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2013年7月21日 (日)

横浜山手西洋館

 2013年7月13日(土)、横浜の山手西洋館、中華街、大桟橋に行く。

 

 12:30、みなとみらい線「元町・中華街駅」に着く。

 
 駅から「谷戸坂」の坂道を歩いてみる。ジブリ映画『コクリコ坂から』のモデルとなった坂だ。以前は通った時はバスだったが、狭くて急な坂だという印象があった。神戸や長崎の山手を思い出す。歩いていてすぐに汗が噴き出す。15分程度で目的地の「港の見える丘公園」の展望台に到着。

●12:45~14:05、「港の見える丘公園」で過ごす。

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 「港の見える丘公園」は、「山下公園」と並んで横浜の観光公園の一つで、横浜港を見渡せる高台にある。1962年に開園、戦後の代表的な流行歌『港が見える丘』から名づけられた。

 ここから見る景色は、横浜ベイブリッジがあって何とか様になっているが、それが無いと目の前の雑然とした建物で、あまり港らしくない。昔見た景色は、もっと綺麗だったような気がするが、函館・神戸・長崎の見晴らしに比べれば、この山の標高はずっと低いそうだ。家族連れや若者たちのカップルも多い。

 この日は、もやがかかったような曇りで、横浜ベイブリッジが霞んで見える。

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 ジブリ映画の『コクリコ坂から』で、主人公の女子高生・海(うみ)が住んでいる場所で、毎日信号旗を掲揚するシーンのモデルが、この「港の見える丘公園」だそうだ。

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 ブログ記事 「映画『コクリコ坂から』」
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110903-0180.html

 気が付かなかったが、園内には『港が見える丘』の歌碑が建っているそうだ。

 

 展望台の南側に、アーチ型の屋根と赤レンガの「大佛次郎記念館」があり、横浜ゆかりの作家・大佛次郎の様々な資料で紹介している。作品では、「赤穂浪士」や「鞍馬天狗」などを知っているが、横浜生まれで横浜を最も多く描いた作家だそうだ。

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 奥に見える「横浜市イギリス館」は、1937年(昭和12年)に英国総領事公邸として建築された。大英帝国の風格をあらわした建物。1969年(昭和44年)、横浜市が買い取った。

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 「山手111番館」は、数多くの建築を残したアメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により1926年(大正11年)にアメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅として建てられた。スパニッシュスタイルの西洋館。

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 公園の南奥に建つ「神奈川近代文学館」では、『中原中也の手紙』展を開催していた。

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 この「神奈川近代文学館」あたりに、映画『コクリコ坂から』の主人公が住む「ココリコ荘」があったとされている。

 

 この日は曇りで日差しはないが、屋外で動いていると汗が止まらない。港の見える丘公園を出て、「エリスマン邸」、「山手234番館」に向かう。

 外人墓地の手前に建つ「岩崎ミュージアム」は、1980(昭和55) 年に学校法人岩崎学園「横浜洋裁学院」の服飾関係の資料、収集品を中心に展示する博物館。中にはほかに、ギャラリーや「山手ゲーテ座ホール」がある。この地は1885(明治18)年に建てられた劇場「ゲーテ座」の跡地の一部だそうだ。
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 外国人墓地の前にある「山手十番館」は、明治百年祭を記念して1967年(昭和42)年に開館した洋館風の喫茶店とレストラン。

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●14:15~15:10、エリスマン邸、山手234番館に行き、入館。

 
 「エリスマン邸」は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人だったフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、1926年(大正15年)に山手町127番地に建てられた。1982年(昭和57年)マンション建築のため解体されたが、1990年(平成2年)現在地に再現された。

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 エリスマン邸の斜め前にある「山手234番館」は、1927年(昭和2年)頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として建設。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられた。

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 山手本通り沿いに建つ古い電話ボックス。

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 「べーリック・ホール」(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、建築家J.H.モーガンの設計により1930年(昭和5年)に建てられた。現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物。横浜市は、復元・改修等の工事を経て、2002年(平成14年)から建物と庭園を公開。

 庭園では、ちょうどパーティが開かれていた。

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 山手本通りの坂道を下って、「外交官の家」に向かう。

●3:25~16:10、山手イタリア山庭園にある「外交官の家」。

 「外交官の家」は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられた。 1997年(平成9年)に横浜市は、内田氏の孫からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元した。国の重要文化財に指定。

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 この場所は、イタリア領事館が置かれたことから「イタリア山」と呼ばれ、イタリアでよく見られる庭園様式を模してあるそうだ。

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●16:30~17:20、中華街の「関帝廟」の近くの「長城飯店」で食事。

 西暦160年前後の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将・関羽は、信義の人であり、弱い立場の民衆の味方であったため、戦死した後も人々から支持され、関聖帝君として祀られ崇拝された。武将にとっても商人にとっても、一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚く「関帝廟」に奉られている。

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 以前中華街を歩くと、甘栗の押し売りが多くてあまり風紀が良くなかった。「関帝廟」の入口にも看板があるように、改善されたのか押し売りは見当たらなかった。


●18:25~20:00、大桟橋。

 「大桟橋」は、1894年(明治27年)に完成した鉄桟橋が前身。明治の末頃から1970年(昭和45年)頃までは、「メリケン波止場」とも呼ばれていた。2002年(平成14年)に完成した現在の大桟橋は、正確には「桟橋」ではなく「岸壁」だそうだ。横浜港における国内及び外国航路の客船の主要発着埠頭。

 
 日本郵船の客船「飛鳥II」は横浜港が母港。横浜港周遊船である「ロイヤルウイング」や伊豆諸島への離島旅客航路もある。

 大桟橋ホールの床面や左右の側壁は、船の甲板を思わせるウッドデッキ仕上げ。ホールは、大きな体育館やドーム球場のように、柱がない。

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 19:00を過ぎると、あたりは暗くなり、みなとみらいの夜景が浮かび上がる。

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 赤レンガの乗船場に向かうレストラン船「マリーンルージュ」と手前に屋形船。

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 19:45ころ、レストラン船「ロイヤルウイング」は、ディナー・クルーズに横浜大桟橋を出港。向うに横浜ベイブリッジ。

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 ブログ記事「横浜港の風景」
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e314.html

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