箭弓稲荷神社-その2
2013年1月7日(月)、埼玉県東松山市の「箭弓稲荷神社」についての記事の続き。
●めおと狐
拝殿には、「めおと狐」の大絵馬が掲げられている。よく見ると一文銭を縦に並べて狐が造形されているが、左の狐は後ろ左足を除いてほとんど一文銭が落ちてしまい、白くなっている。
由来は、眼病にかかった江戸の大工が、武州松山の野久(箭弓)様が目にいいと聞き、夫婦で祈願を続けて見えるようになった。治ったお礼に、一文銭で作った「めおと狐」の大絵馬を奉納した伝えられている。
仲のよい夫婦が、夫の眼病を信仰により乗り越える夫婦愛の話は、「箭弓稲荷神社」の公式ホームページに掲載されている。
●縁結びのキツネ
箭弓稲荷神社の「ぼたん園」の前に、「松の木」と「栴檀(せんだん)の木」が寄り添うように生えている。その二本の木は、いつしか「箭弓稲荷神社の縁結び」の象徴として信仰されるようになったそうだ。平成24年春に縁結びキツネの石像が建てられているのを、はじめて知った。石像は、「やっくん&きゅうちゃん」と名付けられている。造形作家のいじま・ゆういち作だそうだ。神社には、ちょっと場違いな、やけに漫画チックで可愛らしい「ゆるキャラ」だ。
「やっくん&きゅうちゃん」の人形、お守りなどのグッズも神社で売られている。縁結びの信仰スポットは全国各地にあるが、先述の「めおと狐」と関連して、東松山市も「縁結びのまち」として町おこしをはじめたように思える。
●団十郎稲荷
境内にある宇迦之御魂社は、通称「穴宮稲荷」、または「団十郎稲荷」と呼ばれている。江戸時代の文政年間、7代目市川団十郎は特に熱心に当社を崇敬しており、境内の旅籠にこもり芸道精進、大願成就を祈願した。江戸の柳盛座の新春歌舞伎興行において、「狐忠信」や「葛の葉」など狐の仕草が非常に難しいとされる芸題を披露したところ、毎日札止め、大盛況のうちに興行を終えることができたという。
団十郎は、大願成就のための名前入りの石祠一社を、1821年(文政4年)に奉納(写真下)している。
これは、お穴様と呼ばれる宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)を祀る穴宮稲荷で、以来江戸の役者衆や花柳界をはじめ、現在でも芸能や技術向上を願う方々の信仰が厚く、芸能・商売繁盛の守り神として広く崇敬を集めているという。
毎年春5月、秋10月には、芸道の向上を願う各芸能関係が集まり、「団十郎稲荷祭」を行い雅楽演奏や舞踊等を奉納している。
●林家三平
箭弓稲荷は、林家三平(初代)やその子の林家正蔵(9代目)で有名な、海老名家が信奉している神社でもある。
海老名家(林家)の先祖は、講談で有名な幡随院長兵衛に登場する旗本水野十郎左衛門の配下である海老名弾正の子孫とされ、箭弓稲荷は海老名家の守り神だそうだ。
●野球の神様
箭弓が「やきゅう」という音との縁で、プロ野球や高校球児、少年野球などの野球関係者が多く参拝する事でも知られている。特に、同じ埼玉県所沢市に本拠地を置く西武ライオンズの選手が頻繁に訪れ、「野球の神様」と言われている。
願い事を書いて奉納するユニークな絵馬として、野球絵馬と呼ばれる野球のバットの形や、ホームベースの五角形をしたものが頒布されている。
●前田敦子
2011年5月30日、AKB48の前田敦子が、6月4日公開前の初主演映画『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(略して『もしドラ』)の共演者の瀬戸康史、川口春奈と共に大ヒット祈願を行った。祝詞、おはらいなどの儀式の後に、箭弓稲荷神社ならではのホームベース型の絵馬に、大ヒットへの願いを書き込んだそうだ。
『もしドラ』は、岩崎夏海のベストセラー小説(2009年12月4日ダイヤモンド社発行)。集英社発行の漫画雑誌『スーパージャンプ』で、2010年12月22日から漫画化作品も連載された。
小説、映画、漫画では見てないが、NHK総合テレビで2011年4月25日~5月6日に『もしドラ』のテレビアニメ版が放送され、視聴した。主人公の高校野球の女子マネージャーが、ひょんなことから手にしたピーター・F・ドラッカーの著した有名なビジネス書「マネジメント」を参考に、弱小野球部を甲子園に導いていく姿を描いた青春物語。ドラッガーの組織管理論が、高校野球部の組織改革や意識改革に応用されて、次々と実践されていくのが、実に興味深くて面白かった。
●ぼたん園
箭弓稲荷神社の境内にある「ぼたん園」は、大正12年(1923年)に東武東上線の坂戸-東松山間開通を記念して、東武鉄道株式会社の初代社長・根津嘉一郎氏が、牡丹と藤、松を奉納した。
約3,500平方メートルの園内には、約1300株の牡丹が毎年4月中旬ごろより、つつじや藤の花と合わせて咲き誇る。
なお、東松山市内には、30,700平方メートルの敷地に9,100株の牡丹がある「東松山ぼたん園」もある「牡丹のまち」である。
ぼたん園内にある根津嘉一郎氏が奉納した松。
同じく「ぼたん園」内にあるこの藤の樹は、江戸時代の終りに小金井村(現小金井市)より武州の人某が譲り受け、根津嘉一郎氏より奉納された由緒ある樹。推定250年以上といわれ、「延命(ながらへ)のフジ」と名付けられて毎年美しい紫の花が咲く。
●道標
東松山周辺の桶川、鴻巣、吹上の宿より道中して参拝する人のために、「従是(これより)箭弓いなり道」の道標が、あちこちに50余本あったという。
写真の道標は、どこからか移設したのだろうか、境内の記念館前駐車場の分かりにくい隅に立っている。
箭弓神社には、昨年末観光ガイドから教わった話や、調べた多くの蘊蓄(うんちく)のある「お宝」がまだまだあるようだが、この続きはまた次の機会にしたい。
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