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2013年7月の4件の投稿

2013年7月21日 (日)

横浜山手西洋館

 2013年7月13日(土)、横浜の山手西洋館、中華街、大桟橋に行く。

 

 12:30、みなとみらい線「元町・中華街駅」に着く。

 
 駅から「谷戸坂」の坂道を歩いてみる。ジブリ映画『コクリコ坂から』のモデルとなった坂だ。以前は通った時はバスだったが、狭くて急な坂だという印象があった。神戸や長崎の山手を思い出す。歩いていてすぐに汗が噴き出す。15分程度で目的地の「港の見える丘公園」の展望台に到着。

●12:45~14:05、「港の見える丘公園」で過ごす。

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 「港の見える丘公園」は、「山下公園」と並んで横浜の観光公園の一つで、横浜港を見渡せる高台にある。1962年に開園、戦後の代表的な流行歌『港が見える丘』から名づけられた。

 ここから見る景色は、横浜ベイブリッジがあって何とか様になっているが、それが無いと目の前の雑然とした建物で、あまり港らしくない。昔見た景色は、もっと綺麗だったような気がするが、函館・神戸・長崎の見晴らしに比べれば、この山の標高はずっと低いそうだ。家族連れや若者たちのカップルも多い。

 この日は、もやがかかったような曇りで、横浜ベイブリッジが霞んで見える。

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 ジブリ映画の『コクリコ坂から』で、主人公の女子高生・海(うみ)が住んでいる場所で、毎日信号旗を掲揚するシーンのモデルが、この「港の見える丘公園」だそうだ。

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 ブログ記事 「映画『コクリコ坂から』」
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/20110903-0180.html

 気が付かなかったが、園内には『港が見える丘』の歌碑が建っているそうだ。

 

 展望台の南側に、アーチ型の屋根と赤レンガの「大佛次郎記念館」があり、横浜ゆかりの作家・大佛次郎の様々な資料で紹介している。作品では、「赤穂浪士」や「鞍馬天狗」などを知っているが、横浜生まれで横浜を最も多く描いた作家だそうだ。

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 奥に見える「横浜市イギリス館」は、1937年(昭和12年)に英国総領事公邸として建築された。大英帝国の風格をあらわした建物。1969年(昭和44年)、横浜市が買い取った。

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 「山手111番館」は、数多くの建築を残したアメリカ人建築家J.H.モーガンの設計により1926年(大正11年)にアメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅として建てられた。スパニッシュスタイルの西洋館。

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 公園の南奥に建つ「神奈川近代文学館」では、『中原中也の手紙』展を開催していた。

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 この「神奈川近代文学館」あたりに、映画『コクリコ坂から』の主人公が住む「ココリコ荘」があったとされている。

 

 この日は曇りで日差しはないが、屋外で動いていると汗が止まらない。港の見える丘公園を出て、「エリスマン邸」、「山手234番館」に向かう。

 外人墓地の手前に建つ「岩崎ミュージアム」は、1980(昭和55) 年に学校法人岩崎学園「横浜洋裁学院」の服飾関係の資料、収集品を中心に展示する博物館。中にはほかに、ギャラリーや「山手ゲーテ座ホール」がある。この地は1885(明治18)年に建てられた劇場「ゲーテ座」の跡地の一部だそうだ。
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 外国人墓地の前にある「山手十番館」は、明治百年祭を記念して1967年(昭和42)年に開館した洋館風の喫茶店とレストラン。

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●14:15~15:10、エリスマン邸、山手234番館に行き、入館。

 
 「エリスマン邸」は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人だったフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、1926年(大正15年)に山手町127番地に建てられた。1982年(昭和57年)マンション建築のため解体されたが、1990年(平成2年)現在地に再現された。

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 エリスマン邸の斜め前にある「山手234番館」は、1927年(昭和2年)頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として建設。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられた。

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 山手本通り沿いに建つ古い電話ボックス。

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 「べーリック・ホール」(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、建築家J.H.モーガンの設計により1930年(昭和5年)に建てられた。現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物。横浜市は、復元・改修等の工事を経て、2002年(平成14年)から建物と庭園を公開。

 庭園では、ちょうどパーティが開かれていた。

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 山手本通りの坂道を下って、「外交官の家」に向かう。

●3:25~16:10、山手イタリア山庭園にある「外交官の家」。

 「外交官の家」は、ニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などをつとめた明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられた。 1997年(平成9年)に横浜市は、内田氏の孫からこの館の寄贈を受け、山手イタリア山庭園に移築復元した。国の重要文化財に指定。

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 この場所は、イタリア領事館が置かれたことから「イタリア山」と呼ばれ、イタリアでよく見られる庭園様式を模してあるそうだ。

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●16:30~17:20、中華街の「関帝廟」の近くの「長城飯店」で食事。

 西暦160年前後の後漢、三国時代にかけて活躍した実在の武将・関羽は、信義の人であり、弱い立場の民衆の味方であったため、戦死した後も人々から支持され、関聖帝君として祀られ崇拝された。武将にとっても商人にとっても、一番大切なものは信義・信用という点から、商業神としての信仰も厚く「関帝廟」に奉られている。

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 以前中華街を歩くと、甘栗の押し売りが多くてあまり風紀が良くなかった。「関帝廟」の入口にも看板があるように、改善されたのか押し売りは見当たらなかった。


●18:25~20:00、大桟橋。

 「大桟橋」は、1894年(明治27年)に完成した鉄桟橋が前身。明治の末頃から1970年(昭和45年)頃までは、「メリケン波止場」とも呼ばれていた。2002年(平成14年)に完成した現在の大桟橋は、正確には「桟橋」ではなく「岸壁」だそうだ。横浜港における国内及び外国航路の客船の主要発着埠頭。

 
 日本郵船の客船「飛鳥II」は横浜港が母港。横浜港周遊船である「ロイヤルウイング」や伊豆諸島への離島旅客航路もある。

 大桟橋ホールの床面や左右の側壁は、船の甲板を思わせるウッドデッキ仕上げ。ホールは、大きな体育館やドーム球場のように、柱がない。

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 19:00を過ぎると、あたりは暗くなり、みなとみらいの夜景が浮かび上がる。

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 赤レンガの乗船場に向かうレストラン船「マリーンルージュ」と手前に屋形船。

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 19:45ころ、レストラン船「ロイヤルウイング」は、ディナー・クルーズに横浜大桟橋を出港。向うに横浜ベイブリッジ。

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 ブログ記事「横浜港の風景」
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-e314.html

2013年7月 9日 (火)

隅田川水上バスと浅草寺

 2013年07月05日(金) NHKスタジオパーク、東京タワーの観光の後、水上バスで隅田川をめぐり、浅草寺に行く。

 前のブログ記事「NHKスタジオパークと東京タワー」のつづき。

 

 14:30日の出桟橋に行くと、東京湾をクルーズする「シンフォニー クラシカ」(写真下)と、御座船「安宅丸(あたけまる)」が停泊していた。

 「はとバス」グループのシーライン東京は、1988年に設立された会社で、「シンフォニークラシカ」と「シンフォニーモデルナ」の2隻のレストラン船を所有、東京湾内の遊覧を運航している。

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 安宅丸(あたけまる)は、1632年(寛永9年)に徳川家光が将軍として威光を示すため新造した軍船形式の御座船の船名。1885年(明治18年)創業の東京都観光汽船が、御座船「安宅丸」の外観を再現し、観光船として東京湾を運航している。

 
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●水上バスで隅田川めぐり(15:00~15:40)

 東京都観光汽船が10隻近く所有する水上バスの一つで、隅田川を行き来する「竜馬」に14:55乗船する。

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 日の出桟橋から浅草まで、760円。隅田川に勝鬨橋、永代橋、清洲橋、吾妻橋など、様々な色や形の12の橋が架かる。川沿いの名所を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅。

 

 レインボウブリッジを背にして、日の出桟橋を15:00出港、隅田川をさかのぼる。

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 汐留の高層マンション群と東京タワー。手前の森は浜離宮庭園。

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 最初の橋の「勝鬨(かちどき)橋」は、晴海通りを通す橋。1905年(明治38年)、日露戦争における旅順陥落祝勝記念に、築地と月島を結ぶ渡し舟「勝鬨の渡し」が設置された。橋は、1940年(昭和15年)竣工、「東洋一の可動式の橋」だったが、交通量の変化で1970年(昭和45年)を最後に開閉が停止された。

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 「佃(つくだ)大橋」は、佃大橋通りを通す橋。隅田川最後の渡船場として320余年続いていた「佃の渡し」の位置に架けられた。1964年(昭和39年)に竣工、工事に伴い佃島と月島は地続きになった。川底の地下を地下鉄有楽町線が通る。

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 「中央大橋」は、八重洲通りを通す橋。1993年(平成5年)に架設された隅田川で一番新しい橋。

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 「永代橋」は、永代通りを通す橋。地下を地下鉄東西線が走る。現在の江東区佐賀町のあたりを、昔「永代島」と呼ばれていたことからその名がついたといわれ、 1698年(元禄11年)に将軍徳川綱吉の50歳を祝し、現在の位置よりも100m程上流(「深川の渡し」があった所)に架けられた。赤穂浪士が討ち入りの後、上野介の首をかかげて泉岳寺へ向う途中、この橋を渡ったことでも有名。 
 1897年(明治30年)に鉄橋として現在の場所に架けられ、関東大震災で破壊した後、1926年(大正15年)に現在の橋に架設された。

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 「隅田川大橋」は、高速道路の為に出来た橋で、首都高9号深川線が高架(水色)になっていて、下(緑色)が一般道路で葛西橋通り、水天宮通りを通す。

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 「清洲橋」は、清洲橋通りを通す橋。この橋は、両岸の清澄と日本橋中洲の地名から一字ずつ取って名付けられた。震災復興事業の一環として永代橋とともに計画、1928年(昭和3年)に竣工。2007年、勝鬨橋と永代橋と共に、国の重要文化財に指定された。

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 「新大橋」は、新大橋通りを通す橋。1694年(元禄6年)に架設され、当時この上流の「両国橋」を「大橋」と呼んでいたので、新しい大橋という名が付けられた。付近の川底を都営地下鉄新宿線が通る。1977年(昭和52年)に現在の橋に架け替えられた。


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 首都高6号向島線と首都高7号小松川線。高速道路専用の橋梁。

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 「両国橋」は、工事ネットが張られて、橋梁補修中とある。国道14号(靖国通り・京葉道路)を通す橋。本来の名は「大橋」であったが、武蔵と下総の国を結ぶ橋という事から「両国橋」と呼ばれた。江戸時代最大の火災である「明暦の大火」(1657年、明暦3年)で多数の犠牲者がでた為、防災上と江戸市街拡張のため、1659年(万治2年)に架設。現在の橋は、震災復興事業として、1929年(昭和7年)に架けられた。両国にある「回向(えこう)院」は明暦の大火の犠牲者を弔うために建てられた寺院。

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 JR総武線(御茶ノ水-千葉)の鉄橋。地下トンネルを総武線快速が走る。

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 「蔵前橋」は、蔵前橋通りを通す橋。西岸は台東区蔵前、川沿いに幕府の米蔵が並んでいた事から名付けられた「蔵前通り」の地名が、橋名となった。東岸は墨田区横網、両国国技館や江戸東京博物館がある。関東大震災の復興計画により 1927年(昭和2年)、現在の橋が架橋された。それ以前は「富士見の渡し」と呼ばれていた渡船場があった。

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 「厩(うまや)橋」は春日通りを通す橋。米蔵とともに厩(うまや)が並んでいて、馬を対岸へ渡す為、「厩の渡し」があった。1874年(明治7年)に、現在よりも約100mほど下流に架橋、現在の橋は1929年(昭和4年)に架けられた。 川底に都営地下鉄大江戸線が通っている。

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 「駒形橋」は、浅草通りを通す橋。「駒形堂」から名付けられ、「駒形の渡し」があった。駒形堂は、雷門から250mほど離れた隅田川岸に建っているが、浅草寺の一部である。浅草寺の御本尊(聖観世音菩薩)が隅田川から上陸された(魚網にかかって引き揚げられた)浅草寺ゆかりの場所。橋は、1927年(昭和2年)に竣工。

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 「吾妻橋」は、最も浅草の中心街に近い橋で、雷門通りを通す橋。「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があったが、1774年(安永3年)に架設。当時武士以外は有料だった。地元では隅田川を「大川」と呼んでいたので、はじめ「大川橋」だった。しかし江戸の東にあるために、町民たちに「東(あずま)橋」と呼ばれて、後に「吾妻」とされたようだ。1931年(昭和6年)に、現在の橋に架け替えられた。

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 この赤い橋を渡ると、東詰(写真右手)から100mほどで浅草寺の雷門がある。東京都観光汽船の水上バス浅草乗船場が西詰に設けられている。近くには、有名なデザインのアサヒビール本社や桜の隅田公園がある。

 吾妻橋の上流には、東武伊勢崎線の鉄橋と、その向こうに水色の「言問(こととい)橋」が見える。言問橋は、「伊勢物語」の在原業平の古歌に因んで名づけられた。

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 水上バスは、吾妻橋をくぐってUターンし、浅草水上バス乗船場に接岸。

 対岸には、琥珀色のビールと白い泡をイメージしたアサヒビール本社ビル、墨田区役所ビル、東京スカイツリーが見える。

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 隅田川の橋を調べると、昔は「渡し」の渡船場があった位置に架橋され、川底の下を地下鉄が通るケースが多いのがわかる。一部しか見たことはないが、どの橋も夜はライトアップされていて、とてもきれいだそうだ。

 

●浅草寺(16:00~17:00)

 再びバスで「浅草寺」へ移動。東側の「二天門」から入る。

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 境内には、多数の鉄パイプが立てられていた。ほおずき市の露店のためらしい。

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 浅草寺では、7月9日、10日の両日が「四万六千日(しまんろくせんにち)」の縁日。つまり126年分のご利益がある日だ。この両日には「ほおずき市」が、この縁日に因んで開かれる。昔ほうずきは、薬草として利用されていた。この日には、露店のほうずきを買い求めるの参拝者で、夜遅くまで賑わう。

 浅草寺周辺は自由行動で、めいめい仲見世で買い物など、1時間ほど過ごす。浅草寺はいつ行っても混んでいる。東日本大震災のあと、一時減少した外人観光客も、元に戻ったようだ。

 浅草寺の境内に、「浅草神社」があってびっくり。そうか、ここが「三社さま」として親しまれている浅草神社だと、後から気が付いた。
 5月に行われる有名な「三社祭」は、この神社の大例祭。江戸時代には、浅草寺と一体となった祭りで、「観音祭」又は「浅草祭」と呼ばれていたそうだ。ここも明治の神仏分離令で神社とお寺が分けられたのだ。

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 社殿には、神獣が多数描かれていた。鳳凰や麒麟などのほかに、三峯神社で見た翼のある龍「飛龍(ひりゅう)」の彫り物と絵があった。

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 飛龍は、頭は龍、体が魚で翼をもち、胴が短く尾びれがある動物。水を司る霊獣だそうだ。これを見つけたのが、集合時間の17時少し前だったので、残念ながらゆっくり見れなかった。

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 17時、浅草寺をあとにし、バスは19時前に最寄り駅に帰着。蒸し暑い梅雨空の日、少し雨があったが、何とか持ちこたえた。1日中歩き回ったので、帰りのバスの中では寝てしまった。

 今回の都内観光で、一度は観た所も少なくはなかった。しかし、少なくともブログ記事を書くことを意識して観てみると、新しい発見がいくつもあったのは収穫。

2013年7月 8日 (月)

NHKスタジオパークと東京タワー

 
 2013年07月05日(金)、恒例の日帰りバス旅行は、都内観光。 

 NHKスタジオパーク、東京タワー、水上バスで隅田川、浅草寺をめぐる。 

 

 
 

 関東甲信越地方が梅雨明けした前日、7月5日(金)は雨が降りそうで蒸し暑い日、貸切りバスで最寄駅前を午前8時出発。

●NHKスタジオパーク(10:00~11:00)

 首都高を経て最初の見学地、渋谷区神南にある「NHKスタジオパーク」に10時到着。

 入場料は200円、団体(20名以上)は150円。但し高校生以下・18歳未満・65歳以上は、無料となっている。

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 昔ここは、単なる見学者用コースだったそうだが、20年近く前から視聴者体験型の施設となった。前回ここに来たのは、大河ドラマで『義経』をやっていた時だったから8年前。あれからずいぶんリニューアルされている。今は、大河ドラマの『八重の桜』とか、朝ドラの『あまちゃん』が展示されている。

 順路に従ってめぐるが、「スタジオパークNEWS」というゾーンでは、ニュースのスタジオの模擬体験などができるので、観覧者には面白い。ニュースキャスターの席に座って、ニュース原稿を読んだり、カメラを操作したり自由に楽しむ。

 『スタジオパークからこんにちは』の公開放送スタジオは、基本的には以前来た時と変わらないような気がする。

 

●昼食(11:25~12:25)

 
 六本木にあるビル地下の「阿波尾鶏」の店で昼食。

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 「阿波尾鶏」は、徳島県の地鶏の軍鶏(しゃも)とブロイラーを交配・改良したブランドで、「阿波踊り」とかけて命名したそうだ。日本三大地鶏は、名古屋コーチン、比内地鶏、薩摩地鶏だが、阿波尾鶏は出荷数、シェアともにこれらの地鶏を抑えてトップを誇るという。

 昼食の一品に唐揚げが出た。後で知ったことだが、身が締まって低脂肪で適度な歯ごたえがあるそうだ。確かにいつも食べる唐揚げとは違って、ボリューム感があって、おいしかった。

 

 
●東京タワー(12:50~14:10)

 次の見学先の港区芝公園の「東京タワー」に向かう。

 昨年の日帰り旅行では、開業間もない「東京スカイツリー」に行った。今回は懐かしい「東京タワー」。関東一円にテレビ電波を送るため333mのタワーが開業したのは、1958年(昭和33年)・・・と、今年高校を出たばかりの若いバスガイドが説明する。もう55年も経っているのだ。誰からか、昭和33年は長嶋茂雄がジャイアンツに入団した年なんだという声があがる。

 赤と白のツートン・カラーだと思われているが、実はインターナショナルオレンジと白なんです、とガイドの説明。そういえば航空法で定められた色だと思うが、スカイツリーはなぜ青みががった白で良いのか、疑問が残る。

 150mの大展望台(820円)、250m(600円)の特別展望台に上がる。東京スカイツリーの鉄骨、設備や規模と比べると、半世紀の違いがよくわかる。確かに東京スカイツリーに比べると、観光客は圧倒的に少ない。

 外から見た時も気になっていたが、エレベータの窓から、タワーの鉄骨の間のところどころに青い防護ネットが張られ、足場が組んであるのが間近に見え、ちょっと見苦しい。夜間に、二つの工事が行われているという。地上アナログTV放送終了に伴う放送設備の撤去や改修・補強工事と、5年に1回の塔体全体の塗り直し工事だそうだ。

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 今日は強風のため、エレベータは減速運転していた。特別展望台では、じっと立っていると、風でゆっくり揺れているのがわかる。

 特別展望台から、増上寺、芝公園を望む。

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 品川方面、遠くに横浜方面。

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 左に六本木ヒルズ、中央に東京ミッドタウン、遠くに新宿高層ビル群。

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 左から上野・浅草、東京スカイツリー、銀座方面。

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 東京港とレインボウブリッジが、すぐ近くに見える。

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 大展望台の1階のガラス床から、真下を覘く。左手に工事用の防護ネットが見える。

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 日本はまだ貧しかったが、豊かさに向かっていた半世紀前の昭和30年代。昭和33年(1958年)に東京タワーが完成する。映画『三丁目の夕日』の中で、東京タワーが建設され、完成する時代の様子が描かれていた。

 ブログ記事参照:映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/always-64-3d16.html

 修学旅行や東京観光は、かならず東京タワーが代表的な名所だった。そして、昭和37年(1962年)首都高速開通、昭和39年(1964年)に新幹線開業と東京オリンピックが開催され、高度経済成長とともにテレビの時代やモータリゼーションと、繁栄の時代がやってくる。

 

 エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念して、1889年のパリ万博のために建造された。過去に解体されようとしたが、現在までの1世紀以上も立ち続けていて、今だにパリの象徴である。パリと違って、東京の高いビルに囲まれた東京タワーは、新しい東京スカイツリーにお株を奪われ、ちょっとかわいそうだ。夜間、ライティングした東京タワーを、ある場所から突然見えた時などは、あまりの美しさに感動する。東京タワーは、日本の繁栄の象徴であり、日本の遺産として、これからも立ち続けるべきだろう。

 

 日帰り旅行は、次のブログ記事「隅田川水上バスと浅草寺」につづく。

2013年7月 3日 (水)

湯ノ丸山

 2013年06月29日(土) 浅間山周辺の山、レンゲツツジの「湯ノ丸山」に登る。

 

 
 「湯ノ丸山」は、「信州・湯の丸高原」にある丸く緩やかな山。群馬県嬬恋(つまこい)村、長野県上田市、東御(とうみ)市との県境・市境にあり、浅間連峰の西側に位置する。高原では、6月下旬ごろ国の天然記念物のレンゲツツジの大群落が一斉に咲き乱れる。冬は湯の丸スキー場として賑わう。

 レンゲツツジの開花時期に合わせて、一昨年からこの山の登山計画は、2年続けて雨のため中止。3年目の今回も、梅雨空が気になっていたが、曇り一時晴れの天気予報。

 ★ ★ ★

 

 自宅を朝6時過ぎ出発。関越自動車道を経て、上信越自動車道小諸ICから小諸上田線(県道79号)を西へ進み、右折して東御嬬恋線(県道94号)を北上する。

 8:50、東御市の地蔵峠の大駐車場に到着(駐車料は無料)。駐車場は、すでに登山客、観光客の車でいっぱい。湯ノ丸山へは、スキー場のゲレンデの斜面中央から登るのだが、2人乗りのリフトが営業している。つつじ平(リフト終点)へ、歩けば約30分、リフトでは数分(片道¥500)。

 斜面を歩いて登る登山客も多いが、9:10リフトに乗る。冬はスキーのゲレンデになるが、牛が放牧されている。

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 リフトを降り。右手の牧柵ゲートを抜けると、つつじ平。一面オレンジ色に埋め尽くされたレンゲツツジの大群落が広がる。やや盛りを過ぎていたが、広さはなんと100ヘクタール、株数はおよそ60万株だそうだ。

 あまり知られていないが長野県須坂市の五味池破風高原(ごみいけはふこうげん)自然園が、100万株以上の規模で、県内最大のレンゲツツジ群生地だそうだ。北海道南部から九州まで、日当たりのよい草原に多く自生し、全国に群生地があるようだ。

 レンゲツツジは、つぼみが蓮華(レンゲ、蓮の花)に似ているとか、花が蓮華のように輪になって並ぶことから名付けられたというが、あまりそうは見えない。レンゲソウの方が蓮華のイメージに近いのだが。葉、花、根皮に痙攣(けいれん)毒があり、呼吸停止を引き起こすことがある。牛や馬も食べないので、レンゲツツジの群生地になっている牧場も多い。花の蜜も危険。養蜂家は、レンゲツツジが咲く頃には、蜂を放さないそうだ。群馬県の県花である。

 

 レンゲツツジの中を散策しながら正面の湯ノ丸山に向かう。

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 右手の山は、湯ノ丸山の北峰、左の南峰は雲で隠れている。

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 牧柵ゲートから登山道に戻ると、濃霧時に鳴らす遭難防止用の鐘があった。ここから先の狭い登山道は、多くの登山客で混み合っていて、コースタイム通りには登れない。

 人気のある山で、気軽に登れるので、若くない「山ガール」の方たち(自分たちのことを「ババガール」と言っていた)も多い。なだらかな山だが、登山道はジグザクでなく直登に近く、結構きつい。

 
 湯ノ丸山は双耳峰になっている。標高2101m南峰に、10:50到着。山頂には樹木はなく、広くて大小の石ころが一面敷き詰められている。南峰の方に三角点があり、数百m離れた北峰(写真下)より3mほど高い。

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 晴れていれば富士山、八ヶ岳、白馬三山~穂高連峰までの北アルプスの360度の眺望ができるそうだが、曇っていて全く展望なし。

 
 10:55、「烏帽子岳(えぼしだけ)」(標高2066m、写真下)の方向に向かう急坂を下りる。

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 この急坂のため、登ってくる人は少なく、スムーズに下れた。往路を下ると、混んでいて大変だったろう。

 11:35、鞍部の分岐で休憩。烏帽子岳へは、この分岐から再び急登し尾根に出て約50分の歩程だが、時間の都合で省略。出発点の地蔵峠方向へ下り、「池ノ平湿原」に移動することにする。

 
 12:10~12:40、中分岐で昼食。

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 湯ノ丸キャンプ場を通って、13:05地蔵峠駐車場に到着。

 写真は、キャンプ場付近で。湯ノ丸山の対面にある「西篭ノ登山(にしかごのとやま)」(標高2212m)、その後ろに「篭ノ登山(かごのとやま)」(標高2227m)が見える。この山の斜面もスキー場になっている。

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 写真下は、湯ノ丸山の登山道で見つけた小さな花。

 
 左は、高山植物としてよく見かけるハクサンフウロ(白山風露)。
 中央は、釣鐘型の花のサラサドウダン(ツツジ科ドウダンツツジ属)。少しピンボケ。
 右は、ウマノアシガタ(馬の足形、キンポウゲ科)。葉が馬蹄形をしていることから名付けられたが、実際は似ていないそうだ。
 

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 湯ノ丸山キャンプ場付近のアヤメ。池ノ平湿原でも多く見かけた。

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 13:20地蔵峠駐車場を出発。湯ノ丸高峰林道を池ノ平駐車場まで4.3Km、車で10分。池ノ平の駐車料は、乗用車500円。

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 1時間近く、池ノ平湿原を散策する。アヤメ、イワカガミ、ハクサンチドリ、アヤメ、それにレンゲツツジが咲いていた。

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 池ノ平湿原のハクサンチドリ。

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 ツツジ平のレンゲツツジは盛りを過ぎていて、アップに耐えられなかったが、池ノ平湿原のは、満開前でアップにするときれい。

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 池の平湿原については、ブログ「浅間山周辺の高原」を参照。

 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-39a6.html

 

 今回、案内板を見て初めて知ったが、「池ノ平湿原」は、数万年も前に噴火した「三方ヶ峰」(標高2090m)の旧火口にできた高層湿原だそうだ。標高2000mもの地形と、内陸性の気象条件で多様な自然を作り上げ、高山植物の宝庫となっているという。 

 写真左は、池の平湿原のイワカガミ。湯ノ丸山登山道にもあった。小さい花なので、不自然な姿勢で近寄らないと、なかなかうまく撮れない。
 写真中央は、池の平湿原のレンゲツツジ。
 写真右は、この後に行く展望露天風呂『雲の助』のテラスで見つけた黄色いアヤメ。キショウブ(黄菖蒲)というらしい。

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 駐車場の車に戻った直後、帰ろうとするとちょうど激しい雨が降り出す。14:45駐車場を出発。高峰高原、車坂峠を経由して、高峰チェリーパークライン(昔、有料道路だった)へ。

 15:20、菱野温泉に到着。

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 温泉旅館「常盤館」の本館ロビー奥から登山電車に乗る。

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 どんな電車かと思ったら、4~5人乗りの手作り感のある小さなケーブルカー。ちょうどエレベータのように、乗客がスタートのボタンを押し、到着するとドアが自動で開く。本館にも温泉の大浴場はあるが、登山電車に乗るのは上のほうに温泉の展望風呂があるから。

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 1分30秒で、標高1,050mの展望露天風呂『雲の助』に到着。いつの間にか雨は止んでいた。入浴料は1,000円だが、ケーブルカーに乗る面白さと、絶景の展望を考えると、高くはない。しかし、浴槽からの八ヶ岳、蓼科山、佐久平の大パノラマは、曇っているため、残念ながら展望なし。

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 展望露天風呂を出るころには、また激しい雨。帰りのケーブルカーの濡れた窓から、「常盤館」本館を見下ろす。線路の中央で、下から登ってきたもう一台とすれ違う。

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 16:50大雨の中、常盤館を出る。帰る途中で、雨は止む。

 県道130号線、小諸IC、上信越自動車道を通って、19:00自宅着。

 

 レンゲツツジの大群落、湯ノ丸山登山、池ノ平湿原の散策、菱野温泉のケーブルカーで行く露天展望風呂と、盛りだくさんだった。池ノ平湿原で雨が降り出したが、ちょうど車に戻ったところで、運が良かった。そのあと雨は降ったり止んだりで不安定だったが、湯ノ丸山頂と展望露天風呂からの眺めを除けば、梅雨の時期の満足な一日だった。

 今月末(7/27~)には、尾瀬の山小屋泊で、久しぶりにちょっとハードな「燧ケ岳」(標高2360m)に挑戦する。

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