明星ヶ岳
2013月10月23日 (水)、「明星ヶ岳」に登る。
箱根の3日目は、阿弥陀寺、塔ノ峰を経由して「明星ヶ岳」(標高924m)に登る。
明星ヶ岳は、小田原市と箱根町の境にある箱根山の外輪山。小田原方面から、宵の明星が山の上に輝くので名づけられたという。8月16日の強羅(ごうら)夏祭りの「箱根大文字焼」でも有名。
宿泊していた箱根湯本温泉「ホテルおかだ」をチェックアウト。山登り参加者は9名、途中の阿弥陀寺まで行く2名が同行。他の参加者と別れ、朝9時ホテルを出発。
箱根湯本駅で不要な荷物をコインロッカーに入れ、駅売店「箱根の市」で昼の弁当(550円)とお茶(130円)を購入。登山電車に乗車、次の駅の塔ノ沢で9:25下車。
塔ノ沢駅からまず阿弥陀寺に向って歩く。
左は、道を間違えた分岐にあった貴乃花光司の記念樹の桜。右は、塔ノ沢駅を出て10分後にあった阿弥陀寺の登り口の標識。文字がよく見えないが、左の方向が阿弥陀寺20分と書いてある。
塔ノ沢は、湯治に来ていた皇女和宮の終焉の地。阿弥陀寺は、皇女のゆかりの寺。急勾配の長い石段の参道を登る。参道や寺庭には、数多くの石塔・石仏が並んでいる。
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皇女和宮は、孝明天皇の異母妹で、明治天皇は甥にあたる。第14代将軍徳川家茂の正室である。
明治になって和宮は、一時京都に居住したが東京に住む天皇らの勧めもあり、1874年(明治7)東京へ戻る。皇族や天璋院篤姫、徳川家達、勝海舟らと交流した。しかしこの頃から脚気(かっけ)を患う。
1877年(明治10)8月、箱根塔ノ沢温泉で療養に行く。しかし翌月の9月2日、脚気衝心(脚気に伴う心臓機能の不全)のため、療養先の「環翠楼」で他界。享年32歳の若さだった。温泉宿の「環翠楼」は、塔ノ沢駅近くの早川と国道1号線沿いにある。1880年(明治13)篤姫は、和宮終焉の地の環翠楼に来て、早川を眺めながら号泣したという。
阿弥陀寺は、塔ノ沢駅から「塔ノ峰」(標高566m)に登る急坂の途中にある古刹。別名を「あじさい寺」という。箱根湯本から歩くと約40分。塔之沢駅からだと約20分。樹木に囲まれた参道は、6月下旬~7月中旬にかけて3000株のアジサイが咲き乱れるという。
この寺は、徳川将軍家の菩提寺である増上寺の修行寺で、浄土宗の由緒ある寺。皇女のゆかりの寺というのは、和宮死去の時、阿弥陀寺住職が、増上寺における本葬に先立って通夜・密葬を執り行ったから。和宮の墓所は、増上寺の夫家茂のかたわらにある。
寺では「皇女和宮の御位牌」を祀り、それを「和宮香華院(こうげいん)」と呼んでいる。また本堂には、和宮の御念持仏「黒本尊阿弥陀仏」 が安置されている。これは、大阪・京に出かけた夫家茂の無事を毎日江戸城内で祈るため、増上寺から江戸城内に運び込んだもの。徳川先祖を祀るための仏像で、徳川家の護り本尊。和宮七回忌の供養の時、増上寺から阿弥陀寺に贈られた。そのほかここには、和宮の写真もある。阿弥陀寺の紋所は、徳川家の家紋と同じ三つ葉葵。
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参道入り口からうす暗い樹木に囲まれた急な階段を登って6分、立派な山門が建っている。右手には大きな地蔵が立つ。
山門から先も、急坂の参道が続く。
湯本からの道との合流点にある六地蔵。「阿弥陀寺5分」の標識があった。
途中道を間違えたが、駅から約30分余りかけて、10:04古風な佇まいのこじんまりした阿弥陀寺本堂が現れる。
琵琶演奏の名手である住職によって執り行われる講話や演奏が評判。観光ガイドブックにも、抹茶を味わいながら琵琶説法を聴くことができる(1,000円)とある。
本堂の玄関には、「錦心流 琵琶演奏 五人以上で演奏いたします 皇女和宮物語、白虎隊、敦盛、羅生門、茨木、耳なし芳一、その他」の張り紙があった。演目の「茨木」は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる鬼の一人で、茨木童子(いばらきどうじ)のことらしい。
琵琶演奏を聴く2名は、本堂に入る。山登りの9人は、ここで参拝、休憩して塔ノ峰に向かう。
登山道のところどころに、七福神の石像が立っている。
その先は岩を削った石段と続き、やがてヒノキ林の登山道となる。
阿弥陀寺から約1時間、傾斜が緩やかになると、塔ノ峰(標高566m)に11:40到着。三角点のある山頂は、やや広いが樹林に囲まれ展望なし。15分ほど休憩する。
塔ノ峰からしばらく平坦な開けた道。右手に小田原の市街地と相模湾が見えた。
小雨がパラパラ降り出す。雨具を取り出そうとしたが、すぐに止む。
緩やかに下り、やがて階段を降りると、舗装された林道にぶつかる。
ここを左方向に林道を15分くらい歩くと、右手に明星ヶ岳登山口(11:55)があった。
登山口から直線的に25分急坂を登ると、「自然環境保全地域」の看板が立つ地点に着く。
この地点から約1時間半ほど尾根歩きだが、アップダウンが続く。天気が良ければ富士山が見えるはずだが、曇っていてまったく見えない。
写真左は、登山道の途中で見つけたアケビ。中はサラシナショウマ、右はウメバチソウ。
明星ヶ岳山頂も近いのか、不動明王の石像が立っていた。右写真は、塔ノ峰への登山道から50mおきに設置されている箱根町の歩道管理№。89の次が、明星ヶ岳の山頂だった。
13:45、明星ヶ岳山頂(標高924m)に到着。山頂は稜線上で、石碑と祠がある。周りに樹木があって展望はない。三角点を探してみたが、見当たらなかった。
ここで、やっと遅い昼食をとる。山頂に後からやって来た男女3人組の登山客と出会う。聞くと、「明神ヶ岳」(標高1169m)から縦走してきて、宮城野に下りると言う。
14:15、下山開始。広い道を明神ヶ岳の方へ少し行くと分岐があり、左手の宮城野に下りる。15分ほど下ると、開けた斜面に「大文字焼」の場所と案内板があった。
ここから、強羅(ごうら)周辺の市街を見下ろす。正面にケーブルカーと雲に隠れた箱根山。右手に大涌谷、箱根山の裏側には芦ノ湖がある。昨日乗ったケーブルカーからは、明星ヶ岳は見えなかった。
急斜面の下りが続く。この辺りは雨が降ったのか、少しぬかるんでいる。
1時間ほど下ったところで、宮ノ下にある特徴的な青い屋根で有名な「富士屋ホテル」の花御殿を見下ろす。
「富士屋ホテル」は、1878年(明治11)外国観光客向けに開業した日本初の本格リゾートホテル。現在も、135年の歴史を誇る老舗ホテルとして、絶大な人気がある。行ったことがないが、宿泊者でなくても食事やレトロな館内、資料展示室の見学が可能。
15:16、舗装された林道に出る。この林道は明星ヶ岳登山口があった足柄幹線林道。右へ下り、宮城野に向かう。
15:33、早川に架かる宮城野橋(標高440m)に着くが、とりあえず公衆トイレがあるというバス停の方向へ歩くことにする。
箱根登山バスの宮城野支所前バス停に、15:37到着。ここでトイレ休憩。
宮城野橋から強羅駅までは1.3Km、徒歩約20分かかる。支所の窓口で聞くと、道路が混まなければ、ここから箱根湯本駅まではバスで20分程度だという。強羅駅まで徒歩20分、登山電車で箱根湯本駅まで38分だから、バスで帰るほうが断然速い。休憩のあと、15:50発が6分遅れで来た小田原行きの登山バスに乗る。
バスは満員で立っていたが、急カーブでも飛ばすので、しっかりつかまっていないと振り回される。16:18箱根湯本駅に到着。
16:47発の小田急ロマンスカー(特急はこね36号)で新宿へ。
ハイキング程度の山にしては、ちょっとアップダウンがきつかった。歩程が長く休憩を入れて6時間。尾根に出ても樹木があって、しかも曇っていたので見晴らしがほとんどなかったのは残念。
午後からの雨が心配だったが、小雨がちょっと降った程度で無事下山。予定より早く帰れて良かった。
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