国道223号線、県道50号線を経て、14:30九州自動車道横川ICへ。

 ここから、次の目的地の長崎方面へ300Km余り、数時間のハイウェイ・ドライブ。

2014年11月 4日 (火)

韓国岳

 2014年10月21日(火)、鹿児島・宮崎の県境にある「韓国岳(からくにだけ)」1,700mに登る。

 

 「韓国岳」は、南九州・霧島連山の最高峰。山頂には直径900m、深さ300mの巨大な爆裂火口があり、大雨になると池となる。春はミヤマキリシマ、秋は紅葉、冬には冠雪、霧氷。北西山麓に「えびの高原」が広がり、南西山腹に「大浪池」がある。「韓の国」まで見渡せるというのが名前の由来だが、実際には見えない。   
   
 山頂からの眺めは素晴らしく、「大浪池」、噴煙の「新燃岳(しんもえだけ)」を眼下に見下ろし、桜島も遠望できるという。韓国岳~新燃岳~中岳~高千穂河原への縦走ルートは、新燃岳の火山活動により入山規制中。

 

 ★ ★ ★

 7:15、宮崎市内を車で出発。国道10号線沿いの市内高岡町花見のコンピニ、国道268号を経て県道1号線沿いの「えびの・生駒高原道の駅」で、他の参加者の車と合流。

 
 9:25、えびの高原の韓国岳登山口に到着。ここは標高1,250m、バス停と小さい駐車場がある。天気は秋晴れで、気持ちが良い。高原のススキが揺れる。

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 車1台を大浪登山口(トイレあり)に置きに行く(片道6分)。10:05、パーティ8人は登山開始。

 徒歩7分で硫黄山の噴気地帯に着く。

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 ここまでは、スカートの観光客でも来れる。この硫黄山付近では、今年6月ごろから火山性地震が増えており、噴気や火山ガスに注意するよう報道されている。急いで通過する。 

 背後には、県道1号(えびのスカイライン)と、ビジターセンター、えびの高原温泉や高原荘など。

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 大小の石が転がる樹林のトンネルを進む。

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 高度を上げると、眼下に白い「硫黄山」(1,317m)とその後ろに「不動池」、左手に「白鳥山」(しらとりやま、1,363m)とその前方の「白紫池」(びゃくしいけ)。

 
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 樹木は、低灌木となり、ガレ石の急坂を登る。

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 11:05、5合目の展望台に到着。ここから標高1,200mの「えびの高原」を一望。10分余り休憩。

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 8合目付近で、右手に「大浪池」、左手に「韓国岳」の火口が見えてくる。

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 11:55、「韓国岳」の山頂に到着。

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 山頂は岩だらけで、足元が不安定、腰も落着けない。風が強い。直下の火口を恐る恐るのぞき込む。

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 新燃岳の噴煙とわずかに「高千穂峰」の裾野が見えていたが、やがて霧で見えなくなる。遠い桜島は全く見えず。

 
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 12:30、昼食後下山開始。大浪池に向かって、しばらく木の急階段の後、ガレ場を下る。

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 霧が晴れると、周囲は赤や黄色の紅葉で美しい。正面は「大浪池」。

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 13:25、避難小屋に到着。ここが「韓国岳」と「大浪池」の鞍部。

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 再び登山道を登ると、神秘的な霧の「大浪池」が全貌を現わす。

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 池の縁を半周するが、樹木と霧で湖面はほとんど見えない。

 14:25、大浪池休憩所に下りる。ここから池越しに「韓国岳」山頂を望む。

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 10分余り休憩、未舗装登山道を下ると、やがてよく整備されたゆるやかな石畳となる。

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 15:10、大浪登山口に到着。ここは標高1,070m。バス停と近くに小さい駐車場とトイレがある。

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 大浪登山口に置いておいた車で、韓国岳登山口に駐車した車1台を取りに行く。

 15:35出発、国道223号線、霧島温泉街を経由して、16:05宿泊先の「霧の里本館」(鹿児島県姶良郡牧園町)に到着。さっそく温泉の大浴場やろ露天風呂に入り汗を流す。

  18:00、25人の仲間が大広間に会して、懇親会が始まり旧交を温める。20:30~2次会、23時頃就寝。

 

  ★ ★ ★

 
 「韓国岳」に登った3日後の10月24日、福岡管区気象台は、霧島連山の「硫黄山」周辺に火口周辺警報を発表。小規模な噴火が起きる可能性があるとして、「硫黄山」から半径1Km以内に立ち入らないよう呼び掛けた。

 これを受けて、宮崎県やえびの市は「硫黄山」から半径1Kmの入山規制を決定。規制区域をまたぐ県道1号線を全面通行止めにし、「えびの高原」からの登山道3ルートを封鎖した。

 「硫黄山」付近では今年6月ごろから火山性地震が増え、8月20日には火山性微動を観測。山の北西が隆起するような地殻変動も確認されていた。10月21日の現地調査では、噴気や地熱などは確認されていないが、23日の火山噴火予知連絡会で、「火山活動が高まっており、推移に注意が必要」と指摘。こうした点から気象台は、噴火予報(平常)から火口周辺警報に引き上げた。

 「硫黄岳」は「韓国岳」の北西側の山腹にあり、近くを県道1号線や登山道が通る。14世紀以降に2度、マグマ噴火を起こしたことがあるそうだ。2011年約300年ぶりにマグマ噴火した「新燃岳」は、「硫黄山」から約5Kmの範囲にある。

 今回、何事もなく無事下山できたが、登山規制にはギリギリセーフだった。9月末の「御嶽山」噴火のことがあって、敏感になっている。火山噴火予知連や気象庁は「御嶽山」でしくじったので、今回は早めに決定したのだろうが、空振りになることを祈る。紅葉時期のかき入れ時で、観光業者には大打撃だろう。

 最近では、過去2010年11月に霧島連山「高千穂峰」(1,574m)に登ったことがあった。当時は「新燃岳」も立ち入り規制されていたが、その2か月後の2011年1月、「新燃岳」が大噴火。「韓国岳」や「中岳」も入山規制、「高千穂峰」も周辺道路の交通規制により登山できなくなった。もちろん、火口に近い高原町、都城市および霧島市を中心として多くの火山灰被害が発生、宮崎県南部一帯にまで降灰が及んだのは記憶に新しい。

 

2014年11月 2日 (日)

宮崎県日南市

 2014年10月20日(月)、日本棚田百選「坂元棚田」を見るために、宮崎県日南市に行く。

 10:30頃、宮崎市内から車で出発。

 

●飫肥(おび)杉林

 県道28号線(日南-高岡線)を南下。宮崎市田野から峠を越え、日南市北郷町北河内字大戸野に入ると「飫肥杉峠展望台」がある。11:00到着。ここから展望する「飫肥杉林」は、約1,000ヘクタールと案内板にある。見渡す限り杉が続く日本一の杉林の景観は、宮崎県の林業を代表しているという。

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 「飫肥杉」は、日南市付近で育成される杉。江戸時代、飫肥藩によって植林活動が始められ、400年の歴史を持つ飫肥林業の中心として知られている。樹脂分が多く吸水性が低く、軽量で強度が高いことから造船材として取引され、最盛期には瀬戸内海や韓国などに大量に出荷された。

 しかし、1965年(昭和40年)頃から木造船の需要がなくなると飫肥林業は急速に衰退、現在は住宅用建材などを目的に育てられている。先人たちが残した広大な飫肥杉の山々は、地域資源として見直しし、「飫肥杉」をキーワードにまちづくりの事業やイベントに民間と行政が共に取り組んでいる。

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●潮嶽(うしおだけ)神社

 11:20、飫肥杉峠展望台から約11Km先の県道28号線沿いに「潮嶽神社」に着く。ここは、日南市北郷町北河内。火照命(ホデリノミコト、海幸彦)を主祭神に祀る全国でも唯一の神社。この地方では、海彦・山彦兄弟の神話の釣り針にちなみ、縫い針を他人に貸さない習俗があるという。

 樹齢約400年の大樹に囲まれ、苔むした石段の上に拝殿と本殿がある。

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 拝殿は、約100年前に立て替えられた。

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 その奥の本殿は、約200年前の天保三年、飫肥藩主伊東公の寄進により造営。飫肥藩主も代々崇拝した。

 歴史を感じさせる本殿の建築様式は、流造り(ながれつくり)

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 よく見ると、三方の高欄には、極彩色を施した跡がある。昔はさぞかし豪華だっただろう。

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 組み物や唐獅子の彫刻も、素晴らしい。

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 弟の火遠理命(ホヲリノミコト、山幸彦)を祀った宮崎市内の「青島神社」のように、この神社は一般に広く知られてはいない。

 悪者にされた海幸彦はその後、隼人(はやと、南九州の氏族)の祖となったといわれている。一方、山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。

 

  
●日南ダム

 日南市飫肥の城下町を抜け、都城市と結ぶ国道222号線を西へ進むと、酒谷地区。国道に沿って流れる酒谷川をせきとめた「日南ダム」が、左手に見える。更に国道を山手に進むと、ダムを見下ろす展望台があった。

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 「日南ダム」は、1985年(昭和60年)3月に竣工。大雨時に下流域を洪水の被害から防ぐ治水ダム。案内板に「日南ダム」のしくみは、「放流調節ゲートがなく、大雨による洪水の時に上流で増えた川の水の一部を一時的にためて、下流で安全な川の流れを保つように放流口から自然に流れ出るようになっている。」とある。半円形の落水式集水口が、特徴的。

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 毎年5月、ダム両岸にワイヤを張り、ダム湖の上をこいのぼり が泳ぐ。1994年から地域おこしグループが毎年実施しているそうだ。

 

●道の駅酒谷(さかたに)

 日南ダムからすぐ先に、ひときわ目立つ苔むした茅葺き屋根の「道の駅酒谷」がある。12:30、ここで休憩・昼食。店内には、よもぎで作った名物「草だんご」や新鮮な地元の農産物、特産品が並んでいる。敷地内には、遊具施設や広場もある。

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 地産池消の食事処で、ざるそばを注文しようと思ったが、手打ちではないという。お勧めは、温かい「棚田そば」が、税込700円。太くて短い手打ちの十割そば。国内産そば粉を使っていて、弾力があって食べ応えがある。旬の食材が盛りだくさん、素朴な昔風の味でおいしい。

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●坂元棚田

 道の駅から国道を少し進むと、右手に山に向かう細い道があり、道の入口付近に「坂元棚田」を示す道標が立っている。山道を車で登ると、やがて13:20坂元の集落に着く。このあたりに、日南市の最高峰である「小松山」(標高989m)の南斜面、標高200mの麓に広がっている美しい棚田がある。観光客用の駐車場があり、棚田の農道は狭いので、車で通行しなで、歩いて回るようにと注意書きがあった。

 日本棚田百選の一つである「坂元棚田」は、黄金色に染まる10月上旬が見頃だそうだ。残念ながら、すでにほとんどの田んぼの稲刈りは終わっていたが、天日干しをしているところは少ない。

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 「坂元棚田」の元地は、茅が生い茂る原野で茅場であったが、1928年(昭和3年)から5年をかけ、国の補助事業を導入して開墾された。長方形の田んぼが階段状に規則的に並び、石積みは地元の自然石を大小に割って垂直に近く積み上げた。「小松山」を源流とする清らかな谷川の水が、棚田に引かれている。

 機械で稲刈りをしていた夫婦は、「今年は雨が多くて作柄は良くない」と言っていた 。

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 谷を挟んだ棚田の対面に展望台があり、棚田の全容を眺めることが出来た。

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 ●小布瀬(こぶせ)の滝

 国道222号線から脇道に少し入りると、民家の敷地のような駐車場がある。看板と鳥居のある入口から、徒歩で2分。

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 酒谷川の支流に、さらし木綿を垂れ下げたような小布瀬の滝。高さ23m、滝幅3m。

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 悲しい「小布瀬の滝」の伝説が書かれた案内板があった。

 今から約200年前、ある継母が先妻の子を殺害せんとしてこの滝の上に連れて来て突き落としたのであるが、知らぬ間に子供が自分の腰紐と継母の腰紐とを結んでいたので二人とも滝壺へ転落死亡した。
 このとき小布が枝にひっかかって残っていたので、人はあわれと思い「小布瀬の滝」と呼ぶようになったと伝えられる。
                               昭和56年8月 日南市、日南市観光協会
 

 この近くには、少年自然の家や酒谷キャンプ場などもある。

 

 
●大谷(おおたに)石橋

 明治22年に完成したアーチ形の石橋で貴重な遺産。昔は酒谷川支流の大谷川に架かる国道だったが、新しい橋ができて使われなくなった。車は通行できないようになっているが、人は通れる。

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●天神山公園

 日南市から宮崎市内に戻り、大淀川の南側、橘通りの西側、天満町にある「天神山公園」に寄る。 

 天神山は標高約30m、展望台から宮崎市内を一望。といっても、樹木が茂っていて、360度というわけではない。

 大淀川、宮崎市役所と橘通り中心街方面。

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 赤江方面の一ッ葉大橋と日向灘。

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 左手に市民文化ホール・市立図書館、花山手団地の方向に夕日が沈む。

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 園内は自然の中を歩く遊歩道、池や遊具もある。桜の花見シーズンには賑わう。市内を展望できる場所として、宮崎市の北の「平和台公園」と並んで市民の憩の場。

 
 天神山とか天満町という名前から地図で確認すると、やはり公園と隣接して学問の神様「宮崎天満宮」があった。

 

【追記】
●ホルモン焼き

 
 その日の夕方、宮崎のホルモン焼きが食べたくなって、友人に老舗の焼き肉屋「味良ホルモン店」に連れて行ってもらう。

 
 市内淀川3丁目、大淀中学校の近くで、JR南宮崎駅からだと徒歩12分の所。店内はカウンターと広いお座敷があり、テーブルに古びたガスコンロを置いてある。家庭的な感じで、とにかく安いらしい。店や料理の写真は、撮り損ねた。

 
 昔は、焼肉というとカルビ・ロースやハラミ・レバーではなくて、大腸・小腸のホルモンだけだった。食べてみると、確かに昔のホルモンの味で、懐かしくて美味しい。この味は、昔からの宮崎の焼肉のタレだ。

2014年11月 1日 (土)

宮崎市と神話のふるさと

 2014年10月18日(土)~、宮崎市に滞在。

 18日午前中、銀座のギャラリーで写真展を鑑賞した後、羽田空港へ。15:50、宮崎空港到着。宮崎駅東口(写真下)近くのホテル「ニューウェルシティ宮崎」に16:40チェックイン。久しぶりの友人らと再会し、懇親会。その夜は同ホテル泊。

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 10月19日(日)、9:45頃ホテルを出て、宮崎市内をめぐる。

 

●宮崎科学技術館と中央公園

 ホテル隣の「宮崎科学技術館」に行ってみる。敷地内に高さ40mのH1ロケット実物大模型が立つ。館内に設置された、懐かしい宇宙船「アポロ11号」の実物大模型を覘く。ここの直径27mのプラネタリウムは、世界最大級の規模を誇るらしい。

 隣接する「宮崎中央公園」を散策、のどかな時間をつぶす。ここは、宮崎刑務所の跡地で、昔は寂しいところだった。

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●宮崎ラーメン

  「宮崎ラーメン」というのはあまり聞かないが、昔宮崎市内で食べたラーメンが懐かしくて、「宮崎神宮」一の鳥居そばの老舗店ラーメン店「栄養軒」に行ってみる。九州は豚骨ラーメンだが、観光ガイドブックによると「宮崎ラーメン」は、豚骨スープのあっさり味とある。「栄養軒」は、昭和39年(1964年)創業以来、現在の味を守り続けてきたという。

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 日曜日のお昼時をとっくに過ぎた13:45ころ、まだ家族連れなどでほぼ満席に近い。庶民的で人気の店で、たぶん先ほどまで行列が出来ていたようだ。

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 チャシューとシナチク、もやし、ねぎの入った並のラーメンが、570円(税込価格)。スープは豚骨ベースの薄い醤油味、食べてみるとやはりあっさりしていて、美味しい。麺は、中太ストレートでこしの強い自家製麺。好みで、醤油やニンニクを入れるそうだ。

 

●平和台公園と平和の塔

 市内丘陵部にある県立「平和台公園」に行く。JR宮崎駅東口より宮崎交通バスで平和台公園行き終点まで、約30分の距離。14:30頃、平和台公園に到着。

 この公園は、「平和の塔」、別名「八紘一宇の塔」があることで有名な宮崎市を代表する観光地。園内には、古代風景の「はにわ園」、池や散策路、アスレチック施設、運動広場などがあり、市民の憩いの場でもある。

 
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 「平和の塔」は、紀元2600年記念事業として周辺広場の造成とともに「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)として、1940年(昭和15年)に完成。

 高さ36m、一部に世界各地から集めた石材で構成され、正面には昭和天皇の弟宮であった秩父宮雍仁(やすひと)親王による「八紘一宇」の文字が刻まれている。四隅には信楽焼で、漁人である「奇御魂」(くしみたま)、武人である「荒御魂」(あらみたま)、商工人である「和御魂」(にぎみたま)、農耕人である「幸御魂」(さちみたま)の四魂像(高さ4.5m)が配置されている。

 塔の内部には、天孫降臨や神武天皇即位などが描かれたレリーフがあるそうだが、一般に公開はされていない。

 「八紘一宇」は、『日本書紀』に記された神武天皇の文言から引用された造語。「天下(世界)を一つの家のようにする」という意味だが、戦時中は「日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた」ともされた。

 大戦後の1946年、GHQは大東亜共栄圏や国家神道を連想させるとして、「八紘一宇」の文字と武人の「荒御魂」像が削られ、名称も「平和の塔」と改められた。

 しかし、1960年代になって塔の再興運動が進められ、1962年に荒御魂像、1965年「八紘一宇」の文字がそれぞれ復元されたのは、歴史を戻す行為として残念だ。1964年の東京オリンピックでは、聖火リレー第2コースのスタート地点となっている。

 平和の塔から見下ろす宮崎市街と日向灘。

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 この後、公園内を散策して、「市民の森」へと移動。


●阿波岐原森林公園(市民の森)

 JR宮崎駅から宮崎交通バスシーガイア行きで20分、市民の森下車すぐ 「阿波岐原(あわきはら)森林公園」は、明治100年記念事業の一環として整備され、1971年(昭和46年)に開園。宮崎市街地から少し離れた宮崎シーガイヤのある一ツ葉海岸にほど近い場所に位置する。南北約10kmに及ぶ広大な森林公園。うち約30ヘクタールが整備された「市民の森」となっている。

 16:00頃~「市民の森」を散策。

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 防潮林の松林や雑木林、季節によって梅・椿・花菖蒲などの樹木と花が園内を彩る。

 

 園内には、神話の伊邪那岐命(イザナキノミコト) が禊(みそぎ)をした「みそぎの池」として知られる「御池」がある。

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 イザナキノミコトの禊によって、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、須佐之男命(スサノオノミコト)の3人の神が生まれ、その子孫の神武天皇へとつながっていく。

 『古事記』が伝えている「筑紫の日向(ひむか)の橘の小戸の阿波岐原」 という場所は、筑紫は九州、日向は宮崎のことを指し、阿波岐原は一ッ葉海岸の一角にあたるここの地名だという。「市民の森」には、他にも幾つかの神話とゆかりのスポットが点在する。

 公園南側には平安時代の『延喜式』にも記載され、イザナキノミコト、 イザナミノミコトを祀る「江田神社」がある。意外と質素な、こじんまりした神社だ。

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 高千穂町の「天孫降臨」、「天岩戸」などなど、宮崎県内には『古事記』・『日本書紀』に記された数々の逸話が残されている。宮崎市内にも、初代天皇といわれる神武天皇を祀る「宮崎神宮」が有名だが、この公園(市民の森)にこのような神話スポットがあり、最近注目が集まっているとは知らなかった。その後、天皇の祖先である神武天皇は、この宮崎の地から大和へ東征し、即位したというのである。

 『古事記』・『日本書紀』の日本神話は、高天原神話、出雲神話、日向神話に分かれていているそうだが、日向神話は、具体的で事実に近いとされている。そうすると、「天皇家のふるさとは宮崎」だということになる。

 「江田神社」参道入り口設置された「日向神話-天皇家のふるさと宮崎」という案内板。

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 いったい、いつごろ、誰が、このような宮崎を中心にした神話に解釈し始めたのだろうか、という疑問が残る。江戸時代ごろからのいろんな研究、学説や論争、その土地での言い伝えなどから、形作られたのだろうが、どう見ても我田引水的なストーリーに思えなくはない。最近は観光ガイドやガイドブックなどで、更にそれらが固定化(既成事実化)されてきているように思える。 

 宮崎県観光推進課の観光パンフの表紙。

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 10月5日、高円宮家の次女典子さまと、出雲大社権宮司の千家国麿(せんげくにまろ)氏の結婚式が、出雲大社で行われた。

 
 
 代々、出雲大社の祭祀を担ってきた出雲国造(いずものくにのみやつこ)の千家氏の祖となるのが、天照大御神の次男に当たる天穂日神(アメノホヒノカミ)。天照大御神の孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫に当たるのが、初代天皇と伝えられる神武天皇である。

 千家国麿氏は、2000年を超える時を経て、天皇家と出雲大社との日本神話からのご縁を述べていた。さすが我々平民にはピンと来ないが、これも古代のロマンだと思って納得している。

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