八ヶ岳・赤岳-その2
2014年8月2日(土)~4日(月)、八ヶ岳連峰の最高峰「赤岳」に登る。2泊3日の宿泊山行。
本ブログ記事 「八ヶ岳。赤岳-その1」の続き。
8月3日(日)9:57、赤岳山頂(南峰、標高2899m)に立つ。山頂には一等三角点、赤嶽神社の祠があるが狭い。
予定した「文三郎尾根」の下りは、登山道が荒れていて滑りやすいため、もと来た「地蔵尾根」を戻ることにする。
10:05~、「赤岳頂上山荘」前で15分休憩、10:55~、「赤岳天望荘」前で12分ほど休憩。11:12、「地蔵の頭」を通過する。急峻な岩稜は、下りの方が危険で怖い。緊張が続く。
12:15、「行者小屋」に到着し、休憩45分。「赤岳鉱泉」の弁当で昼食。水補給、有料トイレ。
美濃戸への下山は、最短の南沢コースとする。13:00、行者小屋を出発。北沢に比べ石がゴロゴロで歩きにくい。
この南沢コースは、ガイドブックでは道迷いや増水の場合に注意とある。最初は枯れ沢を歩いたり、林間の平たんな下り、やがて沢に沿って急坂が延々と続く。 コースタイムは1時間40分だが、長い下り坂で、なかなか美濃戸に着かない。
15:40、美濃戸山荘前の登山口に、無事到着。
南沢の登山口を振り返る。
美濃戸口を経て、県道484号(八ヶ岳鉢巻道路)から原村のPV(ペンションヴィレッジ)へ。
16:18、樹木に囲われたペンション「セコイア」(諏訪郡原村八ヶ岳中央高原第2PV)に到着、チェックイン。1泊2食トリプルルームで、割引があって一人7,000円。
ネットで八ヶ岳山麓の民宿を検索ても、ほとんどヒットしない。この辺りは西洋風の民宿であるペンションなのだ。
80年代、バブルの時代に、清里に代表されるペンションブームがあって、全国に多くのペンションが作られた。原村ペンションビレッジは、標高1300mに位置し、第一と第二ペンションビレッジがあり、現在は50軒が営業しているそうだ。ブームはとっくに去り、経営者も高齢化して、最近はだいぶ減少しているという。
ペンションの主人の話では、八ヶ岳美術館の近くで、7月~9月の間に6:30~開催される「高原朝市」というイベントがあるそうだ。
また「星空の映画祭」というのが、8月の間20:00~、八ヶ岳自然文化園の野外ステージで開催(入場料大人1,200円)される。「アナと雪の女王」、「風立ちぬ」、「永遠の0」 など比較的新しい映画が上映される。「八ヶ岳自然文化園」は、ペンション村のすぐ近くにあって、白樺の茂る広大な敷地に八ヶ岳の自然をテーマに造られた村営の多目的文化施設。
とりあえず荷物を置いて、ペンションからすぐ、車で2分のところにある日帰り温泉「もみの湯」で、疲れた体を癒す。ここは村営の施設で、入浴料は通常500円だが、17:00以降は300円と安い。ちょうど17時過ぎで混み合っていて、浴槽は十分の広さだが、洗い場が足りなくて、列に並ぶ。
同じ敷地に、村営の「樅の木荘」という宿泊施設もある。
ペンションに戻って、18:30~夕食。瓶ビール600円、ワイン1,500円。
就寝22:00頃。
★ ★ ★
8月4日 (月) 、5:30起床。疲れていたので、ぐっすり寝た。
足の筋肉疲労が残っている。6:30~朝の散歩を兼ねて、片道15分の「八ヶ岳美術館」近くで開催される「高原朝市」に行ってみる。採れたての高原野菜が多いかと思ったら、花やパン、コーヒー、ジャムなどの手造り食品、陶器、手芸品などもあった。
ペンションに戻って、7:30~朝食。
9:00、ペンションを出発。
すぐ近くの「八ヶ岳美術館」に入館(510円)する。
ここは全国でも珍しい村立の美術館。原村出身の彫刻家・清水多嘉示の作品などを中心に展示されている。
作品は全国各地に立てられていて、埼玉県の熊谷市役所前の銅像「躍動」も氏の作だそうだ。同じものが、館内にも屋外にも展示してあった。
村内遺跡で発掘された土器、石器などの貴重な考古学資料も、多く展示されている。
先のブログで、新潟県津南町のことを書いたが、八ヶ岳の山麓で先史時代の多くの遺跡が発掘されている。ということは、この辺りがいかに住みやすかったか、ということ。
このほか、特別展「小田隆の古生物復元画の世界展」も開催中。
美術館の敷地には、草で覆われていたが、古道「信玄の棒道(ぼうみち)」が残されている。
「棒道」は、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が争っていた頃、信玄が開発したとされている軍用道路。八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境を通る。兵馬輸送のため時間短縮とコスト低減のため、棒のようにまっすぐに造られたことから、その名が付いた。山梨県北杜市(旧小淵沢町、旧長坂町)や長野県富士見町、原村には、現在でもその道が残されていて、市町村指定の史跡となっている。
この美術館を見る前は過小評価していたが、建物も立派で、村がこういった貴重な美術品や考古学資料を展示、保管していることは、素晴らしいことだ。
10:36~ 「平山郁夫シルクロード美術館」を見学。山梨県北杜市のJR小海線甲斐小泉駅前にある。入場料1,200円。
パンフレットと入場券。
シルクロードの旅で、平山郁夫が制作した絵画他、収集した陶磁器、織物、彫刻、仏像、硬貨などが展示されている。
パンフレットの一部(2階展示室6の内部)。ラクダに乗ったキャラバン隊が砂漠を行く、月光と太陽を対比させた絵は、幻想的で印象深い。
11:40、「三分一湧水公園」に行く。大荒れの碑、三分一湧水、水力発電小屋を見て回る。
「大荒れの碑」は、1943年(昭和18年)にこの地域で発生した山津波(土石流)の被害を後世に伝えるため、流されてきた大岩の碑。
八ヶ岳の麓に湧き出るこの三分一湧水は、「日本名水百選」に選ばれている。この場所が、地下から湧き出ている水源。
戦国時代、水争いをしていた三つの村に、水を平等に分配するために武田信玄が「三分一湧水」を築いたという伝説がある堰(せき)。堰の真ん中には、三角石柱が設置され、上流の水は、三方に分配されている。
「水力発電小屋」には、この湧水の落差7mを活かした最大出力1.25kVAのミニ水力発電機が設置されている。発電機は、クロスフロー(慣流)水車発電機で、発電した電気で模型電車を動かしてみることができる。小屋には鍵がかかっていて中に入れず、ガラス越しに覗く。
八ヶ岳南麓の湧水の仕組みや水質、湧水の歴史や民話など展示・解説をした資料館「三分一湧水館」というのがある。資料館3階展望ホールは、八ヶ岳周辺の自然を見渡すことができる。入館(420円)は、時間の都合で省略。
ここの湧水と地元で採れたそば粉を使って作る手打ちそばの店「そば処三分一」で、昼食。天もりそば1,200円。
13:04、中央道長坂ICから帰路へ。
★ ★ ★
赤岳に登ったのは、ちょうど30年前の1984年だった。南八ヶ岳を縦走した。もうすっかり忘れていたが、Yさんの登山日誌を見せてもらって、断片的に思い出した。
その時は4人で、7月27日の深夜、美濃戸口の駐車場にで車を止め、車内泊。翌28日、赤岳鉱泉~硫黄岳~横岳~赤岳を縦走。赤岳の前で雨が降り出した。行者小屋に着いたのは、夕方遅くなった17:30、テントを設営。夕食のカレーもを作るつもりだったが、疲れていたので先に缶ビールを飲んだら、朝まで寝てしまった。
翌29日朝、雨で予定の阿弥陀岳は中止した。昨夜のカレーを朝食にして下山。秩父市内の安い旅館に1泊、翌日帰宅。あの頃は、登山道、はしごや鎖は今ほど整備されてなかったが、体力があった。車内泊やテント泊、雨の中をよくぞ縦走できたものだと感心する。
今回の赤岳山行の幹事を引き受けたが、最近では経験のない険しい山で、歩行時間も長く、全員が登頂できるか心配だった。赤岳一本に絞り、予定通り山頂に無事全員が立つことできた。 好天に恵まれて、故障者もなく、早め早めの行動で余裕のある登山ができ、メンバーの協力に感謝。
個室の山小屋泊やペンション泊も良かったし、3日目の美術館の見学も、勉強になって満足。
★ ★ ★
原村のホームページを見ると、「人も地域も輝く緑豊かな原村」の次に「合併問題から自立した村づくりへ」というキャッチフレーズが目につく。
原村の人口は7,500人程度。主な産業は、農業と観光業。高原野菜が盛んで特にセロリや花卉のアネモネの生産は日本一。また八ヶ岳山麓の避暑地、観光地として多くの人が訪れるが、都会からの移住も募集している。平成の大合併で、全国の多くの町・村が消滅した中で、茅野市と諏訪郡富士見町に挟まれている原村は、村として独立している。
1999年就任以来4期目の村長は、合併に否定的な考えをお持ちなのか、村の財政がうまくいっているのだろうか。
原村が珍しいと思っていたが、長野県内の行政区を調べてみると、19市、14郡23町、35村があり、村の数は47都道府県で最多だという。長野県にとっては、「村」はそんなに特異なことではない。
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