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2014年4月 9日 (水)

長崎の風景

 4月5日(土)、長崎市内をめぐる。

 

 この日の天気は曇り、気圧の谷や寒気の影響で4月にしては寒い一日。車で長崎駅前、浦上駅前を通り、10時50分頃に平和公園駐車場に着く。

 

■平和公園(長崎市松山町)

 公園内には被爆10周年にあたる1955年(昭和30)8月8日に完成した「平和祈念像」がある。 

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 像は、長崎県南有馬村(現・南島原市)出身の彫刻家・北村西望氏の代表作。高さ約10メートルの青銅製。埼玉県のJR熊谷駅北口にある「熊谷次郎直実像」も氏の作。
 

 今回気が付いたが、青銅の古さを感じないのは、空に映える明るい青色で塗装してあるからのようだ。「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれている。像の両側に「折鶴の塔」がある。

 像を見るたびに思うのは、テレビが普及し始めたころ絶大な人気を誇っていたプロレスラー・力道山の風貌にどこが似ている。力道山は朝鮮半島の出身者だが、長崎県大村市の百田家の養子になって、現役時代は長崎県出身とされ、像のモデルという説もあるそうだ。もっとも作者は、人間を超えた神のイメージであって、特定の人種の特徴を表さないようにしたとされる。

 右手が天空を指していることから、爆心地であると思われがち。爆心地は、平和公園の南端の原爆落下中心地公園に建てられた碑がある。 

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 像の向うに見える山は、稲佐山(標高333m)。

 

 公園の噴水がある「平和の泉」の場所から、ちょうど「人生の賛歌」像の向うに「浦上天主堂」が見えた。この像は、イタリア共和国ピストイア市から寄贈されたもの。母親が我が子を両手で高々と抱きあげ、愛と平和を表現しているそうだ。

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 公園には、ほかにドイツ、チェコスロバキア、ソ連、中国、ブルガリア、ブラジル、キューバ、ポーランド、トルコ・アンカラ市、アメリカ・セントポール市など各国、各都市から寄贈された像がある。

 

■浦上天主堂(長崎市本尾町)

 3年前は浦上天主堂に入場・拝観したが、今回は平和公園から外観を眺めるだけ。

 浦上天主堂は、周囲に被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたアンジェラスの鐘が時を告げる。所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会。1914年(大正3) 3月17日、浦上天主堂が完成、この日は「大浦天主堂」での浦上の潜伏キリシタン信仰告白からちょうど49年後にあたる「信徒発見の日」であった。

 1945年(昭和20) 8月9日、原爆投下により天主堂は破壊。多数の信徒がちょうど天主堂にいたが、全員が死亡した。

 原爆資料保存委員会は、原爆で破壊された後の天主堂遺構は、貴重な被爆資料であるから保存して、天守堂再建には代替地を準備すると提案した。しかし、キリスト教迫害のあと明治時代になって苦労して入手した土地に再建したいという教会側の意向と、アメリカへの配慮を優先した市側の政策で、遺構は撤去された。1959年(昭和34)、天主堂は再建された。

 広島の「原爆ドーム」の様に、後世に伝えるため被爆のままの姿の遺構は残らなかった。子供の頃に、その遺構写真を見た記憶があるが、原爆ドームがユネスコ世界遺産に登録されたこと等を考えると、私個人としては大変悔やまれる。1981年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪日の機会に、浦上天主堂はレンガ外装に改装、旧天主堂の面影がよみがえった。

 2007年、長崎県内20箇所の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」をユネスコ世界遺産の候補として暫定リストに登録された。長崎市内では大浦天主堂、浦上天主堂など8箇所、五島列島で堂崎天主堂など6箇所がリスト入りしている。2013年8月に開催された文化庁・文化審議会では「長崎の教会群・・・遺産」を同年度中の正式推薦候補とした。しかし、政府は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の方を最終的に2013年度推薦物件とすることを決定、「長崎の教会群・・・遺産」の正式推薦は、2014年度以降に持ち越されたのは、惜しい。

 

■稲佐山ふくの湯(長崎市岩見町)

 
 「ふくの湯」は、稲佐山の中腹に建つ西日本最大級の敷地面積の日帰り温泉。露天風呂、貸切風呂から長崎市内を一望でき、美しい夜景が楽しめるところ。昼食に、ビュッフェ形式の自然食レストランに行く。ランチ1,500円(ディナーは、1,800円)。

 「ふくの湯」駐車場から長崎浦上周辺を一望、中央の緑地が爆心地や平和公園付近。

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■小島療養所跡地(長崎市西小島)

 唐人屋敷跡近くにある友人宅に行って車を止め、一緒に歩いて名所・旧跡をめぐる。

 小島療養所(医学所)は、長崎大学病院の前身。跡地は現在、長崎市立佐古小学校となっている。

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 1861年(文久元年)、オランダ海軍軍医ポンぺの進言により、日本最初の西洋式近代病院「小島療養所」が設立された。小学校の校門前には、大学病院開院150周年(2011年)記念碑が建っている。

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■大徳寺公園(長崎市西小島)

 大徳寺は、明治元年(1868)に廃寺となったため今はなく、「大徳寺公園」となっている。3年前の5月、ここで長崎のお祭り「おくんち」の蛇(じゃ)踊りの練習を見学した。大きなクスノキと、その隣に小さな楠稲荷神社がある。すぐそばでは、「梅ヶ枝焼餅」を販売している老舗「菊水」がある。

 このクスノキは、「大徳寺の大クス」として親しまれてきた。幹回りが12.6mもある県下で1、2を争うクスノキの巨木で、県指定の天然記念物。樹齢は、推定800年前後とされる。大昔、この辺りは楠木の原生林が茂っていたそうだ。狭い場所で、全体を撮影することがむつかしい。

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■史跡料亭「花月」(長崎市丸山町)

 龍馬たち幕末の志士たちや勝海舟、シーボルト、頼山陽も通ったという花街丸山の料亭「花月」。歴史の舞台となった史跡だが、現在も営業している。

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 すぐそばの丸山公園には、ブーツを履いた坂本龍馬銅像が立つ。

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 少し歩くと、当時の風情が残る「検番」の看板がある建物がある。後で調べると、現在も芸者たちの踊りの稽古や芸者の手配など行う場所として運営されている。

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■浜屋百貨店(長崎市浜町)

 
 思案橋周辺を散策した後、長崎の商店街「浜町アーケード」を歩く。今秋開催される「長崎がんばらんば国体」の垂れ幕が下がっていた。

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 このアーケード街にある「浜屋百貨店」の8階催事場で、「集大成 長崎古写真の世界」展が、4月2日(水)から4月6日(日)まで開催されている。友人の紹介で、さっそく見学する。

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 長崎大学附属図書館が、古写真事業25周年を記念して、所蔵する古写真7,000点のうち180点を集大成して展示している。

 イギリス人写真家ベアトら外国人たちが見た幕末・明治の長崎(60点)、日本の写真撮影の草分け上野彦馬が撮影した幕末・明治の長崎(60点)、手彩色写真で見る明治の長崎(60点)など。幕末・明治の長崎の写真が、こんなにも多く撮影され、保存されていることに驚く。長崎に住んでいたグラバーやポンペなどの歴史上の人物、長崎港、眼鏡橋や中島川沿いの風景など、当時の姿を目の前にして感激。


■出島ワーフ(長崎市出島)

 銅座町や、新地町の長崎中華街を通って、出島町へ行く。16時40分頃、複合商業施設「出島ワーフ」に着くと、急に雨が降り出す。雨宿りにカフェ「アティック」でお茶を飲み、時間を過ごす。夕方18時頃から、海鮮・魚介類の販売・料理店の「でじま朝市」で会食。

 食事が終わった20時20分ころ、外に出ると雨は止んでいた。

 出島ワーフから長崎港桟橋に停泊する「観光丸」を見る。 風が強く気温も下がっていて、春の服装では震えあがるほど寒い。

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 軍艦「観光丸」は1855年(安政2年)、長崎海軍伝習所練習艦としてオランダより江戸幕府へ贈呈された。勝海舟、榎本武揚の幕臣や、その後に坂本龍馬をはじめとする幕末の志士たちが操艦、航海術を学んだ。

 復元されて1987年(昭和62)に進水した「観光丸」は、ハウステンボスが所有して大村湾周遊をしていたが、現在は長崎港めぐり等の観光クルーズにも使われているらしい。本船は、2010年NHK大河ドラマの「龍馬伝」に使用された。

 

 20時40分頃、肌寒い長崎市内を車であとにする。

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