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2014年8月の7件の投稿

2014年8月18日 (月)

尾島ねぷたまつり

 2014年8月15日(金)、群馬県太田市の「尾島ねぷたまつり」に行く。

 

 太田市は、「ねぷたまつり」で有名な青森県弘前市と姉妹都市。

 第36回「尾島ねぷたまつり」は、8月14日(木)、15日(金)に開催された。会場は、国道354号線の尾島商店街大通り、尾島交差点を中心に約1km。

 

 尾島町は、群馬県南東部の新田郡にあった町。2005年(平成17)、旧太田市、新田郡新田町、藪塚本町(やぶつかほんまち)との合併により新しい太田市となった。旧太田市は中島飛行機、その後身の富士重工業の企業城下町として発展してきた。

 かつて尾島の地は、弘前藩の初代藩主・津軽為信が関ヶ原の戦いの功績によって加増を受けた飛び地であった。尾島町は、弘前市と1985年(昭和60)に交流を始め、翌年から弘前市にならって「ねぷたまつり」が始まった。1991年(平成3)に弘前市と友好都市提携を締結、現在も太田市に受け継がれている。今年のまつりは、合併10周年記念として銘打っている。

 
 午後5:10頃現地に着くと、消防音楽隊の演奏が始まっていた。

 まつりには、ねぷたまつり実行委員会、太田市民ねぷた会、上州ねぷた会などの団体や、地元企業の三菱電機群馬製作所、大澤建設、群馬銀行、ぐんまみらい信用組合などが参加。「弘前ねぷたまつり」の約80台には及ばないが、大通りには、10数台の「扇ねぷた」と「ねぷた太鼓」がスタンバイしている。

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 午後5:30~出陣セレモニーの後、津軽三味線の全国大会覇者・渋谷和生氏(弘前市)らの演奏。

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 ねぷたの運行は、午後6時30分から始まった。参加団体ごとに、扇ねぷた、ねぷた太鼓、ねぷた囃子の隊列が行く。

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 会場には数多くの露店が並び、「津軽大物産市」のテントにも大勢の客でにぎわっている。ねぷたの運行の合間に、生ビール400円、焼きそば400円で腹こしらえ。

 盛り上がるにつれ次第に見物客も混み合って、自由に身動きができなくなる。例年、2日間で10数万人の人出だそうだ。まつりは午後10時迄だが、8時頃になって帰ることにする。

 なお、毎年8月1日~7日に開催される「弘前ねぷたまつり」は、今年8月5日に参加者がねぷたの昇降機に頭を挟まれる死亡事故が発生、翌日以降の開催は中止となった。

 

 ★ ★ ★

 平安時代の末期、武家の棟梁と称された源義家(八幡太郎)の孫・義重は、この尾島の地を中心とした「新田の荘」を開き、 新田氏を興した。義重の子・義季(よしすえ)が、尾島の一部(新田郡・世良田庄・得川郷)を領有し、世良田または得川を名乗った。

 鎌倉幕府の源頼朝の曽祖父・義親(よしちか)と、義国とは兄弟。その義国の長男・義重が新田源氏の始祖となり、次男の義康が足利源氏の始祖となった。いずれも八幡太郎義家の血筋を引く、清和源氏の名門。その新田氏は、上野国(こうずけのくに、群馬県)、足利氏は下野国(しもつけのくに、栃木県)を本拠とした。鎌倉後期から活躍した新田義貞や足利尊氏は、彼らの一族。

 鎌倉幕府滅亡後、義季の末裔・親氏(ちかうじ)は、南北朝の抗争で足利幕府の迫害を受けて出家し、流浪の旅の後、三河国(愛知県)加茂郡松平郷に流れ着いた。領主の在原信重の婿養子となって、松平姓を名乗ったと伝えられる。
 松平親氏の後裔である家康は、1566(永禄9)年に松平姓から、徳川姓に改姓した。その後、尾島の世良田・徳川は「徳川氏発祥の地」として、江戸幕府の庇護を受けるようになった。
 なお、新田義季の末裔・親氏の話は、源氏の血筋とするため、家康や祖父・清康によって家系図ねつ造のため作られたというのが通説となっている。

 笹沢左保の小説「木枯し紋次郎」は、1972年よりフジテレビでドラマが放映され、人気を博した。渡世人となった紋次郎の故郷である上州新田郷三日月村は架空の地名だが、現在の太田市藪塚町(旧新田郡藪塚本町)の辺りとされている。この三日月村を再現したテーマパークが1998年(平成10)にオープン、笹沢左保の資料を展示した「木枯し紋次郎記念館」などがある。

2014年8月11日 (月)

八ヶ岳・赤岳-その3

 2014年8月2日(土)~4日(月)、八ヶ岳連峰の最高峰「赤岳」に登る。2泊3日の宿泊山行。

 本ブログ記事 「八ヶ岳・赤岳-その1」、「八ヶ岳・赤岳-その2」の続き。

 

 8月3日(日)の赤岳登山時に観察した高山植物について記す。
 花は、地蔵ノ頭から赤岳山頂の間の主稜線上の砂礫地や岩場で、多く見られた。

 

 コマクサ(駒草、ケマンソウ科) 高山帯の砂礫地に自生、「高山植物の女王」と呼ばれ、あちこちに咲いていた。花の形が、馬(駒)の顔に似ている。.

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 ハクサンシャクナゲ(白山石楠花、ツツジ科) 樹高は亜高山帯では3mほどあるが、標高が高いほど低木となり、見つけた赤岳稜線ではせいぜい50cm前後。花は白から淡い紅色で、内側に薄い緑色の斑点。

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 ミヤマキンバイ(深山金梅、バラ科) 高さはせいぜい10cm、地面から直接花が咲いているようにも見える。特徴は葉の形で、イチゴの葉に似ている。

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 ミヤマミミナグサ(深山耳菜草、ナデシコ科) 高山帯、亜高山帯の礫地や岩場に生える。南アルプス、八ヶ岳の地域を代表する高山植物の一つ。花は白く、5枚の花びらがさらに先端で4つに裂けて、細かく切れ込んで見える。

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 タカネシオガマ(高嶺塩釜、ゴマノハグサ科) 高山帯の砂礫地や草地に生える。高さは5~15cm。葉は、羽根状で切れ込みが深い。茎の上部に紅紫色の花を密につける。花冠は上下に分かれ、下唇は3つに裂ける。

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 チシマギキョウ(千島桔梗、キキョウ科) 高山帯の岩場や砂礫地に分布。花は青紫色、大きさは4cmほどで縁に白い毛が生える。似た種にイワギキョウがあるが、花弁に毛が生えてなく、がく片は細くふちに鋸歯がある。

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 チョウノスケソウ(長之助草、バラ科) 高山帯の礫地や岩場に生える落葉小低木。発見者は須川長之助。葉は楕円形で、先の丸い大きな鋸歯。白い8弁の花が終わると、雌しべの花柱は羽毛状に伸びた果実になって残り、風で飛ばされる。

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 一見、「チングルマ」かと思ったが、後で調べてみると葉の形から「チョウノスケソウ」のようだ。花期が6月中旬~7月下旬なので、ちょうど花が終わったところのようだ。

 

 ゴゼンタチバナ(御前橘、ミズキ科) 花弁のように見えるのは苞(ほう、花のつぼみを包んでいた葉)。花は中心に集まっている。

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 タカネツメクサ(高嶺爪草、ナデシコ科) 直径1cmほどの白い5弁の花。高山帯に生える鳥の爪に似た葉をもつ草という意。葉は密な、長さ1cm前後幅1mm以下の針状。茎を分岐して株状になる。

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 ギンリョウソウ(銀竜草、シャクジョウソウ科) 山地のやや湿り気のある腐植土の上に生える腐生植物として有名。全体がやや透明感のある白色。別名ユウレイタケ。下山時の南沢の林の中で見つけた。

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 「ギンリョウソウ」なる変な植物は、初めて見た。種子植物だが、光合成をせず、ベニタケ属菌類と共生し、間接的に有機物を吸収している。きのこ類かと思ったが、れっきとした「花」だそうだ。

 
 地下に短い地下茎と根から成る塊があり、春~夏ごろに地下から花茎を伸ばし葉をつけ、花が咲く。光合成しないので色素がなく、全体が透けた白色系。写真は、まだ背を伸ばしてないので、地下から出て間もないように思う。めったに遭遇しない植物らしいが、同行者のFさんに、偶然見つけてもらって撮影した。

2014年8月10日 (日)

白山(はくさん)-その3

 2014年7月22日(火)~25日(金)、石川・岐阜県境にある霊峰「白山」に行く。

 本ブロク記事「白山(はくさん)-その1」、「白山(はくさん)-その2」の続き。

 

 7月23日(水)、24日(木)の白山登山時に観察した高山植物について記す。
 花の多くは、甚ノ助避難小屋~きつい登りの七曲りの辺り、帰りの雨の中のエコーラインで見られた。

 

 ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花、キンポウゲ科) 花びらには艶があり、ロウを塗ったような光沢。よく似ているシナノキンバイ(信濃金梅、キンポウゲ科)は、花が3cm~5cmと大きい。葉っぱはどちらも菊の葉のようにギザギザだが、ミヤマキンポウゲの方が裂けるのが大きめで、鳥足状。

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 キヌガサソウ(衣笠草、ユリ科) 林の下に群生していた。大きな葉を7~8枚つける。花弁のように見えるのは、がく片。

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 ウラジロナナカマド(裏白七竈、バラ科) 高さ1~3mの落葉低木。葉の裏面は粉白色。多数の花を上向きに咲かせる。タカネナナカマドの場合は、花を垂れ下がるように5~10個つける。

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 キバナノコマノツメ(黄花の駒の爪、スミレ科) スミレの一種。葉の形が馬の蹄(駒の爪)に似ている。                   

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 サンカヨウ(山荷葉、メギ科) 一つの茎にフキのような形の大小2枚の葉がつき、その間から数個の花が咲く。

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 カラマツソウ(深山唐松草、キンポウゲ科) 葉の形がカラマツの葉に似る。葉は先端が広がり三裂。他に、ミヤマカラマツは葉が卵形で徐々に細くなり、モミジカラマツは葉がモミジの形。                       

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 ミヤマダイモンジソウ(深山大文字草、ユキノシタ科) 漢字の「大」の文字に似ている。

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 ハクサンフウロ(白山風露、フウロソウ科) 花は白やピンク色だが、花によって濃淡に差がある。花弁は5枚。                  

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 コイワカガミ(小岩鏡、イワウメ科) イワカガミ(岩鏡)に比べ、花の数が少なく小ぶり。イワカガミは、岩場に生え、光沢のある葉を鏡に見立ていることに由来。

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 アオノツガザクラ(青の栂桜、ツツジ科) 針葉樹のツガに似て、常緑の低小木。花が淡い黄緑色のためアオノ(青の)という。ただのツガザクラは、花が淡い紅色で先がつぼまらない。

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 オタカラコウ(雄宝香、キク科) 草丈は1mほど。長い茎に花を穂状につける。葉はフキに似て縁は鋸歯状。

 
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 ヨツバシオガマ(四葉塩釜、ゴマノハグサ科) 花の上唇部が鳥のくちばしのように内側に曲がっている。

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 ミヤマダイコンソウ(深山大根草、バラ科) 大きな丸い葉、端が鋸歯で光沢があるのが特徴。

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 ミソガワソウ(味噌川草、シソ科) 木曽川源流の味噌川(未だ木曽川になっていない川)にちなむ。ハクサンシャジン(白山沙参、)やツリガネニンジン(釣鐘人参)に似ている。

 
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 ハクサンコザクラ(白山小桜、サクラソウ科) 一面をピンク色に染める群落は、白山のあちこちで見られるという。

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 コバイケイソウ(小梅蕙草、ユリ科) 白山のあちこちで見たが、ほとんどがまだ咲いていなかった。          

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 クロユリ(黒百合、ユリ科) 下向きに咲く暗紫色の花。白山でよく見られるそうだが、弥陀ヶ原に1本だけ咲いているのを見た。    

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 ゴゼンタチバナ(御前橘、ミズキ科) 花弁のように見えるのは苞(ほう、花のつぼみを包んでいた葉)。花は中心に集まっている。

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 ハイマツ(這松、マツ科) 室堂の手前の「五葉坂」にたくさんあった。ハイマツは、ゴヨウマツ(五葉松)の仲間。

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 チングルマ(稚児車、バラ科) エコーラインに大群生していた。実の形が、子供の風車に似る。 

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 イブキトラノオ(伊吹虎の尾、タデ科) エコーラインに咲いていた。白色か淡紅色の花穂(かすい)をつける。

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 エコーラインで下山中に、スズメより大きい小鳥を見た。茶色の体で、クマザサかハイマツの中から出てきて、飛ばないで雪渓の方に移動した。一瞬、ライチョウのヒナかと思ったが、鳴き声からイワヒバリではなかっただろうか。霧の中で距離もあったので、鮮明な写真が撮れなかった。

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 他に、ニッコウキスゲ、タカネナデシコ、クルマユリ、ハクサンチドリ、・・・などが咲いていたが、シャッターチャンスを逸した。 

 

 いつものことだが、登山の合間に撮る写真は、その山の代表的な花を撮り忘れた時が、実に残念。ピンボケしたり、花に気を取られて、特徴のある葉や茎などが写ってなかったりで、帰ってから花の名前を特定するのに苦労する。

 

 

2014年8月 8日 (金)

八ヶ岳・赤岳-その2

 2014年8月2日(土)~4日(月)、八ヶ岳連峰の最高峰「赤岳」に登る。2泊3日の宿泊山行。

 本ブログ記事 「八ヶ岳。赤岳-その1」の続き。

 

 8月3日(日)9:57、赤岳山頂(南峰、標高2899m)に立つ。山頂には一等三角点、赤嶽神社の祠があるが狭い。 

 予定した「文三郎尾根」の下りは、登山道が荒れていて滑りやすいため、もと来た「地蔵尾根」を戻ることにする。

 

 10:05~、「赤岳頂上山荘」前で15分休憩、10:55~、「赤岳天望荘」前で12分ほど休憩。11:12、「地蔵の頭」を通過する。急峻な岩稜は、下りの方が危険で怖い。緊張が続く。

 12:15、「行者小屋」に到着し、休憩45分。「赤岳鉱泉」の弁当で昼食。水補給、有料トイレ。

 美濃戸への下山は、最短の南沢コースとする。13:00、行者小屋を出発。北沢に比べ石がゴロゴロで歩きにくい。

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 この南沢コースは、ガイドブックでは道迷いや増水の場合に注意とある。最初は枯れ沢を歩いたり、林間の平たんな下り、やがて沢に沿って急坂が延々と続く。 コースタイムは1時間40分だが、長い下り坂で、なかなか美濃戸に着かない。

 15:40、美濃戸山荘前の登山口に、無事到着。

 南沢の登山口を振り返る。

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 美濃戸口を経て、県道484号(八ヶ岳鉢巻道路)から原村のPV(ペンションヴィレッジ)へ。

 

 16:18、樹木に囲われたペンション「セコイア」(諏訪郡原村八ヶ岳中央高原第2PV)に到着、チェックイン。1泊2食トリプルルームで、割引があって一人7,000円。

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 ネットで八ヶ岳山麓の民宿を検索ても、ほとんどヒットしない。この辺りは西洋風の民宿であるペンションなのだ。

 80年代、バブルの時代に、清里に代表されるペンションブームがあって、全国に多くのペンションが作られた。原村ペンションビレッジは、標高1300mに位置し、第一と第二ペンションビレッジがあり、現在は50軒が営業しているそうだ。ブームはとっくに去り、経営者も高齢化して、最近はだいぶ減少しているという。

 ペンションの主人の話では、八ヶ岳美術館の近くで、7月~9月の間に6:30~開催される「高原朝市」というイベントがあるそうだ。

 また「星空の映画祭」というのが、8月の間20:00~、八ヶ岳自然文化園の野外ステージで開催(入場料大人1,200円)される。「アナと雪の女王」、「風立ちぬ」、「永遠の0」 など比較的新しい映画が上映される。「八ヶ岳自然文化園」は、ペンション村のすぐ近くにあって、白樺の茂る広大な敷地に八ヶ岳の自然をテーマに造られた村営の多目的文化施設。

 

 とりあえず荷物を置いて、ペンションからすぐ、車で2分のところにある日帰り温泉「もみの湯」で、疲れた体を癒す。ここは村営の施設で、入浴料は通常500円だが、17:00以降は300円と安い。ちょうど17時過ぎで混み合っていて、浴槽は十分の広さだが、洗い場が足りなくて、列に並ぶ。

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 同じ敷地に、村営の「樅の木荘」という宿泊施設もある。

 

 ペンションに戻って、18:30~夕食。瓶ビール600円、ワイン1,500円。

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 就寝22:00頃。

 

 ★ ★ ★

 8月4日 (月) 、5:30起床。疲れていたので、ぐっすり寝た。

 足の筋肉疲労が残っている。6:30~朝の散歩を兼ねて、片道15分の「八ヶ岳美術館」近くで開催される「高原朝市」に行ってみる。採れたての高原野菜が多いかと思ったら、花やパン、コーヒー、ジャムなどの手造り食品、陶器、手芸品などもあった。

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  ペンションに戻って、7:30~朝食。

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 9:00、ペンションを出発。

 

 すぐ近くの「八ヶ岳美術館」に入館(510円)する。

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 ここは全国でも珍しい村立の美術館。原村出身の彫刻家・清水多嘉示の作品などを中心に展示されている。

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 作品は全国各地に立てられていて、埼玉県の熊谷市役所前の銅像「躍動」も氏の作だそうだ。同じものが、館内にも屋外にも展示してあった。

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 村内遺跡で発掘された土器、石器などの貴重な考古学資料も、多く展示されている。

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 先のブログで、新潟県津南町のことを書いたが、八ヶ岳の山麓で先史時代の多くの遺跡が発掘されている。ということは、この辺りがいかに住みやすかったか、ということ。

 このほか、特別展「小田隆の古生物復元画の世界展」も開催中。

 

 美術館の敷地には、草で覆われていたが、古道「信玄の棒道(ぼうみち)」が残されている。

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 「棒道」は、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が争っていた頃、信玄が開発したとされている軍用道路。八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境を通る。兵馬輸送のため時間短縮とコスト低減のため、棒のようにまっすぐに造られたことから、その名が付いた。山梨県北杜市(旧小淵沢町、旧長坂町)や長野県富士見町、原村には、現在でもその道が残されていて、市町村指定の史跡となっている。

 この美術館を見る前は過小評価していたが、建物も立派で、村がこういった貴重な美術品や考古学資料を展示、保管していることは、素晴らしいことだ。

 

 10:36~ 「平山郁夫シルクロード美術館」を見学。山梨県北杜市のJR小海線甲斐小泉駅前にある。入場料1,200円。

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 パンフレットと入場券。

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  シルクロードの旅で、平山郁夫が制作した絵画他、収集した陶磁器、織物、彫刻、仏像、硬貨などが展示されている。

 パンフレットの一部(2階展示室6の内部)。ラクダに乗ったキャラバン隊が砂漠を行く、月光と太陽を対比させた絵は、幻想的で印象深い。

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 11:40、「三分一湧水公園」に行く。大荒れの碑、三分一湧水、水力発電小屋を見て回る。

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 「大荒れの碑」は、1943年(昭和18年)にこの地域で発生した山津波(土石流)の被害を後世に伝えるため、流されてきた大岩の碑。

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 八ヶ岳の麓に湧き出るこの三分一湧水は、「日本名水百選」に選ばれている。この場所が、地下から湧き出ている水源。

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 戦国時代、水争いをしていた三つの村に、水を平等に分配するために武田信玄が「三分一湧水」を築いたという伝説がある堰(せき)。堰の真ん中には、三角石柱が設置され、上流の水は、三方に分配されている。

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 「水力発電小屋」には、この湧水の落差7mを活かした最大出力1.25kVAのミニ水力発電機が設置されている。発電機は、クロスフロー(慣流)水車発電機で、発電した電気で模型電車を動かしてみることができる。小屋には鍵がかかっていて中に入れず、ガラス越しに覗く。

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 八ヶ岳南麓の湧水の仕組みや水質、湧水の歴史や民話など展示・解説をした資料館「三分一湧水館」というのがある。資料館3階展望ホールは、八ヶ岳周辺の自然を見渡すことができる。入館(420円)は、時間の都合で省略。

 ここの湧水と地元で採れたそば粉を使って作る手打ちそばの店「そば処三分一」で、昼食。天もりそば1,200円。

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 13:04、中央道長坂ICから帰路へ。

 

  ★ ★ ★

 赤岳に登ったのは、ちょうど30年前の1984年だった。南八ヶ岳を縦走した。もうすっかり忘れていたが、Yさんの登山日誌を見せてもらって、断片的に思い出した。

 その時は4人で、7月27日の深夜、美濃戸口の駐車場にで車を止め、車内泊。翌28日、赤岳鉱泉~硫黄岳~横岳~赤岳を縦走。赤岳の前で雨が降り出した。行者小屋に着いたのは、夕方遅くなった17:30、テントを設営。夕食のカレーもを作るつもりだったが、疲れていたので先に缶ビールを飲んだら、朝まで寝てしまった。

 翌29日朝、雨で予定の阿弥陀岳は中止した。昨夜のカレーを朝食にして下山。秩父市内の安い旅館に1泊、翌日帰宅。あの頃は、登山道、はしごや鎖は今ほど整備されてなかったが、体力があった。車内泊やテント泊、雨の中をよくぞ縦走できたものだと感心する。

 

 今回の赤岳山行の幹事を引き受けたが、最近では経験のない険しい山で、歩行時間も長く、全員が登頂できるか心配だった。赤岳一本に絞り、予定通り山頂に無事全員が立つことできた。 好天に恵まれて、故障者もなく、早め早めの行動で余裕のある登山ができ、メンバーの協力に感謝。

 個室の山小屋泊やペンション泊も良かったし、3日目の美術館の見学も、勉強になって満足。

 

 ★ ★ ★

 原村のホームページを見ると、「人も地域も輝く緑豊かな原村」の次に「合併問題から自立した村づくりへ」というキャッチフレーズが目につく。

 原村の人口は7,500人程度。主な産業は、農業と観光業。高原野菜が盛んで特にセロリや花卉のアネモネの生産は日本一。また八ヶ岳山麓の避暑地、観光地として多くの人が訪れるが、都会からの移住も募集している。平成の大合併で、全国の多くの町・村が消滅した中で、茅野市と諏訪郡富士見町に挟まれている原村は、村として独立している。
 1999年就任以来4期目の村長は、合併に否定的な考えをお持ちなのか、村の財政がうまくいっているのだろうか。

 原村が珍しいと思っていたが、長野県内の行政区を調べてみると、19市、14郡23町、35村があり、村の数は47都道府県で最多だという。長野県にとっては、「村」はそんなに特異なことではない。

 

2014年8月 7日 (木)

八ヶ岳・赤岳-その1

 2014年8月2日(土)~4日(月)、八ヶ岳連峰の主峰「赤岳」に登る。2泊3日の宿泊山行。

 

 八ヶ岳連峰は、南北30kmにわたって2,000m級の峰が連なる。「赤岳」は、その八ヶ岳連峰の最高峰で、標高2,899m。日本百名山のひとつで、長野県南牧村、原村、茅野市、山梨県北杜市にまたがる。山頂は、南峰(一等三角点)と北峰に分かれている。 山名は、山肌が赤褐色であることに由来する。

 
 

 8月2日(土)、参加者は6名はワゴン車1台に同乗して、6:30出発。上越道を経て、中部横断道終点の佐久南ICを降りる。国道142号で西へ走り、県道40号と白樺湖から国道152号で南下して、県道17号の柳沢交差点で左折、美濃戸口へ。

 9:55、美濃戸口(標高1490m)に到着。茅野駅からの諏訪バスの終点で、「八ヶ岳山荘」の駐車場がある。駐車場の係らしい人に、美濃戸の駐車場が空いているかどうか聞くと、大丈夫のようだ。登山補導所で、登山計画書を提出する。

 車で美濃戸まで行くことに。美濃戸口~美濃戸のカラマツ林の林道は、道幅狭くて未舗装、凸凹路面で車の腹をこする。歩いている登山客も多い。徒歩なら1時間かかるところ、車で15分あまり。10:22、美濃戸(標高1,720m)に着く。「赤岳山荘」駐車場にかろうじて空があり、駐車する(駐車料1,000円×2日)。登山準備、有料トイレあり。

  10:45、登山開始。柳川に架かる木橋を渡ると、「美濃戸山荘」前に北沢と南沢の分岐点がある。柳川の北沢に沿って林道を歩く。11:35、最初の堰堤(えんてい)のすぐ上流に開けた河原があった。ここが「堰堤広場」だと思って、20分ほど休憩、昼食。

 ここから15分ほど先にある次の堰堤の手前が、 「堰堤広場」(標高1940m)らしい。赤岳鉱泉や行者小屋の山小屋専用の駐車場がある。林道はここで終わり、この先から本格的な登山道となる。

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 沢に架かる橋を何度か渡りながら、沢に沿った樹林の中の登山道を行く。

 「堤防広場」から約1時間10分後の13:22、テント場のある「赤岳鉱泉」(標高2,210m)に到着。

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  受付で、 1泊2食付9,000円+弁当800円、個室代5,000円を前金で払う。

 館内は、個室や大部屋、所狭しと通路にも布団がある。250人を収容できるという通年営業の山小屋。トイレは水洗で清潔。酒類も販売、碁盤・碁石も貸し出していた。

 14:00~19:00の間、鉱泉の沸かし湯を利用できる。4~5人で一杯になる風呂場で、列に並んで順次入浴。石鹸は使えないので、汗を流すだけ。入浴後は、生ビール800円を部屋に持ち込んで、喉を潤す。

 夕食は、18:00~。一人用卓上コンロと鍋で豚しゃぶ、ホッケの焼魚、味噌汁、デザートのスイカなど、ボリュームのある豪華な食事。これに、缶ビール500円を付けた。

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 20:30、就寝。同行の一人は、深夜目が覚めて外を見たら、星空が見えたという。明日の好天を期待したい。

 

  ★ ★ ★

 8月3日(日)、まだ暗い4:30ころ起床。空は曇っているが、明るくなるにつれて青空が見えてくる。5:30、食堂はすでに混んでいて、行列に15分ほど並んで、やっと朝食にありつける。

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 6:25、山小屋を出発。

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 6:40頃、峻険な横岳大同心(左)と小同心(右)の岩場を仰ぐ。

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  7:00頃、中山乗越で休憩。ここから中山展望台に行けるが、止めて先を急ぐ。

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 苔むすシラビソ林のややゆるやかな下り道を行く。

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 やがて7:10、「行者小屋」(標高2,350m)に到着、休憩。水場、有料トイレあり。

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 7:17、行者小屋の屋根の向うの赤岳主稜線から日の出。

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 行者小屋から赤岳山頂(2,899m)を仰ぐ。

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 赤岳から右手に視線を移せば、中岳と阿弥陀岳(2,825m)。

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 行者小屋から硫黄岳(標高2,742m)を仰ぐ。

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 7:23、行者小屋を出発。いよいよ標高差372mの地蔵尾根までの急登を行く。

 途中、見晴らしの良い場所で、槍ヶ岳(3,180m、右手)、奥穂高(3,190m、中央)などの北アルプスを展望。眼下に、茅野市街。やがて雲が広がり、見えなくなった。

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 岩場が近くなり、ストックをしまう。クサリとはしごのある急峻な岩場が続く。

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 振り返ると、行者小屋(中央)、赤岳鉱泉が(右)が、はるか下の方に見える。

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 下山する人もいて、狭い登山道が混み合う。道を譲りながら登る。夏休みとあって家族連れ、子供も見かける。

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 登山道に立つお地蔵様に出会うと、「地蔵の頭(あたま)」は近い。

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  8:48、「赤岳展望荘」と赤岳山頂が見えてきた。

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 8:50、「地蔵の頭(あたま)」に到着。ここは、八ヶ岳の主稜線、標高2,722m。

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 霧が晴れて、山頂近くにある「赤岳山頂山荘」も見える。

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 眼下には、雲の間から清里方面が広がる。

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 9:00、「赤岳天望荘」前で15分ほど休憩。

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 地蔵の頭~赤岳山頂までは、標高差177m。最後の急登は、ザレ場や浮石、クサリがあって、注意しながら登る。

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 長い急峻な岩場を登りつめると、9:50「赤岳頂上山荘」前の北峰。南峰は、この先すぐ。

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 9:57、赤岳山頂(南峰、標高2899m)に立つ。山頂には一等三角点、赤嶽神社の祠があるが狭い。

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 山の天気は変わりやすい。ここまで何とか天気はもったが、朝方に比べて雲や霧が多くなってきた。赤岳山頂からの展望は良くない。記念写真を撮って、4分ほどで下山する。

 予定した「文三郎尾根」の下りは、登山道が荒れていて滑りやすいため、もと来た「地蔵尾根」を戻ることにする。

 

 この後は、本ブログ記事「八ヶ岳・赤岳-その2」に続く。

 

2014年8月 6日 (水)

十日町と周辺の風景

 2014年7月29日(火)、新潟県十日町市の松代(まつだい)のほか、周辺の風景を巡る。

 

 この辺りは、冬には2~3mの積雪がある日本有数の特別豪雪地帯。

 午前1:00、車で出発。関越道塩沢石打ICを降り、国道353号を走る。十二峠トンネルを抜けると、日本有数の景勝地である「清津峡」へ至る国道363号が土砂崩れで通行止めの看板。

 県道580号線~県道76号線~国道117号線へと迂回して国道353号に戻り、北上。十日町市松之山(まつのやま)を経て、松代(まつだい)に入る。

 新潟県の松代町(まつだいまち)は、新潟県の南西部、東頸城郡(ひがしくびきぐん)にあった町。2005年に十日町市と旧東頸城郡の松之山町、中魚沼郡の川西町と中里村と合併、新しい十日町市となった。

 

●蒲生の棚田

 更に国道353号線を北上し、十日町市松代の蒲生(かもう)の「蒲生の棚田」を見下ろすスポットに、夜明け前の午前4:10ころ到着。

 日の出前の棚田の朝景。

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 午前5時少し前、日の出が朝霧をピンク色に染める。

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 国道353号線を池尻交差点まで戻り、右折して国道403号を西へ。

 

●星峠の棚田

 6:00ころ、「星峠の棚田」(十日町市松代、星峠)に到着。

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 日の出の後の清々しい朝景。手前にねむの木の花が咲く。

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 再び池尻交差点まで戻り、国道253号を東へ。松代市街で左折して県道12号を北上、柏崎市へ向かう。

 

●かやぶき集落

 6:55、柏崎市の高柳町荻ノ島の「かやぶき集落」。

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 茅葺き民家が田んぼを囲んで立ち並ぶ、全国でも貴重な環状集落で、美しい日本の村景観百選に選定されている。

 高柳町は、新潟県刈羽郡にあった町。2005年に西山町とともに柏崎市へ編入合併した。

 国道253号沿いの十日町市松代市街地へ戻る。

 

●松代の棚田

 7:55、松代にある道の駅「まつだいふるさと会館」(右の建物)に到着。道の駅は、北越急行ほくほく線の「まつだい駅」(左手)と併設。

 ちょうど金沢発、越後湯沢行きの流線型の特急「はくたか1号」が8:14に通過する。

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 道の駅「まつだいふるさと会館」の内部。夏休みだが、通学に利用しているのか高校生が、駅のほうから何人か出てきた。

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 この道の駅の駐車場から、「松代(まつだい)の棚田」が見える。

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 池尻から、国道353号を南下する。

 

●美人林

 池尻から国道353号を3.6Kmほど南下した所で左折し、8:30「美人林(びじんばやし)」に到着。十日町市松之山松口の丘陵ある樹齢約90年ほどの美しいブナ林で、十日町市里山科学館「森の学校キョロロ」の近くにある。

 この辺りの山は、昭和初期、木炭にするため伐採され裸山になった。あるときブナの若芽が一斉に生えだしたという。野鳥の生息地として見直され、保護される。森林浴や野鳥観察など、今では多くの観光客が訪れる名所となっている。

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 松之山町(まつのやままち)は、新潟県の南西にあった東頸城郡の東端に位置していた町。前述の松代町と同様、2005年に十日町市および近隣町村と合併し、新設の十日町市となった。「松之山温泉」は、日本三大薬湯の1つとして知られている。

 
 8:55国道353号沿いで、松之山温泉銘菓「志しんこ餅」を製造・販売する小島屋製菓店(十日町市松之山新山)に立ち寄る。

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 更に国道353号線を南下、松の山交差点で県道80号、松之山天水島で国道405号線を南下し、津南町方面へ。

 

●留守原の棚田

 国道405号線を南下し津南町に入る手前で、9:10「留守原(るすばら)の棚田」(十日町市松之山地域、留守原)。

 2~3分ほど停車して、道路から眺める。茅葺小屋があり、棚田の畔や土手がきれいに除草されている。

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●津南ひまわり広場

 9:40、「津南ひまわり広場」に到着。ここは、中魚沼郡津南町大字芦ケ崎。

 津南町は、新潟県の南端で長野県境に位置する。南に苗場山(標高2145m)、南北に流れる信濃川とその支流の志久見川、中津川、清津川の河川に沿って、最高9段にもなる雄大な河岸段丘が形成されている。

 冬の豪雪の一方で、夏は高原性のさわやかな気候。このような地形、気候条件は、稲作のほかに畑作物の栽培が盛んだそうだ。町の各地に縄文時代からの遺跡がみられ、数千年以上も前から、河岸段丘を利用して人々が生活を営んでいたことがうかがわれる。

 国道117号線の中津川橋のたもとから高い段丘を2段上がった「沖ノ原台地」と呼ばれている地域にその畑はある。夏の太陽が燦燦(さんさん)とふりそそぐ中で、広大な畑のひまわりが咲き誇る。

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 この広場は、7月25日~8月24日の約1か月間開園する。駐車料金300円。奥の方の第1畑がちょうど満開、第2、3畑は未開花。平日だが、家族連れが多い。露店が並び、やきそば、フランクフルト、かき氷や焼きトウモロコシ・・・・。かかしコンテストのイベント、ひまわり迷路、 21:00までライトアップもあるそうだ。

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 第1畑~第3畑はそれぞれ種まき時期をずらし、約4週間にわたって約50万本のひまわりを楽しむことができるという。

 11:45、関越道塩沢石打ICから帰路へ。13:20頃、自宅着。

 約12時間の旅だったが、寝不足だったので、昼寝。

 

 ★ ★ ★

 棚田は、平地の水田に比べ手作業に頼る部分が多く、機械を導入しにくく生産性が悪いので、年々減反や耕作放棄で減少している。

 近年、大雨の時に水を貯えて洪水を防いだり、山の斜面の地滑りを防ぐ働きが見直されている。農水省の定義では、傾斜度が20分の1以上の水田を「棚田」として認定、助成金が交付されるそうだ。また環境保全、農村文化の継承など棚田の維持のため、1999年(平成11年)に「日本の棚田百選」(全国117市町村、134地区)が選ばれた。

 棚田の美しい景観は、日本の原風景でもあり、四季折々の景色、日の出、朝もや、夕焼け、月明かりが良く似合う。棚田を見るだけの観光でなく、棚田オーナー制や田植え・稲刈り体験などを実施しているところもあるそうだ。

 

 ひまわりは、種を煎って食用にしたり、油をとったり、またハムスターや小鳥などのペットの餌に、あるいは花を観賞するために広く栽培されている。

 しかし観光や町おこしだろうか、夏の風物詩のひまわり畑は、いつごろからこんなに増えてのだろうか。全国各地に、大規模なひまわり畑の名所がある。ざっと調べても主な所で、全国に少なくとも60ヶ所、関東だけでも18ヶ所はある。

 写真で見るときれいだが、蒸し暑さと肥料と思われるにおいが気になって、しばらく見た後、退散した。

 

 

2014年8月 1日 (金)

白山(はくさん)-その2

 2014年7月22日(火)~25日(金)、石川・岐阜県境にある霊峰「白山」に行く。

 山頂付近の白山室堂で1泊、ホテルで前・後泊を含めて3泊4日の山行。本ブログ記事 「白山(はくさん)-その1」の続き。

 

 7月23日(水)、金沢駅から「白山登山バス」で登山口の別当出合(標高1260m)へ。そこから約6時間半かけて白山八合目に当たる室堂(標高2440m)まで登った。

 室堂の「白山雷鳥荘」で1泊したあと、24日(木)は御前峰(標高2570m)の山頂でご来光を見るため、午前3:00に起床の予定。

 
 ご来光が拝める日には、白山室堂にある奥宮祈祷殿から太鼓が鳴り響く。室堂から御前峰まで登り40分、当日の日の出時刻は4:44頃。日の出までの間、神職が山頂で白山神社の話をし、登山者(登拝者)はご来光とともに万歳­を三唱する。その後、奥宮にて祈祷をして神職は下山するが、多くの登山者は自然解説員と共に「お池めぐりコース」(約1時間)を巡る、というのが24日のスケジュール。

 お池めぐりのあと室堂に戻り、朝食(朝6時半頃~)。室堂から登山口(別当出合)まで、約3時間(トンビ岩コース、南竜ヶ馬場経由、砂防新道コース)で下る予定だ。

 

 ★ ★ ★

 深夜、激しい雨音で、何回か目が覚める。悪い予感がする。

 7月24日(木)3:00、奥宮祈祷殿からの太鼓は鳴らなかった。外は大雨らしい。4:00になって起床。風雨が強く、とても登れる天気ではない。

 6:00~朝食の後も、外の様子は変わらない。御前峰の登頂とお池めぐりは中止し、下山することにする。

 
 7:35、室堂センターすぐそばの奥宮祈祷殿に入り、参拝。お札(ふだ)、お守り、白山神社グッズなどを購入する。室堂センターに戻って、常連の登山客や受付に聞くと、当初予定の「トンビ岩コース」は、危険個所があって不通になっているとのこと。「エコーライン」が下るにはお勧めだという。

 

 7:55、大雨の中を下山開始。

 往路で登って来た「五葉坂」を下る。頭を丸めた黒装束の若い修行僧らしい団体が続々と登って来る。聞くところによると永平寺の年に1回の「白山拝登」(はいとう)だそうだ。永平寺の僧たちが室堂に泊まり、翌朝御前峰に登頂、ご来光を仰ぎ、山頂奥宮の前で般若心経を読誦する。この信仰は、遠く道元禅師の因縁によるもので、曹洞宗大本山永平寺は、白山権現を守護神・鎮守神としている。

 今では仏教と神道の混淆はやや不思議な気がするが、明治維新の神仏分離令以前は、ごく当たり前のことだった。

    
  五葉坂からエコーラインへ下る分岐を見逃し、阿弥陀ヶ原の木道を進む。黒ボコ岩の手前で気づき、8:30分岐へ戻る。

 
 この「エコーライン」のコースは、往路の「十二曲」の急坂より楽そうだ。途中、お花畑、雪渓を見ながら下る。雨の中、笹原の中の小鳥の鳴き声も聞こえる。

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 約1時間半をかけて「エコーライン分岐」(標高2070m)に到着。

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 9:50、「南竜道分岐」。ここから避難小屋へはもうすぐ。

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 10:15、「甚之助避難小屋」に到着。小屋の中は雨宿りで、案の定混んでいる。団体登山客が小屋から出ていくのを待って中に入り、しばし休憩。雨具を着ているが、汗か雨が浸み込んだのか、レインウェアの下は湿っている。

 25分後の10:40、避難小屋を出発。

 12:00頃、見晴らしの良いポイントを通る。登りで見たこの滝は、後で調べると柳谷(手取川の上流)に落ちる「不動滝」らしい。この大雨ですごい水量。この先は、もうすぐ中飯場。

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 12:10~「中飯場」で、10分ほど休憩。

 ゆっくり下りたので予定より約1時間遅れで、13:00白山登山口の「別当出合」(標高1,250m)に到着。白山登山バスの出発時刻まであと30分。バス待合室で、急いでレインウエアを脱ぎ休憩。

 
 13:30、北陸鉄道「白山登山バス」に乗車。別当出合で時間がなくて食べられなかった山小屋の弁当を、バスの中で食べる。   
 ふもと近くになると雨は止んでいて、大雨の形跡はない。雨は、山の上だけだったのか。

 15:40、バスは予定より20分早く金沢駅前に到着。

 「ホテルドーミーイン金沢」へ再チェックイン。すぐに天然温泉大浴場に入って、疲れた体を癒す。普通のビジネスホテルではなく、大浴場付きホテルを選んでいて良かった。   

 ★ ★ ★

 18:00ホテルを出て、夕方の金沢駅前通りを散歩。

 「ルキーナ金沢」というビルの前に、大きな錆びた鉄製のモニュメントがある。「Corpus Minor #1」という作品だが、説明文に「錆による風合いの変化は、街の発展や時代の変化を象徴するものです。」と書かれているが、自分にはやや違和感がある。

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 18:10~「リファーレビル」1階に、かなり大きい「モンベル金沢店」があり、中をのぞいてみる。

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 18:50~21:40、駅前の居酒屋「醍庵(だいあん)」で下山祝い。

 22:00ホテル着、23:00就寝。  疲れていたので、ぐっすり寝れた。

  明日の午前中、金沢市内観光。兼六園を中心に、周辺の成巽閣・県立美術館・本多の森・21世紀美術館などを巡る予定。

 ★ ★ ★ 

 翌日7月25日(金)、6:30起床。昨日、登山ストックを別当出合のバス停か、白山登山バスの中に忘れたのに気が付く。

 7:00~朝食。9:00、ホテル「ドーミーイン金沢」をチェックアウト。

 
 駅前の北陸鉄道駅前センターに行って、白山登山バスにストックの忘れ物がないか聞くが、現地の営業所に聞いてくれと、電話番号を渡され、そっけない。結局、現地営業所に電話したが、見つからなかった。ストックを紛失したのはこれで2本目。後で気が付いたが、愛用の手袋も一緒に失くしたようだ。

 

 金沢観光は、予定を変更して、石川県観光物産館、金沢城、21世紀美術館、近江市場に絞ることにした。

 9:15、金沢駅東口バスターミナルから、「城下まち周遊バス(右回り)」に乗車。

 9:30、兼六園下で下車(料金:200円)。「石川県観光物産館」に行くが、10時から開店だそうで、閉まっている。しばらく入り口で待って、早めに開けてもらう。金沢名産を見て回る。金沢は名産品が多いが、日本酒やお茶席のお菓子も有名。

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 物産館の隣にある九谷焼専門店「九谷巴(ともえ)」にも立ち寄る。九谷焼というと豪華な色使いや図柄が特徴。しかし、最近の若い作家の薄い色でシンプルな図柄は、女性に好まれるようだ。

 

 兼六園下から坂を上って左が「兼六園」。右の陸橋の「石川橋」を渡ると金沢城の「石川門」。

 10:30、「石川門」から「金沢城公園」に入園。入園料は無料。

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 ボランティアガイドに案内を頼む。石川門御石垣の説明を聞く。

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 金沢城は、明治以降は陸軍が駐屯。戦後、新制の金沢大学のキャンパスになった。1995年(平成7)、金沢大学が移転したあと、石川県が国から金沢城址を取得し、金沢公園として整備を開始、門や櫓(やぐら)、堀などの金沢城の復元整備事業が進められている。

 金沢城公園内にある「玉泉院丸庭園」は、復元工事中だが、北陸新幹線開業に合わせて開園予定だそうだ。

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 ガイドの話では、天守閣は築城の3年後に1602年(慶長7)、落雷により焼失した後、長い間天守閣を持っていなかったそうだ。また1881年(明治14)に兵隊の失火で、金沢城のかなりの建物が焼失したという。金沢城の復元の最終目標は、天守閣ではなく金沢城の中核をなした「二の丸御殿」だとガイドは言う。

 

 
 金沢城公園から徒歩で「金沢21世紀美術館」へ、11:27着。

 21世紀美術館は、「新しい文化の創造」と「新たなまちの賑わいの創出」を目的に、2004年(平成16)開館した。入館無料。前衛的な作品には、我々凡人は理解に苦しむ。

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 美術館前の広坂バス停から、タクシーで「近江市場」十間町口へ、2、3分ほどで着く(タクシー代690円)。

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 12:06~市民の台所「近江町(おうみちょう)市場」内を散策、海鮮物などを見て歩く。築地かアメ横のような雰囲気。

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 これだけの鮮魚を観光客が買うわけではなく、金沢市民が消費すると聞いて驚く。金沢の人は魚が好きらしい。大松水産「刺身市場」で、立ち食いの昼食。のどくろの刺身、サザエを堪能。海鮮丼(800円)は、おいしくて安い。

 

 近江市場から駅前通りを散策しながら、14:30JR金沢駅に到着。

 写真は、金沢の伝統芸能である加賀宝生の鼓をイメージ、金沢を象徴する金沢駅の「鼓門」。その後方のガラス張りの構造物は、雨や雪の多い金沢の「もてなしドーム」。

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 駅構内では、舞妓さんが京都観光PRのパンフレットを配っていた。カメラを向けるとポーズをとってくれた。

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 15:12、JR特急はくたか19号、新幹線を乗り継いで帰路へ。20:30頃帰宅。

 ★ ★ ★

 

 梅雨が明けず、大雨で白山主峰の御前峰登頂とご来光、お池めぐりが出来なかったのは残念だった。標高差1,200mを6時間以上かけて、1日で登る登山は、最近の自分にはなかったことでやや心配だったが、達成できて安心した。豪華な個室棟が予約できたのも良かった。夏の高山植物が沢山咲いていたが、雨で写真がうまく撮れなかった。

 (後日、本ブログ「白山(はくさん)-その3」に、撮影した高山植物を掲載予定。)

 もう一度、北陸新幹線が開業する来年以降、梅雨が開ける夏か秋にでも、リベンジしたいと思うが・・・。

 金沢は、何回か行ったことがあったが、だいぶ昔のことで兼六園や武家屋敷や金箔の工芸見学などの記憶がある。当時は金沢城や21世紀美術館はなかった。近江市場も観光地になっていたのだろうか。白山登山のついでで短い時間だったが、ひさしぶりの金沢を満喫。

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