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2013年10月の3件の投稿

2013年10月29日 (火)

明星ヶ岳

 2013月10月23日 (水)、「明星ヶ岳」に登る。

 
   
 箱根の3日目は、阿弥陀寺、塔ノ峰を経由して「明星ヶ岳」(標高924m)に登る。

 明星ヶ岳は、小田原市と箱根町の境にある箱根山の外輪山。小田原方面から、宵の明星が山の上に輝くので名づけられたという。8月16日の強羅(ごうら)夏祭りの「箱根大文字焼」でも有名。

     
 宿泊していた箱根湯本温泉「ホテルおかだ」をチェックアウト。山登り参加者は9名、途中の阿弥陀寺まで行く2名が同行。他の参加者と別れ、朝9時ホテルを出発。

 箱根湯本駅で不要な荷物をコインロッカーに入れ、駅売店「箱根の市」で昼の弁当(550円)とお茶(130円)を購入。登山電車に乗車、次の駅の塔ノ沢で9:25下車。

 塔ノ沢駅からまず阿弥陀寺に向って歩く。

 左は、道を間違えた分岐にあった貴乃花光司の記念樹の桜。右は、塔ノ沢駅を出て10分後にあった阿弥陀寺の登り口の標識。文字がよく見えないが、左の方向が阿弥陀寺20分と書いてある。

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 塔ノ沢は、湯治に来ていた皇女和宮の終焉の地。阿弥陀寺は、皇女のゆかりの寺。急勾配の長い石段の参道を登る。参道や寺庭には、数多くの石塔・石仏が並んでいる。

 ★ ★ ★

 

 皇女和宮は、孝明天皇の異母妹で、明治天皇は甥にあたる。第14代将軍徳川家茂の正室である。

 
 明治になって和宮は、一時京都に居住したが東京に住む天皇らの勧めもあり、1874年(明治7)東京へ戻る。皇族や天璋院篤姫、徳川家達、勝海舟らと交流した。しかしこの頃から脚気(かっけ)を患う。

 1877年(明治10)8月、箱根塔ノ沢温泉で療養に行く。しかし翌月の9月2日、脚気衝心(脚気に伴う心臓機能の不全)のため、療養先の「環翠楼」で他界。享年32歳の若さだった。温泉宿の「環翠楼」は、塔ノ沢駅近くの早川と国道1号線沿いにある。1880年(明治13)篤姫は、和宮終焉の地の環翠楼に来て、早川を眺めながら号泣したという。

 阿弥陀寺は、塔ノ沢駅から「塔ノ峰」(標高566m)に登る急坂の途中にある古刹。別名を「あじさい寺」という。箱根湯本から歩くと約40分。塔之沢駅からだと約20分。樹木に囲まれた参道は、6月下旬~7月中旬にかけて3000株のアジサイが咲き乱れるという。

 この寺は、徳川将軍家の菩提寺である増上寺の修行寺で、浄土宗の由緒ある寺。皇女のゆかりの寺というのは、和宮死去の時、阿弥陀寺住職が、増上寺における本葬に先立って通夜・密葬を執り行ったから。和宮の墓所は、増上寺の夫家茂のかたわらにある。

 
 寺では「皇女和宮の御位牌」を祀り、それを「和宮香華院(こうげいん)」と呼んでいる。また本堂には、和宮の御念持仏「黒本尊阿弥陀仏」 が安置されている。これは、大阪・京に出かけた夫家茂の無事を毎日江戸城内で祈るため、増上寺から江戸城内に運び込んだもの。徳川先祖を祀るための仏像で、徳川家の護り本尊。和宮七回忌の供養の時、増上寺から阿弥陀寺に贈られた。そのほかここには、和宮の写真もある。阿弥陀寺の紋所は、徳川家の家紋と同じ三つ葉葵。

 ★ ★ ★

 

 参道入り口からうす暗い樹木に囲まれた急な階段を登って6分、立派な山門が建っている。右手には大きな地蔵が立つ。

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 山門から先も、急坂の参道が続く。

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 湯本からの道との合流点にある六地蔵。「阿弥陀寺5分」の標識があった。

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 途中道を間違えたが、駅から約30分余りかけて、10:04古風な佇まいのこじんまりした阿弥陀寺本堂が現れる。

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 琵琶演奏の名手である住職によって執り行われる講話や演奏が評判。観光ガイドブックにも、抹茶を味わいながら琵琶説法を聴くことができる(1,000円)とある。

 本堂の玄関には、「錦心流 琵琶演奏 五人以上で演奏いたします 皇女和宮物語、白虎隊、敦盛、羅生門、茨木、耳なし芳一、その他」の張り紙があった。演目の「茨木」は、平安時代に大江山を本拠に京都を荒らし回ったとされる鬼の一人で、茨木童子(いばらきどうじ)のことらしい。
 

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 琵琶演奏を聴く2名は、本堂に入る。山登りの9人は、ここで参拝、休憩して塔ノ峰に向かう。

 塔ノ峰は、本堂右手から岩が転がる竹林のきつい急坂を登る。

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 登山道のところどころに、七福神の石像が立っている。

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 その先は岩を削った石段と続き、やがてヒノキ林の登山道となる。

 阿弥陀寺から約1時間、傾斜が緩やかになると、塔ノ峰(標高566m)に11:40到着。三角点のある山頂は、やや広いが樹林に囲まれ展望なし。15分ほど休憩する。

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 塔ノ峰からしばらく平坦な開けた道。右手に小田原の市街地と相模湾が見えた。

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 小雨がパラパラ降り出す。雨具を取り出そうとしたが、すぐに止む。

 緩やかに下り、やがて階段を降りると、舗装された林道にぶつかる。

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 ここを左方向に林道を15分くらい歩くと、右手に明星ヶ岳登山口(11:55)があった。

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 登山口から直線的に25分急坂を登ると、「自然環境保全地域」の看板が立つ地点に着く。

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 この地点から約1時間半ほど尾根歩きだが、アップダウンが続く。天気が良ければ富士山が見えるはずだが、曇っていてまったく見えない。

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 写真左は、登山道の途中で見つけたアケビ。中はサラシナショウマ、右はウメバチソウ。

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 明星ヶ岳山頂も近いのか、不動明王の石像が立っていた。右写真は、塔ノ峰への登山道から50mおきに設置されている箱根町の歩道管理№。89の次が、明星ヶ岳の山頂だった。

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 13:45、明星ヶ岳山頂(標高924m)に到着。山頂は稜線上で、石碑と祠がある。周りに樹木があって展望はない。三角点を探してみたが、見当たらなかった。

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 ここで、やっと遅い昼食をとる。山頂に後からやって来た男女3人組の登山客と出会う。聞くと、「明神ヶ岳」(標高1169m)から縦走してきて、宮城野に下りると言う。

 14:15、下山開始。広い道を明神ヶ岳の方へ少し行くと分岐があり、左手の宮城野に下りる。15分ほど下ると、開けた斜面に「大文字焼」の場所と案内板があった。

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 ここから、強羅(ごうら)周辺の市街を見下ろす。正面にケーブルカーと雲に隠れた箱根山。右手に大涌谷、箱根山の裏側には芦ノ湖がある。昨日乗ったケーブルカーからは、明星ヶ岳は見えなかった。

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 急斜面の下りが続く。この辺りは雨が降ったのか、少しぬかるんでいる。

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 1時間ほど下ったところで、宮ノ下にある特徴的な青い屋根で有名な「富士屋ホテル」の花御殿を見下ろす。

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 「富士屋ホテル」は、1878年(明治11)外国観光客向けに開業した日本初の本格リゾートホテル。現在も、135年の歴史を誇る老舗ホテルとして、絶大な人気がある。行ったことがないが、宿泊者でなくても食事やレトロな館内、資料展示室の見学が可能。

 15:16、舗装された林道に出る。この林道は明星ヶ岳登山口があった足柄幹線林道。右へ下り、宮城野に向かう。

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 15:33、早川に架かる宮城野橋(標高440m)に着くが、とりあえず公衆トイレがあるというバス停の方向へ歩くことにする。

 箱根登山バスの宮城野支所前バス停に、15:37到着。ここでトイレ休憩。

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 宮城野橋から強羅駅までは1.3Km、徒歩約20分かかる。支所の窓口で聞くと、道路が混まなければ、ここから箱根湯本駅まではバスで20分程度だという。強羅駅まで徒歩20分、登山電車で箱根湯本駅まで38分だから、バスで帰るほうが断然速い。休憩のあと、15:50発が6分遅れで来た小田原行きの登山バスに乗る。

 バスは満員で立っていたが、急カーブでも飛ばすので、しっかりつかまっていないと振り回される。16:18箱根湯本駅に到着。

 16:47発の小田急ロマンスカー(特急はこね36号)で新宿へ。

 ハイキング程度の山にしては、ちょっとアップダウンがきつかった。歩程が長く休憩を入れて6時間。尾根に出ても樹木があって、しかも曇っていたので見晴らしがほとんどなかったのは残念。

 午後からの雨が心配だったが、小雨がちょっと降った程度で無事下山。予定より早く帰れて良かった。

 

2013年10月27日 (日)

箱根周遊

 2013年10月21日(月)、ロマンスカーで行く二泊三日の箱根の旅。

 

 非常に強い台風27号は21日、日本の南海上を時速15キロで北北西に進んでいる。中心気圧940ヘクトパスカル、最大風速45メートル。また21日未明には、台風28号も発生した。

 今日、明日もくもりの予報。雨が降らないことを願う。

 

 新宿から12:40発の小田急ロマンスカー(特急はこね23号)に乗る。弁当を食べて缶ビール飲んでいるうちに、1時間半程度で箱根の玄関口である箱根湯本駅に着く。

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 箱根は昔、相当不便な所だったそうだ。実業家の利光鶴松(としみつ つるまつ)が、1923年(大正12)に「小田原急行鉄道」(現在の小田急電鉄)を創設し、新宿-小田原間を鉄道で開通させた。

 利光鶴松は、1863年(文久3年)大分県に生まれ。独学で勉強、上京して小学校教員になる。明治法律学校(現明治大学)に進学して弁護士となり、その後東京市会議員、衆議院議員となって政治家として活躍する。

 やがて政治家から実業界に転身、「東京市街鉄道敷設会社」の取締役、「鬼怒川水力電気」を創立して社長、「京成電気軌道」(現・京成電鉄)会長、「千代田瓦斯」(現・東京ガス)社長、「小田原急行鉄道」の社長に就任している。1941年(昭和16)、高齢や山東半島の金鉱開発事業失敗などを理由に、五島慶太に「小田急電鉄」の社長の座を譲り、全ての役職も引退。1945年(昭和20年)に死去した。

 

 参加者を改札で出迎え、16:15駅から湯本温泉郷共同バス「滝通り行き」に乗車(100円)、5分で宿泊先の箱根湯本温泉「ホテルおかだ」に着く。

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 今回のOB会参加者は21名。入浴後、18:00~20:00懇親会。20:30~23:00大部屋で二次会、23:30頃就寝。

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 ★ ★ ★

 

 2日目の10月22日(火)は、箱根の代表的な観光スポット中心に周遊を計画。

 6:15起床、7:00~朝食バイキング。9:00にホテルを出て、箱根湯本駅から「箱根登山電車」に乗る。

 
 

 東海道線の国府津(こうづ)を起点とし、小田原-湯本を結ぶ小田原馬車鉄道が、1888(明治21)営業開始した。この間12.9キロを2頭立て馬車が、箱根・小田原の人達や湯治客を乗せて走った。やがて小田原電気鉄道と改め電化工事が進められて、1900(明治33)に国府津-湯本間の電車運転を開始した。

 観光誘致のための登山鉄道を敷設すべきという勧めで小田原電気鉄道は、1910年(明治43)、登山鉄道敷設のための調査・研究を開始。ヨーロッパの登山鉄道を参考として、13ヶ所のトンネル、26ヶ所の鉄橋などの難工事の末、1919年(大正8)登山電車は湯本-強羅間の8.9キロの運転を開始した。この安価な運賃の登山電車の登場により、裕福な人々の箱根は、誰もが楽しめる大衆的な観光地へと変化していったという。

 箱根登山電車は、くねくねした急斜面をゆっくりと這うように走る。急カーブでは車輪とレールのきしむ音がうるさい。電車には散水タンクがあり、レールの磨耗を防ぐため、車輪とレールの間に水をまきながら走る。そういえばレールが濡れている。また途中3ヶ所で、スイッチバック方式で登る。

 

 箱根湯本駅から箱根登山電車は、34分かかって彫刻の森駅に9:59到着。駅から徒歩3分、「彫刻の森美術館」に入館する。彫刻約120点が展示された7万㎡もある庭園の野外美術館。ピカソ館ほか5つの室内展示場もある。

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 フジサンケイグループ傘下の美術館であり、公益財団法人彫刻の森芸術文化財団が、姉妹館の「美ヶ原高原美術館」(2011年11月のブログ、下記URL参照)とともに運営している。

 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-3e42-1.html

 

 登山電車で隣の強羅(ごうら)駅に11:47着。ここは標高553m。この辺りは、古くから宮家や多くの政財界人の避暑地、別荘地として発展した。

 11:53発のケーブルカーに乗り換え、12:03早雲山駅(標高767m)着。

 ケーブルカーは、登山電車開業後の1921(大正10)年に開業。日本においては1918年(大正7)に開業した「生駒鋼索鉄道」に続く2番目の鋼索(ケーブル)鉄道で、関東ではもっとも古い。路線距離は、1.2km。このケーブルカーは、小田急グループの「箱根登山鉄道」が運営している。

 次に12:07発の箱根ロープウェイに乗り換え。ゴンドラは1分間隔で運行している。急斜面をゴンドラが登っていくが、霧がかかっていて展望はあまりない。

 ゴンゴラから後方の強羅市街地を見下ろす。対面の「明星ヶ岳」の山頂付近にある有名な「大文字焼」は、見えない。

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 やがて130m下に、迫力ある広大な「大涌谷」(おおわくだに)の噴煙と硫黄が現われる。よく見ると、幾筋もの温泉を引くパイプラインや、土砂止めの擁壁が見える。

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 箱根ロープウェイは、早雲山駅と桃源台駅を結ぶ全長約4kmの索道。このロープウェイも小田急グループで、1959年(昭和34)早雲山-大涌谷間が開業、1960年(昭和35)には大涌谷-桃源台間を結び、全線が開業した。

 
 所要時間約8分、12:15大涌谷(おおわくだに)駅着。ここは標高1,040m。大涌谷は、箱根火山の噴煙地として整備された観光スポットだが、昔は「地獄谷」と呼ばれた。

 駅から玉子茶屋まで遊歩道を登る。途中温泉池があったりするが、霧が濃くなって噴煙地もわからなくなる。絶景ポイントらしき場所では当然遠くも見えず。茶屋で名物の「黒たまご」(5個入り500円)を食べてみる。生卵を温泉池でゆでると、化学反応で黒い殻のゆでたまごができあがるそうだ。「黒たまご」を食べると、「7年寿命が延びる」と云われている。

 土産屋の一角にある「極楽茶屋」で、「赤池地獄の黒ラーメン」(1,000円)を食べる。黒色の縮れ麺で、チャーシュー、白髪ネギ、ゆでたまごなどの具が載っていて、スープは味噌ベース唐辛子入りの赤茶色、辛さが効いている。駅レストランの「特製大涌谷カレー」もおいしかったそうだ。

 

 13:49再びロープウェイに乗り、所要時間約16分で桃源台駅へ下る。霧が出て展望がないが、かすかに芦ノ湖が見えてくる。高度が下がるにつれ、霧も失せてくる。

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 ところどころに色づいた木々がみられるが、紅葉はまだこれからだ。このシーズンになると、箱根は観光客でもっと混み合う。

 

 桃源台駅に隣接した桃源台港から「箱根海賊船ビクトリー号」に乗船する。海賊船をモチーフにした観光船で、「ロワイヤル号」、「バーサ号」、「ビクトリー号」の3隻が就航している。

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 14:20発のビクトリー号が出港、桃源台港の桟橋には、次発の「バーサ号」が接岸している。 

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 箱根海賊船は、芦ノ湖の箱根町港-元箱根港-桃源台港-箱根町港を周回する。桃源台港-箱根町港の所要時間は約30分。これも小田急グループの箱根観光船(株)が営業。天気が良ければ雄大な富士山や箱根の山々が絶景だ。

 

 速力は思ったより早い。離岸や着岸が非常にスムーズだ。後で調べると、船を横方向に動かすためのスクリューを「サイドスラスター」(Side thruster、横方向推進装置)と呼ぶが、この船は特に船首に設置し船首を左右に降るための「バウスラスター 」(Bow thruster)を備えている。

 14:50、箱根町港に到着。

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 すぐ目の前には、富士屋ホテルチェーンの運営する「箱根駅伝ミュージアム」、箱根駅伝往路ゴール地点・復路スタート地点がある。

 

 歩いてすぐに、箱根関所跡がある。「箱根関所・箱根関所資料館」に入館する。Img_6972

 江戸時代の関所の建物や取り調べの様子などを人形で再現。

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 資料館では、「出女(でおんな)」の取り調べ様子を書いた遊女の資料、「関所破り」の罪で処刑された奉公人の少女「お玉」の話、将軍に献上された象が関所を通った話など、興味深い。

  

 15:30~国道1号線に沿った「旧東海道の杉並木」を15分ほど歩くと、成川美術館。

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 15:45、成川美術館に入館。成川美術館は、現代日本画を中心にしたコレクション。展望ラウンジ、カフェ、ショップがある。

 美術館の展望ラウンジから見える芦ノ湖と元箱根港の海賊船。この方角にある富士山が絶景だそうだが、霧や雲でまったく見えない。

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 美術館近くの元箱根港バス停が、箱根新道経由の「箱根登山バス」の始発。17:10発、17:40箱根湯本駅に着く。

 「ホテルおかだ」に到着するとすぐに入浴して汗を流す。19:00~21:00、2日目の懇親会は、カラオケやらで大いに盛り上がる。二次会は予定してなかったが、23:00まで皆で楽しい時間を過ごす。23:30就寝。

 ★ ★ ★

 

 丸1日の箱根ツアーは、迷子になる人もなく、スケジュール通りで満足だった。

 10月19日、富士山が初冠雪した。平年より19日、昨年より37日遅かったそうだが、7合目付近まで雪化粧したそうだ。参加者に雄大な富士山を見せられなかったのが残念だが、雨が降らなかっただけ幸いだった。

 

 非常に強い台風27号は22日、沖縄の南東海上を北西に進んだ。その後進路を東寄りに変え、25日には九州・四国、26日には東日本に近づく見込みだという。また、強い台風28号も、南鳥島のはるか沖合を西寄りに進んでいる。

 先の台風26号の影響で甚大な土石流被害にあった伊豆大島は、発生から1週間を迎える。22日時点では、死者29人、行方不明が16人いて、いまだに捜索が続いているが、再び大雨被害の警戒を呼び掛けている。

 明日の予報はくもり、午後からの雨が心配。

 明日23日は、「明星ヶ岳」に登る。

 

2013年10月 1日 (火)

月島・佃島と新橋界隈

 2013年9月24日(火)、小型遊覧船で東京湾クルーズのあと、月島、佃と新橋を散策する。

 「東京湾クルーズ-その2」の続き。
 

 

 勝鬨(かちどき)橋桟橋で小型遊覧船を下船。15:30、月島に行くため勝鬨橋を渡ったところでまた雨。

 止むのを待って、「月島もんじゃストリート」(月島西仲通り商店街)と下町風情の路地裏を散策。

 平日の昼間で人通りは少ないが、もんじゃ焼きの店が多いのと、カラーの舗道や三角屋根のアーケードなど、町並みが統一されていて美しい。

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 「佃小橋」から、隅田川から入り江になった水路に映るビル。

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 佃島へ渡り、老舗の「天安本店」で佃煮セット1,000円を買って、「佃の渡し」跡へ。 

 

 この辺りについては、2012/7/21(土)の下町情緒の月島周辺をめぐる旅を、本ブログ「月島周辺の風景」に掲載している。

 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ae36.html

 

 17:00頃、有楽町線月島駅から地下鉄有楽町線に乗車。

 有楽町駅で下車して、薄暗くなったガード沿いを新橋駅まで歩いてみる。

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 赤煉瓦アーチの高架橋が連なるこの辺りの夜の飲食街は、何度も見る光景だが改めてみると、何とも言えぬ風情や歴史を感じる。

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 新橋駅前の「ビヤホールライオン新橋店」に入って 生ビール2杯。新橋駅からJRで帰る。

 21:30過ぎ、自宅着。

 

 この日は、東京湾クルーズ前に築地場外市場の散策もあって、歩数計を見ると13,000歩、約8Kmほど歩いたことになる。

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