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2014年7月の4件の投稿

2014年7月31日 (木)

白山(はくさん)-その1

 2014年7月22日(火)~25日(金)、石川・岐阜県境にある霊峰「白山」に行く。

 山頂付近の白山室堂で1泊、ホテルで前・後泊を含めて3泊4日の山行。

 

 ★ ★ ★

 白山は、白山国立公園内の富山・石川・福井・岐阜の4県にまたがる両白山地(りょうはくさんち)の中央にあり、最高峰の「御前峰(ごぜんがみね)」(標高2,702m)、剣ヶ峰 (2,677m)、大汝峰 (おおなんじがみね、2,684m)の「白山三峰」ほか、周辺山峰の総称である。

  古くから信仰の山として親しまれ、富士山、立山と並ぶ「日本三霊山」の一つ。日本百名山。

 御前峰には、一等三角点と「白山比咩(しらやまひめ)神社奥宮」があり、三つのピークに囲まれた7つの火口湖がある。北陸地方では、他の山の残雪が消えた季節でも、「白い山」として遠方からでも一目で判明できるのが、山の名前の由来。

 万年雪が残り高山植物の山頂部、広大なブナ原生林とそこに生息する野生動物、深い谷間から山麓にかけて噴出する温泉群など、ユネスコの生物圏保存地域(エコパーク)に指定されている。 

 

 ★ ★ ★

 22日(火)、東京駅12:16発の新幹線 Maxとき321号に乗車、越後湯沢駅でJR特急はくたか12号に乗り換え、16:09金沢駅着。駅東口前の「ホテルドーミーイン金沢」にチェックイン。

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 まずは、最高階の14Fにある天然温泉大浴場“加賀の湧泉”で汗を流す。

 18:30ホテルを出て、18:45~21:00金沢駅前居酒屋「台場」で軽い前祝と夕食。

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 金沢駅周辺コンビニで、翌日の昼の弁当・お茶を購入。

 21:30ホテル着、22:00就寝。

 

 ★ ★ ★

 23日(水)5:00起床。朝食後、不要な荷物をホテルに預け、6:30チェックアウト。

 
 金沢駅東口バスターミナル①番のりば、北陸鉄道「白山登山バス」6:45発に乗車(運賃2,200円)。国道157号線、県道33号を、「手取川」に沿って進む。8:20~8:30、白峰(しらみね)車庫でトイレ休憩。

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 8:40、車窓から手取川の中央にある「百万貫の岩」を見る。

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 1934年(昭和9年)の手取川流域の大水害の際に、支流の宮谷から流されてきた巨大な岩。この岩は、実測129万貫(約4800トン)、高さ16m。石川県の天然記念物に指定されているそうだ。バスを止め、車掌が説明してくれた。

 別当出合の手前で「市ノ瀬ビジターセンター」に停車する。

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 「市ノ瀬ビジターセンター」は、石川県環境部の白山自然保護センターが管理・運営、白山の自然の解説や展示、情報提供の施設。 見学できないか検討したがmスケジュール的に無理だったので省略。   
 白山室堂と南竜ヶ馬場には、ビジターセンター(の出張所?)として自然解説員が1~2名常駐、簡単な展示・解説や自然観察の案内があるそうだ。   


 予定より10分ほど遅れで、終点の「別当出合」に9:05到着。Img_0907s_2

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 別当出合は、白山登山口で標高1,250m。登山センターにバス待合室・自動販売機、水・トイレがある。9:30、「観光新道」を左に見送り、別当谷に架かる吊り橋を渡って出発。

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 「砂防新道コース」(黒ボコ岩経由)は、一番ポピュラーなコースで、室堂まで距離6km、コースタイム4時間、標高差は1,200m。

 天気は曇り、時々晴れる。湿度も高いのか、汗だくになって登る。

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 ブナ林を抜け、10:20「中飯場(なかはんば)」の木陰で休憩する。トイレあり、水もあるが、飲めないと書いてある。ここは標高1500m。

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 やがて見晴らしの良い場所に出ると、大規模な砂防工事が見える。この山は、山崩れ、地滑り、土石流など、いたるところ山肌が荒れている。

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 10:30、眼前に大崩れが見られる「別当覗(べっとうのぞき)」は、谷側の断崖に注意。

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 ヘリコプターがやたらと飛んでいて、うるさいなと思っていたら、登山道のすぐ近くで工事用の資材を降ろしていた。

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 12:30、標高1965mの「甚之助避難小屋」に到着。30分休憩、昼食。ここの水は飲料、PETボトルに補給。トイレあり。眺めが良いとされる別山(標高2,399m)は、雲に隠れている。

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 30分後出発、13:40南竜道(なんりゅうどう)分岐で左手の黒ボコ岩へ向かう。

 「十二曲」の急坂が続く。幾つか沢を渡り、途中で水場が2か所ほどある。

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 この辺りは高山植物の宝庫。写真を撮ることで休みながら登る。だんだん霧が濃くなる。

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 急坂は、よく整備されていて歩きやすいが、同行の一人が足のトラブルで、だんだん予定の時間よりも遅れ始める。

 14:54、ひと口飲むと3年とか10年長生きすると伝えられる命の水「延命水」。「黒ボコ岩」直下にある白山の伏流水だが、そう思うと命がみなぎる。

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 15:08「黒ボコ岩」(標高2440m)に到着。ここで「観光新道コース」と合流。

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 ここから「弥陀ヶ原」の平原に入ると、白山神社の境内地となる。

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 左手に雪渓が見えたが、すぐに霧が濃くなり、見えなくなった。平坦な木道の広い登山道を歩く。

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 やがて最後の急坂「五葉坂」を登りきると、15:56室堂センター(標高2,450m)に到着。

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 室堂センターは、白山登山の拠点施設。白山の八合目にあたる。御前峰の山頂には、「白山比咩(しらやまひめ)神社奥宮」があるが、室堂センターのすぐそばには、3年がかりで改築中という「奥宮祈祷殿」がある。後ろに御前峰がそびえているはずだが、霧がかかっていて全く見えない。

 白山比咩神社は、白山を神体山として祀る石川県白山市三宮町にある神社で、全国に2,000社以上ある白山神社の総本社。

 室堂センターには、大部屋と個室タイプの宿泊棟がある。今回4月に、運よく個室を予約できた。

 大部屋の宿泊棟は4棟あり、男女雑魚(ざこ)寝の2段ベットで750名収容。シャワーや風呂なし。トイレは別棟にある。1泊2食で8,100円。

 
 一方、個室の宿泊棟「白山雷鳥荘」は、2012年7月より営業開始した新しい建物。収容人員は、6室21名。3人部屋(4.5畳、部屋代24,700円)と4人部屋(6畳、部屋代33,000円)がある。一人当たり、1泊2食で3,800円+部屋代が一人8,250円。乾燥室や休憩室、マッサージ機やインターネットのパソコンも共用で設置されている。トイレは水洗で、建物内にある。お湯の出るシャワーが、500円で3分間使える。各部屋には、石油温風ヒーター、テレビが備えてある。

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 室堂センターで受付を済ませると、女性の案内者が個室棟「白山雷鳥荘」に連れて行ってくれる。1階のロビーで宿泊料の清算のあと、館内の説明と宿泊部屋を案内してくれた。
 

 石鹸が使えないシャワーを浴びた後、センターの売店を覗く。17:30~夕食。食堂は結構混み合っていて、セルフサービスの列に並ぶ。生ビールは、売店で別途購入(800円)。メニューは質素だが、ここまで登って来た達成感もあって、おいしい。

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 夕食後、外に出ると霧が晴れて、神社祈祷殿の上の御前峰を仰ぐ。山頂には奥宮らしい建物が小さく見えた。

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 風も強く気温が下がってきて、ダウンウェアがないと寒い。部屋に入って、石油ヒータのスイッチを入れる。窓から西の方向に見える夕日と雪渓。

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 明朝、ご来光の後に市ノ瀬ビジターセンターの自然解説員が、お池めぐりを案内してくれると、館内放送していた。しかし室堂センターの受付の白板には、明日は曇りのち雨との予報が書いてある。

 関東甲信地方は、7月22日に梅雨明けしたが、北陸・東北は未だ。明朝の金沢の天気は、どうなるのか心配。

 消灯は、20:30。翌朝の装備の準備をして、20:00に就寝。個室棟は、大部屋に比べて、実に快適だ。

 

 

 本ブログ記事「白山(はくさん)-その2」に続く。

 

2014年7月17日 (木)

谷川岳

 2014年7月13日(日)、「谷川岳」に登る。

 途中で小雨が降り出し、霧で視界不良。最初のピーク「トマの耳」に着くと、大雨。次のピーク「オキノ耳」へ行くのを止めて、早々に下山。 久しぶりにレインウェアーでの登山になった。

 

  ★ ★ ★

 「谷川岳」は、上越国境(群馬・新潟県境)にある山で、日本百名山。双耳峰で、「トマの耳」(標高1,963m)と「オキの耳」(1,977m)と呼ばれる2つのピークがある。

 
 
 「谷川岳」周囲の清水峠と三国峠との間にある2,000m前後の山々、北側にある「武能岳」(ぶのうだけ、1760m)、「茂倉岳」(しげくらだけ、1978m)、「一ノ倉岳」(1974m)、西側にある「万太郎山」(1954m)、「仙ノ倉山」(2026m)、「平標山」(たいらっぴようやま、1984m)などを総称して「谷川連峰」と呼ばれる。

 「谷川岳」と「一ノ倉岳」の間の東斜面にある「一ノ倉沢」の岩壁は、その険しさで日本三大岩場の一つで、遭難事故の多さでも有名。「谷川岳」というとこの岩場を連想する人が多いが、「谷川岳」に登るのに一般の人がこの岩壁を登るわけではない。

 「谷川岳」にもっとも登りやすいコースは、ロープウェイを利用して天神平から天神尾根を往復する。ロープウェイを使わない厳剛(がんごう)新道や西黒尾根から登ったことがあったが、天神平からは楽だ。1986年と1989年の8月に、天神平から家族で登ったのが最後だった。

 前日12日の関東甲信地方は日本の南の高気圧に緩やかに覆われている。17:00発表の関東甲信地方の天気概況では、「明日13日は、梅雨前線が関東甲信地方までのびる見込みで、雲が広がりやすく、午後は次第に雨や雷雨」とのこと。群馬県北部(みなかみ町)のでは、曇りのち雨。降水確率は午前10%~20%、午後から50%~60%、最高気温26℃、最低気温16℃の予報。

 

 ★ ★ ★

 早朝自宅を出て、ワゴン車に同乗。天気は曇り。関越道を北上、7:40水上ICを降りる。国道291号沿いのセブンイレブンに寄り、昼の弁当・PETボトル購入。この時間のこのコンビニは、レジャー客で混雑している。昔、保養所のあった懐かしい湯桧曽(ゆびそ)温泉街を通り、土合(どあい)へ。

 8:10、土合口の「谷川岳ベースプラザ」の立体駐車場2Fに駐車(料金:500円)。6Fで「谷川岳ロープウェイ」の切符購入(往復2,060円)、7Fがロープウェイ乗り場。

 
 8:33、ロープウェイのゴンドラ出発。高低差573m、線路長2,400m。

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 約13分で天神平に着く。ここは標高1,320mの天神平スキー場。

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 8:50、登山開始。しばらく木道を歩くと、樹間より「マチガ沢」の雪渓が見える。

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 9:25頃から次第に霧が漂い、霧雨があるが、レインウェアを着るほどでもない。手元の温度計では気温19℃。

 谷川岳は、高速道路のインターから近く、手軽に登れる山。日曜日とあって、団体のほか若い人カップルや子供のいる家族連れなど、登山客が多い。こんなに人気がある山だったのかと驚く。

 9:45、いわお新道分岐に木立に囲まれた「熊穴沢避難小屋」がある。

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 休んでいるうちに雨が降り出し、避難小屋が混み合う。外に出てレインウエアを着る。

 10:05、避難小屋を出発。この辺りは森林限界で、すぐに岩がゴロゴロした急坂や岩場のきつい登りが続く。

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 登山道の所々で、先がつかえて渋滞した。時々立ち止まるので、きつい登りで呼吸を整えるにはちょうど良い。

 10:45、「天狗の留まり場」という岩場で、数分休憩。展望が良い所らいしいが、霧で視界は無い。

 
 木の階段を登り、11:40西黒尾根の分岐。この辺りから濃霧になる。すぐ先にある「肩の小屋」を通過したが、目の前になるまで霧で気が付かなかった。

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 笹原を少し登ると、「トマノ耳」(標高1963m)の岩場に到着。

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 山頂は狭く、登山客で混み合う。この先、北へ少し下って再び登ると「オキの耳」(1,977m)。片道10分ほどだが、雨が強くなったので中止して、11:55下山することにする。

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 12:00、雨を避けて昼食をとるため「肩ノ小屋」に入ろうとするが、入口で登山靴やレインウェアーを脱いだりで混み合っていて入れず、あきらめて下山を急ぐ。

 
 約1時間後の13:15、「熊穴沢避難小屋」で30分ほど休憩して、遅い昼食。

 

 下山途中で、雨は止む。どうやら雨は、標高の高いところだけだったらしい。

 14:25、天神平に到着。ゴンドラに乗車するには、濡れたレインウェアーを脱がなければならない。霧でゴンドラからの展望は無い。しかし標高を下げるに従い、霧は晴れてきた。14:55、土合口に到着。ふもとでは、路面が少し濡れてはいるようにみえるが、強い雨が降ったようでは無い。

 

 国道291号を下り、谷川温泉入口を右折、町営の日帰り温泉「湯テルメ・谷川」(入浴料550円)に入る。川沿いの露天風呂で汗を流す。

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 国道291号にもどり、16:30関越道水上ICから帰路へ。18:30ころ自宅着。

 

 「トマノ耳」から「オキノ耳」まで、雨の中を行かなくて良かった。昼食を1時間がまんして、その下の避難小屋まで行き、ゆっくり食べられたのは正解だった。

 あいにくの雨で展望もなく残念だったが、久しぶりの「谷川岳」は懐かしかった。

 来週の22日から金沢に行き、山小屋泊の「白山(はくさん)」山行を予定。良い足慣らしになった。

 

2014年7月11日 (金)

長崎散歩

 2014年7月6日(日)、結婚式・披露宴に出席のため、1泊2日で長崎市内のホテルに滞在。

 

 朝からずーっと雨、披露宴が終わっても止まず。夕方になって小雨を見計らって、「長崎新地中華街」に路面電車で行く。

 新地中華街は、長崎名物ちゃんぽん、皿うどんをはじめとした独特の長崎中華が味わえる中華料理店や、中国雑貨、食材を取り揃えた約40軒の店がひしめく。長崎電鉄「築町」電停から徒歩5分。「江山楼本店」に入る。

 ちゃんぽんは「特上」「上」「並」の3種類がある。上ちゃんぽん1,000円(右)、特上ちゃんぽん1,500円(左)、並ちゃんぽん800円(税抜き)。

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 「特上」はホタテ、エビ、イカなどの魚介類がふんだんに使われ、小さいフカヒレも中央にのっている。「特上」と「上」は肉団子、「特上」には豚まんらしいものが見える。スープはクリーミーでコクがある。ベースは同じだが、「特上」はその具材からでるダシでひと味違うらしい。麺は、柔らかめでモチモチ。

 帰り道、中華街は日曜日の夜8時を過ぎ、観光客は少なくなった。

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 鎖国時代、オランダ人は「出島」に、中国人の住居は「唐人屋敷」に限定された。唐船が入港すると、海岸の倉庫に積荷を搬入していたが、1698年(元禄11)の大火で焼失。このため、唐人屋敷前面の海を埋め立てて倉庫区域を造成し、「新地」と呼ばれた。幕末、鎖国政策が崩壊すると、在住中国人たちは海岸に近い新地に移り住むようになり、これが「長崎新地中華街」となったそうだ。

 

 小雨の中を築町電停に戻り、路面電車でホテルに帰る。

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 翌日の7月7日、梅雨(つゆ)の雨止む朝、夜景を見れなかった「稲佐山展望台」に行こうと思ったが、山頂付近はまだ霧がかかり展望は望めそうもない。

 

 久しぶりに「グラバー園」に行くことにする。花と緑に包まれたグラバー園は、眼下に広がる長崎港の大パノラマを見下ろす絶景地。南山手の丘に立地。旧グラバー住宅など洋館9棟が点在する。

 タクシーで高台の第2ゲート前まで行き、入園(入園料600円)する。坂を下りながら、長崎港や洋館を見て、第1ゲート側から出る。

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 長崎港の出口に架かる「女神大橋」が見える。

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 大きな翼を優雅に広げた美しいフォルムから、「ヴィーナス・ウィング」とも呼ぶ。2005年12月完成。斜張橋としては全国6番目の長さ(1,289m)。海面から橋桁の高さ65mは日本一で、横浜ベイブリッジをくぐれなかった世界最大級の客船「クイーン・メリー2」もこの下を楽々通行できた。

 橋の向こう側に三菱重工長崎造船所の香焼工場クレーン群が見える。


 これが、定番の旧グラバー住宅。

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 トーマス・グラバーはスコットランド出身の商人。薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。坂本龍馬の亀山社中とも取引を行った。1911年(明治44年)に死去。市内の坂本国際墓地に、妻のツルとともに埋葬されている。

 

 グラバー園を出て、隣接する国宝の「大浦天主堂」は、入口から眺める。


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 「大浦天主堂」の正式名は、「日本二十六聖殉教者天主堂」。中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調教会で、現存する木造教会では日本最古。1865年、参観にきた潜伏キリシタンが発見された。拝観料300円だが、時間の都合で入館せず。

 

 ★ ★ ★

 幕末、諸外国の圧力で日本は開国したが、日本はあくまでも禁教下にあった。居留地内にフランス人のための礼拝堂が、横浜と長崎に建設されることになった。長崎では1865年、「大浦天主堂」が建立されたが、付近の住民たちが「フランス寺」と呼び、もの珍しさで多数見物に来ていた。

 
 その中で、浦上村の潜伏キリシタン男女15人が、人目を忍んで天主堂を参観にやって来た。プチジャン神父に、『私の胸(心)、あなたと同じ。サンタマリアのご像はどこ?』と聞いた。神父は驚き、喜んでフランスから持参した聖母像の前に導き、一緒に祈りを捧げたという。250年間、密かに信仰を続けてきた「潜伏キリシタンの発見」で、世界宗教史上例のない奇跡の事件であった。

 
 神父はこの出来事をすぐ本国に報告した。またたく間に欧米中に広がったが、国内では知られることはなかった。やがて、浦上村の潜伏キリシタンは明るみになり、長崎奉行に届けられた。大勢の信徒たちが捕えられ、厳しい拷問を加え改宗を迫ったため、諸外国は人道問題として、長崎奉行に強く抗議した。

 
 新政府になっても、禁教政策は踏襲されていたため、続々と信徒たちは捕縛されて拷問を受け、流罪にされた。この最後のキリシタン弾圧事件は、「浦上四番崩れ」と呼ばれ、過去の浦上一番崩れから三番崩れに比べて、もっとも規模の大きい、激しいものであった。

 
 各国公使は、明治政府に繰り返し抗議を行なった。欧米へ赴いた遣欧使節団岩倉具視一行は、現地でも非難を浴び、日本のキリシタン弾圧が条約改正の障害となっていることを思い知らされた。キリシタン禁制が撤廃され、信徒たちが釈放されたのは、1873年(明治6年)になってからである。

 ★ ★ ★

 

 7月9日、台風の影響で長崎空港は大雨だが、風はさほど強くない。大型で強い台風8号は、沖縄に大雨、暴風や高波の被害を与えて東シナ海を北上、九州に接近中。ソラシドエア東京行き38便は、定刻通り12時25分、無事出発した。

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 長崎空港は、大村湾に浮かぶ有人島「箕島(みしま)」を造成して作られた世界初の海上空港で、1975年開業。離島航路や上海、ソウル航路もある国際空港、長崎県の空の玄関口。以前は、海軍飛行場跡を、海上自衛隊と民間航空会社とが共用していた。

 台風は、翌日10日午前に九州に上陸、九州の発着便は、欠航が相次いだ。

 

 

 南九州を横断した台風は、四国沖から紀伊半島に上陸、東海沿岸を進み、11日朝には千葉県南部に再上陸した。

 TVニュースによると、台風から離れた列島各地でも、記録的な大雨をもたらしている。河川の増水、低い土地の浸水、土砂災害、強風などによる被害も出ているようだ。

 11日昼前までには関東の東の海上に抜け、夕方には三陸沖で温帯低気圧に変わる見込みだそうだ。

 

2014年7月 5日 (土)

長崎市伊王島

 2014年7月2日(水)、雨が降る中、長崎市伊王島に寄り道してみる。

 

 伊王島は、長崎港から高速船で約20分だそうだが、数年前(2011年)に長崎半島と「伊王島大橋」でつながったとは知らなかった。

 大橋を車で渡ると、ゴシック様式の立派な白亜の天主堂が、目に飛び込んできて驚く。後で調べると、この教会は、「聖ミカエル教会」、「沖之島天主堂」とか、「馬込教会」なども呼ばれる。

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 江戸時代にこの島は、多くのキリスト教信者達が隠れ住んだ潜伏キリシタンの島だった。明治になって信者たちによって作られた木造の小聖堂は、1890年(明治23年)マルマン神父によってレンガ造りの本格天主堂となった。

 現在の教会は、1931年(昭和6年)に建て替えられたもので、国の有形文化財に指定されている。白亜の天主堂は、威風堂々として美しく、伊王島のランドマークとなっている。

 

 伊王島は、北側の伊王島(面積1.3km²、周囲7.1km)と南側の沖ノ島(面積0.95km²、周囲5.1km)が、数十mほどの瀬戸を挟んで2つに分かれていて、3本の橋が架かる。一般的に両島を合わせて、伊王島と呼ぶ。

 昭和40年代ころまで炭鉱で栄え、西彼杵郡伊王島町だった。やがて炭鉱が閉山、人口が減少し町は衰退していくが、平成になって観光開発が進められていると聞く。

 天然温泉を備えた宿泊施設やリゾート施設の「やすらぎ伊王島」のほか、スポーツ施設や図書館、美しい砂浜の海水浴場が整備されているという。2005年(平成17)、市町村合併に伴い長崎市に編入された。

 

 
 漁港に向うに「やすらぎ伊王島」のホテルや赤い屋根の施設が見える。

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 東の方は、対岸の香焼町にある三菱重工長崎造船所が雨で霞む。

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 1898年(明治31)、長崎半島側の深堀村より分村した西彼杵郡香焼村は、1961年(昭和36)に香焼町となる。2005年(平成17)、伊王島町のほか5町と一緒に長崎市に編入された。

 明治以後、石炭と造船産業が盛んだったが、戦後の昭和30年代にともに消滅した。長崎県は昭和40年代に香焼・深堀間の臨海工業用埋め立てを行い、旧造船所施設を三菱重工業が取得、本格的な最新造船工場の香焼工場が1972年(昭和47年)に完成した。

 3年前、五島航路で長崎港外に出た時、船から見える香焼工場の林立する造船施設に圧倒された。

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