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2014年4月の5件の投稿

2014年4月30日 (水)

奥武蔵・蕨山

 2014年4月27日(日)、奥武蔵の蕨山(わらびやま)に行く。

 

 蕨山は、標高1,044m。奥武蔵の中でも人気の高い山のひとつだが、急登や岩場もあるため楽ではない。山頂からは360度の展望。奥多摩、奥武蔵の山々や、都心の超高層ビル群も望めるという。

 埼玉県の飯能市名郷から蕨山の山頂まで、登り2時間半。頂上直下の岩場に危険個所あり。山頂からは、「藤棚山」920m-「大ヨケノ頭」771m-「金毘羅山」660m-「さわらびの湯」まで、下り3時間の予定。

 

 ずいぶん昔の1980年2月に登ったことがあった。その時と同じコース。ただ当時は、1986年完成の名栗湖(有間ダム)や1994年にオープンした「さわらびの湯」は、まだなかった。金毘羅山からは、鳥居神社へと下った。

 

 8:10JR東飯能駅で下車、徒歩で西武鉄道・飯能駅へ。飯能駅8:20着、参加者7名が集合。

 すでに駅前のバス停には、多くのハイカーが行列していて、8:30分発の国際興業バス名郷行きのバスは満員。8:38発の臨時便に乗車。

 バスは、入間川の上流「名栗川」に沿って進む。乗客のほとんどが、ハイカー。
 

 9:30、名郷バス停で下車。標高約340m。ここから蕨山の山頂まで、標高差は約700m。

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 付近には、蕨山ハイキングコース案内板やトイレがある。

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 名郷から見る蕨山(左手奥にある)に続く稜線。(下山後の12:54撮影)

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 9:35、名郷を出発。名栗川に架かる「蕨入橋」を渡り、林道へと進む。

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 9:55、 林道終点に着く。正面に堰堤があり、右手の沢を渡ると登山道がスタート。

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  しばらく行くといきなり岩場とロープがあるが、その後は間伐材を残したままの杉林の中を、単調なジグザグの急坂が続く。

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 やがて標高約650mの尾根が目前に。

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 10:35、尾根に上がって10分休憩。この先は視界が開け、登山道はやや緩やかになる。

 尾根を進むと、伊豆ヶ岳(標高851m)、古御岳(こみたけ、830m)が左手に見える。

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 再び急坂が続く。11:05頃、標高780m付近でメンバーの一人が体調が悪く、しばらく休憩。眼下に出発点の名郷が見える。

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 名郷の集落のズームアップ。

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 大事を取って蕨山の登頂を中止し、11:15下山することにする。

 
 出発点の名郷バス停に、12:40到着。飯能駅行きのバスは、1時間に1本。13:05、路線バスに乗る。

 13:17、名栗湖(有間ダム)の近くにある「さわらびの湯」バス停で下車。

 バス停から「さわらびの湯」に行く途中に、名栗まんじゅうとルバーブジャムなど名産品販売のお休み処「やませみ」(写真下)、その先にはうどん・そばのお食事処「ゆきやなぎ」もある。

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 すぐ下を名栗川(入間川)と有間川が合流する。

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 先に奥に進むと、飯能市営の日帰り天然温泉「さわらびの湯」が見えてきた。有間渓谷に包まれ、中央に塔がある建物は、地元の西川材で造られているという。

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 入館料800円で、13:30~入浴。室内、露天の浴槽は、さほど広くはない。脱衣所や洗い場も狭くて、入浴客で混雑していた。

 ここで生ビールや缶ビールを購入。ここは飲食物持ち込み可。あらかじめ用意したつまみやおにぎりを大広間(休憩室)で広げ、14:00~遅い昼食と打ち上げ。

 

 「さわらびの湯」は、飯能市(旧名栗村、2005年飯能市に編入)の指定管理者「名栗さわらびの湯共同事業体」(Fun Space株式会社、株式会社オーチュー)が管理、運営の代行を行っている。

 

 さわらびの湯バス停15:38発に乗車、16:13東飯能駅で下車。

 東飯能駅16:37発の西武池袋線急行・池袋行に乗車して帰路へ。自宅に18:40頃着。

 

 天気も良く汗ばむほどだったが、適度な風もあって心地良かった。GWに入った日曜日とあって、ハイカーも多い。 
 最初から急登が続いたためかメンバーのアクシデントがあって、途中下山した。今後は無理せず、「ゆとり登山」を心掛けたい。   

 

 

2014年4月23日 (水)

信州桜めぐり

 2014年4月21日(月)、信州の桜めぐりに行く。

 

 深夜3時ころ、自宅を出発。友人の車に同乗。長野自動車道の安曇野ICで高速を降り、犀(さい)川に沿って北上。今日は曇り、時々小雨。車窓から見える桜は、ちょうど見頃。

 

■陸郷の山桜(長野県池田町)

 「陸郷の山桜」を見るため、「桜仙峡」に向かう。

 
 国道19号の犀川に架かる陸橋を渡って下生野で左折、日野橋を渡ったすぐのT字路を左折する。ここから西へ1.8kmほど先に、「ラベンダーガーデン夢農場」がある。

 
 北安曇郡池田町は、1990年頃からハーブで村おこしを行ってきた。中でも、「ラベンダーガーデン夢農場」は、安曇野の北山麓にある陸郷の広大な山の斜面4万㎡に、80種類のラベンダーを栽培している。水野建設(株)が運営、花畑、芝生広場や野外ステージなどもある。

 その夢農場ではなく、T字路から500mほど走って右折、大型車進入禁止の狭い急坂の山道を上る。ところどころに民家があるが、対向車とすれ違えるような待避スペースはない。後で知ったが、桜の季節は道が混み合うため、車で行く場合は西から東方向に、一方通行で桜仙峡に行くことが推奨されている。

 
 山を上りきると公民館があり、住民が「桜仙峡」と名付けた展望ポイントに6:15到着。すでに数人のカメラマンたちが来ていた。

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 ここは谷の向うに「ラベンダーガーデン夢農場」があって、「陸郷の山桜」と北アルプスが一望できる。残念ながら、北アルプスはまったく見えないが、早朝だったので朝もやが山の斜面に漂っていて、幻想的な風景だった。

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 「陸郷の山桜」は数千本とも1万本とも言われ、植林したものではなく、小鳥によって運ばれた山桜の種が山腹のあちこちに自生して増えた名所。今では「西に吉野、東に陸郷」とまで呼ばれそうだ。桜の見ごろは4月中旬から下旬にかけて。「陸郷さくら祭り」は12日から開催されているという。

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 桜仙峡から先に道を進むと広い道路になり、鎌倉時代の悲しい伝説のある渓谷に架かる「登波離橋」を渡ると、大型観光バスも駐車可能な駐車場がある。団体客は、ここから桜仙峡まで歩くようだ。途中墓地公園の前を通って、池田町の中心街へと西へ進む。

 

●中網湖のオオヤマザクラ(長野県大町市)

 山を下りると、やがて県道51号にぶつかり右折して北上、高瀬川を渡って国道147線を再び北上、白馬村方面に向かう。続いて国道148号線の道路沿いに「木崎湖」、その先に「中綱(なかつな)湖」、「青木湖」と仁科三湖が続く。

 仁科三湖の中でも一番小さな「中綱湖」に、8:05着く。湖の西側に群生するオオヤマザクラの濃いピンク色が湖面を染めるため、カメラマンには人気スポットらしい。オオヤマザクラは、ヤマザクラに比べて赤みの濃い花が特徴。

 
 行ってみるとほとんど咲いてない。ここの桜は、「大町公園」の桜が散り始める頃が、開花の目安になるらしい。次に、「大町公園」に行ってみる。

 

●大町公園の桜(長野県大町市)

 
 国道148号線を引き返し、「大町公園」に8:30に着く。公園は、大町市街を見下ろす東山の中腹、「山岳博物館」の下にあり、ソメイヨシノやオオヤマザクラが植えられている。見頃は4月中旬~5月上旬で、開花にあわせて「おおまち桜祭り」が開催されるそうだ。

 残雪の北アルプスを背景に見る桜が美しいらしいく、ござを敷いてお花見が楽しめそう。桜並木にはぼんぼりが並んでいるが、朝早いこともあってか人影はまったく無い。この日の開花状況は、5分咲き以下といったところ。北アルプスも、今日はまったく見えない。

 

●北小倉の枝垂れ桜(長野県安曇野市)

 
 国道147号線を南下し、安曇野市の三郷小倉地区、県道25号にある北小倉の信号で曲がって狭い坂道を進むと、9:20右手の山沿いに突然見事な桜が姿を現す。

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 桜との間には畑があって、道路から眺める。桜は、民家に覆いかぶさるように咲いていて、その巨大さがわかる。

 根元には墓地があり、ちょうど墓参に女性が花を持って来ていた。この桜は樹齢推定400年だそうで、墓守桜として地域の方々に親しまれ、大切にされていることだろう。

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 少し坂道を登って東の方角を見下ろすと、安曇野市街が広がり美ヶ原方面の山々が連なる。

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●南小倉のシダレヒガン(長野県安曇野市)

 
 9:55、三郷南小倉地区の県道25号沿いの三叉路の間にシダレヒガン桜(イトザクラともいう)がポツンと立っている。1968年(昭和43)市の天然記念物指定、樹齢推定400年。

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 以前は樹高がもっとあったが、幹の傷みが激しく、2007年頃に一部が切られたそうだ。

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 南小倉のシダレヒガンから道路を挟んた反対側の墓地に、3本の枝垂れ桜が咲き誇る。いずれも樹齢は不明。 こちらにも、数人のカメラマンや見学者が来ていた。

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 一番奥にある桜が高さもあって立派だが、落雷があったのか幹が黒焦げ、割れたりして痛々しい。

 滝のように流れ落ちる花々が見事。

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●田多井観音堂の枝垂れ桜(長野県安曇野市)

 
 県道25号線を北上し、堀金(ほりがね)三田地区の田多井の信号から左手の細い坂道を山の方に上ると、大勢の見学者やカメラマンが車で来ていた。10:50、到着。

 
 ここ山麓沿いの田多井には、あちこちに枝垂れ桜の古木が多いという。この辺りも何本かの古木があり、いずれも樹齢不明だが、畑の中の墓地に植えられている。その中でも、観音堂の枝垂れ桜が一番大きく、枝ぶりが美しい。昔この場所に観音寺というお寺があったが、明治の廃仏毀釈で廃寺になり、その本尊がこの観音堂(写真左下、桜に隠れている)に安置されているという。

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 観音堂の枝垂れ桜の近くの墓地には、少し小ぶりで傾いて立っている無名の枝垂れ桜がある。

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 もう一つは、2本並んだ枝垂れ桜で、これも無名の桜で墓地にある。

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 田多井地区の桜がある場所も、山裾の少し高台なので、安曇野市街地や遠く美ヶ原方面の山々が見えた。

 

 ★ ★ ★ 

 現在有名なソメイヨシノ(染井吉野)は、エドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれた園芸種。江戸末期から明治初期に、江戸駒込の染井村の造園師や植木職人達によって作られた。初め、大和の吉野山(奈良県)にちなんで「吉野桜」として売られて広まったが、その後染井村の名を取り「染井吉野」と命名された。

 この安曇野地方の枝垂れ桜の巨木は、樹齢が400年くらい。染井吉野の無かった昔、墓所に植えられたと考えると、本当に数百年も墓守をしていることになる。墓地は比較的小さい規模なので、個人所有の墓地だろうか。

 

●手打ち蕎麦「うちぼり」(長野県安曇野市)

 
 12:00頃、安曇野赤十字病院の前を通って安曇野ICの近くの県道57号線で、通りがかりに見つけた手打ち蕎麦「うちぼり」(安曇野市豊科南穂高571-3 )に入る。もりそば(二八そば)800円。

 
 この店の主人が、軽井沢町追分にある石臼挽き手打ち蕎麦「きこり」で修行したうちの一人だそうだ。飛び込みにしては、ラッキーな店だった。

 

●(長野県安曇野市)

 安曇野ICから車で5Km、10分ちょっと北上すると、有限会社大王が運営している15万㎡の「大王わさび農場」(安曇野市穂高1692)がある。12:50、ちょっと寄ってみる。駐車場、入園料は無料。

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 北アルプスからの地下水が湧き出した「安曇野わさび田湧水群」の中にある、日本最大のわさび園。45,000坪の自然を生かした安曇野で有名な観光スポット。黒澤明監督の映画『夢』のロケ地としても知られる。「大王」は、敷地内にある民話にまつわる大王神社に由来。

 広大なわさび田、わさび漬工房、風情のある水車小屋、遊歩道、大王神社、親水広場、アルプス展望台などの施設のほか、レストランやわさび漬けなどの体験コーナーがある。売店には信州名産品のほか、名物の生わさび、わさび漬け、わさび団子、わさびソフトクリーム、わさびコロッケなど。

 

 ★ ★ ★

 安曇野市は、南安曇郡の豊科町・穂高町・三郷村・堀金村と東筑摩郡の明科町の5町村が、2005年(平成17)に合併して誕生。人口約10万人。NHK連続テレビ小説の『おひさまは』(主演、井上真央)の舞台になったことで、良く知られている。

 
 「安曇野」という地名は、本来長野県中部の松本盆地のうち、梓川と犀川の西岸から高瀬川流域の最南部にかけて広がる扇状地をいう。もともと「安曇平」と呼ばれていたが、この地の出身者・臼井吉見の小説『安曇野』で有名になり、この名称が定着した。

 「安曇」の由来は、古代の海人族として知られる有力氏族の「阿曇(あずみ、安曇)氏」が、この地に移住してきたという説がある。阿曇氏はもともと北九州の志賀島周辺が本拠地だったが、全国に散らばっていったとされる。

 

 ★ ★ ★
 

 一日中、曇りで時折小雨、雪をかぶった北アルプスは、残念ながら全く望めなかったのが残念。少し北の大町市の桜はまだ開花してなかったが、池田町や安曇野市はちょうど見ごろで、最高だった。

 安曇野ICから、長野自動車道を経て帰る。16:00頃、自宅着。

2014年4月17日 (木)

赤い月

 2014年4月14日、満月に火星が最接近した。19:25頃、東の空に月の左手に火星が出ている。火星は、2年に一度地球に最接近する。 

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 その翌日の4月15日、月の出から数分くらい間、部分月食で満月の上部が少し欠けるらしい。

 東の方角の低い位置、近所の住宅の屋根の下に、「赤い月」が昇る。

 ほんの数分のチャンスだったが、住宅や電線にさえぎられて、もたもたしているうちに月食は終了。写真は18:41頃、赤い月を撮影したが、ピントが甘い。

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  アメリカ大陸やハワイは皆既月食だそうだが、­日本は部分月食。東京では18:15、30%ほどの部分月食で月の出、18:33頃に月食は終わった。

 この時の月は、赤みがかったオレンジ色に変化することから、「赤い月」(Blood Moon)と呼ばれる。

 その10分後の18:53頃の満月は、うまく撮れたが赤みはなくなっていた。

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 新聞やTVニュースでは、スカイツリーと赤い月の写真が出ていた。

 
 満月の一部が欠けたまま東の空から昇ってくる現象は、「月出帯食」(げっしゅつたいしょく)というらしい。

 

 ★ ★ ★

 月や星をうまく撮影したいと思うが、なかなか満足するものが撮れない。

 

 2012年09月1日に、信州の「入笠山」(にゅうかさやま)のマナスル山荘本館に宿泊した時、初めて星空を撮影した。     

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f470.html

 
 23:00ごろから24:00ころまで、夏の大三角形を試行錯誤でやっと写せたが、まだピントがうまく合ってない。

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 昨秋は、「世紀の彗星」になるはずと注目された「アイソン彗星」は、11月29日未明に太陽に最接近して太陽熱で蒸発・消滅したのは残念だった。

 

 昨年暮れの2013年12月5日、細い三日月と金星が接近したのを何とか撮影した。18:30頃の日の入り直後、南西の空に「宵の明星」と呼ばれる金星が明るく輝いた。

 
 17:22頃撮影。三日月(月齢2.5)の左下が金星。

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 翌日の12月6日も金星が三日月のそばで輝き、また7日には金星が最大光度となって、一段と輝きを増したという。

 この時も天気も良好だったが、撮影の機会を失してしまっていた。

 

 今後も、月や星空の天体ショーに注目したい。次の皆既月食は、10月8日。

2014年4月14日 (月)

甲州桜の名木と桃源郷

 4月11日(金)、甲州(山梨県)の桜の名木と桃源郷をめぐる。

 この日は高気圧に覆われて、全国的に晴れ。山梨県の最高気温は、20℃前後。東京の桜は散っているが、甲州は満開を迎えている。

 

■わに塚の桜

 車は、中央道の韮崎ICを下りて、「わに塚の桜」に向かう。昇仙峡ライン、国道20号(甲州街道)を経て、釜無川に架かる武田橋を渡る。願成寺の前を通り、武田八幡神社に向かう途中の駐車場(駐車料無料)に9:50到着。ここは、山梨県韮崎市神山町。

 そこから数分歩くと、畑の中の小山に樹齢320年、幹周り3.6m、樹高17mの一本桜が立っている。

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 やや満開を過ぎているらしいが、残雪を抱く「八ヶ岳連峰」が青い空にくっきり見える。いつもよく見る八ヶ岳よりも少し寸詰まりに見えるのは、山並みと直角方向でなくて、斜めの方角から見ているせい。

 中央のピークが主峰の赤岳(あかだけ)、標高2,899m。

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 韮崎市観光協会によると、満開は3日前の4月8日だったようで、少し散り始めている。夕方6時半から2時間、ライトアップをしているそうだ。

 古代、日本武尊の王子の武田王がこの地域を治めた後、埋葬された古墳のあった場所なので、「王仁(わに)塚」と呼ぶようになったと古くから言い伝えられているそうだ。甲斐武田氏が清和源氏に流れを汲むとも言われているが、時代も違うが武田王と武田信玄の武田氏の関係が良くわからない。

 また塚の形が鰐(わに)口に似ているので「鰐塚」とする説もあるそうだ。

 桜の根元には、黄色い水仙とアヤメだろうか、彩を添えている。

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■神代桜

 次に、釜無川に沿って上流の日蓮宗の「実相寺」に向かう。途中で雪をかぶった鳳凰三山や甲斐駒ヶ岳が見え隠れする。

 実相寺は、日本で一番古いと言われる「神代(じんだい)桜」のある寺。1922年(大正11)に国指定天然記念物に、1990年(平成2)に「 新日本名木百選」に指定されている。ここは、 山梨県北杜(ほくと)市の武川(むかわ)町、旧武川村だった。この地が山高(やまたか)地区であることから、「山高神代桜」とも呼ばれる。村は、2004年6町村と合併して、北杜市になった。

 10:55、駐車場(料金1,000円)に到着。広い境内には多種の桜が植えられており、ちょうど満開で、大勢の観光客で混雑している。出店も多い。

 正面の山は名峰「甲斐駒ヶ岳」、標高2,967m。

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 険しい山容の甲斐駒ヶ岳のズームアップ。

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 甲斐駒ヶ岳の左手に目を移すと、「鳳凰三山」がそびえる。中央が「地蔵岳」(標高2,764m)。その左に雪をかぶったピークが「観音岳」(2,840m)、その山並みの左端に「薬師岳」(2,780m)。

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 地蔵岳の山頂に左に、オベリスクとよばれる岩峰が、望遠カメラではっきりわかる。

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 参道のしだれ桜をくぐって本堂へ。

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 本堂近くに神代桜が柵で囲われ、つっかい棒で支えられた痛々しい姿ながら、満開の花を咲かせている。

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 神代桜は、日本三大桜の一つで、樹齢2000年(本当かなあ?)といわれる日本最古のエドヒガン桜。日本武尊(この人物は弘法大師のように各地に登場する)が、東征の折りにこの地に留まり、記念にこの桜を植えたのだという。その後、日蓮聖人がこの木の衰えを見て、回復を祈ったところ再生したため、「妙法桜」ともいわれている。

 

 ★ ★ ★

 国道20号線(甲州街道)で、韮崎ICに戻って、甲府昭和ICまで中央高速。再び国道20号線(勝沼バイパス)から、石和(いさわ)温泉郷付近を過ぎて、「長寿村権六(ごんろく)」というほうとう・十割そばの店(山梨県笛吹市石和町)に12時半ころ入る。昼食に手打ちほうとう鍋1,131円。野菜や肉もたっぷり、ボリュウムがあって腹いっぱいになる。

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 13:20、すぐ近くの株式会社「桔梗(ききょう)屋」に入る。ここは信玄餅などで有名な銘菓子の製造・販売の本社工場(山梨県笛吹市一宮町)。

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 社員の案内でお菓子の製造工程を工場見学。工場はかなり自動化されていたが、一つ一つ「人の手」で包装されていたのは、信玄餅のこだわりだろう。その後、付設のお菓子の美術館を見学、売店で買い物。

 信玄餅のアウトレットというのがあって、お買得の5個入り410円だった。

 

 

 ★ ★ ★

 甲府盆地にある「笛吹市」は、石和町、御坂町、一宮町、八代町、境川村、春日居町の6町村が合併して発足。市名は市内を流れる「笛吹川か」ら採用された。2005年、「桃・ぶどう日本一の郷」を宣言している通り、いたるところに桃畑、ぶどう畑がある。2006年、芦川村を編入。ちょうど今は桃の花の季節、ピンクの花が町を染める。

 笛吹市では毎年春のイベントとして桃まつりが開催されているが、今年はメイン会場を「八代ふるさと公園」にし、名称も「笛吹市桃源郷春まつり」に変更したという。期間は、3月21日(金・祝)~4月27日(日)。

 

■桃源郷春まつり

 国道20号線(勝沼バイパス)から、笛吹市八代(やつしろ)町へ。山の中腹に桜の木々が広がり、リニア新幹線の実験線が見えと、やがて「八代ふるさと公園」駐車場に14:20到着する(駐車料無料)。

 

 この公園は、見晴らし抜群の高台にあって、古墳があったところ。斜面の桃畑や、甲府盆地と南アルプスの山々の展望がすばらしい。公園中央には出店や案内所のテントが輪になって並んでいるが、平日のせいか思ったより混んではいない。今週末は、大変な賑わいになるだろう。

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 ここ古墳広場のほか、公園には約300本の桜の森、展望ふるさと館、野外劇場、わんぱく広場、多目的広場、親水広場などのエリアや施設が点在する。

 ピンクの桃の花のほかに、ところどころに白い花もあるが、スモモの花か。

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 西の方角の展望。南アルプスの「白峰三山(しらねさんざん)」と呼ばれる「農鳥岳(のうとりだけ)」(標高3026m)、「間ノ岳(あいのだけ)」(3189m)、「北岳」(3193m)の白い峰々。その右手に「鳳凰三山」が連なり、三角山の尖った「甲斐駒ヶ岳」。

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 北西の方角。甲府盆地のビル群は甲府市街。中景には、山の斜面から平地にかけてピンク色の絨毯をひろげたように桃の花が咲く。眼下には、桃畑で写生をする人々。

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 北西から北の方角。左奥に「八ヶ岳連峰」が霞む。その右手前の山は「茅ヶ岳」1704m。中央の山塊は甲府盆地の北辺の山々。右の冠雪の山は、「金峰(きんぷ)山」2230mなどの長野県との県境にある山々。

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 少し散りかけているが、「甲州蚕影(こかげ)桜」と呼ばれる2本のソメイヨシノは、公園のシンボル。直径23m、高さ4.5mの円墳「盃塚古墳」の丘にかぶさる様に咲いている。

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 円墳のすぐそばに、全長92m、高さ7.5mの前方後円墳「岡・銚子塚古墳」がある。円墳と共に、副葬品などが発掘されているが、墳丘は原形が失われていたので復元されている。頂上に登ることも出来る。

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 15:30頃まで、のんびりとのどかな春の時間を過ごす。

 
 15:50、一宮御坂ICから中央道に入り、帰路へ。17:55、自宅着。

 

 
 午後からは、上着を脱ぎたくなる暖かさだった。天候に恵まれた甲州の満開の桜と桃は、最高だった。

2014年4月 9日 (水)

長崎の風景

 4月5日(土)、長崎市内をめぐる。

 

 この日の天気は曇り、気圧の谷や寒気の影響で4月にしては寒い一日。車で長崎駅前、浦上駅前を通り、10時50分頃に平和公園駐車場に着く。

 

■平和公園(長崎市松山町)

 公園内には被爆10周年にあたる1955年(昭和30)8月8日に完成した「平和祈念像」がある。 

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 像は、長崎県南有馬村(現・南島原市)出身の彫刻家・北村西望氏の代表作。高さ約10メートルの青銅製。埼玉県のJR熊谷駅北口にある「熊谷次郎直実像」も氏の作。
 

 今回気が付いたが、青銅の古さを感じないのは、空に映える明るい青色で塗装してあるからのようだ。「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」と作者の言葉が台座の裏に刻まれている。像の両側に「折鶴の塔」がある。

 像を見るたびに思うのは、テレビが普及し始めたころ絶大な人気を誇っていたプロレスラー・力道山の風貌にどこが似ている。力道山は朝鮮半島の出身者だが、長崎県大村市の百田家の養子になって、現役時代は長崎県出身とされ、像のモデルという説もあるそうだ。もっとも作者は、人間を超えた神のイメージであって、特定の人種の特徴を表さないようにしたとされる。

 右手が天空を指していることから、爆心地であると思われがち。爆心地は、平和公園の南端の原爆落下中心地公園に建てられた碑がある。 

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 像の向うに見える山は、稲佐山(標高333m)。

 

 公園の噴水がある「平和の泉」の場所から、ちょうど「人生の賛歌」像の向うに「浦上天主堂」が見えた。この像は、イタリア共和国ピストイア市から寄贈されたもの。母親が我が子を両手で高々と抱きあげ、愛と平和を表現しているそうだ。

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 公園には、ほかにドイツ、チェコスロバキア、ソ連、中国、ブルガリア、ブラジル、キューバ、ポーランド、トルコ・アンカラ市、アメリカ・セントポール市など各国、各都市から寄贈された像がある。

 

■浦上天主堂(長崎市本尾町)

 3年前は浦上天主堂に入場・拝観したが、今回は平和公園から外観を眺めるだけ。

 浦上天主堂は、周囲に被爆遺構の石像などが配され、今も原爆の爆風に耐えたアンジェラスの鐘が時を告げる。所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会。1914年(大正3) 3月17日、浦上天主堂が完成、この日は「大浦天主堂」での浦上の潜伏キリシタン信仰告白からちょうど49年後にあたる「信徒発見の日」であった。

 1945年(昭和20) 8月9日、原爆投下により天主堂は破壊。多数の信徒がちょうど天主堂にいたが、全員が死亡した。

 原爆資料保存委員会は、原爆で破壊された後の天主堂遺構は、貴重な被爆資料であるから保存して、天守堂再建には代替地を準備すると提案した。しかし、キリスト教迫害のあと明治時代になって苦労して入手した土地に再建したいという教会側の意向と、アメリカへの配慮を優先した市側の政策で、遺構は撤去された。1959年(昭和34)、天主堂は再建された。

 広島の「原爆ドーム」の様に、後世に伝えるため被爆のままの姿の遺構は残らなかった。子供の頃に、その遺構写真を見た記憶があるが、原爆ドームがユネスコ世界遺産に登録されたこと等を考えると、私個人としては大変悔やまれる。1981年、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪日の機会に、浦上天主堂はレンガ外装に改装、旧天主堂の面影がよみがえった。

 2007年、長崎県内20箇所の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」をユネスコ世界遺産の候補として暫定リストに登録された。長崎市内では大浦天主堂、浦上天主堂など8箇所、五島列島で堂崎天主堂など6箇所がリスト入りしている。2013年8月に開催された文化庁・文化審議会では「長崎の教会群・・・遺産」を同年度中の正式推薦候補とした。しかし、政府は「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の方を最終的に2013年度推薦物件とすることを決定、「長崎の教会群・・・遺産」の正式推薦は、2014年度以降に持ち越されたのは、惜しい。

 

■稲佐山ふくの湯(長崎市岩見町)

 
 「ふくの湯」は、稲佐山の中腹に建つ西日本最大級の敷地面積の日帰り温泉。露天風呂、貸切風呂から長崎市内を一望でき、美しい夜景が楽しめるところ。昼食に、ビュッフェ形式の自然食レストランに行く。ランチ1,500円(ディナーは、1,800円)。

 「ふくの湯」駐車場から長崎浦上周辺を一望、中央の緑地が爆心地や平和公園付近。

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■小島療養所跡地(長崎市西小島)

 唐人屋敷跡近くにある友人宅に行って車を止め、一緒に歩いて名所・旧跡をめぐる。

 小島療養所(医学所)は、長崎大学病院の前身。跡地は現在、長崎市立佐古小学校となっている。

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 1861年(文久元年)、オランダ海軍軍医ポンぺの進言により、日本最初の西洋式近代病院「小島療養所」が設立された。小学校の校門前には、大学病院開院150周年(2011年)記念碑が建っている。

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■大徳寺公園(長崎市西小島)

 大徳寺は、明治元年(1868)に廃寺となったため今はなく、「大徳寺公園」となっている。3年前の5月、ここで長崎のお祭り「おくんち」の蛇(じゃ)踊りの練習を見学した。大きなクスノキと、その隣に小さな楠稲荷神社がある。すぐそばでは、「梅ヶ枝焼餅」を販売している老舗「菊水」がある。

 このクスノキは、「大徳寺の大クス」として親しまれてきた。幹回りが12.6mもある県下で1、2を争うクスノキの巨木で、県指定の天然記念物。樹齢は、推定800年前後とされる。大昔、この辺りは楠木の原生林が茂っていたそうだ。狭い場所で、全体を撮影することがむつかしい。

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■史跡料亭「花月」(長崎市丸山町)

 龍馬たち幕末の志士たちや勝海舟、シーボルト、頼山陽も通ったという花街丸山の料亭「花月」。歴史の舞台となった史跡だが、現在も営業している。

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 すぐそばの丸山公園には、ブーツを履いた坂本龍馬銅像が立つ。

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 少し歩くと、当時の風情が残る「検番」の看板がある建物がある。後で調べると、現在も芸者たちの踊りの稽古や芸者の手配など行う場所として運営されている。

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■浜屋百貨店(長崎市浜町)

 
 思案橋周辺を散策した後、長崎の商店街「浜町アーケード」を歩く。今秋開催される「長崎がんばらんば国体」の垂れ幕が下がっていた。

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 このアーケード街にある「浜屋百貨店」の8階催事場で、「集大成 長崎古写真の世界」展が、4月2日(水)から4月6日(日)まで開催されている。友人の紹介で、さっそく見学する。

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 長崎大学附属図書館が、古写真事業25周年を記念して、所蔵する古写真7,000点のうち180点を集大成して展示している。

 イギリス人写真家ベアトら外国人たちが見た幕末・明治の長崎(60点)、日本の写真撮影の草分け上野彦馬が撮影した幕末・明治の長崎(60点)、手彩色写真で見る明治の長崎(60点)など。幕末・明治の長崎の写真が、こんなにも多く撮影され、保存されていることに驚く。長崎に住んでいたグラバーやポンペなどの歴史上の人物、長崎港、眼鏡橋や中島川沿いの風景など、当時の姿を目の前にして感激。


■出島ワーフ(長崎市出島)

 銅座町や、新地町の長崎中華街を通って、出島町へ行く。16時40分頃、複合商業施設「出島ワーフ」に着くと、急に雨が降り出す。雨宿りにカフェ「アティック」でお茶を飲み、時間を過ごす。夕方18時頃から、海鮮・魚介類の販売・料理店の「でじま朝市」で会食。

 食事が終わった20時20分ころ、外に出ると雨は止んでいた。

 出島ワーフから長崎港桟橋に停泊する「観光丸」を見る。 風が強く気温も下がっていて、春の服装では震えあがるほど寒い。

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 軍艦「観光丸」は1855年(安政2年)、長崎海軍伝習所練習艦としてオランダより江戸幕府へ贈呈された。勝海舟、榎本武揚の幕臣や、その後に坂本龍馬をはじめとする幕末の志士たちが操艦、航海術を学んだ。

 復元されて1987年(昭和62)に進水した「観光丸」は、ハウステンボスが所有して大村湾周遊をしていたが、現在は長崎港めぐり等の観光クルーズにも使われているらしい。本船は、2010年NHK大河ドラマの「龍馬伝」に使用された。

 

 20時40分頃、肌寒い長崎市内を車であとにする。

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