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2014年2月の4件の投稿

2014年2月26日 (水)

「永遠の0」-その2

 ブログ記事-映画「永遠の0」の続き。

 

 百田直樹(ひゃくたなおき)氏の小説と映画『永遠の0』は、なぜ大ヒットしているのか。映画を観る2日前の2月17日講談社文庫を購入し、25日に読み終えた。
 

 放送作家の百田氏は、2006年に『永遠の0』(太田出版)を発表、小説家としてデビュー。2009年に講談社から文庫本化。2013年12月東宝により映画公開。現在410万部を突破。また小説『海賊とよばれた男』では、2013年本屋大賞を受賞している。

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 小説は、航空戦史と空戦が、詳しく描かれている。軍上層部に対して、兵の命を軽んじ、作戦や判断を誤り、責任は誰もとらない官僚主義を批判。マスコミについても、戦前・戦中は愛国心を煽り、戦後は手のひらを反して反日、愛国心の否定、戦死者を悪者扱いにする報道も批判している。

 宮部久蔵のように戦いを避け、「生きて帰りたい」と言うパイロットは、実際いたのだろうか。その彼がなぜ特攻に志願したのか、その理由は読者に委ねている。十一章の特攻出動、最終十二章の戦後の松乃の生活で、どんでん返しに思わず引き込まれていく。

 「特攻は自爆テロと同じ」と言う新聞記者に戦友が反論する。映画では健太郎が合コンで友人と言い合う場面に置き換わっている。また別の戦友が、戦後ヤクザとなって登場する。そのヤクザは原作にもあるが、物語が軽い感じになってしまって、がっかりする。映画で、宮部が松乃との最後の別れのシーンや、零戦に乗った幻の宮部が飛んで来て健太郎の頭上で敬礼するエンディングは、小説にはないが心を打つ。

 映画では零戦や空母、戦闘シーンがリアルに表現され、ミーハー心が刺激されたが、小説では私の少年時代に吸収した戦史が、詳しく展開されていくので興味深かった。

 

 ★ ★ ★

 安倍晋三首相の「お友だち」が多数送り込まれたNHK経営委員会は、NHK会長に元日本ユニシス社長の籾井勝人(もみいかつと)氏を決めた。氏は今年1月25日の会長就任会見で、慰安婦問題や秘密保護法をめぐる発言、理事の辞表集めなど言動が問題となり、国会でも追及。その後もどこが悪いのかと居直っている。即刻辞任すべきだ。

 経営委員で埼玉大名誉教授・長谷川三千子氏は、20年前に拳銃自殺した新右翼活動家・野村秋介氏を追悼文で礼賛。これは、言論機関へのテロを称賛するもので、経営委員には不適格だ。氏は、安倍首相の応援団を自認、夫婦別姓や男女共同参画に反対、象徴天皇制を否定し絶対天皇制を唱えている。

 同じく経営委員の百田尚樹氏は今月3日、東京都知事選候補の田母神氏の応援演説に駆けつけ、他候補者たちを「人間のクズ」という暴言をした。また南京大虐殺の存在を否定、どの国でも残虐行為はあったなどと明言。国会や市民団体から、公共放送の不偏不党の立場に抵触との批判が出ている。氏は、安倍首相に非常に近いとされる中の一人で、憲法改正、日本軍創設を主張している。

 これまでNHKの放送内容が偏向しているとして、NHK経営委員や会長選任に当たっては安倍政権の意向が強く働いている。このような暴言を平気するような人達が会長、経営委員を務めるとは、NHKの政治的中立、公平性は失われてしまう。

 

★ ★ ★

 この作品は、戦争を美化、特攻を賛美しているようには見えないが、少なくとも反戦ではない。戦争を題材に、零戦の戦闘シーンや特攻の悲劇、そして多くの人に感動を与えるエンターテイメントと言える。直木賞作家の石田衣良(いしだいら)氏は、『永遠の0』や『海賊とよばれた男』などについて、ソフトに愛国心を強める「右傾エンタメ」と呼んでいる。

 戦場で倒れた人たちへの哀悼・尊敬の意を表するのは当然だが、戦争の悲劇と感動の先には英霊への感謝、A級戦犯の名誉回復、侵略戦争自体の否定といった伏線がある。作者の思想的背景を考えると、作品のヒットは現安倍内閣とは無関係ではない。こういった作品が底流にあって、日本のリーダーの右傾化、国家主義が、日本人の心と日本の社会に静かに浸透し始めているのではないかと、危惧せざるを得ない。

2014年2月24日 (月)

映画「永遠の0」

 2014年2月19日(水)、映画『小さいおうち』のあと、続いて映画『永遠の0(ゼロ)』を観る。


 原作者の百田直樹(ひゃくたなおき)氏は、2006年に『永遠の0』(単行本、太田出版)を発表、小説家としてデビュー。その後、2009年に講談社から文庫本化。2012年には100万部を突破。東宝による映画化が決定した。百田氏は、2013年には『海賊とよばれた男』で、本屋大賞を受賞している。

 映画『永遠の0』は、昨年12月21日公開。監督は、特撮で有名な『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズの山崎貴監督。

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 司法試験に何回も落ちてニート状態の健太郎(三浦春馬)は、祖母・松乃の葬儀の席で会ったことのない実の祖父・宮部久蔵(岡田准一)の存在を聞く。太平洋戦争の終戦間際に特攻隊員として出撃したゼロ戦パイロットだった祖父のことが気に掛かり、フリーライターの姉(吹石一恵)とともに、祖父のかつての戦友たちを訪ねる。

 卓越したゼロ戦の操縦技術を持ち、誰よりも死ぬことを恐れていた男は「海軍一の臆病者」と呼ばれ、生きて帰ることのにこだわった人だったという酷評を聞く。やがて、それは妻の松乃(井上真央)と生まれたばかりの娘の清子(後に健太郎の母となる風吹ジュン)のもとに帰ってくるという約束であった事がわかる。

 しかし最後に特攻に志願したのはなぜなのか。物語の終盤は急展開して、60年もの間隠されてきた衝撃の真実を、健太郎は知ることになる・・・。

 ★ ★ ★

 この映画も144分と長い。とにかくCGやVFX(Visual Effects、視覚効果)によるゼロ戦や空母「赤城」、そして戦闘シーンが極めてリアルに表現されていて驚く。確かに演出家のテリー伊藤がいう「男のミーハー心」が刺激され、実際の戦闘を擬体感できる。そして、現代とは違う「あの時代の愛の形」・・・必ず帰ってきますということが、愛しているという意味・・・が、物語のバックボーンとして表現されている。

 脚本は山崎監督と脚本家の林民夫氏が書き 、百田氏はそれを読んで映画化を了承、何度かやり取りして最終稿となったようだ。

 『永遠の0』は、何故大ヒットしているのか?・・・。原作者の人物像からか、戦争を美化、特攻を賛美しているという批判も聞く。作者は、戦争を知らない若い世代に、戦争の真実を語り継ぎ、自分が今生きていることがすばらしいことかことだと、訴えている

 映画を観る2日前から、原作の講談社文庫『永遠の0』を買い、読みはじめた。

 以下、次回のブログ記事に続く。

2014年2月20日 (木)

映画「小さいおうち」

 2014年2月19日(水)、映画『小さいおうち』を観る。

 

 2月8日(土)は、近くの里山に登山の予定だったが、東京・関東は数10年ぶり(報道機関によって異なり、13年ぶり~45年ぶり?)という大雪になってしまい、中止。その日の都心の積雪は27cm、埼玉県熊谷市で43cmだった。

 翌週の土曜日15日は、これも前日からの大雪で、東京都心で26cm、熊谷市は、先週を上回る62cmの積雪となった。先週の雪が残る甲府市では114cmに達し、1894年の観測開始以来最多の積雪を記録したそうだ。

 15日は、「十日町雪まつり」(新潟県十日町市)に行くつもりだったが、大雪で中止。北陸や東北地方は大荒れで、十日町の雪まつりは一部のイベントが中止されたそうだ。関越自動車道も交通止めだった。東京・関東では、電車、飛行機などの交通機関が乱れが相次ぎ、道路も物通が滞り、スーパーやコンピのパン、おにぎりや弁当が品切れになった。秩父の山間部集落では陸の孤島になってしまったところもある。

 土曜日は、自宅の周りや前の道路の雪かき作業で、大変な1日だった。雪はまだ解けずに庭や屋根の上にまだ残る。道路の両側は除雪した雪がうずたかく積まれている。これほどの大雪の経験は、過去ほとんどない。

 

 ★ ★ ★

 ということで、2月には旅行を2回も中止したため、予定したブログ・ネタがなくなった。

 17日の朝日新聞朝刊を見ると、「黒木華(はな)さん女優賞」の見出しで、「第64回ベルリン国際映画祭の授賞式が15日(日本時間16日未明)に開かれ、コンペティション部門で山田洋次監督の『小さいおうち』に出演した黒木華さん(23)が最優秀女優賞(銀熊賞)に輝いた。」とある。日本人俳優の受賞は、1964年左幸子、1975年田中絹代、2010年の寺島しのぶに続き、黒木華は4人目となるそうだ。

写真・図版
  (2014年 ロイター/Thomas Peter)

 

 そうだ。何かと忙しくて、しばらく映画を見ていなかった。この受賞作品は見ておかねばと、あわてて映画館に行く。

 『小さいおうち』は、第143回直木賞を受賞した中島京子の小説を、『母べえ』や『東京家族』など家族の絆を描き続けてきた山田洋次監督が映画化。昭和初期から第2次世界大戦にかけての東京を舞台にしたラブストーリー、といっても不倫の物語。

Poster

  ひとりの青年が、女中だった亡くなった親類の女性が遺した大学ノートを通じて、昭和初期の東京山の手に建つ赤い屋根の小さいおうちで、繰り広げられた様々な出来事と恋愛模様に触れ、その裏に秘められた意外な真実を知る。

 

 

 ★ ★ ★

 学生の健史(妻夫木聡)は、晩年のタキ(倍賞千恵子)の面倒を見ながら、大学ノートに彼女の自叙伝を書くのを勧める。

 昭和11年、尋常小学校を出て山形の田舎から奉公に来た若き日のタキ(黒木華)は、東京の郊外に建つ赤い三角屋根の小さくてモダンな屋敷を構える平井家の女中として働く。
 そこには、主人で玩具会社役員・雅樹(片岡孝太郎)、美しい妻の時子(松たか子)と、男の子が暮らす。気さくで優しい時子は、タキにいろいろなことを教え、タキは時子を慕い、彼女と男の子のために献身的に尽くす。
 タキは、穏やかな平和な彼らの生活とともに、幸せな時を過ごしていた。やがて旦那様の部下で新入社員の板倉(吉岡秀隆)という青年が現われ、時子の心が引かれていくのに気付く。

 
 しだいに戦況が悪化し、旦那様の会社の経営も厳しくなる。そんな戦時体制の中で、板倉と時子の密会が噂になり始める。丙種として兵役を免除されていた板倉にも、やがて召集令状が届き、平井家に別れを告げにやって来る。
 クライマックスは、タキは時子のことを思って、二人きりで最後の別れをさせたい気持ちと、これ以上不倫を続け噂を広げたくないという気持ちで、女心が揺れ動く。

 そして昭和20年5月の東京大空襲で、赤い三角屋根の屋敷は焼失、旦那様と時子は庭の防空壕で亡くなっていた。

 
 
 社会人になった健史は、恋人のユキ(木村文乃)とともに亡くなったタキの大学ノートを読み返し、板倉と平井家のその後と、タキが明かさなかった秘密を知ることになる。

 

 ★ ★ ★

 136分もあって作品としては長いほうだが、あっという間に終わった。昨年公開の山田監督映画『東京家族』にも出ていたキャストには、妻夫木のほか、吉行和子、橋爪功、小林稔侍、中嶋朋子、夏川結衣、林家正蔵がいる。

 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-1fb5.html

 戦前の東京のほとんどの中流家庭には、田舎から出てきたお手伝いさん(女中)がいたという。たしかに昔は、そんな家もあったようだが、今の大多数の家庭が中流というのとは訳が違う。戦前は、東京と地方の格差は大きかったし、当時(戦後20年間くらいまで)は中流と言っても、全世帯の数パーセント以下ではなかったのではないかと思う。

 戦前の歴史が頭の中でしかない大学生の健司が、タキの自叙伝を見て、「昭和11年の2.26事件、昭和12年の南京陥落の時代は暗かったはずだ。そんなに明るくて楽しいはずはない。もっと正直に事実を書いてくれ。」と言う。しかし、まだ東京オリンピック開催計画、南京陥落の提灯行列や百貨店大売り出しがあったりで、中流家庭やタキにとっては、まだ内地は平和で楽しい思い出があったというのは、うなずける。また「昭和16年には食料が配給制となり、学徒出陣があった昭和18年に、肉が食えたはずがない。」という健司に対して、タキはヤミで肉も流通していたと反論する。

 主役は、倍賞千恵子や松たか子ではなく、女優賞の黒木華だ。山田監督が言うように、黒木華は、確かに地方から出てきた戦前の昭和の女性の雰囲気がある。地味で控えめ、スッピンでかっぽう着を着た女中を演じる黒木華は、まだ経験の浅い女優にしては、演技が光っていた。

 

2014年2月 2日 (日)

上野・谷中界隈

 2013年12月17日(火)、上野駅から旧岩崎邸、上野公園、谷中霊園、谷中銀座を経て日暮里駅まで歩く。

 この日は、2日後の19日に実施する本番の下見。本番は、午前中浅草の「羽子板市」を見物した後、上野駅から日暮里駅まで歩く予定だったが、残念ながら雨天で中止した。

 

 ★ ★ ★

 この日午前中は、六本木の富士フィルムスクエアで、「美しい風景写真100人展」を鑑賞。

 12:50、上野駅に到着。UENO3153ビル2階の「ペッパーランチダイナー」で、ステーキ960円(税抜き)を注文、腹ごしらえ。

 少し道を間違えたが、13:50「旧岩崎邸庭園」に入園(入園料400円)する。都立の庭園で、東京都公園協会が運営している。ここは、上野駅不忍口からだと、徒歩で15分くらいのところにある。

 敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であったそうだ。1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入。園内の歴史的建造物は、岩崎財閥3代の岩崎久弥によって英国人ジョサイア・コンドルが設計、1896年(明治29年)に竣工した。

 旧岩崎邸の敷地は、不忍池の南西方向の台東区池之端一丁目に位置するが、「旧岩崎邸庭園」として公開されているのは、旧邸宅敷地の一部にすぎずないという。

 
 現存するのは洋館、撞球(どうきゅう、ビリヤード)室、和館の3棟、国の重要文化財に指定されている。

 洋館の北側正面。

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 洋館の南東側から。南面は1、2階とも柱が並ぶベランダが設けられている。

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 撞球室の建物。

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 和館。

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 館内は撮影禁止。時間もないので館内に入らず、庭から建物を見学。芝生の庭園は、桜、新緑、紅葉の時期なら絵になるだろうが、今の時期は何もない。
 館内での写真撮影の要望が多いことから、特別に洋館2階に限り、2月1日~2月28日に撮影可能な期間を設けたと東京都公園協会のホームページにある。

 旧岩崎庭園は今回初めてだったが、館内の見学を含め、庭の景色がきれいな時期にまた来てみたい。

 14:20~14:30、上野不忍池の弁天堂島で休憩。

 小鳥の鳴き声がうるさい。よく見ると、近くの木の枝にすずめがやたらと止まっている。

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 木の幹や低木の枝などにもいて、近くに寄っても逃げない。

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 おじさんがすずめに餌をやっているので、集まってきているのだ。上野公園内の鳩もそうだが、餌付けを禁止されているはず。暇なおじさんは餌の入った袋を隠し持っていて、警備員の目を盗んで、毎日餌やりをしているようだ。

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 不忍池の鴨(オスとメス)は、寒そうにしている。

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 他にユリカモメやカワウなど、多くの野鳥にとっても都会のオアシス。

 14:50、東京芸大の「奏楽堂」前を通過。

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 15:00、旧吉田屋酒店前を通過。ここは、台東区立の下町風俗資料館付設展示場になっている(写真を撮りそこねた)。

 15:10、谷中霊園の桜並木通りの右手に「徳川慶喜の墓所」入り口がある。

 慶喜の墓所に行く。道が分かりにくい。墓所から通りに戻る時も、しばらくウロウロする。

 墓所は葵の御紋があり、柵や塀で囲まれている。東京都教育委員会の説明板もあった。

 柵の間から覗いてみる。よく見る墓石ではなく、「正一位勲一等徳川慶喜之墓」と書いた石柱の横に、円墳のように小石を積んだ形の墓である。(慶喜の墓所の写真を撮ったつもりていたが、後で見ると撮ってなかった。)

 戊辰戦争の終結後、慶喜は謹慎を解かれたが、引き続き慶喜は駿府(静岡)に居住。写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味三昧の生活を送った。

 1897年(明治30)に東京・巣鴨に移り住み、皇居に参内して明治天皇に拝謁している。1902年(明治35)に公爵に叙せられ、貴族院議員に就く。1910年(明治43)家督を譲って貴族院議員を辞し、隠居して再び多趣味の生活を送る。1913年(大正2年)、歴代将軍では最高齢の享年77(満76歳)で死去。

 徳川慶喜公屋敷跡について、本ブロク「池袋周辺の史跡めぐり-その2」に記事がある。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/2-4ddc.html

 歴代将軍は、徳川家の菩提寺である芝・増上寺か、上野・寛永寺に埋葬されている。朝敵となった身を赦免し、華族の最高位である公爵を授けてくれた明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀や墓を仏式ではなく神式で行なうよう遺言したのだという。慶喜の墓は、谷中霊園に皇族と同じような円墳が建てられた。

 明治維新は、フランス革命やロシア革命のような革命だったのだろうか。勤王と佐幕の争い、鳥羽伏見や戊辰戦争で多くの血が流された。政治システムが改変し、武士階級を廃して四民平等の社会になった。しかし、責任者の松平容保や徳川慶喜は許された。

 台東区のまちかど賞の「観音寺の築地塀」に寄り、「朝倉彫塑館」前を通って、久しぶりに「夕焼けだんだん」へ。

 岩崎邸から「夕焼けだんだん」まで、休憩を入れて所要時間は約1時間40分。

 15:45~、「夕焼けだんだん」から「谷中銀座」の通りを20分ほど散策。相変わらず、地元の買い物客と観光客で混み合っている。 

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 夕方の4時ころ、夕陽がだいぶ傾いてきた。

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 谷中についての関連記事が、本ブログ「谷中界隈」に掲載している。

  http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-dd45.html

 このあと「初音小路」を覘いて、16:15日暮里駅に着。

 上野駅から日暮里駅まで、歩数計で約6~7Kmを歩いたことになる。

 

 ★ ★ ★

 この日は下見で、2日後の本番でまた来るつもりだったので、写真をあまり撮ってなかったのと、この記録の下書きを年末の多忙で忘れていた。

 あれから1か月半ほども経ってしまい、中途半端な記事になってしまった。

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