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2014年1月の2件の投稿

2014年1月31日 (金)

新橋・品川界隈

 2014年1月26日(日)、新橋・品川界隈の史跡を巡る。

 

 JR「新橋駅」日比谷口から10:10出発。      

●浅野内匠頭切腹の地(10:22)       

 日比谷通りの新橋4丁目交差点脇の歩道に、「浅野内匠頭終焉之地」の石碑がある。1701年(元禄14年)3月14日、浅野内匠頭は江戸城松の廊下で吉良上野介を相手に刃傷沙汰を起こした。この地にあった田村邸(奥州一之関藩主)に預けられ、即日切腹となった。

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 藩主である浅野内匠頭は、座敷ではなく、庭先で切腹させられたという。切腹場が、ちょうど石碑の建っている所ではないと思うが、都会の歩道脇では当時の面影は全くない。

 石碑のそばにある説明板には、以下のように書いてある。

  史蹟 旧・田村右京太夫屋敷跡にして
      元禄十四年(辛巳三月十四日)に
      浅野内匠頭の自刃せし所なり

  辞世 風さそふ 花よりもなほ 我はまた
      春の名残を いかにとやせん

               東  京  都
               田村新交町會
 

 

●愛宕神社(10:39)   

 「出世の石段」と呼ばれる40度の急勾配の石段を登る。下を振り返ると足がすくむ。足元がふらつくのではないかと緊張する。

 この石段は、講談で有名な曲垣平九郎(まがき・へいくろう)のエピソードがある。1634年(寛永11)、3代将軍家光が増上寺参詣の帰り、愛宕神社下を通ると、山上に源平の梅が咲き誇っていた。「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」との命令に、急勾配の石段にたじろぐ家臣を尻目に、四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎が馬上一気に駆け上がり、「日本一の馬術の名人」と讃えられた。   

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 愛宕神社は東京十神社の一つで、1603年(慶長8年)家康の命により防火の神様として祀られる。標高26mの愛宕山の山頂にあり、23区内で自然の地形としては最高峰。都心の中に残った四季折々の自然は、都民のオアシス。

 NHKがこの愛宕山に放送局を置き、1925年(大正14)本放送を始めた場所。現在はNHK放送博物館がある。

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 帰りは、愛宕山エレベーターで山を降りる。周りの高層ビル、近くの東京タワーや「増上寺」を見ながら、11:00頃都営三田線「御成門駅」着。「三田駅」で都営浅草線に乗換え「泉岳寺駅」下車。

 

 泉岳寺駅の地下構内には、47人の赤穂義士の名前が書いてある。

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●泉岳寺(11:28~)

 泉岳寺は、曹洞宗の寺院で、浅野内匠頭と赤穂義士47士の墓がある。山号は万松山。

 殿中で刃傷事件を起こし、切腹した主君・浅野内匠頭の仇を報ずるため、1702年(元禄15)12月14日、元筆頭家老の大石内蔵助は46人の元藩士と共に吉良邸に討ち入った。吉良上野介の首級を、この泉岳寺の内匠頭の墓前に捧げた後、一同は4家に分けて預けられ、翌年2月2日に切腹した。

 中門を入ると、右手に大石内蔵助像がある。

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 これが「泉岳寺」の山門、この先に本堂があり、左手に赤穂義士墓地がある。

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 浅野長矩公之墓(浅野内匠頭の墓)。隣に、長矩公夫人之墓(つまり瑶泉院・阿久里の墓)もある。

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 赤穂義士の墓(一部)と、正面に大石内蔵助の墓。

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 泉岳寺駅には何回か来たことがあったが、近くの泉岳寺にはついつい行きそびれていた。墓の入り口で、線香が100円で売られている。「忠臣蔵」は、日本人の「義理・人情」の心の世界にも訴えた事件として、永遠に語り継がれるのだろうか。線香の煙と多くの参拝客が絶えない。
 

 

●麺達七人衆-品達ラーメン(12:00~)

 泉岳寺から、国道第一京浜を品川駅まで歩いて、駅周辺で昼食。

 全国にその名を轟かせる有名ラーメン7店が、品川駅高輪口から徒歩1分の場所に集結しているという。そのラーメン横丁の中の「せたが屋品川店」に入る。昼時とあって、しばらく待たせられたが、せたが屋ひらつけ麺(玉子入り)1,050円を注文。麺達と呼ばれるように確かにうまい。店を出るころには、長い行列ができていた。

       

●高浜運河から天王洲運河

 御楯(みたて)橋、楽水橋、天王洲橋の運河沿いの遊歩道を歩き、北品川橋へ。        

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 品川浦にかかる北品川橋を渡る。漁船や屋形船などの船溜まりがある。

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●利田(かがた)神社の鯨塚(13:37)       

 北品川橋を渡って左折し、八ツ山通りを100mほど歩くと、「利田(かがた)神社」がある。

 1798年(寛政10)、暴風雨によって品川沖に一頭の鯨が迷い込み、品川浦の漁師たちに捕らえられた。その知らせが江戸中に伝わると、大勢の見物人が押しかけ、ついには11代将軍徳川家斉(いえなり)までが上覧する。

 
 その後弱って死んだ鯨は、漁師たちが解体して油をとり、骨を目黒川河口付近の利田神社境内に埋め、鯨の供養碑「鯨塚」を建てた。

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 この三角型の石が鯨塚(鯨碑と書いてある)。鯨の大きさからいって、大きい塚や大きい神社を想像していた。この塚(石碑)はオリジナルで、岩の表面が剥がれ落ち文字が消えているという。

 当時の俳人・谷素外の

  「江戸に鳴る 冥加やたかし なつ鯨」

の句が刻まれていたそうだ。

 「夏(5月)の鯨は、江戸中に名を轟かせ、将軍にも拝謁したのだから、死んでも冥加(神仏の恩恵)を得て、成仏するだろう」という意味か。

 このオリジナル塚の左横には、新しい鯨塚(石碑)が建っていて上の句があった。日本各地には、「鯨塚」、「鯨墓」や「鯨碑」といったものが、多数存在するというが、東京では唯一ここだけだそうだ。

 

 この「寛政の鯨」については、本ブログ「天王洲アイルと築地本願寺」にも関連記事を書いている。
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-803d.html

 鯨塚のそばの歩道にあった現代に作られた鯨のモニュメント。

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●旧東海道北品川宿(13:50~)

 現在品川区の北品川本通り商店街。品川宿は、日本橋から二里の1番目の宿場だった。品川宿は、目黒川を挟んだ南品川宿、北品川宿と歩行(かち)新宿とで構成され、宿内には1600軒、7000人が住んでいたという。また吉原と並んで遊興の場所としても活気があった。

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 道路の狭い幅は街道らしいが、昔の面影は見当たらない。一本東側の道は、海岸線だった。

 

●問答河岸跡(13:51)       

 北品川の「旧東海道北品川宿跡」の道角に、「問答河岸跡」という旧跡がある。

 三代将軍徳川家光が、附近にある「東海寺」を訪れた際、ここで沢庵禅師と問答をしたとされる。

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 石碑の左横にある説明板は、文字がかすれて読めない。写真に撮って、あとで拡大して見た。全部は読めなかったが、概略次のような内容のようだ。
       
 寛永の頃(1640年頃)のある日、将軍家光が船に乗って品川沖を経て、目黒川河口に停泊、東海寺を訪れた。
 帰り際、沢庵禅師は河畔に立って将軍を見送ろうとした時、家光が「海が近いのに、東(遠)海寺とはこれいかに」と問うた。
 禅師はすかさず「大軍を率いても将(小)軍と言うがごとし」と切り返したという。
 将軍は笑って、船に乗って帰って行った。

 それから300年の時を経て地勢も変わり、海や川も遠くなったけれども、人々がこれを伝えて、ここを「問答河岸」と呼んだ。

 説明板の最後には、以下のように書かれている。

    昭和四十三年仲秋
    衆議院議員 宇都宮徳馬書
 

 

●一心寺(4:01~)

 北品川宿にある真言宗智山派寺院「一心寺」に寄る。江戸三十三観音霊場30番札所、東海道七福神の寿老人。

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●本陣跡-聖蹟公園(14:06 ~)

 大名、旗本、公家などが休息した品川宿の本陣跡は、「聖蹟公園」となっている。明治維新のときに、京都から東京に移る明治天皇が宿泊したという事から「聖蹟(跡)」という名前になっている。

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 聖跡公園は遊具などのある小さい児童公園だが、ちょうど商店街の主催だろうか、フリーマーケットなどの「北品まつり」というのをやっていた。

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 公園の東側には、「御聖蹟」を示す石碑、説明板や銅像が建ち並んでいる。

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●東海寺(14:27~)

 臨済宗の寺院。1639年(寛永16) 三代将軍徳川家光の信任をうけていた但馬国の沢庵禅師(前出の「問答河岸跡」)を招聘して開山。山号は万松山。

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 寺領5,000石、境内地4万7000坪を賜った別格本山格の寺院で、芝・増上寺、上野・寛永寺と並んで徳川家の庇護を受けたが、今はひっそりと静まり返っていて人影はない。    

      
●品川神社(14:41~)

 品川区北品川にある神社。東京十社のひとつで、東海七福神の1社として、大黒天を祀る。

 品川神社は、1185年(文治3年)に源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神を勧請して創建。品川大明神と称し、今は社名を品川神社と改めた。

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 本殿の裏に、板垣退助の墓がひっそりとある。

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 墓石のそばには、「板垣死すとも自由は死せず」の石碑がある。

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 15:02、最寄り駅の京急「新馬場(しんばんば)駅」に到着。JR品川駅で乗換えて池袋へ。

 

●雑司ヶ谷鬼子母神(16:15~)

  新年会まで時間があるので、池袋駅東口から、雑司ヶ谷の鬼子母神まで往復。

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 雑司ケ谷鬼子母神についての関連記事が本ブログ「池袋周辺の史跡めぐり-その1」にある。

 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-e97a.html

 

 

 池袋駅東口周辺にある「肴や池袋駅東口店」に開店前の16:40頃に行き、新年会。

 19:00過ぎ、解散。  

 歩数計によると、この日の歩程はおよそ約2万3千歩、14Kmだった。

 

 

 今回の「新橋・品川界隈」は、恒例になった東京の名所・旧跡を巡る新春ウォーキングのシリーズ。特に江戸の歴史・文化を学ぶ場と機会は、貴重である。企画・案内してくれた幹事に感謝。

2014年1月24日 (金)

猪苗代湖と裏磐梯の冬景色

 2014年1月18日~19日、1泊2日で福島県の猪苗代湖と裏磐梯に行く。

 

  
 18日(土)の全国の天気予報では、気圧の谷や寒気の影響で、日本海側は午後から次第に雪。太平洋側は晴れ間があっても雲が多く、雪や雨のところも。福島県会津地方は、曇りの予報。

 まだ暗い5:15、自宅を出発。ワゴン車に同乗して東北道、郡山JCTから磐越道を走る。途中、大谷PAと五百川PAで休憩。

 磐越道の磐梯熱海ICを通過しトンネルを2、3つ抜けると、どんよりした曇り空となる。猪苗代磐梯高原ICで高速道を降りるころには、雪がチラホラ。近くに見える雄大な磐梯山は、中腹から雲に覆われている。雪はしばらくすると止む。

 

 約4時間かけて9:10頃、猪苗代湖畔の「天神浜」に着く。天神浜の近くには、学問の神様である菅原道真(天神様)を祀る神社「小平潟天満宮」がある。遠浅の砂浜が続く天神浜は、長瀬川の河口にできた砂州で、湖水浴場やキャンプ場として親しまれているそうだ。猪苗代湖を前景に、磐梯山を眺めるビュースポットでもある。

 天神浜駐車場に車を止め、南に約1Km、防風林の中を歩く。

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 20分ほど歩いて、「しぶき氷」のある湖岸に出る。猪苗代湖は氷結しないが、強い西風に吹き上げられた湖水の水しぶきが、岸辺の樹木に付着して凍りつく「しぶき氷」が有名。気温は-2℃(気象庁の観測記録から)。アマチュアカメラマンや観光客が、大勢来ていた。

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 しぶき氷は、厳寒期の1月~2月末頃に出現。風が強い、気温が低い、直近の積雪がないの3条件が揃えば、素晴らしい「しぶき氷」が見られる。今日のは、良い出来栄えだそうでで、陽が射すと白く輝いていた。
 

 写真は、猪苗代湖のしぶき氷と山頂に雲がかかった磐梯山。

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 10:50天神浜の駐車場を出て、 国道115号線沿いの 喜多方ラーメン「来夢(らいむ)猪苗代店」に入る(11:00)。久しぶりに喜多方ラーメンを食べる。玉子入り喜多方チャシュー麺、税込903円。

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 国道459号線と県道2号線を北上、裏磐梯の「曽原湖」湖畔にあるペンション「かぷりこ~ん」(福島県耶麻郡北塩原村桧原)に、12:10頃到着。

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 ここ北塩原村は、村名になんとなく違和感を覚えたが、やはり1954年(昭和29年)に三村合併により合成した名前。村の西部が北山村、中央部が大塩村、東部が桧原村だった。

 

 ★ ★ ★

 「猪苗代町」は南には猪苗代湖を湛え、磐梯山(ばんだいさん)、安達太良山(あだたらやま)、吾妻山(あずまさん)の活火山を抱える。福島県のほぼ中央に位置する「猪苗代湖」は、面積では琵琶湖、霞ヶ浦、サロマ湖に次ぐ。日本百景に選定されており、県を代表する観光スポット、マリンスポーツやキャンプなど家族連れなどの観光客が多い。北岸には宮家の別荘だった重要文化財の「天鏡閣」や「野口英世記念館」、東岸には白鳥の飛来地がある。

 

 「磐梯山」(標高1,816m)は、福島県耶麻郡(やまぐん)の猪苗代町、磐梯町、北塩原村の3町村にまたがる。「会津富士」や「会津磐梯山」とも呼ばれ、日本百名山。

 
 1888年(明治21年)の水蒸気爆発による噴火時に小磐梯が山体崩壊、発生した爆風と岩屑(がんせつ)なだれにより、北麓の多数の村落が埋没、死者477人の被害を及ぼした。
 また長瀬川とその支流がせき止められ、裏磐梯の「桧原湖」、「小野川湖」、「秋元湖」、「五色沼」をはじめ、大小さまざまな湖沼が、この時に形成された。

 猪苗代湖がある磐梯山南側の「表磐梯」に対して、磐梯山の北麓に位置する地域は「裏磐梯」と呼ばれ、夏は登山、秋は紅葉、冬はスキーなど、観光客が多く訪れる。「桧原湖」は、冬場は氷結した湖上でのワカサギ釣り、夏場はバスフィッシングなどでにぎわうそうだ。

 

 ★ ★ ★

 ペンションには、到着が早すぎてチェックインできないため、しばらく周辺を散策。

 

 雪に中にひときわ目立つ赤い実は、ナナカマド。秋から鳥類によく食べられず、残っているのが不思議だ。

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 更に車で、ペンションから北へ600mにある「曲沢沼(まがりさわぬま)」まで行ってみる。

 凍結した湖面に奇妙な雪のコブがいくつもある。観光協会のパンフに、「曲沢沼は紅葉が湖面に映し出される絶景ポイントとして有名」とある。その紅葉写真を見ると、磐梯山噴火で湖底に沈んだ樹木が湖面から顔を出している。冬に沼が氷結、雪が積もり、コブができているようだ。

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 13:30、宿泊するペンションにチェックインして、一休み。1時間後、ペンションオーナーの案内で、ワゴン車で雪景色の散策に出発。

 「小野川湖」東岸に流れ込む小野川の渓流と滝を観る。膝上まで足がもぐることもあるので、雪の踏み跡を注意して歩く。

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 次に車で移動して、小野川発電所付近から「秋元湖」を望む。

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 16:30頃、ペンションに戻る。入浴後、18:00~夕食。翌朝早いので、就寝は22:00。

 

 明日19日(日)の天気予報では、冬型の気圧配置が強まり、日本海側は山沿いを中心に大雪となり、関東や近畿、山陽にかけての平野部でも雪の積もる所がある見込み。会津地方は一日中、雪マークになっている。

 

 ★ ★ ★

 19日(日)、5:00起床。外を見ると雪はさほど降っていない。

 6:00、防寒・雪上装備は万全を期して、ワゴン車で出発。 北へ180m、車で1分ほど先の曽原湖畔の道路から、夜明け前の林の風景。午前6時の気温は、-7℃。

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  小野川湖の東側湖畔にある「ホテル小野川荘」付近の高台から、南東方向から出る日の出を待つ。雲に覆われた磐梯山(右手)の日の出前の6:40頃。

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 やがて、黒い雪雲が空一面に広がり、6:50頃の日の出は拝めず。

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 そのうちに、雪は本降りとなる。

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  帰りにペンション周辺で下車し、雪の中を付近を散策しながら帰る。

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 7:50、ペンション着。8:00~、早起きして歩いた後の朝食はおいしい。

 9:20、チェックアウト。ワゴン車で出発。

 


 昨日の「曲沢沼」の雪コブをもう一度見に行ったあと、ワカサギ釣りに来た思われる車と何台かすれ違う。釣りの様子を見てみようと、「桧原湖」に向かう。

 道路から見る桧原湖の湖面の遠くに、釣り用テントが林立している。降雪で良く見えない(10:30頃)。

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 道の駅「裏磐梯」で、10分休憩。

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 再び小野川湖の西岸付近に行き、一部が凍結した川やナナカマドを撮影。この時刻の頃(12時)の気温-5℃。

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 新雪をかぶったナナカマドの赤い実。

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 帰路、猪苗代町の県道2号線沿いにある手打ち蕎麦「十楽」で昼食。

 エビ天蕎麦¥1,350、大盛りもり蕎麦¥900などを注文。新しい建物の明るい店内。地元猪苗代産そば粉100%を使用した、白くて細い十割そばは美味しかった。

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 ここは、午前11時開店で、閉店は「蕎麦が無くなり次第」とある。水曜日が定休日だが、何故か「冬期間12月~3月は、土・日・祭日のみ開店」と書いてあって、店主のこだわりがあるようだ。

 昼食の間に、雲が動いてだんだん青空が出てきたが、磐梯山の山頂には、まだ雲がかかる。

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 猪苗代磐梯高原ICから磐越道へ。東北道を南下し始めると太陽が出て、快晴となる。

 安積PA、上河内SAで休憩しながら、予定より早めの17:10、自宅到着。

 

 ★ ★ ★

 雪の降る中、雪上を歩いたが、風が無かったためか、防寒装備が十分だったのか、思ったより寒くなかった。

 雪の中を歩くのは久しぶりで、アイゼンを付けていたが、慣れないせいか足元が深い雪にとられて、何度か転ぶ。普段に歩くよりも、結構疲れた。
   

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