長崎市伊王島
2014年7月2日(水)、雨が降る中、長崎市伊王島に寄り道してみる。
伊王島は、長崎港から高速船で約20分だそうだが、数年前(2011年)に長崎半島と「伊王島大橋」でつながったとは知らなかった。
大橋を車で渡ると、ゴシック様式の立派な白亜の天主堂が、目に飛び込んできて驚く。後で調べると、この教会は、「聖ミカエル教会」、「沖之島天主堂」とか、「馬込教会」なども呼ばれる。
江戸時代にこの島は、多くのキリスト教信者達が隠れ住んだ潜伏キリシタンの島だった。明治になって信者たちによって作られた木造の小聖堂は、1890年(明治23年)マルマン神父によってレンガ造りの本格天主堂となった。
現在の教会は、1931年(昭和6年)に建て替えられたもので、国の有形文化財に指定されている。白亜の天主堂は、威風堂々として美しく、伊王島のランドマークとなっている。
伊王島は、北側の伊王島(面積1.3km²、周囲7.1km)と南側の沖ノ島(面積0.95km²、周囲5.1km)が、数十mほどの瀬戸を挟んで2つに分かれていて、3本の橋が架かる。一般的に両島を合わせて、伊王島と呼ぶ。
昭和40年代ころまで炭鉱で栄え、西彼杵郡伊王島町だった。やがて炭鉱が閉山、人口が減少し町は衰退していくが、平成になって観光開発が進められていると聞く。
天然温泉を備えた宿泊施設やリゾート施設の「やすらぎ伊王島」のほか、スポーツ施設や図書館、美しい砂浜の海水浴場が整備されているという。2005年(平成17)、市町村合併に伴い長崎市に編入された。
漁港に向うに「やすらぎ伊王島」のホテルや赤い屋根の施設が見える。
東の方は、対岸の香焼町にある三菱重工長崎造船所が雨で霞む。
1898年(明治31)、長崎半島側の深堀村より分村した西彼杵郡香焼村は、1961年(昭和36)に香焼町となる。2005年(平成17)、伊王島町のほか5町と一緒に長崎市に編入された。
明治以後、石炭と造船産業が盛んだったが、戦後の昭和30年代にともに消滅した。長崎県は昭和40年代に香焼・深堀間の臨海工業用埋め立てを行い、旧造船所施設を三菱重工業が取得、本格的な最新造船工場の香焼工場が1972年(昭和47年)に完成した。
3年前、五島航路で長崎港外に出た時、船から見える香焼工場の林立する造船施設に圧倒された。
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