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2013年3月 4日 (月)

八丈島-その1

 2013年2月22日(金)22時20分、竹芝桟橋を出港。レインボーブリッジをくぐって八丈島へ向かう。

 

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 しばらく東京湾からの東京の夜景を楽しむ。

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 ★ ★ ★

 八丈島は、伊豆諸島の島で、東京のほぼ真南の海上約290Kmに位置し、緯度は高知県室戸岬や長崎県佐世保市とほぼ同じくらい。面積70K㎡(山手線の内側とほぼ同じ)のひょうたん型をした島である。北西部には優美な八丈富士(854m)、南東部には渓谷に囲まれた三原山(700m)の二つの火山から成る火山島。富士火山帯に属する。行政区分は、東京都八丈町。

 黒潮暖流の影響を受けた海洋性気候で年平均18℃、風が強く、雨が多いのが特徴。春はフリージア、夏はハイビスカス、秋はストレチア、冬はアロエの亜熱帯の花が咲く。

 産業は、花や観葉植物栽培の農業と沿岸漁業、焼酎や「くさや」の加工、伝統工芸品の「黄八丈織」などの商工業のほか、観光業。人口8,224人(平成25年2月1日現在)。

 はるか縄文時代の昔、どこからか黒潮に乗って流れ着いた人々が住み着き、 遠くの明国の船や、江戸時代には島流しの人々がやって来た。流人たちが積み上げた玉石垣や八丈島最初の流人である宇喜多秀家の墓などが島内に残っている。

 豊臣秀吉の五大老を務めた宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで石田光成の西軍に属して敗れた。死罪は免れ、駿河国久能山へ幽閉、やがて流人として八丈島へ配流となった。

 特産品は、くさや、明日葉、焼酎、黄八丈、フェニックス・ロベレニー(シンノウヤシ、ロベ)。 フリージア、 パッションフルーツ(アメリカ大陸亜熱帯地域を原産とする果物)、ぶど(海藻を煮出して味付けし寒天状に固めた郷土料理)、島寿司など。

 

 ★ ★ ★

 この日は、JR田町駅西口から徒歩3分、慶応大学近くの「慶応仲通り商店街」(写真下)にある居酒屋で、17:00~定例会合が行われ21:00頃お開きとなった。

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 電車でひと駅のJR浜松町駅へ移動し、北口から徒歩約7分(21:30ごろ)で「竹芝客船ターミナル」(写真下)に到着。八丈島行きに同乗する3人を待つ。運賃は、早期割引15%で7,200円。

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 明日の天気予報は、晴れたり曇ったりだが、風が強いようだ。海上は3mはうねりとのこと、今のところ欠航にはならない模様。

 東海汽船の大型客船「さるびあ丸」の最下階の2等和室、小学生の修学旅行と思われる団体客が陣取る大広間の中に落ち着く。

 23:30消灯、船中泊。小学生たちは静かにしている。仲間4人で車座になって缶ビールを飲んでいたら、小学校の先生と思われる人から、消灯後の飲食を注意された。

 

 ★ ★ ★

 日が変わって、2013年2月23日(土)

 午前2:30ごろ、酒酔いが覚めたのか、繰り返す大きな揺れか、目が覚める。気分転換にデッキに出てみようと上の階に上がってみたが、安全のためにデッキへのドアは全部閉鎖されている。また部屋に戻り、横になる。船内は暑くて毛布いらずだが、喉が渇く。

 早朝5:00ごろ、三宅港に到着のアナウンスで、再び目が覚める。日の出は6時15分ごろなので、まだ真っ暗。結局デッキに出れず、船からの朝焼けを見ることは出来なかった。

 波が高いせいか、途中6:00着の御蔵島は欠航になった模様。船内をウロウロしたせいか、不覚にも軽い船酔い。立っていられないほどの揺れで、胸もムカムカ、気分が悪い。船内レストランでの朝食を抜いて、横になっている。

 9:20、八丈島・底土(そこど)港に到着した。

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 今朝、空路で着いた仲間と合流、レンタカーを連ねて、9:45底土港を出発。

 9:50、今晩宿泊するホテル「リードアズーロ」に到着。荷物を預けて、10:20横間ヶ浦に向かう。

 

●横間ヶ浦

 ホテルから島の反対側にある横間ヶ浦に10:35到着。玉石が転がる「横間ヶ浦」の海岸から、標高854mの美しい円錐形をした八丈富士を望む。波が荒い。

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 目の前には、険しい形の八丈小島が見える。

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 八丈小島は、八丈島の北西7.5Kmの海上にあり、島の中央に太平山(616m)がある面積3.1K㎡の火山島。1969年(昭和44年)全員離島し、現在は無人島だそうだ。

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●大里の玉石垣

 11:30、大里地区の玉石垣のある「陣屋跡」(写真下)に着く。1652年、北条早雲の家来中村又次郎が代官として来島し、ここに陣屋を設けたという。江戸時代は幕府の役所として、明治には東京府の支庁があったそうだが、今は石垣のみで駐車場になっていた。

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 玉石垣は、流人たちが遠く海岸から1つ1つ玉石を運び、積みあげたものといわれる。すぐ近くの「ふるさと村」には、玉石垣と椰子に囲まれた敷地に、母屋、牛小屋、高倉(高床の倉庫)、閑所(トイレ)のある古い民家が移築・保存されている。

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 ふるさと村にある民家の高倉(高床の倉庫)。

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 牛小屋(右)、閑所(トイレ)(左)

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 民家の母屋。

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 ふるさと村から八丈島歴史民族資料館の裏へと通じる道は、昔「馬路(うまみち)」と称し、八丈島の最も古い由緒ある道だそうだ。平坦な道が少なく、山間の多い八丈島では、昔から運搬や農耕は牛で、馬はいなかったとされる。民家にあるマヤ(馬屋)は、牛舎のことなので、馬路(うまみち)は牛路であったのだろうか。

 付近で見かけたアロエの花の蜜を吸いに来たメジロ。

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●明日葉うどん

 13:00~昼食。うどん・カフェの「合月(あいつき)」で、てんぷら付きの明日葉うどん1,050円。うどんといっても、細くて蕎麦と間違えそうな太さ。後で気がついたが、薬味にはわさびの他に「とうがらし」が付いていた。

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 そういえば朝気分が悪くて、朝食抜きだったのも忘れていた。
 

 この後は、次の記事「八丈島-その2」に続く。

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コメント

やっぱり船は揺れるようですね。
船旅一番の楽しみ、デッキに出られず、朝焼け撮れなくてガッカリですね。
「蜜を吸うメジロ」・・・シャッターチャンス逃さず見事ですね。

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