横綱羽黒山について
先月末に旅した山形県鶴岡市の「羽黒山」が、横綱「羽黒山」の四股名(しこな)が因(ちな)んでいるのかどうか、気になったので調べてみた。
羽黒山政司(大正3年(1914)~昭和44年(1969))は、戦中・戦後に活躍した第36代横綱。山形県出身ではなく、新潟県西蒲原郡の松長村(のちの中之口村)大字羽黒、現在の新潟市西蒲区羽黒の出身である。
このあたりに「羽黒山」という山は、探しても無かったが、近くに「羽黒神社」があった。現在では、全国の力士像の中でも最大の高さ5mもある横綱「羽黒山」の銅像があるそうだ。
「羽黒山」という山や「羽黒」という地名、「羽黒(山)神社」は、山形県鶴岡市が一番有名だが、調べると栃木県宇都宮市、三重県亀山市、新潟県佐渡市など全国に何箇所かにあった。
横綱「羽黒山」の四股名は、出身地・新潟県の大字「羽黒」の「羽黒神社」に因んで、入門時に立浪親方がつけたそうだ。
羽黒山は、昭和9年(1934)初土俵。スピード出世で昭和14年(1939)大関、昭和16年(1941)初優勝を果たして、横綱に昇進した。同部屋の双葉山の影に隠れて目立たなかったが、双葉山引退後は第一人者として、戦後復興の真っ只中の相撲界を支えた。(なお双葉山は、引退後に時津風を襲名して「時津風部屋」を興している。)
その後ケガが多く、かつての勢いは失われたが、昭和27年(1952)に最後の優勝を全勝で飾り、最高齢37歳の全勝優勝記録となっている。幕内優勝7回、連勝記録は32連勝。昭和28年(1953)に、現役を引退した。現役時代から後進の育成に熱心で、引退後は立浪親方となり「若羽黒」を大関に昇進させたほか、部屋の「時津山」、「安念山」、「北の洋」を加えた4人は「立浪四天王」と謳われた。
兄弟子の「若羽黒」と立浪部屋後継者の座を争った「安念山」(北海道出身)が、親方である先代「羽黒山」の長女と結婚。昭和36年(1961)からは「羽黒山」の四股名を継承して、部屋の後継者の座を勝ち取った。しかし、先代「羽黒山」ほどの活躍ができず、関脇どまりだった。「若羽黒」は横浜出身で、最高位は大関。
2代目「羽黒山」(安念山)の弟子に「北尾」がいて、期待されて横綱に昇進、過去の横綱に因んで「双羽黒」を名乗った。しかし優勝経験ないまま暴行事件や女将・後援会会長らとの大喧嘩の末に部屋を飛び出し、昭和62年(1987)史上初めての廃業処分となった。名門立浪部屋は、その後は廃(すた)れていく。
立浪部屋には、他に「羽黒~」とか「~羽黒」という力士がいたようだが、名横綱「羽黒山」に因んだ四股名で、山形出身ではないようだ。
なお、第47代横綱の「柏戸」(富樫、昭和13年(1938)~平成8年(1996))は、山形県東田川郡山添村(のちの櫛引町)、現在では鶴岡市の出身。鶴岡市名誉市民となり、「横綱柏戸記念館」が立てられている。柏戸は、藤沢周平に並ぶ現代の鶴岡市の著名人だ。
また、作曲家の中田喜直の名前が鶴岡市の「大寶館」にあった。「雪の降るまちを」、「鶴岡市民歌」などを作曲し、鶴岡と深い縁を持っているということで展示されていた。鶴岡出身と思いきや、出身地は東京である。
「雪の降るまちを」のメロディには、鶴岡市で見かけた雪の情景が、描かれているという。中田喜直は、鶴岡の音楽愛好家と親交が深く、毎年のように鶴岡を訪れては、ピアノ独奏や地元の校歌を多く作曲していた。この名曲発祥の地にちなんで開催される「鶴岡音楽祭」が、毎年2月に開催されているという。
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