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2014年9月30日 (火)

茅ヶ岳と深田久弥

 2014年9月28日(日)、山梨県の「茅ヶ岳(かやがたけ)」へ日帰り山行。

 

 茅ヶ岳は、甲府周辺の北杜市と甲斐市にまたがり、広大な奥秩父山塊の南西部に位置する。標高は1,704 m、日本二百名山。「金ヶ岳(かながたけ)」(1,764m)と連なって広い裾野を持つ古い火山。八ヶ岳と似ているため、「ニセ八つ」とも呼ばれる。

  この山は、『日本百名山』を著した小説家・登山家の深田久弥(1903~1971)が、登山中に急逝した終焉(享年68歳)の地として有名。山頂近くのその場所には、「深田久弥先生終焉の地」と表記された石碑が立ち、麓には「深田記念公園」がある。

 

 ★ ★ ★

 茅ヶ岳には、過去1984年11月と1991年12月の少なくとも2回は登っている。23年ぶりの登山。 

 ワゴン車に7人同乗して6:30出発、8:25中央道の韮崎ICで降り、近くのコンビニで昼の弁当購入。県道27号線(韮崎昇仙峡線)、愛称「昇仙峡ライン」を北上する。

 8:44、深田公園入口に到着。トイレあり。ここは標高940m。駐車場北側の林道を200m進むと、右は茅ヶ岳登山道、左に「深田記念公園」がある。

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 公園は、1981年(昭和56)4月に韮崎市観光協会が開設したもので、深田久弥の顕彰碑が建てられている。碑には自筆の「百の頂(いただき)に百の喜びあり」の言葉が記されている。

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 公園では毎年4月に、氏の遺徳を偲んで碑前祭りと記念登山の「深田祭」が開催されているそうだ。

 9:10、茅ヶ岳に向かって出発。アカマツの古い林道を進む。右手の林の中に廃屋がある。

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 9:35前山大明神林道を横切り、緩やかだが石がゴロゴロした歩きにくい登山道を進む。

 道端に赤い実を見つける。後で調べると、マムシグサ(サトイモ科テンナンショウ属)の実。沢沿いなど湿ったところに生える有毒植物。名前の由来は、花の形が鎌首をもたげたマムシに似ているから。秋にトウモロコシのような形の緑色の実が、赤く熟す。子供の誤食に注意。

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 登山道に転がる大小の石コロの他、こういった大岩が付近にいくつも横たわっている。

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 枯れ沢を登っていくと、10:30黄色いテープの停止線に突き当たる。100m先の水場のある「女岩」付近は、落石が多いため立ち入り禁止となっている。

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 道標に従って、右手に高巻きする。登山道からは木々が茂っていて、どこが「女岩」か確認できなかった。

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 斜面の急登が続くと、11:15尾根通しに出る。正面に「金峰山(きんぷさん)」(2,559m)が見えるそうだが、木々が茂っていて気が付かなかった。

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 5分後の11:20、「深田久弥先生終焉の地」の小さな石碑に前に立つ。石碑のすぐ隣に文字の消えた木製の柱が立っていた。昔登った時に見た粗末な碑は、これだったのか。

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 この先の山頂までのきびしい急坂の尾根道は、露岩が多くちょっとした岩場登り。ふと南の方角の木々の合間を見ると、美しい霊峰「富士山」(3,776m)の全景が姿を見せる。霞んでいる眼下の街は、甲府盆地だろうか。

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 深田久弥の石碑から15分ほどの11:45、「茅ヶ岳」の山頂(標高1704m)に到着。山頂は小広くて平ら、周りの樹木が少し邪魔になるが、展望良し。ここで昼食。

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 山頂から、南の方角の「富士山」の右手、南西の方角。遠く南アルプスの峰々が霞む。

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 南西から西の方角。写真左手端から「薬師岳」(2,780m)、「観音岳」(2,840m)、「地蔵岳」(2,764m)と「鳳凰三山」が連なる。右手に目を移すと、大きな盛り上がりが名峰「甲斐駒ヶ岳」(2,967m)。

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 「地蔵岳」の山頂に、オベリスクとよばれる岩峰が、望遠レンズではっきりわかる。

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 北西の方角に、「八ヶ岳連峰」(ピークの赤岳は2,899m)。すぐ手前は、「茅ヶ岳」と連なる「金ヶ岳」(1,764m)の山裾。

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 北東の方角は、眼前に奥秩父の「金峰山(きんぷさん)」(2,559m)。

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 12:25下山開始、もと来た道を戻る。

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 13:30「女岩」付近を経由、14:30深田公園入口に予定より1時間遅れで到着。

 

 もと来た「昇仙峡ライン」を下り、塩川に沿った国道141号線を北上する。立ち寄り湯「ゆーぶるにらさき」に行く予定であったが、予定時刻より遅くなったので、道の駅「銀河の駅」(韮崎市中田町中条)で休憩。ここで30分を過ごし、15:30出発。

 15:45韮崎IC、中央道を経て帰路へ。案の定、中央道が日曜の夕方とあって渋滞。19:30ころ帰宅。

 

 ★ ★ ★

  『日本百名山』は、ちょうど半世紀前の1964年に新潮社から出版、第16回読売文学賞を受賞した。

 著者の深田久弥は、石川県生まれで東大中退して文筆活動に入る。実際に多くの山を踏破してきた経験から、日本の各地の山々の中から、自らが定めた基準で名峰100座を選び、その個性を簡潔な文章で著した随筆集である。

  選定の基準となったのは、

  1)誰が見ても立派な山だと感嘆、厳しさ、強さ、美しさなど心を打つ「山の品格」
  2)昔から人間との関わりが深く、人々が敬うような「山の歴史」
  3)芸術作品のように、山容、現象、伝統など他には無い顕著な「山の個性」
   かつ、原則として標高1,500 m以上の山。 

  なお百名山は、47都道府県からまんべんなく選んだわけではないので、高い山が少ない西日本を中心に、16府県には百名山が無い。 

 

 第一次登山ブームが起きたのは、戦後しばらくして1956年、ヒマラヤのマナスル(8,163m)に日本人が世界初登頂したことがきっかけだったそうだ。

 第二次登山ブームは、バブル崩壊後の1994年頃から。テレビ番組で「百名山」が取り上げられて話題になり、特に中高年の登山ブームが始まった。

 現在、第三次ブームを迎えて若い登山者が急増している。2007年頃から、マスコミが山ガールなど登山ファッションを取り上げ始め、火がついたという。

 

 かつては山は、一部の岳人、つまり登山家、山岳会、大学山岳部、修験者などであった。その山岳界に、登山ブームや百名山によって一般の若者や中高年の登山愛好者が入り込んできた。そして多くの愛好者が、日本全国の山に登る動機づけと目標になったという意味で、「日本百名山」の意義は大きい。

 その一方で、自分で山のことを探究もせず、ただ百名山登頂数だけを競い、ツアー客も交えての登山道・山小屋の混雑、自然の荒廃、遭難事故の増加など、百名山ブランドに振り回されている面もある。百名山は、深田氏の個人的な好みであって、関東圏を中心に偏って選定したものだという批判もある。

 人間の歴史や生活、精神的風土、自然の多様性に富んだ山は、全国他にもたくさんある。最近は、「日本二百名山」、「日本三百名山」、「花の百名山」、日本各地ごとの百名山(例えば「東北百名山」)などというのも各団体で選定されている。

 『日本百名山』の本は、昔友人から借りて読んだことがあったが、もう一度読み返してみたくなった。深田久弥が登った時の山の環境(アクセス、登山ルート、山小屋や自然環境)は、現在と大きく変わっている所が多い。当時の苦労を忍び、その山の持つ品格・歴史・個性を学びながら、人間の山との精神世界を豊かにしたいものだ。

 

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コメント

松浦です。昨夜と今朝は楽しかったです。早速、ブログ拝見しました。素敵な写真と分かりやすい文章でブログのお手本みたいでした。私もこれに触発されてブログ作りに入ろうかと思いました。一度、撮影旅行にでも行けたらなと思います。家に帰ったら、ゆっくり拝見します。

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