妻沼聖天山
2012年12月9日(日)、埼玉県熊谷市妻沼の「妻沼聖天山」(めぬま・しょうでんざん)に行く。
「妻沼聖天山・歓喜院(かんぎいん)」は、日本三大聖天の一つとされ、また「埼玉の小日光」とも言われる。地元では「妻沼聖天」、「聖天さま」などと呼ばれ、古くから縁結びや厄除けの神様としても厚い信仰を集めている。
平安時代末期の武将・斎藤別当実盛(さねもり)は、1179年(治承3年)武蔵国長井庄(現在の熊谷市、旧妻沼町)に大聖歓喜天を奉り、「聖天宮」を開いた。これが、「妻沼聖天山」の始まりだそうだ。
中世には忍(おし)城主の庇護を受け、近世初頭には徳川家康によって再興されたが、1670年の妻沼の大火で焼失した。現存する「聖天堂」(本殿)は、享保から宝暦年間(18世紀半ば)にかけて、妻沼の名工・林兵庫正清(はやしひょうごまさきよ)及び正信らによって再建されたものである。
2003年(平成15年)から7年をかけて、本殿である「歓喜院聖天堂」の修復工事が行われた。2011年(平成23年)6月1日に竣功奉告法会を執行、その日から一般公開が始まった。
2012年9月23日(日)午前8:00~、NHKの番組「小さな旅」で「聖天さまの贈りもの~埼玉県熊谷市妻沼~」と題して放送されたが、その再放送を見た。古刹(こさつ)・妻沼聖天山は今も町の宝として、「聖天さん」に日々の幸せを願う人々の姿を描いてあった。
本殿は、日光東照宮の創建から百年余り後の江戸時代装飾建築の頂点をなす価値の高い建物として、今年7月に国宝の指定された。
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9:00熊谷駅前に集合。車に分乗して「聖天山」に行く途中、国道407号線沿いの「道の駅めぬま」に立ち寄る。
荻野吟子の像が立つ「道の駅めぬま」の写真は、案内板「熊谷市めぬま観光案内」から引用した。
ここの2Fには、女性第1号となった偉人の業績や写真が展示してある。1885年(明治18年)、国家資格の女医1号となった荻野吟子は、1851年(嘉永4年)に現在の熊谷市俵瀬(旧大里郡妻沼町大字俵瀬)に生まれている。女史の生い立ち、書簡や医学書などの資料を展示した「荻野吟子記念館」が、2006年5月その生誕地にオープンしたそうだ。 道の駅に以前には、女史の資料を展示をしてあったが、この記念館に移したとのこと。
なお、医術開業試験制度がなかった時代の女性医師としては、すでに開業していたシーボルトの娘・楠本イネがいる。
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10:05、県道341号線沿いの「妻沼聖天山」に到着。めぬまガイドボランティア「阿うんの会」 から、1時間半ほど案内してもらう。
聖天山の正門である「貴惣門」は、国指定の重要文化財である。高さ18mの銅板葺きの八脚門。持国天、多聞天の像を左右に安置。妻沼の林正道により、安政2年(1855年)頃の完成。主要部材に、寄進者の名が刻まれているのが珍しいという。
「貴惣門」の精緻な龍の木彫り。白木で、彩色はない。
「貴惣門」は屋根を上下二重とし、側面から見ると破風(妻)を3つ重ねた形に特徴がある。
「斎藤別当実盛公」の銅像が、平成8年(1996年)に建立された。手鏡を見ながら髪を染めている姿で、スピーカーから尋常小学校唱歌「斎藤実盛」が流れている。こんな唱歌があったのかと驚く。きっと戦前の人たちは、実盛公の遺徳を小学校で習っていたのだろう。
斎藤実盛は越前国の出で、武蔵国長井庄(旧妻沼町)を本拠とし、長井別当と呼ばれる。長井庄内の開拓、治水や土地改良に努め、農作物の面倒をよく見て農民から大きな信頼を得ていた。厚い信仰心を持つ実盛は、庄内の平和と戦死した武士の供養、領内の繁栄を願って、上述のように1179年長井庄の総鎮守として「聖天宮」を建立した。
1183年、源平の篠原の戦いで木曽義仲の軍勢と戦い、壮烈な討死をする。享年73歳。出陣前から、戦いの加賀国篠原を最期の地と覚悟し、若々しく戦いたいという思いから白髪を染めた。この戦の悲劇は、後に「平家物語」、「源平盛衰記」、歌舞伎、謡曲など、数多く語り継がれたという。
2番目の門の「中門」(四脚門)は、室町期の建物で、妻沼の大火で焼け残り、1910年(明治43年)の大洪水の痕跡を残している。
境内に建つ「平和の塔」。昭和33年(1958年)に、戦没英霊の供養と世界恒久平和を祈願し建立した多宝塔。手前に赤い太鼓橋がある。
3番目の門は、1658年(万治元年)の創立の「仁王門」。1891年(明治24年)台風で倒壊、1894年(明治27年)に再建された。門の左右に配置された仁王(金剛力士)像は、口を開けた「あ」形と口を結んだ「うん」形。
仁王門をくぐると、本殿の「歓喜院聖天堂」がある。
本殿は、拝殿、中殿(相の間)、奥殿からなるが、日光東照宮などに見られるように複数棟を一体とした権現造りだそうだ。
修復工事により、創建当初の極彩色の彫刻が蘇った。費用が気になるので調べてみると、総工費は13億5千万円。9億6千万円が、国と県と市の補助金、3億5千万円が信徒の寄付だそうだ。
本殿の拝殿正面には、書・琴・囲碁・絵画の透かし彫り。その下は、龍の丸彫り。
虎と邪鬼。邪鬼は、木を噛んでいる。
拝殿正面を横から見る。屋根の下の梁の部分は、S字状に湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)というらしい。
拝殿の左にある受付で、拝観料700円を払い入場する。本殿の外周が透塀(玉垣)で囲われていて、その塀の中に入る。なお、本殿の建物内部には入れない。
南側の大羽目板の彫刻は、陽が当たってまぶしい。鹿を連れた福禄寿や長寿の鶴や亀。
龍、麒麟、白象、鳳凰などの架空の動物たちが、屋根を支える。白象の右の一部を塗り残し、未完成であることにしてある。
奥殿南側の木階周り。激流に落ちた猿(民衆)を救う鷲(聖天)。左甚五郎作と伝えられている。
奥殿の西面にある有名な囲碁彫刻。七福神が対局していて、なんともほほえましい。昨秋に日光東照宮に行った時、陽明門で見た彫刻の中にも、賢人の囲碁対局の図があったのを思い出す。
「聖天堂」が修復された際、囲碁彫刻がよみがえった縁で、今年5月に囲碁本因坊戦がここ聖天山歓喜院で行われた。
七福神が囲碁に夢中なので、恵比寿様の鯛や、大黒様の米俵で遊ぶ唐子。
布袋様の袋や、大黒様の打出の小槌で遊ぶ唐子。
お祭りの様子?
唐子の凧揚げ。
川遊び。フルチンの唐子もいる。職人の遊び心が見る人の心をなごませるという。
奥殿北側の大羽目彫刻。右の図は、琵琶と宝珠を持つ弁天様と吉祥天様。左では、すごろく遊びをしている。邪鬼が、右の二人に手招きしている。平和を象徴している。
唐子の獅子舞。獅子の中から顔を出した唐子は、「あかんべー」をしている。
唐子の雪だるま遊び。
唐子の相撲。
上の写真左手の床を支える龍の拡大写真。あちこちに龍の彫刻があるが、一つとして同じ形は無いという。
奥殿北側にある大羽目板の滝と鷲。南面にある激流に落ちた猿を救う前の状態の鷲で、滝の前で羽づくろいをしている。
同じようなパターンが南面にもあったが、拝殿と奥殿を結ぶ中殿の北面を飾る長命水滝とその下に雷神。写ってないが、その下には唐獅子が描かれている。
南側の入り口に戻って、退場する。
装飾の素晴らしさもさることながら、ボランティアガイドの豊富な知識と、次々と出てくるよどみない説明に魅了される。聖天山は、妻沼の誇りであり、地元の人たちの愛着が伝わってくる。この日は真冬並みの気温であったが、寒さも時間の経つのも忘れ、一個一個の彫刻の奥の深いうんちくに聞き入った。
以上、主な彫刻だけをこの記事に載せた。写真がうまく撮れなかったり、聞いた説明を忘れてしまったりして、全部をここに紹介しきれないのが残念。
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聖天山の周辺は、門前町のような商店が並ぶ。12:00頃~「大福茶屋さわた」で休憩。築100年の建物を改装した店で、今年になって開店したという。なお、本店もこの近くの県道341号線沿いにある。
昼食に事前に予約してもらった「聖天寿司」のパック(430円)を食べる。1人前でも、結構ボリュームがある。
聖天寿司は、妻沼の名物の稲荷寿司。細長い形状で200年以上も伝わっていて、巻き寿司とのパックで販売されることが多く、周辺3店舗でそれぞれ製造販売されている。
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午後、車で熊谷市街地に戻る。14:00~16:00熊谷市立文化センターで、「クリスマスコンサート」と題したチェロ・ヴァイオリン・フルート・ピアノの室内楽コンサート観賞。
17:00~創作酒房「吉左右」(きっそう)にて忘年会。19:00~「カラオケマック」で二次会。21:00過ぎに解散。
この日は盛り沢山な行事で忙しかったが、有意義な1日であった。幹事さんに感謝。
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