燧ケ岳-その2
「燧ケ岳-その1」の続き。
2013年07月27日(土)~29日(月)、尾瀬沼から燧ケ岳(ひうちがたけ)に登る2泊3日の山行。
前日の27日(土)、尾瀬沼湖畔の「尾瀬沼山荘」に宿泊。昨日は19時半ごろ寝たので、午前2時ごろ目が覚め、後は朝までうとうとしていた。
翌朝28日(日)、5:00ころ起床。6:00~朝食。
昨日宿泊予定のツアー客は、とうとう来なかったようだ。雨のせいだったのか、理由は連絡もないのでわからないとのこと。人数も多いので、料理などで山小屋は大きな損失だが、キャンセル料はどうなるのか。
食堂にあるテレビは、昨日から天気予報の番組のみ。地上波なのか衛星か、ケーブルテレビなのか、このような番組は見たことがない。今日の片品村の天気は、午前中晴れ、午後くもり。降水確率0%の予報。山の天気はわからないが、早めに登ったほうが、良さそう。
昼食のおにぎり受け取り、早めの行動で、予定より20分早い6:40に、山荘を出発する。
夜中に雨が降ったようで、地面や木々が濡れている。くもりだが、時々日が差す天気で、清々しい。
尾瀬沼を周回する木道を歩き、途中湖畔にある「元長蔵小屋」(現在、物置のようになっている?)で休憩。現在の長蔵小屋は、ビジターセンターの近くにある。
長蔵小屋(当時は行者小屋といった)を建てたのが、平野長蔵。話せば長くなるので省略するが、平野長蔵は尾瀬の歴史上の重要な人物。
元長蔵小屋のある湖畔から、尾瀬沼に映る「逆さ燧ケ岳」を眺める。山頂には少し雲がかかっている。
付近にあった赤い実をつけたハリブキ(針蕗)。棘(とげ、針)のある大きな葉が特徴だが、残念ながら撮れてなかった。
湖畔に沿って木道を進む。
7:29、ここが長英新道の燧ケ岳登山口。燧ケ岳まで4.5Kmとある。
ゆるやかな坂道が延々と続く「長英(燧)新道」を登る。長英新道は、平野長蔵の子の平野長英が拓いた。昨日の雨のせいか、ぬかるみ、水たまりが多く、スパッツも泥だらけ。
途中、休憩を何回も取りながら進む。やがて尾瀬沼が見えてくる。
コバイケイソウの群落で休憩。
ここから燧ケ岳(爼嵓か?)が、だいぶ近くに望める。
10:40頃から雨が降り出し、レインウェアを着る。
ミノブチ岳の手前で急登になる。10:47ミノブチ岳到着。
雲のため日光連山の展望なし。真下には尾瀬沼が広がる。ミノブチ岳は燧ケ岳の5つのピークのうち、一番低い標高2.210m(2,201m、2,220mや2,234mとの記載もある)。
少し登ったところで、ミノブチ岳(土が露出しているところ)を振り返る。
窪地には、雪渓が残る。
この辺りから、「ナデッ窪」に下りる分岐の道がある。
ナデッ窪は、尾瀬沼の沼尻と燧ヶ岳山頂を結ぶ谷。「雪崩ッ窪」と漢字で書くそうだ。雪崩が頻発するため、樹木が育たず、大きな岩がごろごろとしている。かつては信仰登山の道として利用され、燧ヶ岳に5本ある登山道のなかでも最も歴史が古い。
1983年の秋、最初に燧ケ岳に登った。あの頃は若かったので、夜行日帰りだった。大清水駐車場に止めた車の中で夜を明かし、早朝に三平峠を越え、長英新道から燧ヶ岳に登った。下山は時間短縮のため、このナデッ窪を利用した。これが転げ落ちそうな急峻な登山道で、大きな岩につまづきそうになりながら、下るのに大変な思いをした。ハードスケジュールでもあったので、大清水に帰る道では、疲労困ぱいしたという記憶がある。
三角点のある「俎嵓(まないたぐら)」を目指す。
11:35燧ケ岳山頂の俎嵓(2,346m)で、昼食・休憩35分。山頂に着くころには、雲が多くなってきた。眼下のガスの切れ目に、尾瀬沼が現われる。
西峰の「柴安嵓(しばやすぐら)」(2,356m)は、しだいにガスで見えなくなる。かすかに尾瀬ヶ原の一部が見えるが、至仏山の展望はなし。
上の写真の右手の俎嵓の頂上に、石祠がある。檜枝岐村に祭られている燧ヶ岳神社の奥の院となっていて、平野長蔵が明治22年に奉祠したそうだ。
ここから柴安嵓へは、往復30分かかるがパスして、12:10に下山を開始する。
急坂、ぬかるみ、大小の石が転がる悪路が続く。2~3か所、登山道に残雪あり、恐る恐る下る。
15年前は、このコースを逆に登ったのだ。こんな厳しかったという印象は、忘れてしまっている。どうも御池のコース(標高差833m)が、長英新道(標高差680)よりも楽だと勘違いしていた。
13:34、「熊沢田代」の湿原に出て、平地となり一段落。休憩12分。熊沢田代は、熊が好んで通るところだと言われている。
熊沢田代から、燧ケ岳方面を振り返る。しだいにガスが濃くなる。
一面に黄色いキンコウカの群落。
再び急坂を下り、14:50「広沢田代」の湿原で休憩8分。
キンコウカ と食虫植物のモウセンゴケ。
左は、チングルマ(稚児車)、春に白い花が咲き、夏は風車のような果穂となる。赤紫の花は、サワラン(沢蘭)。つぼんだままで、あまり開かない。
再び、ぬかるみ、石のゴロゴロした急坂を下る。
15:58、尾瀬ヶ原と御池への分岐点、休憩5分。ここから御池駐車場まではすぐ。
16:07、御池駐車場に到着。ここまで休憩を入れて下山に4時間かかった。山荘を出てから実に、9時間半かかっている。
駐車場で、登山靴の泥を洗い、着替える。
16:30、駐車場を出発。駐車料金1,000円だが、民宿の宿泊者は、1,000円キャシュバックできるそうだ。国道352号、御池から民宿「駒口」まで13Km。
17:00、民宿「駒口」にチェックイン。村の中心街からは少し離れ、会津駒登山口に近い所にある。宿泊代は一人7,500円。
入浴後、夕食18:15~。疲れていて、明日予定の会津若松市中観光の気分にならず、中止して早めに帰ることにする。
20:00~全員でNHKの「八重の桜」を見て、21:00就寝。
翌朝29日(月)5:00起床。7:00~朝食の後、8:05~8:40村営の共同浴場「駒の湯」で朝風呂へ。宿泊者割引で、一人300円。
8:57、民宿を出発。
352号線「道の駅番屋」(9:40~9:59)で休憩。国道352、121、400号を経て、11:05西那須塩原ICから東北道、東北道佐野SAで約50分休憩。昼食は、佐野ラーメン600円。
自宅には、14:14着。
結構ゆっくりしたペースだったが、今回の燧ヶ岳登山は、結構きつかった。帰ってから数日間は、めずらしく筋肉痛が続いた。
★ ★ ★
Yさんが企画してくれた会津若松市中観光は、以下の5つの史跡を巡る予定であった。(鶴ヶ城、飯盛山、白虎隊の墓は、すでに行ったことがあるのでパス)
①会津酒造歴史館
②御薬園(歴代の藩主が愛した庭園、薬草を栽培する薬草園が名前の由来)
③会津武家屋敷(会津藩家老の西郷頼母邸を中心に総合ミュージアムパーク)
④会津藩主松平家墓所
⑤天寧寺(てんねいじ、戊辰戦争の責任を背負って切腹した萱野権兵衛、刑死した新選組近藤勇らが、寺の墓地がある。)
せっかく下調べしておいたのだが、またに何かの機会に、実現したい。
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