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2014年2月 2日 (日)

上野・谷中界隈

 2013年12月17日(火)、上野駅から旧岩崎邸、上野公園、谷中霊園、谷中銀座を経て日暮里駅まで歩く。

 

 この日は、2日後の19日に実施する本番の下見。本番は、午前中浅草の「羽子板市」を見物した後、上野駅から日暮里駅まで歩く予定だったが、残念ながら雨天で中止した。

 

 ★ ★ ★

 この日午前中は、六本木の富士フィルムスクエアで、「美しい風景写真100人展」を鑑賞。

 12:50、上野駅に到着。UENO3153ビル2階の「ペッパーランチダイナー」で、ステーキ960円(税抜き)を注文、腹ごしらえ。

 

 少し道を間違えたが、13:50「旧岩崎邸庭園」に入園(入園料400円)する。都立の庭園で、東京都公園協会が運営している。ここは、上野駅不忍口からだと、徒歩で15分くらいのところにある。

 

 敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であったそうだ。1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入。園内の歴史的建造物は、岩崎財閥3代の岩崎久弥によって英国人ジョサイア・コンドルが設計、1896年(明治29年)に竣工した。

 旧岩崎邸の敷地は、不忍池の南西方向の台東区池之端一丁目に位置するが、「旧岩崎邸庭園」として公開されているのは、旧邸宅敷地の一部にすぎずないという。

 
 現存するのは洋館、撞球(どうきゅう、ビリヤード)室、和館の3棟、国の重要文化財に指定されている。

 洋館の北側正面。

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 洋館の南東側から。南面は1、2階とも柱が並ぶベランダが設けられている。

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 撞球室の建物。

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 和館。

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 館内は撮影禁止。時間もないので館内に入らず、庭から建物を見学。芝生の庭園は、桜、新緑、紅葉の時期なら絵になるだろうが、今の時期は何もない。
 館内での写真撮影の要望が多いことから、特別に洋館2階に限り、2月1日~2月28日に撮影可能な期間を設けたと東京都公園協会のホームページにある。

 旧岩崎庭園は今回初めてだったが、館内の見学を含め、庭の景色がきれいな時期にまた来てみたい。

 

      
 14:20~14:30、上野不忍池の弁天堂島で休憩。

 小鳥の鳴き声がうるさい。よく見ると、近くの木の枝にすずめがやたらと止まっている。

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 木の幹や低木の枝などにもいて、近くに寄っても逃げない。

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 おじさんがすずめに餌をやっているので、集まってきているのだ。上野公園内の鳩もそうだが、餌付けを禁止されているはず。暇なおじさんは餌の入った袋を隠し持っていて、警備員の目を盗んで、毎日餌やりをしているようだ。

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 不忍池の鴨(オスとメス)は、寒そうにしている。

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 他にユリカモメやカワウなど、多くの野鳥にとっても都会のオアシス。

 

 14:50、東京芸大の「奏楽堂」前を通過。

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 15:00、旧吉田屋酒店前を通過。ここは、台東区立の下町風俗資料館付設展示場になっている(写真を撮りそこねた)。

 

 15:10、谷中霊園の桜並木通りの右手に「徳川慶喜の墓所」入り口がある。

 慶喜の墓所に行く。道が分かりにくい。墓所から通りに戻る時も、しばらくウロウロする。

 墓所は葵の御紋があり、柵や塀で囲まれている。東京都教育委員会の説明板もあった。

 柵の間から覗いてみる。よく見る墓石ではなく、「正一位勲一等徳川慶喜之墓」と書いた石柱の横に、円墳のように小石を積んだ形の墓である。(慶喜の墓所の写真を撮ったつもりていたが、後で見ると撮ってなかった。)

 

 戊辰戦争の終結後、慶喜は謹慎を解かれたが、引き続き慶喜は駿府(静岡)に居住。写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味三昧の生活を送った。

 
 1897年(明治30)に東京・巣鴨に移り住み、皇居に参内して明治天皇に拝謁している。1902年(明治35)に公爵に叙せられ、貴族院議員に就く。1910年(明治43)家督を譲って貴族院議員を辞し、隠居して再び多趣味の生活を送る。1913年(大正2年)、歴代将軍では最高齢の享年77(満76歳)で死去。

 徳川慶喜公屋敷跡について、本ブロク「池袋周辺の史跡めぐり-その2」に記事がある。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/2-4ddc.html

 

 歴代将軍は、徳川家の菩提寺である芝・増上寺か、上野・寛永寺に埋葬されている。朝敵となった身を赦免し、華族の最高位である公爵を授けてくれた明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀や墓を仏式ではなく神式で行なうよう遺言したのだという。慶喜の墓は、谷中霊園に皇族と同じような円墳が建てられた。

 明治維新は、フランス革命やロシア革命のような革命だったのだろうか。勤王と佐幕の争い、鳥羽伏見や戊辰戦争で多くの血が流された。政治システムが改変し、武士階級を廃して四民平等の社会になった。しかし、責任者の松平容保や徳川慶喜は許された。

 

 台東区のまちかど賞の「観音寺の築地塀」に寄り、「朝倉彫塑館」前を通って、久しぶりに「夕焼けだんだん」へ。

 岩崎邸から「夕焼けだんだん」まで、休憩を入れて所要時間は約1時間40分。

 

 15:45~、「夕焼けだんだん」から「谷中銀座」の通りを20分ほど散策。相変わらず、地元の買い物客と観光客で混み合っている。 

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 夕方の4時ころ、夕陽がだいぶ傾いてきた。

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 谷中についての関連記事が、本ブログ「谷中界隈」に掲載している。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-dd45.html

 

 このあと「初音小路」を覘いて、16:15日暮里駅に着。

 上野駅から日暮里駅まで、歩数計で約6~7Kmを歩いたことになる。

 

 ★ ★ ★

 この日は下見で、2日後の本番でまた来るつもりだったので、写真をあまり撮ってなかったのと、この記録の下書きを年末の多忙で忘れていた。

 あれから1か月半ほども経ってしまい、中途半端な記事になってしまった。

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