新橋・品川界隈
2014年1月26日(日)、新橋・品川界隈の史跡を巡る。
JR「新橋駅」日比谷口から10:10出発。
●浅野内匠頭切腹の地(10:22)
日比谷通りの新橋4丁目交差点脇の歩道に、「浅野内匠頭終焉之地」の石碑がある。1701年(元禄14年)3月14日、浅野内匠頭は江戸城松の廊下で吉良上野介を相手に刃傷沙汰を起こした。この地にあった田村邸(奥州一之関藩主)に預けられ、即日切腹となった。
藩主である浅野内匠頭は、座敷ではなく、庭先で切腹させられたという。切腹場が、ちょうど石碑の建っている所ではないと思うが、都会の歩道脇では当時の面影は全くない。
石碑のそばにある説明板には、以下のように書いてある。
史蹟 旧・田村右京太夫屋敷跡にして
元禄十四年(辛巳三月十四日)に
浅野内匠頭の自刃せし所なり
辞世 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせん
東 京 都
田村新交町會
●愛宕神社(10:39)
「出世の石段」と呼ばれる40度の急勾配の石段を登る。下を振り返ると足がすくむ。足元がふらつくのではないかと緊張する。
この石段は、講談で有名な曲垣平九郎(まがき・へいくろう)のエピソードがある。1634年(寛永11)、3代将軍家光が増上寺参詣の帰り、愛宕神社下を通ると、山上に源平の梅が咲き誇っていた。「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」との命令に、急勾配の石段にたじろぐ家臣を尻目に、四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が馬上一気に駆け上がり、「日本一の馬術の名人」と讃えられた。
愛宕神社は東京十神社の一つで、1603年(慶長8年)家康の命により防火の神様として祀られる。標高26mの愛宕山の山頂にあり、23区内で自然の地形としては最高峰。都心の中に残った四季折々の自然は、都民のオアシス。
NHKがこの愛宕山に放送局を置き、1925年(大正14)本放送を始めた場所。現在はNHK放送博物館がある。
帰りは、愛宕山エレベーターで山を降りる。周りの高層ビル、近くの東京タワーや「増上寺」を見ながら、11:00頃都営三田線「御成門駅」着。「三田駅」で都営浅草線に乗換え「泉岳寺駅」下車。
泉岳寺駅の地下構内には、47人の赤穂義士の名前が書いてある。
●泉岳寺(11:28~)
泉岳寺は、曹洞宗の寺院で、浅野内匠頭と赤穂義士47士の墓がある。山号は万松山。
殿中で刃傷事件を起こし、切腹した主君・浅野内匠頭の仇を報ずるため、1702年(元禄15)12月14日、元筆頭家老の大石内蔵助は46人の元藩士と共に吉良邸に討ち入った。吉良上野介の首級を、この泉岳寺の内匠頭の墓前に捧げた後、一同は4家に分けて預けられ、翌年2月2日に切腹した。
中門を入ると、右手に大石内蔵助像がある。
これが「泉岳寺」の山門、この先に本堂があり、左手に赤穂義士墓地がある。
浅野長矩公之墓(浅野内匠頭の墓)。隣に、長矩公夫人之墓(つまり瑶泉院・阿久里の墓)もある。
赤穂義士の墓(一部)と、正面に大石内蔵助の墓。
泉岳寺駅には何回か来たことがあったが、近くの泉岳寺にはついつい行きそびれていた。墓の入り口で、線香が100円で売られている。「忠臣蔵」は、日本人の「義理・人情」の心の世界にも訴えた事件として、永遠に語り継がれるのだろうか。線香の煙と多くの参拝客が絶えない。
●麺達七人衆-品達ラーメン(12:00~)
泉岳寺から、国道第一京浜を品川駅まで歩いて、駅周辺で昼食。
全国にその名を轟かせる有名ラーメン7店が、品川駅高輪口から徒歩1分の場所に集結しているという。そのラーメン横丁の中の「せたが屋品川店」に入る。昼時とあって、しばらく待たせられたが、せたが屋ひらつけ麺(玉子入り)1,050円を注文。麺達と呼ばれるように確かにうまい。店を出るころには、長い行列ができていた。
●高浜運河から天王洲運河
御楯(みたて)橋、楽水橋、天王洲橋の運河沿いの遊歩道を歩き、北品川橋へ。
品川浦にかかる北品川橋を渡る。漁船や屋形船などの船溜まりがある。
●利田(かがた)神社の鯨塚(13:37)
北品川橋を渡って左折し、八ツ山通りを100mほど歩くと、「利田(かがた)神社」がある。
1798年(寛政10)、暴風雨によって品川沖に一頭の鯨が迷い込み、品川浦の漁師たちに捕らえられた。その知らせが江戸中に伝わると、大勢の見物人が押しかけ、ついには11代将軍徳川家斉(いえなり)までが上覧する。
その後弱って死んだ鯨は、漁師たちが解体して油をとり、骨を目黒川河口付近の利田神社境内に埋め、鯨の供養碑「鯨塚」を建てた。
この三角型の石が鯨塚(鯨碑と書いてある)。鯨の大きさからいって、大きい塚や大きい神社を想像していた。この塚(石碑)はオリジナルで、岩の表面が剥がれ落ち文字が消えているという。
当時の俳人・谷素外の
「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」
の句が刻まれていたそうだ。
「夏(5月)の鯨は、江戸中に名を轟かせ、将軍にも拝謁したのだから、死んでも冥加(神仏の恩恵)を得て、成仏するだろう」という意味か。
このオリジナル塚の左横には、新しい鯨塚(石碑)が建っていて上の句があった。日本各地には、「鯨塚」、「鯨墓」や「鯨碑」といったものが、多数存在するというが、東京では唯一ここだけだそうだ。
この「寛政の鯨」については、本ブログ「天王洲アイルと築地本願寺」にも関連記事を書いている。
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-803d.html
鯨塚のそばの歩道にあった現代に作られた鯨のモニュメント。
●旧東海道北品川宿(13:50~)
現在品川区の北品川本通り商店街。品川宿は、日本橋から二里の1番目の宿場だった。品川宿は、目黒川を挟んだ南品川宿、北品川宿と歩行(かち)新宿とで構成され、宿内には1600軒、7000人が住んでいたという。また吉原と並んで遊興の場所としても活気があった。
道路の狭い幅は街道らしいが、昔の面影は見当たらない。一本東側の道は、海岸線だった。
●問答河岸跡(13:51)
北品川の「旧東海道北品川宿跡」の道角に、「問答河岸跡」という旧跡がある。
三代将軍徳川家光が、附近にある「東海寺」を訪れた際、ここで沢庵禅師と問答をしたとされる。
石碑の左横にある説明板は、文字がかすれて読めない。写真に撮って、あとで拡大して見た。全部は読めなかったが、概略次のような内容のようだ。
寛永の頃(1640年頃)のある日、将軍家光が船に乗って品川沖を経て、目黒川河口に停泊、東海寺を訪れた。
帰り際、沢庵禅師は河畔に立って将軍を見送ろうとした時、家光が「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」と問うた。
禅師はすかさず「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」と切り返したという。
将軍は笑って、船に乗って帰って行った。
それから300年の時を経て地勢も変わり、海や川も遠くなったけれども、人々がこれを伝えて、ここを「問答河岸」と呼んだ。
説明板の最後には、以下のように書かれている。
昭和四十三年仲秋
衆議院議員 宇都宮徳馬書
●一心寺(4:01~)
北品川宿にある真言宗智山派寺院「一心寺」に寄る。江戸三十三観音霊場30番札所、東海道七福神の寿老人。
●本陣跡-聖蹟公園(14:06 ~)
大名、旗本、公家などが休息した品川宿の本陣跡は、「聖蹟公園」となっている。明治維新のときに、京都から東京に移る明治天皇が宿泊したという事から「聖蹟(跡)」という名前になっている。
聖跡公園は遊具などのある小さい児童公園だが、ちょうど商店街の主催だろうか、フリーマーケットなどの「北品まつり」というのをやっていた。
公園の東側には、「御聖蹟」を示す石碑、説明板や銅像が建ち並んでいる。
●東海寺(14:27~)
臨済宗の寺院。1639年(寛永16) 三代将軍徳川家光の信任をうけていた但馬国の沢庵禅師(前出の「問答河岸跡」)を招聘して開山。山号は万松山。
寺領5,000石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、芝・増上寺、上野・寛永寺と並んで徳川家の庇護を受けたが、今はひっそりと静まり返っていて人影はない。
●品川神社(14:41~)
品川区北品川にある神社。東京十社のひとつで、東海七福神の1社として、大黒天を祀る。
品川神社は、1185年(文治3年)に源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神を勧請して創建。品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。
墓石のそばには、「板垣死すとも自由は死せず」の石碑がある。
15:02、最寄り駅の京急「新馬場(しんばんば)駅」に到着。JR品川駅で乗換えて池袋へ。
●雑司ヶ谷鬼子母神(16:15~)
新年会まで時間があるので、池袋駅東口から、雑司ヶ谷の鬼子母神まで往復。
雑司ケ谷鬼子母神についての関連記事が本ブログ「池袋周辺の史跡めぐり-その1」にある。
http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-e97a.html
池袋駅東口周辺にある「肴や池袋駅東口店」に開店前の16:40頃に行き、新年会。
19:00過ぎ、解散。
歩数計によると、この日の歩程はおよそ約2万3千歩、14Kmだった。
今回の「新橋・品川界隈」は、恒例になった東京の名所・旧跡を巡る新春ウォーキングのシリーズ。特に江戸の歴史・文化を学ぶ場と機会は、貴重である。企画・案内してくれた幹事に感謝。
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