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2013年3月の6件の投稿

2013年3月17日 (日)

鉄道博物館

 2013年3月15日、さいたま市大宮区にある「鉄道博物館」に行く。
 

 2007年10月14日の鉄道の日に開館、さいたま市の新名所として、鉄道ファンや親子連れに人気がある。かねがね一度は行ってみたいと思っていたが、行きそびれていた。

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 JR東日本の創立20周年記念事業として、2006年5月に老朽化で閉館した「交通博物館」に替わる施設として建設され、公益財団法人東日本鉄道文化財団が運営。愛称は「鉄博(てっぱく)」。
 建設された場所は、JR旧大宮工場の解体線跡地。「交通博物館」は、千代田区神田に置かれ、秋葉原駅から徒歩3分にあった。

 開館初日は、徹夜組を含む入館者が約9,400人に達し、入場規制を行ったそうだ。2012年10月に開館5周年を迎え、12月には英国国立鉄道博物館と姉妹館提携をしている。

 2012年末で来場者数は560万人を突破、当初の予想を上回るペースだという。入館料は、一般1,000円、小中高生500円、幼児200円。

 

 館内の主な施設を、10時15分~15時半頃までめぐる。

●1階 ヒストリーゾーン

 鉄道創世期から現在までの各時代の蒸気機関車や退役した在来線特急、天皇や皇族が乗る御料客車、新幹線など36両の鉄道車両の実物が展示されている。車両を間近から見たり、車内に入ったりもできる。外部からの引込み線が接続されており、車両の入れ替えが可能だとのこと。

 写真下は、実際に稼動するターンテーブル上のC57形蒸気機関車。

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 上野ー新潟間を運行した在来線特急の「とき」。

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 寝台特急「あさかぜ」は、東京-博多間を運行していた。

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 「あさかぜ」の3段ベットをホームから覗く。マネキンがベットに寝ている。

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 鋼製の客車オハ31形式で、内装はなつかしい木製。

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●2階 鉄道歴史年表

 日本の鉄道史を、長さ約75mの年表にしてある。ここからは、1階のヒストリーゾーンを一望できる(写真下)。

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 2階スペシャルギャラリーでは、第5回コレクション展「模型でたどる鉄道史」(会期2013年3月9日~6月10日)が開催中。実写図面を基に製作、細部まで忠実に再現された車両模型が展示されていた。
 

●模型鉄道ジオラマ

 
 風景や建物がある横約25m、奥行約8mの模型上に、16番ゲージ鉄道模型を敷設。軌道総延長約1,400mで、最大20編成の車両が走行。16番ゲージのジオラマでは、日本最大級。

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 ジオラマでは、新幹線とSLが並走する。

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●ミニ運転列車

 屋外のパークゾーンにあり、1周約230mの軌道で3人乗りミニ列車。小学生以上なら、信号機に従ってアクセルとブレーキを操作して運転できる。(写真は、屋上から見下ろす)

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●ミニシャトル

 新幹線E2系(「はやて」仕様)の形をした車両で、230mの線路上を往復運行されるミニ列車。こちらは、ミニ運転列車と違って乗るだけ。幼児や小学生向けの遊園地の電車と同じようなもの。

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●3階ビューデッキと屋上のパノラマデッキ

 ビューデッキは、営業運転中の新幹線やニューシャトルを観察することができる休憩スペース。パノラマデッキは、新幹線(写真下)、ニューシャトルと在来線の各線を一望できる地上25mの展望台。

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●その他の館内施設

 このほか、実物そっくりの車両の運転台に座って、前方のスクリーンを見ながら運転シミュレーションが体験できる「シミュレータホール」。蒸気機関車D51形、新幹線200系、山手線205系など5種類の車両がある。これと似たものに、初級・中級・上級コースがある「運転士体験教室」が開かれている。

 また、鉄道車両の動力やブレーキなど、実物の部品を用いた装置などを使い原理やしくみを体験学習ができる「ラーニングホール」などなど、数々の館内施設があった。

 レストランの「日本食堂」で昼食をとる。駅弁屋や、ミュージアムショップ(売店)などもある。

 

 ★ ★ ★

 当館を見て、鉄道にかかわる遺産・資料を保存・調査研究を行う「鉄道博物館」とういうだけでなく、産業史としての「歴史博物館」、鉄道技術について体験学習する「教育博物館」として位置づけられているのは、うなずける。特に、全体の半分のスペースを占めるヒストリーゾーンでの車両展示や解説は、さすがに「鉄道博物館」として貴重な遺産がここにあり、日本の鉄道のあゆみを実感するとともに、今は見られない昔よく乗った車両が懐かしい。

 この種の民間の博物館は、テーマパークや遊園地の要素も含まれていて、国や自治体の施設よりおもしろい。平日で比較的入館者は少なかったようだが、土日曜・祝日や春休みになると、もっと混み合うのだろう。

 

 当館のほか、全国に鉄道資料を展示する博物館・資料館はたくさんある。調べてみると、主な施設は以下のようだった。

  ・JR東日本: 青梅鉄道公園(東京都青梅市)
     (参照) http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-992f.html
  ・東武鉄道: 東武博物館(東京都墨田区)
  ・東京メトロ: 地下鉄博物館(東京都江戸川区)
  ・横浜市電: 横浜市電保存館(横浜市磯子区)
  ・東急電鉄: 電車とバスの博物館(川崎市宮前区)
  ・JR西日本: 梅小路蒸気機関車館(京都市下京区) 2016年春、新たに鉄道博物館が開業予定。 
  ・JR西日本: 交通科学博物館(大阪市港区)
  ・三岐鉄道: 貨物鉄道博物館(三重県四日市)
  ・JR九州: 九州鉄道記念館(北九州市門司区)

 最近では、世界的な模型製作者で収集家の原信太郎氏(93)が、約80年をかけて築いた鉄道模型コレクションを展示する「原鉄道模型博物館」が、昨年7月10日に横浜でオープンしたそうだ。

2013年3月 8日 (金)

宝登山神社

 2013年2月28日(木)、埼玉県秩父郡長瀞(ながとろ)町の宝登山(ほどさん)のふもとにある「宝登山神社」に行く。

 先の「長瀞・宝登山のロウバイ園」のブログ記事の続き。

 

 宝登山ロウバイ園で花見をした後下山、13:05ふもとの宝登山神社へ。参拝し、極彩色豊かで豪華な彫刻など、40分ほど眺めて回る。

 「宝登山神社」は、「秩父神社」、「三峰神社」と並び秩父三社の一つ。宝登山山頂には、宝登山神社の奥宮が鎮座している。

 秩父鉄道長瀞駅前には、明治の偉人・渋沢栄一が讃えた「長瀞は、天下の勝地」の石碑がある。宝登山神社の二之鳥居(写真下)の左には、同氏筆の「宝登山は、千古の霊場」の石碑が立っている。残念ながら両方の石碑を見逃した。

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 ●宝登山神社の由緒

 社伝によれば、今からおよそ1900年前の西暦110年、第12代景行天皇の皇子・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、勅命によって東北地方を平定した。その帰りに宝登山に登り、山頂にて三神(始祖の神武天皇、山の神、火の神)を祀ったのが、当神社のはじめと伝えられる。また登山の途中、山火事のため進退きわまったとき、多くの巨犬が現れ火を消し止め、尊(ミコト)を助けたという。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止(ほど)山」の名が起き、のちに「宝登山」となったという。

 この巨犬は大口真神(おおくちまがみ、オオカミのこと)で、火災盗難よけ、諸難よけの守護神としての御神徳が高く、地元はもとより関東一円からの信仰されている。また、宝の山に登るという意味から、商売繁盛、諸願成就などの祈願も盛んだそうだ。

 尊が登山に先立ち、みそぎをされた「玉の泉」は、今の社殿の後の方に残っていそうだが、気がつかなかった。

 

 ●社殿

 現在の社殿は、江戸建築の技巧である「唐波風権現造り(からはふ・ごんげんつくり)」、江戸期末期から明治初期に建てられたそうなので、そんなには古くはない。拝殿正面や欄間には、すばらしい彫刻に鮮やかな色彩が施されている。

 宝登山神社は、2011年(平成22年)にご鎮座1900年を迎え、136年ぶりに社殿の大改修を行って2010年(平成21年)12月竣功、彫刻に彩色を施すなど創建当時の姿に復興したという。

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 拝殿正面、向拝を飾る5頭の竜は、迫力があって見事だ。

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 拝殿の彫刻は、川原明戸村(現熊谷市大麻生)の彫刻師・飯田岩次郎の代表作。東松山市の箭弓稲荷神社の拝殿の彫刻師は、飯田仙之助だが、岩次郎はその子らしい。また、熊谷市の妻沼聖天山は、上州花輪村(現群馬県みどり市)の彫刻師であった石原吟八郎を中心に制作されたものだが、飯田仙之助はその石原流の門人だったようだ。

 拝殿両側の「二十四孝」の一部が彫刻されていて、興味深く見入った。「二十四孝」は、儒教にかかわりの深い中国で昔から伝わる孝行話24話を集めたもので、いつのころか日本に伝わった。儒教の教えでは孝行が重要とされ、仏閣等や人物図などが描かれたり、御伽草子や寺子屋の教材にもされている。

 4つの欄間に彫刻があり、8つの話が描かれている。

 

●拝殿の左側面(西側)の欄間

 【剡子(えんし)】 ・・・写真下の右手

 剡子には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の薬になると、剡子は鹿の皮を身にまとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて射ようとしたが、孝行の志が篤いので射られずに帰ることができ、親孝行をすることが出来た。

 【子路(しろ)】・・・写真下の左手

 孔子の弟子の子路は、家が貧しくて遠い所まで米をかついでは賃金をもらって、母親の孝行していた。その孝行の恵み深いものがあって、母が死んでから楚の国の役所に務める事ができ、富みや地位を得た。子路は、今親があって仕える事ができれば、どれだけ喜こんでもらえるかと嘆いたと言う。

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 【楊香(ようこう)】・・・写真下の右手

 ある時、楊香が父と山に行った際に、虎が出て来て2人を食べようとした。「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さい」と懸命に願ったところ、虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。

 【孟宗(もうそう)】・・・写真下の左手

 孟宗は、年老いた母親を養っていた。病気になった母は、ある冬に筍が食べたいと言った。冬に筍があるはずもなく、孟宗は天に祈りながら竹林の雪を掘った。すると、あっと言う間に雪が融け、土の中から筍が沢山出て来た。母はたちまち病も癒え、天寿を全うした。

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●拝殿の右側面(東側)の欄間

 【郭巨(かくきょ)】・・・写真下の右手

 郭巨の家は貧しかったが、母と妻を養っていた。子供が産まれると母は孫を可愛がり、自分の少ない食事を分け与えていた。夫婦であれば子供はまた授かるだろうが、母親は二度と授からない。この子を埋めて母を養おうと地面を掘ると、黄金の釜が出てきた。子供と一緒に家に持ち帰って、さらに母に孝行を尽くした。

 【王祥(おうしょう)】・・・写真下の左手

 王祥は継母からひどい扱いを受けたが、恨みに思わず大変孝行をした。冬の極寒の際に魚が食べたいと言われて王祥は河に行くが、氷に覆われ魚はどこにも見えない。衣服を脱ぎ、氷の上に伏して大漁を祈ると、氷が融けて魚が2匹出て来た。

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 【舜(しゅん)】・・・写真下の右手

 舜は大変孝行な人だった。父は頑固者で母はひねくれ者、弟は能無しであったが、ひたすら孝行を続けた。皇帝は舜の孝行心に感心し、舜が田を耕しに行くと、皇帝が差し向けた白象が現れて田を耕し、鳥が来て草を取って助けた。皇帝をは舜に娘をとらせ、皇帝の座を舜に譲った。

 この舜と白象の話は、本ブログ記事「珍獣?霊獣?象が来た!-その2」にも掲載した。
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/2-d14f.html

 【唐夫人(とうふじん)】・・・写真下の左手

 唐夫人は、姑の長孫夫人に歯がないのでいつも乳を与え、毎朝姑の髪をすいて、その他様々なことで仕えた。長孫夫人は死の床で、嫁の孝行を褒め讃え、その恩が報われるよう親族に頼んで死んだ。

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 以上、現代ではちょっと理解しがたい内容ではある。昔の庶民は、どう解釈していたのだろうか。明治になって、福澤諭吉は『学問のすすめ』で、孝行の勧めについて「二十四孝」を批判している。

 ●脇障子 

 社殿の四隅にある脇障子には、三国志などの中国古典の逸話を描いてある。

 【長坂坡(ちょうはんは)に戦う趙雲(しょううん)】・・・拝殿左側面(西側)の手前の脇障子

 趙雲は三国志に登場する好漢の一人で、愛馬「白龍」と長槍を持って活躍。劉備が曹操軍と戦う「赤壁の戦い」に先立つ「長坂坡の戦い」で、劉備の子「阿斗(あと)」を預かった趙雲はこれを守り奮戦し、諸葛孔明をして「蜀の柱石であった」と死後も多いに讃えられた。

 右の写真はその裏面で、虎が描いてあるがガラスが反射していて、良く見えない。

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 【黄石公(こうせきこう)と張良(ちょうりょう)】・・・拝殿左側面(西側)の奥の脇障子

 漢の高祖・劉邦に仕えた若き日の張良の話。老人・黄石公は、張良の器を見定めるため、履(くつ)を橋の下に何度も落として、張良に拾わせる試練を与える。張良は、数々の試練に耐え、やがて兵法の秘伝を伝授される。(写真は少しピンボケ)

 この話は、東松山市の「箭弓稲荷神社」のもその彫刻があり、記事が書いた。
 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-fd05.html

 右の写真はその裏で、唐獅子と牡丹を描いてある。

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 【西王母(せいおうぼ)の桃を盗む】・・・拝殿右側面(東側)の奥の脇障子

 前漢の武帝は不老不死を願い、ついに仙人の西王母と会うことが叶い、不老不死の仙桃を授かることになった。武帝に知略知己を以って仕える東方朔は、三千年に一度しかならない仙桃を盗み食いし、雲に乗り逃げ出し、800歳の年を数えたという。

 写真右はその裏で、全体が見えないため、よくわからない。

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 【赤兎馬(せきとば)を駆る関羽(かんう)】・・・拝殿右側面(東側)の手前の脇障子

 関羽は劉備の臣だが、訳あって曹操に仕え、一日に千里を駆ける名馬「赤兎馬」を授かり、劉備に対する忠義の心を持ち活躍する。後に孫権によって処刑されるが、その才覚が霊験あらたかとして、「廟」に祀られ信仰を集めた。 

 その脇障子の裏側は、写真を撮り忘れたのか、撮れなかったのか、手元にない。

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 ●その他、本殿妻の装飾

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 宝登山神社の境内は、 次の小社が祀られている。

 ●宝登稲荷神社

 1822年(文政5年)に伏見稲荷神社から倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請して祀った宮。

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●天満天神社と日本武尊社

 天満天神社(写真下・左)は、学問の神様である菅原道真公を祀ったお宮。日本武尊社(写真下・右)は、最もゆかりの深い日本武尊の御神霊を祀ったお宮。

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 そのほか、境内には藤谷淵神社、招魂社、水神社の小社がある。

 

 ★ ★ ★

 2年前にこの神社に来た時は、すでに改修が終わっていて彫刻は彩色されていたから、インパクトがあったはずだ。しかし、あまり記憶がない。

 その後、日光東照宮や妻沼聖天山の彫刻を見てからか、意識するようになった。技巧をこらした彫刻の一つ一つに物語があり、参拝者に何を伝えようとしたのか、当時の宮大工や絵師、彫師に思いをはせる時、彼らのプロとしての凄さが伝わってくる。

 

 本ブログの参考記事
 「日光東照宮」 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-adaa.html
 「妻沼聖天山」 http://otsukare-sama.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-8470.html

 

 

2013年3月 7日 (木)

長瀞・宝登山のロウバイ園

 2013年2月28日(木)、長瀞(ながとろ)の宝登山(ほどさん)に登り、蠟梅(ろうばい)の花見に行く。

 

 埼玉県秩父郡長瀞町にある宝登山は、最近では2年前の2011年2月13日に登っている。
 この時は、長瀞駅の一駅先の野上駅から、「長瀞アルプス」と呼ばれる稜線を歩き、宝登山の北西にある登山口から宝登山に登り、宝登山神社に下山、長瀞駅までの歩程8.6Km、3時間20分のハイキングコース。登山道のところどころに残雪やぬかるみがあり、滑りやすく歩くのに大変だった記憶がある。

 この日の秩父地方は快晴、最高気温は16℃、今年初めての暖かい日。「早春の花見」で蠟梅(ろうばい)を見るため、長瀞駅から宝登山を往復するウォーキング会に参加。歩程は、片道3.4Km、約1時間。

 参加者22名は、電車で秩父鉄道の長瀞(ながとろ)駅へ。

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 9時25分駅前を出発、国道140号線を横切って、緩やかな坂道になった参道を歩く。1Kmほどで宝登山(ほどさん)神社に着く。

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 近くには、ロープウェイ山麓駅がある。ここから山頂まで約2.4Kmの山道を登る。急な坂道で汗ばみながら上着を脱ぎ、長瀞の街並み見下ろす場所で休憩。

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 山頂に近付くにつれ、日陰には雪が残っている。猿や鹿とふれあえる「宝登山小動物公園」が見えると、山頂はもうすぐ。

 やがて急な階段を登れば鳥居が現れ、10時45分宝登山神社の奥宮に到着。案内板には1,900年前、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がここで神霊を拝したとある。武甲山や両神山の神社がそうであるように、狛犬がオオカミになっている。

 ここから南側に回るとすぐに、標高497mの標識のある山頂。

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 山頂の南側斜面には、満開の「西ロウバイ園」が広がる。石灰岩の採掘で山容の変わった日本二百名山の「武甲山」(1304m)と秩父市街方面が一望。

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 右手には、百名山で鋸状の山容を持つ「両神山」(1723m)を望む。イザナギの神とイザナミの神を祀っているので両神という。

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 平日だが、蠟梅を見に来た観光客やハイキング客で賑わっていた。

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 ロープウェイ山頂駅に付近にある東ロウバイ園の方は、まだ3~4分咲きといったところだが、福寿草とマンサクの花が満開。

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 蠟梅には3種類あるそうだ。「ロウバイ園」では、気が付かなかったが、後で調べてみた。
 写真左から、芯部が紅紫色で花弁が細い「和蠟梅」、香りが良く花弁の先が尖っている「素心蠟梅」、素心蠟梅から選抜された品種で花弁が丸い「満月蠟梅」。(写真は、ネットから引用。)

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●宝登山神社

 

 12:20下山開始、もと来た山道を下る。手元の温度計では18℃を示している。

 

 13:05ふもとの宝登山神社に到着。秩父神社、三峰神社と並び、秩父三社の一つに数えられている。(宝登山神社については、次の記事として、詳しく掲載予定。)

 

 

 

●旧新井家住宅

 

 
 14:00、「長瀞町郷土資料館・旧新井家住宅」に寄ってみる。長瀞駅~宝登山神社の参道の脇にある。

 

 昔来た時には資料館はなかったが、資料館(入館料200円)の中に、旧新井家住宅がある。資料館入口に、旧新井家住宅の模型がある。

 

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 江戸時代中期の養蚕農家で名主だったという「旧新井家住宅」は、藁葺(わらふ)きではなく雨に強い栗の木の板を使った「板葺き」という独特な造り。窓口の人が、模型の板を使って、葺き方を説明してくれる。国の重要文化財に指定されている。

 

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 移築・改築されているが、270年ほど前の暮らしぶりを体感出来る貴重な歴史的建造物。下のモノクロ写真は、移築前のもの。

 

 
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 母屋の内部に入る。写真下は、「でえどこ」と「いろりばた」で、板張りの「ざしき」が続く。

 

 「でえどこ」は台所で、農産物の加工場でもあり、穀物の貯蔵場でもあった。広い土間は、石灰とにがりを混ぜて叩き固めてあり、コンクリートのように硬い。「ざしき」は、日常生活の場であるが、養蚕の時期は蚕で占領されるという。

 

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 「でえどこ」に隣接して「じがらば」(米や麦を臼でつく場所)、「ふろば」、「うまや」などがある。このほか、「へや」(寝室)、客間の「でえ」、唯一畳を敷いた客間の「おくでえ」。「でえ」と「でえどこ」には、階段があって二階もある。なお、便所は母屋の外にあった。

 

 資料館の方は、機織りや遺跡出土品、民具などが展示されていた。

 

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●岩畳(いわだたみ)

 

 14:30長瀞駅(写真下)に着く。駅前に、埼玉県の誇る明治の偉人・渋沢栄一が称えた「長瀞は、天下の勝地」という大きな石碑が立っているそうだが、見逃してしまった。5分ほど休んで、岩畳通り商店街を抜けて荒川の岩畳に行く。

 

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 長瀞は、隆起した結晶片岩が、荒川で浸食され岩畳となって広がり、奇岩に富んだ断層谷や岩石段丘をつくった。1878年(明治11年)、地質学者ナウマン博士の調査によって再発見され、「日本地質学発祥の地碑」がある。
 

 

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 荒川ライン下りは、冬季限定の「こたつ舟」で足元ぬくぬくで、岩畳や巨岩、川岸の絶壁や滝などを楽しめるそうだ。

 

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 ちょうど客を乗せた一艘の舟が、ゆっくり下ってきた。

 

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 15:00岩畳を出て、岩畳通り商店街のみやげ屋「万寿庵」で、長瀞名物を購入。熊笹の粉末や味噌を練り込んだ「熊笹まんじゅう」、「みそまんじゅう」の6個セット500円。そら豆の甘納豆に絹粉をまぶして食べる「絹の豆」450円。

 

 
 15:15、再び長瀞駅に戻る。この日一日、宝登山に登り、早春の花、宝登神社、旧新井家住宅、岩畳などを楽しめた。

 

 

 

 

 

 下山後にちょっと一杯の参加者4人と、駅のホームで会う。15:22発の寄居・熊谷方面行きに、一緒に乗車。それからの道中は、話に夢中で乗り過ごしたり、途中下車の駅前の居酒屋に行くが準備中だったり、乗り換え駅のホームで当てにした蕎麦屋が閉店していたり・・・・・・の5人の珍道中。出発駅に戻って、駅前で飲み過ぎる者・・・・、帰宅したのは21:30ごろ。

2013年3月 6日 (水)

八丈島-その3

 2013年2月24日(日) 「八丈島-その2」の続き。

 早朝5:15から自由参加で、汐間海岸での日の出(6:15)撮影の予定。早朝4:50ホテル出発だったが、起きたのは、5:00ごろ。遅れて出発するが、道が分からず6:00ごろホテルに帰る。結局、日の出撮影の参加者は半数程度だった。

 

 ホテル「リードアズーロ」は、1泊朝食付きで5,500円。このホテルは、八丈島東海岸の太平洋に面し、プールもあるおしゃれなリゾートホテル。車で八丈島空港より7分、底土港より7分の静かな場所にある。
 リードアズーロ(Lido Azzurro)は、イタリア語で「紺碧(Azzurro)の海(Lido)」の意味だという。

 
 朝、海側から撮影。奥の方に宿泊したアネックス館(別館)が見える。左手にプールがある。

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 7:00~8:00、バイキングの朝食。
 

 予定していた登龍峠(のぼりょうとうげ)とポットホール散策路は、道路工事中などで変更。三原山へ行くことになる。

 (登龍峠は、八丈島屈指の絶景ポイント。ポットホールは、沢の岩の窪みを水が流れるときに、小石が岩を削って穴を広げて出来た不思議な光景。)

 

 

●三原山大池・小池

 9:10、ホテルを出発。三原山のカルデラの散策路入口に9:45着く。天気は曇ったり晴れたりだったが、風が強くて寒い。少し、ひょうらしきものが降ってきた。

 
 三原山(標高700m)は、八丈富士と異なり噴火の歴史が古く、10万年以上も前に誕生した。写真下は、電波塔などがある三原山の山頂付近。

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 三原山は、川や滝が多く、一部の杉が植林されているが、土壌が熟成しているので樹木がうっそうと茂る。

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 散策場所に大池、小池と呼ばれる池があり、約6000年前までカルデラにあった湖の名残だそうだ。
 小池(写真下)は水が無く、湿地になっていた。雨が降ると池になるらしい。

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 大池(写真下)は、人工的な感じがして自然の池に見えなかった。

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●裏見ヶ滝

 11:33「裏見ヶ滝温泉」の駐車場着。階段を下りると、無料の露店風呂「裏見ヶ滝温泉」がある。混浴のため水着を着用とのこと。地元の人だろうか、1人入りに来た。

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 周りは、映画「ジュラシックパーク」に出てきそうな、ヘゴシダなど亜熱帯の木々が生い茂っている。

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 ジャングルのような遊歩道を数分歩くと、滝がある。滝の裏側を歩けるから「裏見」の名がついた。

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 遊歩道の途中に、玉石が並んだ急傾斜の階段があり、案内板には「為朝神社石宮」とあった。流人の石工が造ったという石の祠がある。1156年、保元の乱で敗れた源為朝は、伊豆大島に流された。八丈島にもいくつもの為朝神社や、為朝の言い伝えがあるそうだ。

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●足湯きらめき

 
 太平洋が一望できる中之郷の「足湯きらめき」に12:53着。近くに藍ヶ江港があり、水平線に沈む夕日も見ることができるそうだ。

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 しばし、靴を脱いで足を漬けると疲れが取れて、体全体が気持ち良い。ここもバイクで通りがかりの地元の女性が休んで行った。

 

 13:33~114:22、居酒屋「むらた」でランチ。テレビ東京「TVチャンピオン}のカレーで有名だという。チキンカレー800円を注文。
 椎名誠のサインが、板壁にじか書かれていた。

 14:40、レンタカーの給油して植物園に向かう。ガソリン代は、本土よりも30円以上高いリッター当たり180円くらいだった。

 

 

●植物公園

 
 14:45~16:25、空港近くにある「都立八丈植物公園」。25haの敷地内には亜熱帯の植物を観察できる。温室にはハイビスカスやブーゲンビリアなどの花木類、観葉植物、果樹類などあわせて100種類以上の植物が展示。

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 園内のビジターセンターのレクチャールームで、八丈の自然の紹介したビデオを15分ほど鑑賞。

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 ビジターセンターの隣に温室があった。ハイビスカスやブーゲンビリアなどの花が咲き乱れ、観葉植物、パパイヤ、マンゴー、バナナなどの果樹など、100種類以上の熱帯・亜熱帯植物が展示。

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 16:30、八丈島空港着、レンタカー返却。17:20発ANA830便のエアバスA320、羽田空港には18:15到着の予定。旅割55で、10,370円。

 この日も雲が多かったが天気は晴れ。最高/最低気温は11℃/6℃だから、最高気温は東京区部(8℃/1℃)より暖かかったことになる。しかし昨日よりもさらに西の風が強く、風速が9m/s。飛行機の運行が心配されたが、10分ほど遅れただけで予定通り出発した。

 

 八丈島の水源は、川や地下水が豊富だとのこと。電力は、ジーゼルエンジンの火力発電所と火山島のため地熱発電があるそうだ。風力発電の風車も1基、どこかで目にした。

 この時期の八丈島には、アロエの花があちこちに咲いていた。フリージア畑があるそうだが、気が付かなかった。「八丈島フリージアまつり」が、3月20日~4月7日にあるそうなので、まだ咲いてなかったのだろうか。

 

 

 船中泊を含め2泊3日、関係者の方々に大変お世話になった。特に、ご案内いただいた地元のH先生、教室のK先生、幹事のSさん、レンタカーの運転手役の方に感謝。

2013年3月 5日 (火)

八丈島-その2

 2013年2月23日(土) 「八丈島-その1」の続き。

 八丈富士のなだらかな山肌には広大な牧場があり、七合目にある平坦な環状道路「鉢巻き道路」が整備されている。鉢巻き道路内にある登山口から1280段の階段を登れば、八丈富士の火口丘(通称:お鉢)にたどり着くという。火口丘を1周する「お鉢めぐり」ができるそうだ。

 

●ふれあい牧場

 昼食の後、鉢巻き道路沿いにある「ふれあい牧場」に14:24到着。

 市街地を一望する展望台がある。展望台からは、正面に三原山、眼下には八丈島空港・中心市街地、底土港、八重根港が一望できる。

 

 鉢巻き道路から見るふれあい牧場と展望台。西側(右手)に断崖の海岸線が見える。

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 鉢巻き道路から見るふれあい牧場と東側(左手)の海岸。

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 展望台から東側の底土港(今朝上陸した港)と三根市街。

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 展望台から八丈島空港と三原山が正面に。遠く青ヶ島が見えることもあるという。

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 展望台から西側の八重根港、今朝行った横間ヶ浦、断崖の海岸のズームアップ。

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 この後行く予定の南原(なんばる)千畳敷

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 展望台から後方の八丈富士を仰ぐ。

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 鉢巻き道路に戻り、途中の展望の良い道路沿いで、15:45から35分間ほど雲間の光芒、逆光の太平洋と八丈小島の幻想的な光景を望む。

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●南原(なんばら)千畳敷

 アロエ植物園付近を通って、16:40南原千畳敷に着く。

 南原千畳敷は、八丈富士の噴火で海に流れ出た溶岩台地。真っ黒な溶岩の岩壁に、打ち付ける迫力のある白い波しぶきを見る。雲が厚くて、夕陽が水平線に沈む光景は見えなかった。

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 雲が多かったがこの日の天気は晴れ。最高/最低気温は11℃/8℃だから、最高気温では東京区部(10℃/3℃)とあまり変わらないが、西の風が強く風速6m/sだった。

 

 

 18:00、ホテルに一旦戻る。18:26タクシーに分乗して、全員で三根市街へ。

 18:30~郷土料理の「梁山泊(りょうざんぱく)」で、夕食・懇親会が21:30ぐらいまで続いた。

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 新鮮な刺身、意外と自分には臭くさくなかった「くさや」、岩のり、島たくわん、蒸した里芋「にようげいも」、明日葉のてんぷら、「かんも」(八丈産さつま芋)のてんぷら、明日葉ビール、小ぶりの握り寿司の「島寿司」、海藻を寒天で固め磯の香りと食感が良い「ぶど」・・・・などなど、郷土料理を満喫。「島とうがらし」は調味料として、うどん・蕎麦の薬味に、刺身しょうゆに、味噌などに使うそうだ。

 

 21:45頃、ホテル「リードアズーロ」のアネックス館(別館)に戻る。

 ホテルの中でもこの後も誕生日パーティが開かれ、夜遅くまでにぎやかだった。早めに風呂に入って、23:30頃就寝。

 この後は、次の記事「八丈島-その3」に続く。

 

2013年3月 4日 (月)

八丈島-その1

 2013年2月22日(金)22時20分、竹芝桟橋を出港。レインボーブリッジをくぐって八丈島へ向かう。

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 しばらく東京湾からの東京の夜景を楽しむ。

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 ★ ★ ★

 八丈島は、伊豆諸島の島で、東京のほぼ真南の海上約290Kmに位置し、緯度は高知県室戸岬や長崎県佐世保市とほぼ同じくらい。面積70K㎡(山手線の内側とほぼ同じ)のひょうたん型をした島である。北西部には優美な八丈富士(854m)、南東部には渓谷に囲まれた三原山(700m)の二つの火山から成る火山島。富士火山帯に属する。行政区分は、東京都八丈町。

 黒潮暖流の影響を受けた海洋性気候で年平均18℃、風が強く、雨が多いのが特徴。春はフリージア、夏はハイビスカス、秋はストレチア、冬はアロエの亜熱帯の花が咲く。

 産業は、花や観葉植物栽培の農業と沿岸漁業、焼酎や「くさや」の加工、伝統工芸品の「黄八丈織」などの商工業のほか、観光業。人口8,224人(平成25年2月1日現在)。

 はるか縄文時代の昔、どこからか黒潮に乗って流れ着いた人々が住み着き、 遠くの明国の船や、江戸時代には島流しの人々がやって来た。流人たちが積み上げた玉石垣や八丈島最初の流人である宇喜多秀家の墓などが島内に残っている。

 豊臣秀吉の五大老を務めた宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで石田光成の西軍に属して敗れた。死罪は免れ、駿河国久能山へ幽閉、やがて流人として八丈島へ配流となった。

 特産品は、くさや、明日葉、焼酎、黄八丈、フェニックス・ロベレニー(シンノウヤシ、ロベ)。 フリージア、 パッションフルーツ(アメリカ大陸亜熱帯地域を原産とする果物)、ぶど(海藻を煮出して味付けし寒天状に固めた郷土料理)、島寿司など。

 

 ★ ★ ★

 この日は、JR田町駅西口から徒歩3分、慶応大学近くの「慶応仲通り商店街」(写真下)にある居酒屋で、17:00~定例会合が行われ21:00頃お開きとなった。

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 電車でひと駅のJR浜松町駅へ移動し、北口から徒歩約7分(21:30ごろ)で「竹芝客船ターミナル」(写真下)に到着。八丈島行きに同乗する3人を待つ。運賃は、早期割引15%で7,200円。

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 明日の天気予報は、晴れたり曇ったりだが、風が強いようだ。海上は3mはうねりとのこと、今のところ欠航にはならない模様。

 東海汽船の大型客船「さるびあ丸」の最下階の2等和室、小学生の修学旅行と思われる団体客が陣取る大広間の中に落ち着く。

 23:30消灯、船中泊。小学生たちは静かにしている。仲間4人で車座になって缶ビールを飲んでいたら、小学校の先生と思われる人から、消灯後の飲食を注意された。

 

 ★ ★ ★

 日が変わって、2013年2月23日(土)

 午前2:30ごろ、酒酔いが覚めたのか、繰り返す大きな揺れか、目が覚める。気分転換にデッキに出てみようと上の階に上がってみたが、安全のためにデッキへのドアは全部閉鎖されている。また部屋に戻り、横になる。船内は暑くて毛布いらずだが、喉が渇く。

 早朝5:00ごろ、三宅港に到着のアナウンスで、再び目が覚める。日の出は6時15分ごろなので、まだ真っ暗。結局デッキに出れず、船からの朝焼けを見ることは出来なかった。

 波が高いせいか、途中6:00着の御蔵島は欠航になった模様。船内をウロウロしたせいか、不覚にも軽い船酔い。立っていられないほどの揺れで、胸もムカムカ、気分が悪い。船内レストランでの朝食を抜いて、横になっている。

 9:20、八丈島・底土(そこど)港に到着した。

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 今朝、空路で着いた仲間と合流、レンタカーを連ねて、9:45底土港を出発。

 9:50、今晩宿泊するホテル「リードアズーロ」に到着。荷物を預けて、10:20横間ヶ浦に向かう。

 

●横間ヶ浦

 ホテルから島の反対側にある横間ヶ浦に10:35到着。玉石が転がる「横間ヶ浦」の海岸から、標高854mの美しい円錐形をした八丈富士を望む。波が荒い。

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 目の前には、険しい形の八丈小島が見える。

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 八丈小島は、八丈島の北西7.5Kmの海上にあり、島の中央に太平山(616m)がある面積3.1K㎡の火山島。1969年(昭和44年)全員離島し、現在は無人島だそうだ。

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●大里の玉石垣

 11:30、大里地区の玉石垣のある「陣屋跡」(写真下)に着く。1652年、北条早雲の家来中村又次郎が代官として来島し、ここに陣屋を設けたという。江戸時代は幕府の役所として、明治には東京府の支庁があったそうだが、今は石垣のみで駐車場になっていた。

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 玉石垣は、流人たちが遠く海岸から1つ1つ玉石を運び、積みあげたものといわれる。すぐ近くの「ふるさと村」には、玉石垣と椰子に囲まれた敷地に、母屋、牛小屋、高倉(高床の倉庫)、閑所(トイレ)のある古い民家が移築・保存されている。

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 ふるさと村にある民家の高倉(高床の倉庫)。

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 牛小屋(右)、閑所(トイレ)(左)

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 民家の母屋。

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 ふるさと村から八丈島歴史民族資料館の裏へと通じる道は、昔「馬路(うまみち)」と称し、八丈島の最も古い由緒ある道だそうだ。平坦な道が少なく、山間の多い八丈島では、昔から運搬や農耕は牛で、馬はいなかったとされる。民家にあるマヤ(馬屋)は、牛舎のことなので、馬路(うまみち)は牛路であったのだろうか。

 付近で見かけたアロエの花の蜜を吸いに来たメジロ。

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●明日葉うどん

 13:00~昼食。うどん・カフェの「合月(あいつき)」で、てんぷら付きの明日葉うどん1,050円。うどんといっても、細くて蕎麦と間違えそうな太さ。後で気がついたが、薬味にはわさびの他に「とうがらし」が付いていた。

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 そういえば朝気分が悪くて、朝食抜きだったのも忘れていた。
 
 

 

 この後は、次の記事「八丈島-その2」に続く。

 

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